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65章  贈り物

 暖かな日差しの中、リーゼがネイたちに向かい小さく手を上げて歩み寄ってくる。

 ネイがそれに気付き、くわを振る手を止めた。

「もう行くのか?」

 汗を拭いながら訊くと、リーゼが深く頷いて返した。

「本当に戻るの?」

「アウウ……」

 農作業を傍観していたセティとビエリも、心配げな顔で声をかける。

 リーゼは一日だけ滞在し、ディアドに戻ることになっていた。

 そのため、出発の前に別れを告げに来たのだ。

 ネイは此処グラスローに留まることを勧めたが、結局リーゼは首を縦には振らなかった。

 王家の者が危険だからと言って国外に退避しては、いたずらに民を不安にさせるだけだと……。

「しかし、何も戦地に戻らなくたって……」

 ネイの言葉をリーゼは手で制し、緩くかぶりを振る。

 ネイも一度タメ息をつくと、それ以上は言葉を続けなかった。

 そして、リーゼが真摯な目をネイに向ける。

「もし、責任を感じてヴァイセンに行く気なら止めて。貴方のせいじゃないし、何より危険すぎるわ」

「……」

 前夜、ネイはヴァイセン帝国行きをアティスに相談した。

 どうすれば上手く帝国に侵入出来るかだ。

 しかし、アティスはその問いに首を横に振るだけだった。

 方法うんぬんの問題ではなく、現在の状況でネイにそんなことをされては迷惑だと言い切った。

 しかし、立場上アティスがそう言うのも致し方がない。

 実状の待遇はさておき、ネイはエインセ将軍に保護されている身だ。

 将軍直属のアティスが、ネイのそんな無謀な行動を許すわけがない。

 もしもネイがヴァイセン帝国側に捕らわれ、教会が追っている人間をかくまったことが知れれば、エインセ将軍の立場を危うくしかねない。

 ましてやヴァイセン帝国とフォンティーヌは休戦状態だ。

 ネイが口を割ることが無いとしても、無用な問題を起こしうる危険を避けるのは当然と言える。

「アシムに言っておいてくれよ。人の心配をするヒマがあったら、自分の心配をしろって」

 リーゼが微笑みながら頷くと、ネイはセティに白い目を向ける。

「おまえもリーゼと一緒に戻れよ」

 そう言われ、セティは鼻を鳴らした。

「あたしが戻ったら、誰がルーナの相手をするのよ。あんた一人じゃルーナだって心細いわよ」

 澄ました顔でそう言うと、セティはルーナに視線をやった。

 ルーナはネイたちの傍らでしゃがみ込み、ジッと地面に目を向けている。

 どうやらアリの列を観察しているようだ。

 相変わらずの人形のような服。今日は黄色の主とした色合いだ。

 飽きずにジッとアリを見つづける姿に、ネイが苦笑したとき建物の扉が開いた。

 そこからルートリッジが顔を覗かせる。

「ネイ、そろそろ時間らしいぞ。アティスが迎えに来た」

 それを受けてネイとリーゼが頷いて応える。

「では、そろそろ行きます。でもその前にこれを――」

 そう言ってリーゼが恥かしげに手を差し出す。

 その手には半円型に削られた、平たい石のような物が乗せられていた。

 ただ、直径に当たる部分が直線ではなく、不規則な角度が交互にいくつ付いた作りになっていた。

「それは?」

「これは磁鉄鉱を削り出して作った物なの。これともう半分、二つで一対になっていて、微弱な磁力を帯びているわ」

 ルートリッジが興味深げに、横からリーゼの手許を覗き込んだ。

「なるほど……。二つがピタリと噛み合うわけか」

 感心したように呟くと、リーゼが小さく頷く。

「ええ。これを持っていると、もう半分を持つ者と引き合うと伝えられているの。例え一時離れようとも、必ず巡り合うと……」

 リーゼの雰囲気が変わったように感じていたが、ネイはその理由を今察した。

 最初に会ったとき、身分の違いを見下すようなトゲを感じたが、今はそれが無い。

 それはきっと、男の良さとは身分ではない、ということに気付いたためだろう。

 そう解釈し、ネイは全てを悟ったように口許にキザな笑みを浮かべた。

「これを貴方に……」

 リーゼが一歩踏み出すと、目を閉じて両腕を軽く開く。

 …

 ……

 ………

 おかしい。しばらく待ってもリーゼが近づいて来る気配がない。

 不信に思い、ネイがそっと片目を開くと、そこにリーゼの姿は無かった。

 そしてゆっくりと視線を横に移すと、顔を真っ赤に染めたビエリが頭を擦っていた。

「アウウ……」

「これを持っていて。必ず無事に再会出来るように」

 リーゼは石の半分をビエリに差し出す。

 ネイは状況が飲み込めず、ぎこちない動きでセティに顔を向けた。

 セティは深く頷き、底意地の悪そうな笑みを浮かべる。

「あんたが植物を育ててる間、ビエリは愛を育ててたってわけよ」

「っ!」

 ネイが唖然とする中、ビエリは照れ臭そうに石を受け取っていた。

 腕を開いて固まったままのネイを見ながら、ルートリッジがセティに顔を近づけた。

「あの腕をどうするのか興味深いな」

「さあ? 空でも飛ぶつもりなんじゃない。まあ、あたしなら恥かしすぎて自害するわね」

 その囁きに、両腕を開いたままでいるネイの頬がヒクつく。

 二人が嘲笑する横で、しゃがみ込んでいたルーナがネイを見た。

「あいつ、あの石は自分が貰えると勘違いしてたみたい。恥かしいヤツよね」

 セティがそう耳打ちして笑って見せると、ルーナは立ち上がってネイに歩み寄った。

 そして、ネイに向かい右手を突き出す。

「……」

 ネイが呆然としたままルーナを見下ろすと、突き出した右手をそっと開いた。

「……おい、どういうつもりだ?」

 ルーナの右手には小石が握られていた。

 そして、左手にも同じ大きさ程度の小石を握っている。

「……」

 ルーナの背後、セティが腹を抱えて吹き出した。

「ハハハ! あんたには畑の石がお似合いよ!」

「ぐっ!」

 ネイは羞恥と悔しさに顔を歪め、手にした鍬を地面に投げつけた。

 一度ビエリたちを鋭く睨むが、二人はネイの気配に全く気付かない。

 完全に二人の世界だ。

 周囲に花が咲いている幻覚さえ見えてきそうだった。

 そのことで更に怒りを膨らませていると、ルーナが再び右手を差し出してくる。

 嘲笑するセティ。

 照れ合う二人。

 しつこく差し出してくるルーナ。

 ネイの肩が小刻みに震え、低い唸り声が口から漏れる。

 そして次の瞬間、差し出された小石を手に取ると、怒りに任せてそれを投げ捨てた。

 小石は放物線を描いて畑の隅へと飛んでいく。

「……」

「あ〜あ……」

 責めるようなセティの視線。

 やっと自分たちの世界から戻り、疑問を滲ませるビエリたちの視線。

 そして、投げ捨てられた方向をジッと見続けるルーナの視線……。

 ネイは我に返り一瞬たじろいだが、気持ちを鼓舞するように一度大きく鼻を鳴らすと、肩を怒らせながら大股で建物へと逃げ去って行く。

 そして大きな音を立てながら、荒々しく扉が閉められた。

「……一体どうしたの?」

 リーゼが目を白黒させながら尋ねると、セティとルートリッジは揃って肩をすくめた。

 セティが呆れながらルーナを見ると、ルーナは小石が飛んだ方向をまだ見つめていた……。

 

 

 

 夜更けの静まり返った廊下に、アティスの規則正しい軽快な足音が響く。

 その足音がピタリと止むと、今度は扉を叩く音が響き渡った。

「入りたまえ」

 扉の向こう、部屋の中から低いが良く通る声が返ってきた。

 アティスは扉を開けて部屋に入ると、右手を腹に添えて軽く頭を下げる。

「うむ。そこに掛けてくれ」

 指し示されたのは、テーブルを挟んだ二対のソファだ。

 アティスはその一つに背筋を伸ばしながら浅く腰掛けた。

「ご用件というのは?」

 急かすように訊くと、エインセは白くなった髭を歪ませて苦笑する。

「アティス、君は本当にせっかちだな」

 エインセはタメ息混じりにそう言うと、アティスの向かいに深々と腰を下ろした。

「所用で見送ることが出来なかったが、ディアドの王女は無事に出立されたようだな」

「はい。団員十名が国境までお送りしているはずです」

 アティスの報告にエインセは満足げに頷き、大きく吐息をついた。

 本題はここらだと察し、アティスも姿勢を正す。

「ネイの話をエウから聞いた。彼は我々と同じように、枢機卿と今回の戦争に何か関わりがあると踏んでいるらしいな」

 エインセが目を細めると、アティスは神妙な面持ちで頷いて返す。

「その裏付けを取るために、彼はヴァイセン領内に忍び込もうとしているそうじゃないか」

「御安心ください。そんなバカな真似はさせません」

 アティスが固い口調で断言すると、エインセは低く笑った。

 そんなエインセに、アティスが眉をひそめる。

「いや、そうじゃない。そうじゃないのだ、アティス」

「……と、申されますと?」

 エインセは背もたれに預けていた身体を起こし、両膝の上で手を組み合わせた。

「その逆だ。ネイをヴァイセンに潜入させたいと思っている」

「っ! ご冗談を……」

 絶句するアティスに、エインセは首を横に振って見せた。

「冗談ではない。君も知っての通り、現在兎の耳ラビット・イヤーをヴァイセンに潜り込ませている。しかし、彼からの定期連絡が数日前から途切れているのだ」

 アティスの表情が一瞬険しいものとなった。

「捕らわれた、と?」

「分からない。それを確認するため、ネイに協力を願いたい。ギルドでの彼を少し調べたが、彼はかなり優秀な盗賊だったようだ。潜入ならお手のものだろう?」

 アティスが納得したように数度小さく頭を揺らすと、エインセは一呼吸置いてアティスの瞳をジッと見据えた。

 アティスも微動だにせずそれを受ける。

「そこで彼に協力してやって欲しい」

「私が……ですか?」

「そうだ。君ならヴァイセン領内を良く知っているだろ?」

 エインセの要望にアティスは逡巡して見せると、吐息をついて緩くかぶりを振った。

「エインセ将軍、お言葉ですが私が適任とは思えません」

「なぜだ?」

「ヴァイセンには私の顔を知る者も多くいます。もし気付かれれば、将軍が関わっていることも明らかになってしまいます」

「それは分かっている。それを承知の上で頼んでいるんだ」

 アティスを見つめるエインセの瞳に妥協の色は無かった。

 絶対の信頼。エインセの瞳にはその意思が込められている。

 それでもアティスは迷いを見せ、しばしの沈黙が室内に広がる。

「……明日の朝まで、考える時間を頂けますか?」

 その申し出に、エインセは笑みを浮かべながら頷いた。

「もちろんだ。だが、良い答えを期待している」

 

 

 

 アティスが宿舎に向かう階段を降りていると、三階の廊下に人の影を見た。

 立ち止まりその人物を確認すると、それはセティだった。

 紅茶色の髪が月明かりに照らされている。

 セティは窓枠に肘を突き、頬杖を突きながら外に目を向けていた。

「ディアドの客人という立場とはいえ、あまり好き勝手に出歩かれては困るな」

 突然声をかけられ、セティが弾かれたように顔を上げる。

 そして、向かって来るアティスの姿を認めると、その顔に笑みを浮かべた。

「どうしたの? 団長直々に巡回?」

「……何を見ている」

 アティスはセティの問いには答えず、横に並び立って窓の外に目を向けた。

 そこからは城の裏庭が見える。

 そこにルートリッジの住居兼研究室と畑もあった。

 そして、その畑に不審な影を見る。

「あれは……」

 アティスの視線の先、畑の隅でしゃがみ込んだ人の影。ネイだ。

「あいつは何をしているんだ?」

「さあ? 落し物を探してるんじゃない?」

「こんな時間にランプも持たずにか?」

 訝しげに眉間にシワを寄せるアティスに、セティが笑みを浮かべたまま頷く。

「おかしなヤツだな」

 アティスが呟くと、セティが肩をすくめる。

 そんなセティにアティスは小さく鼻を鳴らした。

「こんな所で見ているなら、手伝ってやったらどうだ」

「いいのよ。誰かが行ったら止めちゃうから」

 セティが小さく笑うと、アティスは益々理解出来ぬといった様子で小首を傾げた。

「まあ、要はバカってことね。じゃあ、あたしは部屋に戻るとするわ」

 セティはアティスに背を向け、背中越しに手を振りながら立ち去って行く。

 アティスはその姿を見送ると、もう一度ネイに視線を落とした。

 月明かりの元、ネイは何かを手にしては、それをタメ息と共に投げ捨てていた……

 

 

 

 つづく

 

 


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