71章 変化
「それでだな……ング……俺はヤツの行方を知りたいわけよ」
ギーが胡座をかき、干し肉に噛りつきながら言った。
「ネイのヤツは同業者じゃないのか?」
ルートリッジはギーの様子に苦笑する。
その食いっぷりには品性の欠片も感じられない。
「ング……分かってねえな、学者さん。ヤツは『渡り鳥』だ。もう同業者じゃない」
干し肉を腹に納めきり、指先を舐めながらニヤリと口の端だけを上げて見せた。
「しかもアサシンからも逃げおおせた上に、今は行方も分からない状態だ。ヤツの行方を掴めば、ギルド内の俺の評価も上がるってわけよ」
ギーは嬉しそに喉を低く鳴らした。
そんなギーに、ルートリッジが片眉を上げて口許を歪ませる。
「これからどうする気だ? 残念ながら、捕らわれているのはネイではないぞ」
「心配ご無用」
言いながら目を閉じ、顎を上げて人差し指を立てる。
そして、その指先をゆっくりとビエリに向けた。
「そのデカいのは鷹の眼の連れだろ? だったらお前たちに着いて行くさ。そうすりゃ必ずヤツとも会える」
細めた目の奥が微かに光る。
ビエリはギーの視線を受け、呻き声を上げると視線を泳がせた。
「ところでだ――」
ギーが突然改まった口調で笑みを消し、真摯な目でビエリを見据える。
「アウ?」
ビエリは眉尻を下げ、仰け反るように背を反らせた。
「セ……セ、セ、セ、セティちゃんはどうした!」
まくし立てるように訊ねられると、ビエリは何と答えて良いのか分からず、ルートリッジに救いの目を向ける。
それを受け、ルートリッジがビエリに代わり口を開く。
「セティ? あの娘がどうかしたか? 確かあの娘は、盗賊ギルドとはまた違ったと認識しているのが」
「ま、まあ、確かにギルドの人間じゃないが、セティちゃんは似たようなものだ。ギルドでも顔馴染みだ……ってそんなの関係ないだろ!」
不機嫌そうに口を尖らせるギー。
ルートリッジはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた。
「くっ! 早く教えろよ! セティちゃんは……い、今でもヤツと一緒に行動しているのか?」
後半部を言い辛そうにゴニョゴニョと濁しながら言い、下唇を突き出しながらルートリッジを上目遣いに見る。
つまり、本音で言えばネイよりもセティの行方を気にしているのだ。
「貴様の質問に答える義理は無いな」
突然背後から声をかけられ、ギーがギクリと身体を固めて息を飲み込む。
そろりと振り返ると、周囲の様子を探りに出ていたアティスが戻り、無感情な視線でギーを見下ろしていた。
フードを目深に被っているため、その視線がより冷徹に見える。
「御苦労だな。どうだった?」
ルートリッジが訊ねると、アティスはギーから視線を外して小さく頷いた。
「不穏な気配はありません。これなら夜明けと共に移動出来そうです」
その返事を聞き、今度はルートリッジが満足そうに頷いて見せた。
アティスはフードを脱ぐと、視線を合わせることなくギーに投げて返す。
それを受け取った拍子に、フードに付着した雨水がギーの顔を濡らした。
「このっ……」
ギーは聞き取れぬ程度の声でブツブツと文句を言ったが、アティスに一睨みされると慌てて口を噤んだ。
アティスが腰を下ろしたのを見届けと、ルートリッジにそっと近づいて耳元に顔を寄せる。
「なあ、あいつの裸、見たことあるか?」
思いがけぬ問いにルートリッジが目を丸くさせ、ギーの顔をしげしげと見返した。
当人は冗談で言っているわけではないようで、その目は真剣そのものだ。
「突然どうした?」
「いや……鷹の眼の連れには女みたいな男がいたからな……」
どうやらアティスもその類の人間だと疑っていたらしく、合点がいったようにルートリッジが首を上下させた。
「なら本人に訊いてみればどうだ? ネイのやつも同じ質問をしたことがあるぞ」
「だよな。あんな恐い女はそうはいねえよ……。で、どうなった?」
真剣な眼差しのギーに、ルートリッジは悪戯めいた笑みを向ける。
「本当の意味で、両目を節穴にされるところだったぞと」
「げっ!」
ギーが蒼ざめながら仰け反ると、ルートリッジが高らかな笑い声を上げる。
「おまえも訊いてみたらどうだ?」
もう一度繰り返すと、ギーは激しく頭を左右に振った。
サイホン――北から南へと縦長に横たわるアーセンの地にて、ほぼ中央に位置する街。
バルト大陸の中心に位置する『聖都』より西の方角へ行くと、最初に訪れることになるである街。
そのため信仰心に厚い街であったが、アーセンがヴァイセン帝国に侵略されて以来、帝国軍の大陸東部侵攻の拠点のような存在となっていた。
聖都の方角に祈りを奉げる信者の姿が、一昔前には街の至るところで見られたが、現在ではその姿に代わり、重装備に身を包んだ兵士たちが街中を闊歩する――。
「嘆かわしいな。『情の国』も今は昔か……」
街に足を踏み入れたところでルートリッジが独り言のように呟いた。
ガチャガチャと金属の擦れ合う耳障りな音が、あちこちから身勝手に耳に飛び込んでくる。
「熱心な信者たちも、今じゃ聖書の代わりに武器を手にした立派な帝国兵予備軍さ」
ギーが口の端を上げながら皮肉る。
ルートリッジはもう一度周囲に目をやり、深々とタメ息をついて肩を落とした。
「しかし、拍子抜けするほどすんなり入れたな」
気を取り直すようにルートリッジが言うと、アティスが小さく頷いて返す。
街に入る際にルートリッジが学者だと伝えると、番兵は同行する三人に多少訝しんだものの、証明書の提示を求める事はなかった。
が、ルートリッジに関して言えば、逆に問題が起きなかったことが不満そうでもあった。
「まだ北の砦から我々の情報が伝わっていないのか、それとも……」
「北で出くわしたのは本当に偶然だったか、だな」
ルートリッジがアティスの言葉を継ぐと、アティスはわずかに首を傾げる。
「とても偶然とは考えられませんが」
アティスが険しい表情を作ると、それをたしなめるように、ルートリッジは二度ほどアティスの肩を軽く叩いた。
「まあ、良いではないか。分からぬことで悩むくらいなら、とりあえず今出来ることをしよう」
「デキルコト……ナニ?」
ビエリが腕を組みながら低く唸る。
そんなビエリに向かい、ルートリッジはニヤリと笑って見せた。
「もちろん、腹ごしらえだ」
「さて、これからどうする?」
テーブルに置かれた料理に手を伸ばしながら、ルートリッジが口を開いた。
「ネイとはこの街で落ち合うことになっていますから、出来ればしばらく滞在する予定です。証明書がなければ、通行証も持たない我々が『ゴルドラン』へすんなり入れるとは思えません」
「ゴルドランか……。確かこの街よりさらに西だったな?」
「はい。帝国本土との国境に近い街です」
野菜を口にしながら、ルートリッジがウンウンと数回頷く。
「しかし、ラビのやつもとんだドジを踏んだものだな」
言葉とは裏腹に、ルートリッジは笑みを浮かべた。
そこで黙々と食べていたギーが手を止め、フォークを置いて口許を拭う。
「そのラビってヤツが、あんた達のお仲間の名前か?」
ルートリッジがゆっくり、大きく頷くと、ギーが顔をしかめながら舌を出した。
「捕まった挙句に他人に助けられようなんて、盗賊の風上にも置けないヤツだな」
そう言ってギーが笑い声を上げると、アティスが冷やかな視線をギーに向けた。
「そんなことはどうでも良い。どうしておまえが着いて来る」
感情のこもらないアティスの口調に、ギーは眉間に異シワを寄せて口をすぼめる。
「着いて来なきゃ辿り着く自信が無かったんだよ!」
「方向音痴は盗賊の風上に置けるのか?」
からかう調子でルートリッジが言うと、ビエリが笑いを噛み殺す。
「笑ってんじゃねえよ」
不機嫌そうにギーに睨まれ、ビエリは小さくなって下を向く。
その後、四人は無言で食事を取ったが、食べ終える頃になってルートリッジが不意に口を開いた。
「しかし、この店は―――」
言いながら店内をぐるりと見回す。
「ずいぶんと静かな店だな」
店内は静閑としており、四人以外の客は見当たらない。
もっとも、店内の造りを見る限り酒場であろうことから、陽が沈んでからが書き入れ時なのだろう。
「『今は』特別よ。常連の帝国兵たちが、南の国との戦争で出払ってるの」
静かな店の意思を代弁するように、ルートリッジの斜め後ろから声が落ちてくる。
ルートリッジが首を捻って後方を仰ぎ見ると、手にカップとティーポットを持った女が白い歯を見せていた。
この店の店主だ。
店主と言ってもまだ若く、少しソバカスのある顔と、短く首筋で切り整えわれた栗色の髪が印象的だった。
「まあ確かに、普段からさほど繁盛しているわけじゃないけど」
店主は気を悪くした様子を見せず片目を瞑って見せると、手にしたカップをテーブルの上へと置いた。
「お客さんたちは旅芸人か何か?」
髪を短くして間もないのか、首筋の毛先を落ち着きなさげに触りながら小首を傾げた。
その仕草が愛らしさを感じさせ、店主自身が店のウリの一つなのだ、と思わせるのに充分な説得力があった。
「俺たちが旅芸人に見えるのか?」
ギーが顔をしかめると、店主は顎に人差し指を当ててギーとビエリの交互に目をやる。
その視線を受け、ビエリが恥かしそうに視線を逸らした。
「う〜ん……それか軽い罪人ね」
悪びれた様子もなくカラカラと笑う。
その笑いにつられ、ルートリッジも笑い声を上げた。
「まあ……似たようなものだな」
「だったらすぐに街を出た方がいいわよ。さっきも言ったように、南の国との戦争に狩り出されて、残った兵士たちもピリピリしてるから」
「南の国か……。砂漠国はどうなったか」
ルートリッジが呟くと、ギーが得意げに口を開く。
「ディアドは終わりさ。帝国南部の部族もディアドに進攻しやがったみたいだしな」
瞬間、アティスの表情が険しくなる。
「なんだと?」
訊き返し、刺すような視線をギーに向ける。
「な、なんだよ。ディアドは終わりだって言っただけだろ」
「その後だ! 何と言った?」
「ああん?『帝国南部の部族も参戦した』って言ったんだよ」
聞き間違いではなかった事実に、アティスは息を飲み込み大きく目を見開いた。
「南部の部族が……。在り得ん!」
噛み付かんばかりのアティスの剣幕に、ギーが一瞬たじろぐ。
「ギ、ギルドの情報だ。ま、間違いねえよ。ギルドの情報は現地の次に早く、そして正確だ」
「帝国南部の部族……おまえの故郷か?」
ルートッリジがそう声をかけたが、アティスはその声が耳に入らぬように、険しい表情のままテーブルに視線を落としていた。
「アジー・ワイ……」
アティスの口から、ボソリと一つの言葉がこぼれ落ちた。
「アジー・ワイとは?」
カウンターに戻った女店主の様子を伺いながら、ルートリッジが小声で問いかけた。
「アジー・ワイ――」
アティスはもう一度同じ言葉を繰り返す。
「私の生まれた部族の長……その者の名です」
ルートリッジは腕を組み、目を閉じながら緩く頷く。
「で? なぜ参戦が在り得んのだ?」
一呼吸間を置き、アティスはゆっくりと顔を上げた。
その表情は、すでに冷静さを取り戻している。
「南部の部族は争いを避け、過去、帝国軍の侵略という方針に、決して同調することはなかった」
「ずいぶん臆病な部族だな」
ギーが小馬鹿にするように軽い調子で言うと、アティスは冷やかな視線を返した。
「その逆だ。帝国本土内に拠を構えながら、帝国の出兵要請を無視し続けるのだ。国内で敵を作ることを恐れたはいえ、帝国軍がそれを許していたという事実がどういうことか分かるか?」
「その部族が確かな力を有する……ということだな」
ルートリッジの解答に、アティスが頷き肯定を示す。
「そもそも、その部族は奴隷階級の者たちを祖とします。だからこそ、身を守る以外のために争うことを好まなかった」
「現在の帝国の前身は奴隷階級を強いていた国だからな。その部族の者たちは、支配される側の気持ちは良く分かる、と言ったところだろう」
アティスがしかっりとした調子で頷く。
「私が帝国兵に志願するときも、長は――アジー・ワイは徹底的に反対をしました。兵士となるならば部族を捨てた者とする、と……」
アティスの話にルートリッジが小さく鼻を鳴らした。
「そこまで戦争を嫌う者が参戦を決意する、か……。一体どんな心境の変化があったことやら」
「分かりません」
苦しげに答えたアティスに、ルートッリジは目を細めた。
「アティスよ、少し安心したぞ」
「?」
「おまえも人並みに故郷への想いはあるのだな」
笑顔を見せるルートッリジに、アティスはわずかに表情を和ませて小首を傾げた。
しかし、すぐに表情を険しいものに戻すと、横にある南向きの出窓に目をやった。
(アジー……一体なぜ……)
窓から覗く南の空。
その下に在るであろう者に向かい、返らぬ答えを求めて胸の内で呟きかけた……
つづく
ええ……前回の70章で、『ソシエダ』という街の名前が出たのですが、それを『ゴルドラン』に変更しました。
大した理由はありませんが、単純に『ソシエダ』という名前が気に入らなかっただけです。(1/29)