6章 持たざる少女
牢獄の中から紅い瞳がジッとネイに向けられる。
その瞳を見ていると、不意に奇妙な感覚になった。
目が見えていないのではないか?
表情もそうだが、どこかその瞳は感情という名の精気を感じさせない。
「この女は……そんなに利用価値があるのか?」
ネイは少女の瞳を見つめたまま、振り返らずに訊いた。
変ってしまったキューエ。今はどうしてもその顔を直視することが出来ない。
「ああ、あるな」
キューエルは素っ気なく答える。
「貴族……いや、まさか王族の人間か?」
キューエルがそこまで『価値がある』と言いきるのだから、貴族程度のはずがない。
しかし、キューエルの返答はネイのその予想にも反していた。
「王族? いや、違うね」
そう否定すると低く笑う。
「その小娘は王族なんかじゃない。持たざる者さ」
「持たざる者?」
「ああ、そうだ」
再びはっきり言い切ると、ネイの横まで来て少女を見下ろした。
しかし、少女はネイを見据えたまま視線を動かさない。
「目が……見えていないのか?」
「……」
ネイのその質問には答えず、キューエルはただ黙って少女を見ている。
「利用価値があるからさらったのか? 女……それもまだガキを」
ネイは、答えないキューエルに構わず質問を続けた。
「ずいぶんとトゲのある言い方だな」
そう言って肩をすくめて薄い笑みを見せる。
「しかし……まあ、そんなところだ」
キューエルのその言葉だけでネイには十分だった。
自分の中で何かが砕けた気がした。
この少女が何者か。
キューエルが今まで何をし、そして今は何を企てているのか……。
そういったことは、もうどうでもよかった。
ただ、女子供まで利用するために平気でさらい、閉じ込めておく。
それが今のキューエルだと分かっただけで十分だった。
昔のキューエルなら決してそんなことはしない。
昔から盗賊には違いないし、悪党であったかもしれない。
だが少なくとも『外道』ではなかったはずだ。
「ネイ、おまえも俺と一緒に来い」
その言葉をどういう表情で言ったのか、ネイは見ることはなかった。
「俺にも人さらいの片棒を担げって言うのか?」
そう言って俯き、自虐的に小さく声を上げて笑う。
「どう受け取っても自由だ。だがこれから世界は大きく変る……いや、戻ると言うべきかな」
「世界? 人さらいがずいぶん大きく出たな」
「皮肉はいい。俺と来るのか? それとも来ないのか?」
「……悪いが」
そう言ってネイはキューエルに顔を向けた。
キューエルもまたネイを見ていて、二人の視線が交錯した。
しばらくそうしていたが、諦めたのかキューエルが小さく笑った。
「そうか……だが、連中は黙っておまえを帰しはしないぞ」
そう言いながら、広間の方を親指で差して見せる。そして
「もちろん……俺もそのつもりはない」
そう言ったキューエルの目が、獲物を捕らえる獣のような光を宿した。
「そいつは困ったな」
ネイがそう答えた直後、広間の方から男の声が響いてきた。
「キューエル! 大変だ。早く来てくれ!」
「どうしたっ!」
キューエルが広間に戻ったとき、男たちは慌てふためきながら武装をしていた。
「何があったと訊いてるんだっ!」
キューエルの怒号が広間に響き渡る。
その声に一人の男がピタリと手を止め、我に返った。
「外だっ! 外に私兵団がいやがる! もうすぐ包囲される!」
「っ! な、なんだと!」
さすがにキューエルもこれには驚いたらしく、その表情が凍りついた。
「そいつだ! そいつが密告したに違いねえ!」
別の男が指を差し、ヒステリックにわめき散らす。
指差した方向には、腕を組み壁に背をあずけるネイの姿があった。
キューエルがネイの元に詰めよる。
その歩調には怒りの色が滲み出ていた。
「俺を私兵団に売りやがったのか!」
怒りに顔を歪めながらネイの襟元を掴み、力まかせに壁に押し付ける。
怒りにかられ、睨みつけてくるキューエルを、ネイは冷ややかな目で見つめかえした。
「キューエル……ずいぶん感情的的じゃないか。あんたらしくもない」
「答えろっ! 俺を売ったのか!」
「ギルドの人間が私兵団に協力すると思うか?」
ネイの心理を推し量ろうと、ネイの瞳をキューエルは睨み続ける。
「っ! おまえ……尾行させたのか!」
その言葉にネイが微笑を浮かべた。
「それもあんたが教えてくれたんだぜ? 『敵とやり合うには準備が大事だ』ってな」
尾行させる―――そう。ネイはここの滝の空洞に来る前、ガラニスタを出るときに自分に尾行が着いていることに気付いた。
その尾行者が私兵団の者で、ミューラーの部下であろうことも察しが付いた。
しかし、ネイはあえてその尾行に気付かぬフリをした。
尾行者は途中で引き返したがそれで十分だった。
自分の向かった方角を部下から聞いたミューラーは、この滝に何かあると気付くだろう。
なにせその方角には滝以外はこれといったものは無いのだから。
そして、その尾行で一つ確信を持ったことがあった。
それは、ミューラーが国境付近の街にわざわざ来ていたのは、キューエルを捕らえるためだということだ。
やはり偶然出会わせたわけではない。
そして、それと同時に一つの疑問が浮かんだ。
それは街の娼婦が言っていた『兵士たちも、自分たちがなぜ国境付近の街に配属されたか分かっていないらしい』ということだ。
悪名高い盗賊を捕らえるのを、わざわざ部下に秘密にする必要があるだろうか?
しかしその疑問もここに来ておおよそ検討が付いた――
「急がなくていいのか? 相当無茶をしたんだろ? 捕まればただの死刑じゃ済まないぜ」
「……」
キューエルは無言で睨みつけていたが、外から私兵団の声と仲間の逃げ惑う声が聞こえてくると、冷静さを取り戻してネイの襟元を掴んでいた手を放した。
「敵とやり合うには、か……なるほどな」
キューエルはそう吐き捨てると、少女を捕らえている場所に向かおうとした。
しかし、その横穴への道をネイが立ち塞いだ。
「ネイ……どういうつもりだ?」
「あのガキを連れて行きたいなら力ずくで通るんだな」
「……」
キューエルの身体に殺意が立ち上がり、腰のサーベルを抜く。
それに合わせてネイも腰の二本のナイフを抜いた。
大ぶりのナイフは右手に、通常のナイフは左手で逆手に持つ。
「いいのか? 私兵団の連中がここに来るまで、殺されないくらいの自信はあるぜ。さすがのあんたも、ここまで詰め掛けられたら手遅れだ」
そう言ってネイは口の端を上げて見せる。
無言で睨みつけていたキューエルの背後から、私兵団の声が再び聞こえてきた。
もうかなり入り口付近まで近付いて来ているようで、さっきよりもその声は大きく聞こえる。
キューエルは一度舌打ちをすると、ネイに背を向けた。
そのまま振り返らずに
「いいか、今から俺とお前は敵同士だ。必ず貴様を殺してやる……」
そう言うとキューエルは外に向かい走り出した。
キューエルの言葉はネイの中の最後に残った何かを突き壊す、決定的な呪いの言葉だった。
その走り去る背中を見てネイは唇を噛んだ。
尾行については、ここにいるのがキューエルなら伝えるつもりでいた。
あくまでもキューエルではなかったきに、身を守る手段の一つとして尾行させただけだったからだ。
しかし……
ここにいたのはネイの知っているキューエルではなかった。
思わず感傷に浸りそうになるが、それを振り払う。
感傷に浸っている場合ではない。
ネイにもやるべきことがあるからだ。
キューエルの残像を振り払うと、ネイは出口とは逆に、横穴の奥に向かって走り出した。
「出ろ」
簡素な牢獄の錠前を、近くの石で打ち壊すとネイは少女にそう告げた。
外で何が起こっているかも分からず、突然やって来て錠前を壊し始めた男にそう言われても、少女は一向に怯えた様子も見せなかった。
その様子に、耳も聞こえてないのかとも思ったが、そうではないらしく、ネイの言葉から一呼吸間を置いて少女は立ち上がった。
その背丈は思ったよりも小柄で、ネイの胸程度しかない。
そして、先ほど見たときには気にも止めなかったが、大きな赤いリボンの付いた黒いワンピースを着ている。
なかなか動きにくそうな格好だ。
「いいか、お前をここに連れて来た連中は消えたが、さらに厄介な連中がやって来た」
もちろん厄介なのは、あくまでも盗賊にとっての話だ。
「急いで身を隠さなきゃいけない。走れるか?」
「……」
無言だがネイのそばまで寄ってきたところを見ると、一応意思の疎通は図れているらしい。
「いくぞ」
そう言ってネイは走り出し、背後を振り返ったが少女が着いて来れていない。
多少よろめき、つまづいている。
服のせいもあるかもしれないが、それよりも久しぶりに歩いたのが原因だろう。
その様子を見て一度舌打ちをすると、ネイはすぐに少女の元に駆け寄り、その身体を小脇に抱えた。
ネイが思ったよりもその身体はずっと軽く、あっさりと少女の足が宙に浮く。
「悪いが、走る練習をさせている時間はないんだ。少し我慢しろよ」
そう声をかけて、再び走り出した。
ミューラーが部下にも秘密にしたかったこと……
それはキューエルを捕らえることではなく、捕らえることで付属する何か。
その『何か』の印象を薄くするため、キューエルたちははあくまでも配属先で偶然出くわした盗賊団、ということにしたかった。
部下にも、真の狙いはその『何か』の方だと思われないために。
そこまで気を使い、隠すこと……
きっとこの少女だ。
キューエルがあそこまで利用価値があると言い切った少女。
そう考えてネイは少女を見下ろした。
表情は見えないが、小脇に抱えられて大人しくしている。
その銀色の髪が、ネイの歩調に合わせて揺れていた……
つづく