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69章  在り方

 城内の木陰にしゃがみ込み、足元を覗き込んだ。

 そこに在るものを目にとめ、少年の頬が思わず緩む。

「そんな所で何してるの?」

 夢から覚まされるように背後から突然声をかけられ、小さな背を一度大きく震わせた。

「あ……」

 首を捻り、背後に立つ人物を見え上げると小さく声が漏れる。

 セティが腰に手を当てて少年を見下ろしていた。

「何かあるの?」

 セティは訝しげに少年を見ると、中腰になりその足元を覗き込む。

 紅茶色の髪から発せられた甘い香りが、少年の鼻を優しくくすぐる

 セティの目にはこれといった物があるようには見えなかったが、少年は微かに頬を赤らめてうつむいた。

「あり……」

 ボソリと呟く少年に、セティは眉を寄せた。

「あり……? あり?」

 セティが反芻すると、少年はコクリと頷く。

 もう一度少年の足元を凝視すると、確かに蟻が列を成しているのに気付く。

「あんた、これを見てたの?」

 セティが訊くと、少年は再びコクリと頷いた。

「こんなの見てて楽しい?」

「僕……昆虫学者になりたかったんだ……」

 消え入りそうな声。

 まるで重要なことを告白したように、少年は顔を伏せなが目を泳がせた。

「昆虫学者? って、あんた、だったら何で士官学校なんて……」

 少年は何も答えず、膝を両腕で抱え込んで顔を埋める。

 少年の様子に、セティは小さくタメ息をつきながら苦笑した。

「……エウが探してるわよ」

 セティが城の方向を顎で指すように言うと、少年は無言で立ち上がって土を払う。

 そして一度小さく頭を下げ、セティの横を小走りにすり抜けた。

 その少年の背にセティが声をかける。

「ねえ、本当にやる気なの? あんた本当は嫌なんでしょ?」

 少年は立ち止まり、ゆっくりと振り返ってぎこちない笑みを向ける。

「でも……エウさんが、僕のためを想ってくれたことだから……」

「あんたのタメねえ。それはどうだか」

 セティが腕を組みながら首を捻る。

「僕、嬉しかったから……」

 照れ臭そうに頭を掻く少年に、セティは笑みを浮かべてかぶりを振った。

 決闘の時刻は、もうすぐに迫っていた……。

 

 

 

「ここから先は一人で行くんだ。出来る限りのことをやれよ」

 少年の両肩に手を置いて力づけるエウを、少年は頼りなさげに見上げた。

 胸元で抱えるように握り締めた模造剣が、小刻みに震えているのが分かる。

「最初はエウに教えられたようにやればいいが、ヤラれそうになったら俺が教えたことをやれよ」

 横からネイが口を挟むと、エウがジロリと横目で睨んだ。

 少年が二人の背後に目をやると、セティがルーナと並び、冷やかな視線を向けてくる。

 少年は一度うつむき、意を決したようにクルリと踵を返した。

 

 

 

「こんな所に呼び出しやがって。しかも、こんな模造剣ものを持って来いとはどういうことだあ?」

 少年の前に立つ人物が、模造剣を肩に乗せながら余裕の笑みを向けてくる。

 その背後では、子分さながらに数人の少年が立ち並び、ニヤニヤと粘りつくような笑みをその顔に張り付かせていた。

 少年はゴクリと喉を鳴らし、上目遣いに目の前の人物を見上げる。

 顔にはまだ幼さが残るが、その顔に不釣合いな大柄な体格をしている。

「僕と……勝負して……欲しいんだ……」

 乾いた口から途切れ々に発せられる言葉に、大柄な少年が表情を露骨に歪ませる。

「ああん? おまえが俺と勝負ぅ?」

 大袈裟なほどに睨みを利かせながら言い放つと、少年の身体がビクリと震えた。

 その様子を見て、大柄な相手が満足そうに笑い声を上げると、背後に立つ者たちが見習うように一斉に笑い声を上げる。

 少年はうつむきながら、怯える目でそっと建物の陰を盗み見た。

 

 

 

「今時の士官学校は、普段から一斉に笑う練習でもさせてるのか?」

 子供達が同時に上げたわざとらしい笑い声に、ネイが苦笑する。

 その直後、少年がこちらをチラリと覗ったのが見えた。

 エウが拳を固め、力強く頷きながらそれに応える。

「ありゃダメだな。完全に飲まれてやがる」

 ネイが冷やかすように言うと、エウが無言で睨みつけた。

「君は、少し黙っていてくれないか」

 口を尖らせるエウに、ネイは軽く両腕を開いて肩をすくめた。

「始まるわよ」

 冷静なセティの声に、エウは慌てて少年に視線を戻す。

 エウの視線の先、少年に向かい、模造剣が横殴りに振られた。

 

 

 

「ひっ!」

 鼻先をかすめた模造剣に、少年が短い悲鳴を上げて尻餅をつく。

 その姿を、幼さの残る残酷な笑みが見下ろしてくる。

 少年は慌てて立ち上がると、震える両手で模造剣を構えた。

「剣を構えるなんて、おまえ生意気だぞ」

 再び振られた模造剣を、少年は目を閉じながら自身の模造剣で受け止めた。

 しかし、その勢いに押されてバランスを崩してしまう。

「へへへ……」

 少年の耳に、嘲笑の色を含めた低い笑い声が届く。

「どうした? 早くかかって来いよ」

 片手で軽々と振り下ろされる模造剣。

 それを少年は必死で受け止める。

 しかし、現実的には受け止めることが出来ていたわけではなく、相手が故意に模造剣同士を打ち付けているにすぎなかった。

 そのたびにバランスを崩して逃げ惑う少年。

 相手はその姿を眺めて楽しんでいる。

 思惑通り、模造剣を打ち付けられるたびに少年はバランスを崩し、ついには地面に手をつき四つん這いになってしまった。

 頭上から降り注がれる嘲笑。

 震える少年の左手が、地面の土を握り締めた。

 

 

 

「いけ!」

 少年が左手に土を握り込んだのを見て取り、ネイは小さく短い声を上げた。

 ネイたちの見守る中、少年は四つん這いのまま顔をわずかに上げる。

 立ち上がると同時に、土を握りこんだ左手が振り上げられる――はずだった。

「あのバカ! 何やってんだ!」

 ネイは少年の姿に失望の声を漏らした。

 左手には確かに土が握り締められているはずだったが、少年は立ち上がることなく、四つん這いのままうな垂れてしまった。

 うな垂れる少年の背に、踏みつけるように蹴りが見舞われる。

 少年は亀のように丸くなり、身を固めながら蹴りを浴びせられていた。

「ここまでか……」

 エウが止めに入るために建物の陰から出ようとする。が、セティに肩を掴まれ止められた。

「な……」

 エウの口が言葉を探すが、セティがゆっくりと首を左右に振ってそれを制した。

「止めちゃダメだわ。少なくともあんたが止めちゃダメよ」

 エウの物問いたげな顔を、セティの視線が真っ直ぐに射抜く。

 二人の横、ネイが深くタメ息をつく。

「結局、あのガキには物事を実行する勇気ってやつが足らないんだ」

 丸くなる少年。その握り締められた左拳を、ネイは口惜しげに見た。

 そんなネイに、セティが乾いた笑いを漏らす。

「勇気? それがそんなに必要なの?」

 挑戦的なセティの視線。

 その視線を受け、ネイが顔をしかめる。

「ビエリだって最初は酷いものだったぜ。それでも多少はマシになった。要は気持ちの問題だ」

 ネイが不機嫌そうに下唇を突き出す。

 そんなネイをあざけるように、セティが低い笑いを漏らす。

「何が可笑しいんだよ」

「だって、あんたはあの子をビエリと同じように考えてるのかと思って」

「似てるだろ」

 セティは薄い笑みを浮かべると、まるで物分りの悪い子供に対する母親のように、緩くかぶりを振って見せた。

「違うわ……。全然違う」

 小さく呟くように言うと、鋭く突き刺すような視線をネイに向ける。

「ビエリの勇気は、持って生まれた身体があってこそよ」

「なに言って……」

 反論しようとするネイに、セティが鋭く言葉を続ける。

「この世には、そんな身体を持たない、頭が切れるわけでもない、世渡りも下手で不器用で、あんた達の言う『勇気』ってやつの足掛かりすら見つけられない人間だっているわ」

 セティの視線がネイとエウ、二人を交互に射抜く。

「そういう人間が、悔しく無いとでも思ってるの?」

「しかし、だったら尚さら自分から変わらなければ」

 エウの言葉に、再びセティは薄い笑みを浮かべた。

「それは『変われた』人間だから言える勝手な言い分だわ。それに、どうして変わらなきゃいけないの?」

 セティの問い掛けに、二人が顔を見合わせる。

「あの子は今のままじゃいけない?」

 セティの問いに、二人が口をつぐむ。

「変えられない状況の中で、必死に耐える。そういう勇気だってあるわ」

 セティの眼差しに押され、ネイとエウは少年にそっと視線を向ける。

 少年は地面にうずくまり、背中に蹴りを浴びながら固く両の目を閉じていた。

「……あの子、昆虫学者になりたいそうよ」

 セティの言葉に、エウが目を見開き振り返える。

「だったら何故……」

 エウの問いに、セティは小さく鼻で笑った。

「簡単でしょ? 期待に応えたいからよ。今回もそう。誰かの期待の応えたいから必死なのよ。あんた達の言うように出来なくても、それでもあの子なりに必死に足掻あがいてるんじゃないの?」

 エウは返すべき言葉が見つからず、ただ顔を伏せた。

「上手くやれない人間と、それを受け入れられない人間。変わるべきなのはどっち? 力無い人間と、それを許さない人間。変わるべきなのはどっち?」

 セティの鋭く、それでいてどこか答えを求めて懇願するような問いかけに、二人は何も答えられなかった。

「セティ……」

 ネイが声をかけようとすると、セティはクルリと踵を返して二人に背を向ける。

「皆が皆、キューエルがそばにいるわけじゃない……」

 何とか聞き取れる程度の小さな言葉に、ネイが眉を寄せた。

「どういう……意味だ?」

「あんたはラッキーだったってことよ」

 セティは肩越しに言うと振り返ることなく、ルーナの手を取り二人の元から離れていく。

 二人は、ただ呆然とその姿を見送った……

 

 

 

 二人の足音を聞き、うずくまる少年は汚れた顔をそっと上げた。

 周囲を囲んでいたいた子供たちはすでにいない。

「大丈夫かい?」

 エウは中腰になると少年に手を差し出し、その顔に苦笑いを浮かべる。

 しかし、少年はその手を取らずにノロノロと立ち上がって顔を伏せた。

「しかし、見事な負けっぷりだったな」

 重い空気を振り払うように、ネイが陽気に声をかけたが鋭くエウに睨まれる。

「……なさい」

「ん?」

「ごめんなさい……」

 消えてしまいそうな少年の声。

 その声に、エウは返す言葉が見つからなかった。

 ただ、胸の奥だけが酷く痛む。

「おまえ、土を掴んだだろ? どうしてそれを使わなかったんだよ」

 幾分責めるようなネイの口調に、少年は気恥ずかしそうに頭を掻いた。

「……僕、臆病だから……」

 顔を上げ、泣き笑いの顔を見せる少年に、エウの両眉が下がり表情が歪んだ。

 少年の姿に、エウ自身の幼き姿が重なる。

 同じように、意味も無く他の子供たちに虐げられた日々。

 なぜ自分はやり返すことを選んだのか?

 悔しかったからか? 勇気があったからか?

 様々な疑問が頭に浮かぶ。そんな中、一つの答えが明確に浮き上がる。

「怖かったからだ……」

「?」

 呟いたエウに、少年は不安げに首を傾げた。

(怖かった……。無力な自分を認めることが)

 険しい表情を見せるエウに、少年は上目遣いに再び詫びの言葉を発した。

 頭を下げる少年の肩にエウの手がそっと置かる。

 少年は一度ビクリと肩を揺らすと、恐る々に顔を上げた。

 エウはそんな少年を見下ろし、力無い笑みを向ながら口を開く。

「君は……君は、どうしてそんなに強いんだ?」

「へ?」

 言われていることが分からず、少年は困ったようにオロオロと視線を泳がせる。

 救いを求めるようなエウに、せわしなく顔を動かす少年。

 ネイは二人の様子に苦笑して背を向けた。

(キューエルが一緒だった俺はラッキーか……)

 朱色の空を見上げながら吐息をつく。

 思い出の顔が浮かぶ空の先、西の方角に雨雲が広がっていた……

 

 

 

 つづく

 

 


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