64章 負い目
薄暗い部屋の中、ビエリはネイにぎこちない笑みを向ける。
「もう傷は癒えたのか?」
ネイが訊くと、ビエリは短い返事をしながら力強く頷いた。
「そうか……」
ネイは感慨深げに首を縦に揺らした。
そんなネイにビエリは満面の笑みを返す。
ビエリへの確認が済むと、ネイはリーゼに向き直った。
「何か協力を要請したんだろ? 受け入れられたのか?」
その質問にリーゼは強張った笑みを見せ、ビエリが眉をの両端を下げてリーゼを見下ろす。
リーゼがこの国まで使者としてやってきたのは、戦えない者たちの受け入れを願ってのことだという。
当初は聖都に受け入れを求めたが、残念ながらその願いは受け入れられることはなかった。
完全中立国として、戦中の民の受け入れを拒否されたのだ。
それでも終戦後であるならば受け入れを保障してくれた。
だがカムイ王は早急な受け入れを求めているらしく、リーゼは聖都を越えてフォンティーヌまで訪れたという。
開戦直後にも係わらず、民の受け入れを願い出るというカムイ王の判断にネイは不安を覚えた。
それも王家の者を使者として寄越したのだ。よほど切迫していると思える。
「厳しいのか?」
ネイが険しい表情を作りリーゼに訊くと、リーゼは緩くかぶりを振った。
「父は……カムイ王は念のためだと言ってます。ただ――」
そこでリーゼは一度目を伏せ、何かを言い淀んだ。
ネイはテーブルに寄りかかりながら、腕を組んでジッと言葉の続きを待つ。
「ただ、王が予想していたよりもヴァイセンの進攻が早いの……」
「砂漠虫は? ディアドはあいつに守れているんじゃなかったのか?」
サンド・ウォーム――ディアドの砂漠に生息する巨大な生物で、砂上の震度を感知し襲ってくる。
その存在が今までヴァイセンの侵攻を躊躇させていたはずだった。
「対サンド・ウォーム用に兵器を運び込んだのよ」
リーゼに代わり、積まれた書物に腰を下ろしていたセティが答える。
そのセティの言葉に、書物に目を落としていたルートリッジが顔を上げた。
「兵器……」
ネイが反芻するように呟くと、セティは目を閉じながら頷いて見せる。
「固定自動弓よ。それも巨大で、尚かつ御丁寧に砂上用に改良されてるわ」
バリスタ――土台に固定された状態のクロスボウで、ヴァイセン帝国が頻繁に使用する兵器だ。
土台を付けて安定させたことによってクロスボウの大型化に成功した。
弦は通常のクロスボウと異なり梃子を利用して引くため、その大きさに見合った強力な弦が使用される。
それにより、矢の代わりに矢羽を付けた槍を飛ばすことも可能で、その威力は鎧さえも簡単に貫き、その飛距離も通常のクロスボウの比ではない。
しかしその反面、大型化によって持ち運びには不向きとなり、もっぱら防衛の際に迎撃兵器として使用されていた。
セティが言うには、ヴァイセン帝国はそのバリスタの土台部に二枚の板を引き、砂上用に改良されたものをディアドに大量に持ち込んだという。
「ほお〜。移動に難があるバリスタも、砂上なら滑らせるように移動が出来る……か。ディアドの砂上船からアイデアを得たか。何にせよ己の領土の長所を逆に利用されるとは皮肉なものだ。いや、利用したヴァイセンが見事と言うべきかな」
ルートリッジは愉快そうに目を細めて言ったが、それは皮肉ではなく単に感心してのことだとネイには分かった。
しかし、ルートリッジを知らぬリーゼは不快そうに眉をひそめる。
「そのバリスタを大量に並べてサンド・ウォームを蹴散らしながら進軍してくる姿は圧巻よ。全身黒ずくめの装備でまるで黒い津波ね」
そう言うとセティはお手上げと言うように両手を上げて見せた。
「カムイ王はどうする気なんだ?」
ネイがリーゼに向かって尋ねると、リーゼは強い意志の込められた瞳をネイに向ける。
「待ち受け、白兵戦に打って出るつもりです」
「白兵戦に? ……勝算はあるのか?」
「川の中で他の生物に泳ぎ負ける魚はいないでしょう? それと同じです。砂漠で我々に勝る者はいません」
「……」
ネイは考え込むように顎に手を当てうつむいた。
リーゼの言うことは分かる。が、果たしてどうか?
一度や二度は退けられても、数で圧倒するヴァイセン兵を完全に押し返すことは出来ないのではないか?
カムイ王もそれを覚悟しているからこそ、予め民の受け入れ先を確保しようとしたのではないか?
考えれば考えるほど、ネイには勝算がないように感じられた。
「フォンティーヌの王は加勢をしてくれないのか?」
その質問にリーゼは緩くかぶりを振る。
おそらく、その要望に関しては願い出ることすらしなかったのだろう。
ネイはテーブルから腰を浮かすと、扉に向かい扉を開けた。
外ではアティスとエウが待機している。
「アティス、ちょっと良いか?」
ネイが声をかけると、二人は顔を見合わせ、アティスがエウに頷きネイに向き直った。
アティスがリーゼに一礼して部屋に入ると、セティから聞いた状況をネイが言って聞かせる。
その間、アティスは微動だにせず、瞼を閉じながら黙ってネイの話に耳を傾けていた。
「俺は戦争に関して素人だ。あんたの意見を聞かせてくれないか?」
話し終えたネイがアティスに意見を求めると、アティスはゆっくりと瞼を開けた。
「残念ながら私には良く分からない。としか言えない」
ネイは深くタメ息をつくと、アティスの目真っ直ぐ見据える。
リーゼの存在を気にして口を噤んでいるいるのがハッキリと分かった。
「頼む、アティス。率直な意見を聞かせてくれ」
ネイの視線にアティスはわずかな逡巡を見せると、チラリとリーゼに視線を送った。
その視線に応えてリーゼが小さく頷く。
アティスは観念したように息を吐き出すと、ネイに視線を戻した。
「では率直に言おう。状況を詳しく把握出来ないわたしには本当に分からない。ただ言えるのは、戦中に民を別の場所に避難させることは、兵の士気を低下させることに繋がる。その背に守る者が在る状況と、そうでない状況とでは大きく違うからだ」
ネイはその言葉に納得したように頷いて見せた。
「それを承知でカムイ王がそうしようというなら、それが敗戦を覚悟してものか、別の理由からかは分からない。それともう一つ。砂漠の民は勇猛果敢だと聞いたが、やはり戦争は数がものをいうのだ。数で圧倒するヴァイセンを、いくら砂漠を熟知した兵だからといって何度も攻撃を退けられるとは思えない。そしてその数の差を逆転するには奇襲が必要だが――」
アティスは一度そこで言葉を切り、ネイがゴクリと喉を鳴らす。
「あまりにもヴァイセンの本隊が遠すぎる……が、これは客観的な意見だ。実状を知らねば何とも言えん」
最後の台詞はリーゼに気を遣ってのものだろう。
しかしその台詞の効果もなく、重い沈黙が部屋を包んだ。
リーゼは顔を伏せ口を真一文字に結び、ビエリはそんなリーゼを上目遣いに見ている。
セティはネイから目を逸らすように、いつの間にか横に座らせていたルーナの頭巾をイジっていた。
その沈黙をルートリッジが破る。
「相変わらず身も蓋もない物言いだな」
「わたしは求められたとおり答えたまでです」
ルートリッジは毅然と答えるアティスに苦笑した。
「フォンティーヌは……ファンティーヌの王は救援を願い出ても動くことはないか?」
その言葉にアティスはきっぱりと首を横に振った。
「なぜだ? ディアドが落ちればヴァイセンは大陸の半分を支配することになる。もしそうなれば、次はディアドに隣接する原始国も簡単に手にいれるだろう。その後は商業国に罪人国と進攻し、あっと言う間にフォンティーヌ以外の国はヴァイセンに飲み込まれ、フォンティーヌは完全に囲まれる――」
ネイの訴えにアティスは眉一つ動かさない。
「そうなったら手遅れだ。ディアドの敗戦は他人事じゃないはずだぜ?」
「それでもフォンティーヌは動かない」
きっぱりと言い切るアティスにネイは首を捻った。
「なぜだ?」
「大儀がないからだ。今回のヴァイセンの侵攻は、教会の要請を受けたヴァイセン兵の邪魔をしたことに端を発する。『教会の要請には全ての国が協力する』という協定に反する行為だからな」
「だからヴァイセンには大儀があるって言うのか?」
「そうだ」
鋭く睨むようなネイの眼を、アティスは真っ直ぐに見返した。
「今回のヴァイセンの侵攻は実に手際が良い。特にバリスタを改良し、大量に運び込んだ手際などは見事だ。まるで予め侵攻する大儀が生まれるのを知っていたかのようにな」
不意にルートリッジが言葉を発し、ルーナを抜かす全員の視線がルートリッジに集まる。
「だが、仮にそれが仕組まれたものであろうと関係ない。軍人にとって大事なのは事実であり、真実ではないということだな」
ルートリッジは眉を上げ、呆れたように頭を振った。
くだらない、とでも言いたげな様子だ。
「真実か……。アティス、もしも今回の侵攻が初めから計画されていたものだったとハッキリしたらどうだ?」
「計画されていたにせよ、ディアドが協定を侵したのは事実だ。何も変わらない」
「じゃあ、その計画に教会の人間も絡んでいるとしたら?」
アティスの眉がわずかに動き逡巡した。
そして充分な間を置き口を開く。
「教会が中立だからこその協定だ。教会がそれを侵すというのは言語道断。ディアドの協定違反以前の問題だ」
そこで二人のやりとりを見ていたルーリッジが低く笑った。
「それがハッキリしたらフォンティーヌはどうする?」
「そのときは我が王も起ち上がるだろう」
その答えにネイは満足げに頷くと、笑みを浮かべた。
ネイは一つの出来事を思い出していた。
エインセ将軍と互いの情報を交換はしていたが、聖女がネイの名を知っていたことには伏せていた。
ネイにとってエインセ将軍に伏せた話はそれだけのつもりだった。
しかし、現実にもう一つ伝えていないたことがあった。
正確には、ネイ自身もそのときは気に止めていなかったために忘れていたのだ。
その記憶がルートリッジの言葉で引っ張り出された。
それは教会本部に侵入したときのこと。
窓の外にしがみつき、司祭たちの話を盗み聞きしたときのことだ。
『枢機卿がヴァイセンに行っている』
確かに司祭たちはそう話していた。
その人物がヴァイセンに行っていた直後、ヴァイセンはディアドに宣戦布告をしたのだ。
枢機卿がヴァイセンに行ってることを、当時は司祭たちも訝しく思っていた様子だった。
そして枢機卿は、エインセ将軍が動向を探っている人物でもある。
必ず何かある。
今回の戦争には、枢機卿も何らかの形で関わっているはずだ。
ネイの勘がその考えを後押しする。
どういう理由にせよ、今回ヴァイセン帝国に付け入るきっかけを与えたのは自分だという負い目があった。
ネイは、このときヴァイセン帝国に向かう決意をした。
何かを掴めるかもしれない、という一縷の望みを持って……
つづく
『裏レクイエム・3章』を追加しました。
もし良かったらそちらもよろしくお願いします。
あまり気にする人はいないと思いますが、23章と59章で書いた『ボウガン』という名称を、『クロスボウ』と変えました。
日本ではボウガンという名称に馴染みがあったので、普通にボウガンと書きましたが、何でも本来はクロスボウというらしいです。
ボウガンとは、クロスボウを作っていた会社の名前(ボウガン社)らしく、それが日本では浸透したらしい……。
まぁ、あまり気にする人はいないと思いますが(汗)(11/22)