67章 弱者
欠けた月が頭上に高く輝く刻。
人の群れを縫うように避けながら路を行く。
時折、誘う声をかけて来る者もいたが、慣れた様子で軽くやり過ごした。
久しく感じることなかった夜の街の香り。
多少酒の入った足取りは軽い。
解放された気分に、思わず口許に笑みが浮かんだ。
その直後、そんな気分を台無しにする声が耳に届いた。
「抜け出して来たのかい?」
ギクリとして足を止め、声の方向に目を向ける。
細身の体躯に、肩まで伸ばした緩やかな栗色の巻き毛。
顔に笑みを浮かべ、壁に寄りかかって腕を組む男がいた。
「困るな、セティ。何かあったら俺の責任になってしまう」
男は笑みを浮かべたまま壁から背を離し、ゆっくりと歩み寄ってくる。
男が目の前に立つと、セティはその顔を吊り気味の目で見上げた。
首筋まで伸びた紅茶色の髪が微かに揺れる。
「見つかっちゃったわね」
悪びれた様子もなく笑みを向けると、男は肩をすくめた。
「勝手に抜け出すなんて、困ったお嬢さんだ……」
「エウが黙っていてくれれば問題ないわ」
当然のように言われ、エウは苦笑しながら前髪を掻き上げた。
「それで、気晴らしは済んだかい?」
「まあまあね。誰かさんに会わなきゃ、尚のこと良かったんだけど」
横目で睨むセティに、エウはかぶりを振った。
「見つけてしまったんじゃ見逃せない。城までお連れしますよ」
エウが言いながら左肘をセティに差し出すと、それを見たセティは鼻を鳴らした。
そして、出された左肘を取ることなく、一人先を歩き始める。
「やれやれ。本当に困ったお嬢さんだ」
エウはセティの背に向かいタメ息を吐きかけた。
二人は夜のグラスローを並んで歩いた。
傍目から見れば恋人同士に見えなくもないだろう。
しかし、現実的には二人の間に色のある会話は一切なかった。
話題といえば、ディアドとヴァイセン帝国の戦争、ネイたちの潜入についてくらいのものだ。
沈黙の気まずさにエウが時折話題を振るが、それに対するセティの反応は気の無いものだった。
再び訪れた沈黙に、エウが話題を振ろうとしたときセティが足を止めた。
「……? どうしたんだい?」
数歩先に進んだエウが振り返って訝しげな表情を見せる。
「あの子……」
セティが指差した先に一人の少年がいた。
昼間見た少年の一人だ。
少年は小袋を片手に、急ぎ足で通りを横切っていた。
「あ……」
中年の男とぶつかり、少年は小さく頭を下げた。
男は一睨みすると、鼻を鳴らして去って行く。
少年は男が去ると、肩を落として安堵の息を漏らした。
「酷い態度だ。子供がきちんと詫びを入れているというのに」
突然横から声をかけられ、少年の肩がビクリと振るえた。
少年が息を飲み込みながらそっと顔を向けると、エウは軽く手を挙げて白い歯を見せる。
「やあ。ケガはどうだい?」
そう言って中腰になり、少年の顔を覗き込んだ。
左眼の周りにはくっきりと青痣が浮かんでいる。
「これは三、四日は痕が残りそうだ――」
言いながら身体を起こし、腰に手を当てて少年を見下ろした。
「子供がこんな夜更けに一人で出歩くなんて感心しないな。学校でも規則違反だろ?」
「あ……」
少年は眉尻を下げ、わずかに背を反らせると後ずさりをする。
エウはその様子に苦笑し、少年の手許に視線を落とした。
「薬袋かい?」
少年が小さく頷く。
「自分のかい?」
言いながら自分の左眼を指差して見せると、少年は二度ほど首を横に振った。
その少年の態度に、セティが苛立ったように足を踏み鳴らした。
「ちょっとあんた、口が利けないの?」
少年は肩を震わせ、更に数歩後ずさる。
続けて文句を言おうとするセティを、エウが慌ててなだめた。
「怖がらなくて良い。でもこのお姉さんの言うことも一理あるぞ。そんな態度でいると、また昼間のヤツらにやられるぞ?」
少年はハッとした表情を見せたがが、すぐにうつむいてしまった。
エウとセティは顔を見合わせ、小さくタメ息をつく。
「とにかく、こんな時刻だ。君の家まで送るよ」
エウの申し出に少年はそわそわとした態度を見せたが、諦めたように首を縦に小さく振った。
「ここがあんたの家?」
セティが一軒の家を見上げて声を漏らすと、横からエウが肘で突いた。
少年の家はグラスローの北側、静観な家並を抜けた場所にひっそりと建っていた。
塗装も剥げて建物の造りも古く、その佇まいはお世辞にも立派だとは言い難かった。
他の街ではよく目にするような家だったが、比較的に裕福な者の集まるグラスローの地では珍しい。
ましてや子供が士官学校に通う身だ。漠然と裕福な家を思い描いてた。
「どうぞ……」
少年は扉を開けると、消え入りそうな声で二人を招く。
時刻も時刻だったため、エウは辞退しようとしたが、それよりも先にセティが中へと入ってしまった。
結局、エウも仕方なくその後に続いた。
入ってすぐ右側の部屋。さして広くもない客室に通されると、その部屋の奥にある扉が開いた。
「戻ったのかい」
そう言いながら、寝巻き姿の女が姿を見せる。
落ち窪んだ眼に艶のない髪。
その顔は骨と皮だけのように見えた。
「? こちらは……」
セティたちに気付いた女の目が微かに揺れる。
「夜分遅くにすいません。私はグラスロー私兵団、副団長のエウと申します」
エウは白い歯を見せ、右手を胸に添えると深々と頭を下げた。
エウの言葉に女の目を見開かれ、口がパクパクと小さく動く。
上手く言葉が出て来ないようだ。
「む、息子が何か御迷惑を?」
絞り出すように、しわがれた声で女が言葉を発した。
「いいえ、そうじゃありません。夜分遅くに一人で歩いたものですから、家まで送り届けただけです」
エウが笑顔を崩さずに言葉を返すと、女はゆっくりと頭を垂れながら礼を述べた。
「じゃあ、我々はそろそ……」
「ちょっと、客にお茶も出さないわけ?」
エウの言葉を遮るように、セティが少年に向かって不平を述べる。
その図々しさにエウは身を反らせて絶句した。
「この子も御国のためになればと思い、士官学校に入学させまして……」
「そうですか……ハハハ」
薄暗い部屋の中、女が口許に笑みを浮かべ、エウが愛想笑いを返した。
隣ではセティが紅茶を一口啜り、顔をしかめた後に匂いを嗅いでいた。
エウはそれを視界の隅に捉え、笑みを浮かべたままテーブルの下でセティの足を軽く蹴った。
その拍子に紅茶を顔にかけそうになり、セティが口を尖らせながら横目でエウを睨む。
「ですから、この子には……」
女はエウを副団長と知り、なんとか自分の息子を売り込もうと躍起になってるようだったが、少年は肩ををすぼめてうつむいたたままだった。
女に話を振られ、時折頭を鈍く上下させるだけだ。
少年の様子に、女は小さくタメ息をついてジロリと睨むつける。
そんなときばかり、落ち窪んだ両眼がギラギラと光って見えた。
エウはゆっくりと、しかし出来る限り早く紅茶を飲み干すと、大きく息を吐き出し腰を上げた。
紅茶の礼を述べて目配せすると、セティも澄ました顔で席を立つ。
「お客様をお送りしなさい」
ギロリと目を向ける女に、少年は小さく頷いた。
「士官学校へは君の希望で入ったのかい?」
少年の家を出たところでエウが口を開いた。
後を着いて来ていた少年は弾かれたように顔を上げたが、すぐにうつむいてしまう。
「気分を害せずに聞いて欲しい……仕官学校に入るには、君の家はあまり裕福とは言えないだろ?」
「紅茶も安物だしね」
セティの軽口をたしなめるようにエウが睨む。
少年は何か言いたそうに顔を上げたが、肩を落として小さく頷く。
そんな少年を見下ろしながら、エウはタメ息をついた。
「そんな態度じゃダメだぞ。言いたいことがあるならハッキリ言わなきゃ」
エウが叱るように語気を多少強めて言うと、少年は肩をより小さくした。
「学校へ入ったのは御母さんの言いつけかい?」
エウが訊くと、少年は躊躇いがちに小さく頷く。
そこでもうエウがもう一度タメ息をつく。
「期待に応えたい気持ちは分からないでもないが……。君はそれで良かったのかい?」
今度は、少年の首は縦にも動かない。
ただ、うつむきながら頼りなさげに眉尻を下げる。
「昼間のこと……昼間、君が囲まれてたこと――」
少年の瞳が微かに揺れる。
「御母さんは知っているのかい? 今回が初めてじゃないだろ?」
少年が緩く頭を揺らした。
エウは肩を落とし、頭を垂れる少年を見据える。
「君にも問題があるぞ。御母さんに対してもそうだが、昼間の子たちにもだ」
少年の目が不安定に動き出す。
「嫌なものは嫌。もっとしかっり意思表示をしないと、また痛めつけられるぞ?」
言って聞かせるエウの背後、セティが白い目を向ける。
「……」
何も答えることが出来ず、不安定に視線を動かす少年にエウは大きくタメ息をつく。
そして何かを決したように微笑むと、少年の肩にそっと手を置いた。
「よし。君を鍛えてやろう。いつまでも良いようにヤラれるだけじゃダメだ」
エウがそう言うと、少年は戸惑いと不安の入り混じった目をエウに向けた。
「あんたもお節介ね」
城への帰り道、セティがエウに向かい呆れたように口を開いた。
エウは苦笑を浮かべ、頬を人差し指で掻く。
「同じだよ……」
「は?」
「俺も彼と同じだったんだ。家は貧しかったが、母の期待に応えるために士官学校に通った」
「ふ〜ん……」
「彼と同じように、周りのヤツらに結構ヤラれたもんだ」
エウは懐かしむように口の端を上げると、前髪を掻き上げて言葉を続けた。
「どこに行って弱い者を虐げるヤツはいる。怯えているだけじゃダメだ」
エウが何度も頷きながら言うと、セティはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「それで? あんたがあの子を変えるって?」
バカにしたように笑い混じりに言うと、エウが気分を害したようにセティを睨んだ。
「なんだ? 無理だっていうのか?」
やや語気を強めて言うと、セティは両腕を軽く開いて小首を傾げた。
「さあ……。ただ、あんたも周りを囲んでた子供たちと一緒ね」
「どういう意味だ?」
エウがセティの前に立ち塞がり、不快感を露にして問い詰めると、セティは冷やかな笑みを浮かべた。
しかし、何も答えることなくエウの横をすり抜けると、そのままヒラヒラと背中越しに手を振って先を歩いて行く。
その背を見つめながら、エウは腕を組んで首を傾けた。
六日後、兎の耳――ラビがヴァイセン帝国に捕らわれていたということが、事実として判明する。
その情報を持ち帰ったのはネイだ。
しかし、共に帝国領土に潜入したはずのアティス、ルートリッジ、ビエリの姿はそこには無かった。
三人を帝国領土に残し、ネイ一人が帰還した……
つづく
ここ数日の間、投票をクリックしてくれた方、大変ありがとうございます。
長いこと確認していなかったので、何名の方かは分かりませんが、感謝です!
ここ3話分、更新ペースが極端に落ちました。
と言いますのも、モチベーションが非常に低下するような事実を知りまして……
投稿先を他のサイトに変えてみようか、それとも書くこと自体を止めてしまおうか……そう悩んでいた次第です。
しかし!意見をくれた方、投票をクリックしてくれた方がいるという事実を胸に、この話だけは書き切ろうと気持ちを切り替えました。
モチベーションの充電を完了したので、再びがんばります!
というわけで、次回もよろしく〜(12/21)
追記
この話を投稿直後、気絶するかと思うほど嬉しいことがありました。
心当たりのある方、あなたの名前……パクります!(12/21)