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70章  屈服

 薄灰色の空から地上へと、大粒の雨が激しく降り注ぐ。

 岩場からは一筋の煙がうねりながら同色の空へと立ち昇って行く。

 その岩場の陰から顔を突き出し、憂鬱そうに天を仰ぐ小柄な人影。

 口からは吐息が一つ漏れた。

「宿も無い状態で雨とはな……。ビエリ、雨を止めろ」

「アウウ……」

 無茶な言い分に、ビエリの視線がオロオロと宙を彷徨さまよう。

「ルー、もう少しの辛抱です。それに、雨空のおかげで煙が掻き消え火が焚けます」

 諭すような言葉に、ルートリッジは不満げに肩をすくめて渋々と腰を下ろした。

「アティス、街までどれくらいだ?」

 ルートリッジの問いかけに、火をくべていたアティスが手を止め顔を向けた。

「一日半ほどです。もっとも、その街も現在では帝国軍の駐屯地になっているため、安全とは言い切れませんが」

 アティスの答えにルートリッジが再び吐息を漏らした。

「どうして我々が来ることが知れていたのだろうな……」

 独り言のように呟いたルートリッジに、今度はアティスも返事をしなかった。

 

 国境を越え、アーセン地方に足を踏み入れるなり、最寄の砦から来たであろう帝国兵に囲まれかけた。

 アティスが不穏な気配をいち早く察知して事無きを得たが、タイミングを見計らったような帝国兵の動きを偶然とは到底思えなかった。

 その後、アティスたちは帝国軍の先遣隊を避けつつ、街を目指して『アーセン地方』の大地を南下することとなった。

 アーセン地方はほとんどが平地だ。

 隠れる場所の少ない大地を行くのと、駐屯地になっている街に身を潜めること――

 二つを比べたとき、街に身を隠す方がまだ安全だと判断してのことだった。

 もちろん、そこにはネイとの合流も考え、落ち合い易い場所、というのも理由にあった。 

 

「ネイのやつは無事にグラスローに戻れただろうか」

「昨日には城に着いているかと……。もちろん無事なら、の話ですが」

 アティスの言葉にルートリッジが苦笑する。

「無事でないと困るな」

「ダイジブ……ネイ、ヘイキ」

 自身満々に頷くビエリに、二人が顔を見合わせ肩をすくめた。

「ビエリよ。おまえはずいぶんとネイのヤツを信頼しているようだな」

 そう言ったルートリッジに向かい、ビエリは傷だらけの顔に満面の笑みを作って見せた。

 三人の頭上、薄灰色の空が濃度を増し、周囲の景色を漆黒に染め始める。

 

 

 

「アティスよ、前々から思っていたのだが、おまえはどうして帝国を出たのだ?」

 不意に投げかけられた問いに、アティスは一度顔を上げた。

 焚き火の灯りが褐色の肌を照らし、黒水晶のような瞳には揺らめく炎が浮かぶ。

 一呼吸の間、想いをせるように揺らめく炎を見据えると、それを振り払うように緩くかぶりを振った。

「……変わったからです」

「変わった?」

 口をすぼめて片眉を上げるルートリッジ。

 アティスは自虐的に口の端を上げて小さく頷いた。

「私はある人物に魅せられて帝国兵に志願しました。しかし、文字通りその者が変わったのです」

「なるほど……。それは想い人か?」

 目を細めたルートリッジに、アティスは静かな笑いをこぼした。

「違います。言葉を交わしたことも一度しかない相手です」

「ほぉ〜……」

 好奇心を刺激されたように、ルートリッジがわずかに身を乗り出す。

「そんな相手なのに『魅せられた』と?」

「はい。信念という『力』に」

「ふむ。それの信念が変わったのか?」

 目を輝かせるルートリッジに、アティスは口の端を上げて自嘲的な笑みを見せる。

「もしかしたら変わったのではなく、私が錯覚していただけかもしれません」

 そこまで言い、アティスは視線を逸らすと再び火をくべ始めた。

 それ以上の追求を避けるようなその姿勢に、ルートリッジは鼻白んで顔をしかめた。

「アッ……」

 二人の会話を黙って聞いていたビエリが突然声を漏らし、ルートリッジの身体が震わせる。

 対してアティスは瞠目に値する反応の速さを見せ、砂をかけて火を消すと、傍らに置いた拳先突剣ブンディ・ダガーを手に取り気配を探った。

 周囲は先刻同様、湿度を含んだ闇に覆われている。

「どうした?」

 アティスが声を押さえながら問いかけると、ビエリは屈みながら南の方向を指差した。

「ヒト……アルイテクル……」

 アティスとルートリッジが目を凝らすが、変わらぬ闇のように見える。

「……本当か?」

 ルートリッジが不審げな視線を向けると、ビエリは眉尻を下げながら数回頷いた。

 再びルートリッジが目を凝らそうとすると、今度はアティスが呟くように言った。

「確かに。何者かが向かって来ています」

 その言葉を聞き、ルートリッジはより目を細める。

「あっ」

 二人が言うように闇の遥か先、南の方角から北上してくる人影をルートリッジも確認出来た。

 指し示され、やっと気付く程度の人影。

「ビエリよ。おまえはどんな視力をしているんだ」

 ルートリッジが苦笑すると、ビエリは照れたように毛の無い頭を掌で擦る。

「こっちに来るということは、相手からも我々が見えているのか?」

「この視界に岩陰です。ちょっと考えられませんね」

 そう答えつつも、アティスは身を低くして険しい表情を作る。

「帝国兵か?」

「いえ、一人のようですし、それは無いかと」

 身を低くし緊張を走らせる二人の背後、二人に覆い被さるようにして身を乗り出してビエリが目を凝らす。

「アッ……」

 再び頭上で上がった声に、アティスは眉をひそめてビエリを見上げた。

「なんだ?」

「シッテル……アノヒト」

「なに? 知ってる人? おまえはここから顔までも見えるのか?」

 唖然としながら人影とビエリを交互に見るルートリッジに、ビエリは得意げに頷いた。

 

 

 

「ちくしょう! この雨ときたら。やっぱり来るんじゃなかったか……」

 男はフード目深に被り、顔を伏せながらブツブツと愚痴をこぼす。

 雨中とは言えその足取りは軽く、旅慣れているのが良く分かる。

 パシャリ――

 前方から聞こえた微かな異音に、男はハッとして顔を上げた。

 体良く見つけた岩陰。そこから確かに何かの音が聞こえた。

 耳を澄まし気配を探る。

 しかし、耳障りな雨音のせいで気配を感じ取ることは出来ない。

 ゴクリと喉が鳴らし、わずかに重心を下げた次の瞬間――

「っ!」

 男は小さく舌打ちをして後ろの飛び退いた。

 突然に岩陰から飛び出した人影。

 その影から突き出された何かを間一髪で躱す。

「なかなか勘が鋭いな」

 男の対応に、笑みを含んだ言葉が向けられた。

「いきなりとは酷いヤツだな。……何者だ?」

 男はフードの下から鋭く相手を睨みつける。

 雨中の闇に浮かぶ影。

 その影の小柄さと、先刻の声で確認出来たことは――

「女か……。俺はこんな土地で女に恨みを買う憶えは無いんだがな」

 男が軽口を叩くと、岩陰からもう一つの人影が現れた。

「アウウ……」

 呻くような声。

 何より、その影の大きさに男が一瞬たじろぐ。

「ふ、二人がかりなんて卑怯じゃねえか!」

 怒鳴りながら、男はフードの下で武器えものを握りしめた。

「アティス……マチガイナイ……」

 大きな影から一本調子な声が聞こえた。

(この口調……)

 男は、その口調に聞き覚えがあった。

 職業柄、他人の特徴を観察して記憶する能力には長けている。

 しかし、男が記憶の引き出しを開けようとするより早く、女の一言がそれを中断させた。

「おまえはネイの知人らしいな」

 予期せぬ台詞に男は目を見開く。

鷹の眼ホーク・アイを知ってやがるのか! ……あっ! おまえは――」

 男は大きな影の正体に気付き、わずかに首を捻る。

「確か……」

「ビエリ……」

 男の言葉を継ぐように、ビエリが自ら名乗る。

 思い至ったように大きく頷いた男に、アティスが言葉を投げかける。

「なぜ『おまえのような人間』がこんな所にいる?」

「おいおい、いきなり攻撃を仕掛けて今度は尋問か? 俺は女を痛めつける趣味は無いが、あまり『おいた』が過ぎるとお仕置きするぞ」

 男の挑発に、アティスは小さく鼻で笑って返す。

理由わけありだったんでな。人違いだったときを考えてのことだ」

「それでいきなり仕留めにきたのかよ? おまえ、気は確かか?」

「……もう一度訊く。なぜこんな所にいる?」

「ケっ! おまえが鷹の眼ホーク・アイとどいう関係か知らねえが、俺はあいつの『お友達』ってわけじゃねえんだぜ」

 男は言いながら、ゆっくりとフードの下から右手を出した。

 その手には鈍く光るナイフが握られている。

「なるほど。力づくで訊き出せ、ということか……」

 タメ息混じりに言ったアティスに、男は低い笑いを漏らす。

「お仕置きの時間だぜ!」

 男は叫ぶと同時に濡れた地面を蹴った……。

 

 

 

「それで?」

 右手でナイフを遊ばせながら、冷やかな口調で問いかける。

「……」

 しかし、目を逸らしたまま何の返答もよこさない。

 何も答えない相手に一瞥いちべつをくれると、その喉元にナイフの切先を突きつけた。

 切先を突きつけられた喉がゴクリと動く。

「質問には素直に答えた方が良い。じゃないと本当に刺されるぞ」

 焚き火に手をかざしながら、ルートリッジが目も向けずに言った。

 その隣では、ビエリが心配そうな顔を向けている。

 二人の顔をそっと覗き見し、再びゴクリと喉を鳴らす。

「……はい。ですから、その捕まった賊が鷹の眼ホーク・アイかを確認しに来た次第です」

 男は地べたに正座し、ナイフを向けるアティスにヘラヘラとした笑みを向けた。

 男の髪は逆立ち、その色は赤い。

 その赤さは焚かれた炎のせいではなかった。

 アティスは喉元に突きつけたナイフを引くと、それを手の内で持て余す。

 男は安堵の息を漏らすと顔を伏せ、上目遣いにナイフの行方を追った。

「賊が捕らわれているのは『ゴルドラン』じゃないのか?」

 冷たい声が、刺すような視線と共に男に突き刺さる。

「ええ。ですから、その街に向かっていました」

「?」

 男との会話に微妙なズレを感じ、アティスは怪訝そうに眉を寄せる。

「嘘は自分のためにならないぞ。ゴルドランに行くなら西に向かうはずだ。なぜ北上してた」

「へ?」

 男は口を半開きにし、アティスに間の抜けた顔を向けた。

「……あっ、そうか! くそっ! だから街道すら見えてこなかったのか」

 男は誰に言うでもなく、投げ捨てるように言葉を吐き出した。

「ソノヒト……ワカラナイ……ホウコウ……」

 横からおずおずとビエリが口を挟む。

「分からない? 方向? ……そうか、方向音痴か!」

 ルートリッジがビエリの言葉を理解して愉快そうな声を上げると、ビエリがなぜか申し訳なそうな表情を作る。

 そんな二人を横目で睨みながら男は舌打ちをした。

「陽さえ見えてりゃ迷うことはなかったよ……」

 反論するが、言葉の後半は聞き取れぬほどに小さい。

「方向音痴で盗賊ギルドだと?」

 アティスが呆れたように男を見下ろし、小さく鼻を鳴らした。

「まあ良い。それで、おまえの名前は?」

「……ギーだ。赤い矢レッド・アローのギーだ」

 そう言うと、目の前に立つアティスを鋭く睨みつける。が、残念ながら、正座をして膝の上に行儀良く両手を乗せた姿では凄みが無い。

 姿勢とは不釣合いなギーの視線に、ルートリッジは笑いを噛み殺した……

 

 

 

 

 つづく

 

 


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