74章 反撃の狼煙
「見よ! ヤツらめ、尻尾を巻いて逃げて行くぞ!」
撤退を開始するディアド兵に、ハマンが高らかな笑い声を上げた。
その澱んだ瞳には撤退するディアド兵の最後尾、殿を務める者の姿が映る。
「あれは……くははっ! あそこに見えるはオツラン王子ではないか! 王子自ら先陣で指揮を執り、おめおめと逃げ失せるとは! 勇猛果敢な砂漠の民が聞いて呆れるわっ!」
醜く歪んだ口許を隠そうともせず、大きく見開いた目を血走らせる。
弱者に対する傲慢さが如実に現れた。
「今こそ好機よ! 追撃せよ! 全軍、敗残兵を追撃せよっ!」
白い飛沫を飛ばしながら興奮するハマンに、細身の男が肩越しに顔を寄せる。
「ハマン総団長、どうか冷静に御対処を。奇襲で先手を打ちながらの早々の撤退……解せないものがあります」
「何を言っておるかあ! 好機を見逃す者は勝利者になれん! ヤツらの撤退に意味などないわ! 仮に策など在ろうとも、我が帝国軍が看破してくれん!」
腹心の進言も聞き入れない。
ハマンの目には、オツランの姿が出世のための生贄のように映っていた。
「追撃をかけるか……」
進軍を開始する帝国軍を横目にアジー・ワイが呟いた。
「私に構っている場合ではありませんよ。貴方も行かなければ」
斬りつけられた二の腕を気にしながら、ミューラーは強張った笑みを見せた。
アジー・ワイは無言のままミューラーに視線を戻すと、再び低く腰を落とす。
「なぜ撤退した?」
「そりゃあ、押し切れないと判断したからですよ」
とぼけた表情を見せるミューラーに、アジー・ワイが小さく鼻で笑った。
「そんなことは初めから承知だったろうに」
「そうでもないですよ。あわよくば……ってやつです」
肩をすくめたミューラーに、これ以上話しても無駄とばかりにアジー・ワイが襲いかかる。
砂地であろうと、一瞬の内に懐に入り込む爆発的な脚力。
不規則で、鞭のようにしなやかな動きを見せる両腕。
その強靭な足腰と、柔軟な上半身にミューラーも舌を巻いた。
「いっ!」
顔を狙った一撃目の突きが、ミューラーの頬をかすめる――と、ほぼ同時に腹部を狙って伸びてくる左腕。
ミューラーは身体を捻りつつ、サーベルで拳先突剣の軌道を変えた。
装備の恩柄を受けていない左脇腹、その個所の服が裂け、わずかに肌が露出する。
前のめりの体勢になったアジー・ワイは左腕を引こうとするが、その腕をミューラーの左手が捕まえそれを阻止した。
完全に無防備になった顔面。ミューラーはその顔を目掛けて右肘を叩き込んだ。
「なっ!」
その手応えに、ミューラーの顔に驚きの色が浮かぶ。
腕を振りどき、距離を取るアジー・ワイの口許、褐色の肌に微かな血の色が滲む。
平然と血の混じった唾を吐き出すアジー・ワイに、ミューラーは呆れたように苦笑した。
叩き込んだ肘。それは確かに顔の中心、鼻を狙ったものだった。
しかし、アジー・ワイは寸でのところで自ら首を捻り、鼻ではなく頬で受けた。
避けられぬと見るや、ダメージを最小限に押さえる判断。
そして、それを可能にする反射神経に感動すら覚える。
「なんという身体能力を……」
「おまえも素晴らしい。サーベルで振り払い、そのまま肘を返す……。見事だ」
張り詰めた空気の中、二人の間に奇妙な連帯感が芽生える。
「もう少し、貴方を観察したかったのですがね―――」
チラリとアジー・ワイの背後に視線を走らせつつ呟いた。
二人に駆け寄ってくる来るアラハ族の姿。
二体一では分が悪すぎる。
アジー・ワイに警戒を向けたまま、続いて視線を足許に走らせた。
倒れた帝国兵の傍ら、抜け落ちた剣を捉えた。
ミューラーは足の甲で剣を器用にすくい上げると、それを手に取りアジー・ワイに向かって投げ付けた。
しかし、アジー・ワイはその不意打ちを軽く切り払う。
その隙にミューラーはフードを外し、続いてそのフードを投げつける。
広がったフードがアジー・ワイの視界を奪う――直後、フードを突き破り、サーベルの刃が襲いかかる。
アジー・ワイは身を屈めて避けると、その体勢のままブンディ・ダガーでフードを刺し貫いた。
腕に絡みつくようにフードが身をよじる――が、手応えは無い。
「……」
開けた視界にミューラーの姿は無かった……。
アジー・ワイはゆっくりと立ち上がると、口の端をわずかに上げた。
視線の先、ミューラーの後ろ姿が見える。
振り返ることなく、砂煙を上げながら逃げ去っていく……。
「ミューラーさん、早くっ!」
必死に走って来るミューラーの後方、まるで津波のような帝国兵の姿が見える。
やっと最後尾に追いついたミューラーは、足踏みをしたまま停止した。
「オツラン、貴方が殿を務めているんですか?」
「餌が目の前にあった方が、帝国軍も追いかける気になるでしょうから。砂漠で重装備の人間に、どうせ追いつかれやしませんよ」
肩をすくめて笑顔を見せるオツランに、ミューラーは苦笑した。
「それよりミューラーさん、戦場で手ぶらですか? サーベルはどうしたんです?」
「命を拾うために捨ててしまいました。なかなかの業物だったので、手痛い出費ですがね」
笑顔を見えるミューラーに、どう解釈したのか、オツランは神妙な面持ちで頷いた。
「では行きましょう。追いつかれることは無いにしても、あまり近づきすぎると巻き添えを食らってしまいます」
オツランはそう言うと、もう一度帝国兵に目を向けた。
勝利を確信し、我先にと向かって来るその姿にほくそ笑む。
「行けえ! 行けえ!」
各団長が手柄を上げようと勢い込み、先行する団員たちを必死で鼓舞する。
しかし、ただでさえ足場の悪い砂地に、帝国軍特有の重装備が足枷となっていた。
その重さを自己主張するかのように、ガチャガチャと金属の擦れ合う派手な音を響かせる。
追い討ちをかけるように照りつける陽射しも、体力の消耗をさらに加速させた。
追い着けるわけがない。
分かっているが、止まることも出来ない。
他の者が止まらないのに、自分だけが止まればどうなるか……。
それが兵士全員に共通した意識だった。
仮に追い着いたとしても、こんな状態で戦闘になるのか?
足をフラつかせながら頭をよぎる不安。
しかし、そんな不安は次の瞬間に文字通り吹き飛んだ。
頭上から何かが降ってきた――そう認識したとき、足許で何かが弾け、重装備の身体が木の葉ように宙を舞った……。
ズドンという大きな音と共に、地響きのように足許が揺れる。
「なんだあ? まだ砂漠虫が残っていたのか!」
後方から悠然と後を追っていたハマンは、前方で起きた出来事に目を白黒させた。
離れた場所まで響き渡る、地鳴りのような破裂音。
と同時に、火柱と共に砂が天へと吹き上がり、重装備の兵が軽々と宙に浮く。
「そんなわけは……。この辺りのサンド・ウォームは一掃したはずです」
考える余裕を当与えず、続けてもう一音。
先刻と同じように兵士の身体が宙に舞っっていた。
「なんだ! 何が起きている!」
次々に立ち上がる一瞬の火柱。吹き飛ぶ兵士。湧き立つ黒煙。
混乱――先行していた帝国兵の間に、瞬く間に広がった混乱。
冷静に対処すべき団長クラスの人間も、次々に起こる破裂音に平静を失っていた。
「ぐわああ!」
そこかしこで響く悲鳴。
吹き飛ばされた兵士はその装備を変形させ、焼き尽くされたように身体から煙が立ち上がる。
「な、何が起きていると訊いている!」
「分かりません! 兵が……我が軍の兵が次々と吹き飛ばされていく」
「くぅ……。退避だ! 防衛の陣を組めえ!」
混乱の中、それでも指示通りに円を描くように陣形を組み、外側に向けて槍を構える。
しかし、無常にもその円陣の中央で火柱が上がる。
石が投げ入れられた湖畔の水飛沫さながら、兵士たちは砂と共に四方に吹き飛んだ。
防衛の陣形も用を成さない。
唐突に、不規則に起こる地鳴り。逃げ惑う帝国兵。
しかし、そもそも何が起きているのかが分かっていない状態では、どこに逃げて良いのかも分からず、火柱が上がるたびに右往左往するだけだった。
「ううう……死にたくない……母さん……」
充満する黒煙の中、恐怖でうずくまり、動くことすら出来ずにいる者もいる。
そんな中、一人の兵士が何かを見た。
揺れ動く黒煙の中、空から何かが降ってくる。
「……っ! 火矢だ! 火矢が来るぞお!」
砂地に火矢が突き刺さり、その直後、朱色の閃光と共に激しい破裂音が響き、容赦なく耳を痛めつけた。
顔をしかめながら薄っすらと瞼を開くと、母を呼んでいた男の姿はなく、その近くでは呆然とする男を嘲笑うように、黒煙が不気味に揺れていた。
「……三十五歩……西に十五……北へ二十……」
呟きながら、天に向かい次々に矢を射る。
足許では木の棒を咥えたユピが、身動き一つせずに待機していた。
咥えた棒の先には炎が燃え盛る。
砂地に突き立てた木製の矢筒から矢を引き抜く。
その矢じりは薄っすらと濡れ、引き抜くと同時にユピの持つ炎をかすめていく。
同時に矢じりに炎が引火した。
弓を引き、火矢と化した矢を再び天に向かって射った。
「……火矢?」
その言葉を耳にしたアジー・ワイは、見通すように目を細めながら天を睨みつけた。
「火矢だと? 火矢でこんなことが起こるのか?」
傍らの同胞が疑問を口にした直後、再び起こる破裂音。
湧き立つ黒煙が視界を奪い、焼けつく臭いが鼻を刺激する。
「っ!」
そのとき、天を睨みつけていたアジー・ワイの目が、黒煙の中、降り落ちてくる火矢を捉えた。
その行方を目で追う。
地面に突き刺さるように落下する火矢。
次の瞬間には閃光が走り破裂音が響く。
激しい風と、それに乗り飛び散る砂に顔を背けた。
「……間違いなく火矢のようだ」
「本当に火矢で? ……信じられんな。ヤツらは魔術でも使うのか?」
「……」
アジー・ワイは、地面から湧き上がるように揺れている黒煙を凝視した。
そして不意に視線を落とし、周囲を見やる。
「あれかっ! ……来い」
そう同胞の男に声をかけると、目的の場所に素早く歩み寄る。
その場所まで辿り着くと、しゃがみ込んでそっと手を伸ばした。
「それは何だ?」
男が訝しげに覗き込む。
アジー・ワイの足許、手を伸ばした先に砂と同色の何かがある。
アジー・ワイは答えること無く、その周囲の砂を掻き分け始めた。
徐々に姿を見せる大きな壺。
その入り口には、蓋代わりに砂色の羊皮紙が被せてある。
壺をそっと引き出し、羊皮紙を留めている紐を解いた。
壺の中を覗き込むと、アジー・ワイは中のものをすくい上げて顔を近づけた。
掌に乗った、大粒な黒い砂状の物体。微かに香る刺激臭。
「それは?」
男の問いに、アジー・ワイは掌からサラサラと黒い砂を落とした。
直後、先刻まで壺があった場所に、火矢が勢いよく突き刺さった。
「どうやら、『これ』が魔術の正体のようだ。そして――」
立ち上がり、火矢が飛んできた方向を睨みつける。
揺れる黒煙の隙間、砂丘の上に小さな炎が見えた。
それに気付いて目を細めると、その隣に人の影らしきものが見える。
「あれが魔術師のようだな」
「確かに。良く見れば人がいるな。砂漠と同色のフードを被っているのか」
男は突き刺さった矢と、砂丘の上を交互に見た。
「あの場所から、この壺を正確に射抜いているのか? 信じられん……」
男の言葉に、アジー・ワイは口の端を上げる。
「だからこそ魔術師だと言っている」
アジー・ワイが見据える人物。
今、フードをなびかせて背を向けたのが分かった。
その直前、互いの存在が引き合うように、視線が合った気がした……
つづく
ええ〜、前回からの間、投票をクリックしてくれた4名の方、大変ありがとうございます!
1週間で合計18名のクリック……感無量!自分的には快挙でございます。
地味な作品なのに……ありがとうね(涙)
今回のを書いてて、今さら思ったのですが、
私は、ファンタジー物を読んだことが、ほとんどありません!
まして、ファンタジーの戦争などになると、そのイメージは皆無に等しいです!
本当に今さらですが、ファンタジーの戦争ってどんな感じ?って具合でした(汗)
書き出す前に気付くべきだった……
話を変更すべきだったと、今さらながら少し後悔しています。
次回も、5日後ぐらいの更新を目標にがんばります。
どうぞよろしく〜(2/5)