62章 王都の門
ネイの背に冷たいものが走った。
エインセ将軍の護衛。ファムートを入れたとしてもたったの四人。
将軍という地位の者にしてはいささか数が足りないとは思っていたが、その理由がはっきりと分かった。
三人と賊の間にある圧倒的な差。それを目にし、ネイも驚きを隠せなかった。
特に褐色の肌をした女、アティスの実力には目を見張るものがある。
ときに身体を回転させ、ときに跳ねるようなしなやかな動きで相手の攻撃を躱し、それと同時に懐に入り込み反撃に転ずる。
そうして流れるように次々と標的を変えていく様は、『舞っている』という形容がピタリと当てはまった。
舞うように的確に相手を追い詰めながら、それでいて命を奪うことはしない。
かなりの腕の差がなければ出来ないことだ。
それは他の二人も同じだった。
型はもちろんアティスとは違うが、良く訓練された剣術で次々と賊を制圧していく。
ネイがその動きに見惚れるなか、今最後の一人が地面にひれ伏した。
「痛めつけろという指示だったことに感謝することだ」
アティスが見下ろしながら倒れた男たちに言葉を投げかけるが、すでにその言葉に返事をする者はいない。
全員が呻き声を上げながら身悶えする。
倒れた者たちは誰一人例外なく、腕なり脚なりと身体の一部を失っていた。
「腕が残る者は治療を、脚が残る者は歩けぬ者を街まで運んでやれ。全員が協力しあえば助かるかもしれんぞ」
冷徹な口調で言い放つアティスの背を、ネイは呆然と眺めていた。
「しかし怖い女だな」
突然背後から声をかけられ、ネイがビクリと身体を震わせる。
しかし振り返ることはしない。声の主が誰なのかすぐに分かったからだ。
「あいつは並みの男じゃ手に負えねえ」
そう言葉を続けながらネイの横まで来て立ち止まった。
ファムートだ。ファムートがいつの間にか後ろの馬車から降りて近づいていた。
アティスたちに気を取られ、そのことに全く気付かなかった。
「あの女はヴァイセンから帰順したらしいぜ」
「ヴァイセンから?」
ネイが顔を向けずに訊き返す。
「ああ、そうだ」
ネイたちの視線の先、アティスは剣に付いた血を振り払っていた。
血を払い終えると、その異質な剣を握ったまま再びフードの下に腕を隠くす。
ネイはアティスの姿に目をやりながら、ファムートが顔を向けたのを視界の隅で捉えた。
「それはそうと、お前はアシムと手を切って正解だぜ」
見ずとも感じる絡み付けくような視線。それがネイを不快にさせる。
そんなネイの様子を知ってか知らずか、ファムートは言葉を続けた。
「あいつは自分の分ってものを弁えねえ。世間知らずの甘ちゃんが、まるで自分は特別といったようなスカした面をしやがる」
「確かに世間知らずだな……」
「そうだ。ああいうヤツは痛い目を見て初めて気付く。自分が思い上がっていたってことにな」
「……」
「だから手を切って正解だ。ああいう甘ちゃんはいつか足を引っ……」
そこで唐突に言葉が途切れ、同時に笑みを含んだファムートの顔から表情が消えた。
そのファムートの右頬に、薄っすらと浮かび上がる血の線。
「おいおい、どういうことだ?」
再び笑みを浮かべ、頬にに浮かんだ血を親指で拭うとそれを舐めた。
ネイの眼がファムートを見据え、左腕がファムートに向けて突き出されていた。
その手には左手用短剣が握られている。
「……おまえがアシムを語るな」
鋭く言い放たれた言葉にファムートは低い笑い声を零し、ネイの腕をそっと払い除ける。
「気を付けてくれよ。手許が狂ったら大惨事になるところだ」
そう言いながら笑みを浮かべるファムートに、ネイも薄い笑みを返した。
「手許が狂ったからその程度で済んだんだ」
「っ!」
笑みを浮かべたファムートの顔がわずかに歪む。
ネイはそれを見てマインゴーシュを腰に戻すと背を向けた。
そして馬車に乗り込むとき、肩越しにファムートを見て鼻で小さく笑う。
「野郎お……」
ファムートは大きく顔を歪ませ、閉められた馬車の扉を憎々しげに睨みつけていた。
「ヤツと何を話していた?」
再び走り出した馬車の中、腰を下ろしたアティスはそう切り出した。
その質問に対し、ネイは方眉を器用に上げて見せる。
「別に大したことじゃない。ちょっとした世間話だ」
そう答えると、アティスは目を細めて探るようにネイを見据えた。
「まあいい。だが余計な問題は起こすな」
「努力するよ。それよりあんたの剣、変わった形をしているな」
意外なことだったが、その質問にアティスは少し驚いたような表情を見せた。
「おまえ……。ヴァイセンの出身じゃないのか?」
その質問にネイは眉をひそめた。
ヴァイセン帝国の出身だと誤解していた理由はすぐに分かったが、なぜ突然そう言ってきたのかが分からない。
ヴァイセン帝国出身だという誤解は、ネイの褐色の肌を見てのことだろう。
ヴァイセン帝国の領土には褐色の肌が多い。とは言っても、それはあくまでも他の地域に比べての話だが。
そもそも褐色の肌は不吉とされ、まだヴァイセン帝国が建国される前、その地方で奴隷という身分で扱われていたらしい。
そのためヴァイセン帝国が建国された現在も、その地方は褐色の肌の者が他の地域に比べて多い。
褐色の肌が忌み嫌われる理由は、不吉といわれる理由の無い偏見、元奴隷の身分、そして現在はヴァイセン帝国の武力行使が最も影響していると思える。
他国の者からすると、褐色の肌はヴァイセン帝国出身というイメージが無意識下に根付いているからだ。
それでもそういった偏見は、戦争が苛烈を極めた時期よりは落ち着いたともいえる。
「残念ながら俺はヴァイセンの出身じゃない」
ネイが辟易とした様子で答えると、アティスの表情が微妙に変化したようにも見えた。
「そうか……」
アティスは呟くように言うと、一度小さく鼻を鳴らす。
「拳先突剣だ」
「なに?」
「わたしの剣だ。ブンディ・ダガーという。ヴァイセンでも扱う者は少ないが、それでも南部のあたりなら目にする機会もあるはずだ」
その説明を聞いてネイも合点がいったように頷いた。
ネイがヴァイセン帝国の出身では無いと気付いたのは、ブンディ・ダガーの存在を知らなかったからだろう。
「ブンディ・ダガーは腕力が劣る者でも体重が乗せやすく、鎧を貫きやすい」
アティスの表情は変わらないが、態度を軟化させたように己の武器について簡単な解説をする。
しかし、そのあまりに色気の無い会話にネイは苦笑した。
「何が可笑しい?」
「いや、何でもない。しかし大したものだな」
ネイが関心したように言うと、アティスは怪訝そうにネイを見る。
そのアティスの顔を見て、ネイは笑みを作った。
「腕力が劣るって言ったろ? 女だてらに剣を振るうヤツは、案外その優劣を素直に認められないものだ」
「くだらないな。勝負は腕力で決まるわけじゃない。自分の有利不利を見極められない者に勝利は掴めない」
真剣な眼差しで語るアティス。その顔を見てネイは思わず吹き出した。
どう考えても女らしい会話など出来そうもないことが可笑しかった。
笑いを噛み殺すネイをアティスは不思議そうに眺め、小さく首を傾げると腕を組んで窓に顔を向けた。
ソエールを出て二度目の太陽が沈みかけた刻、エインセ将軍の領地でもある『グラスロー』が見えて来た。
グラスロー――国の中心に位置し、そこより北にはバルト大陸最北端に位置するフォンティーヌの王都が存在する。
その王都を守るように、王都を中心にして東西南に配置された三つの都市の内、南に位置する都市。
三つの都市は、いずれもこの国で将軍の地位にある者が統治している。
そしてその三つの都市には将軍の城があることと、その城から伸びた巨大な城壁が街全体を囲い、砦の役割も果たすことから『城塞都市』と呼ばれている。
また、グラスローは地に走る大きな裂け目の南北に渡って建造されており、王都に向かうには街中にある巨大な橋を通らなければならない。そのことから『王都の門』とも呼ばれていた。
そしてこれは三都市の全てに言えることだが、街の大きさに見合った発展を遂げ、仕官学校や職業訓練所などの育成機関にも力が注がれている。
それゆえ、子息をそういった道に進ませることが出来る、裕福な家系が多く集まることでも知られていた――
グラスロー全体を囲う大きな城壁を目にし、馬車の中でネイが感嘆の声を漏らす。
「噂には聞いていたが……これは凄いな」
この国で生まれたとはいっても、ネイはグラスローに近づいたことは一度としてなかった。
三都市に守れた内地とその外にある地とでは、巨大な城壁が象徴するように大きな隔たりが存在するのだ。
馬車が城壁の一角、巨大な扉の前で一旦停止すると、アティスは素早く馬車から降りて扉の横にある鎖を引いた。
するとどこからか鐘の音が聞こえ、城壁の見張り窓から守衛が顔を出す。
その守衛はアティスの顔を確認すると一度礼を取り、再び奥へと顔を引っ込めた。
それを確認し、アティスも再び馬車へと戻る。
「本当にあの扉が開くのか?」
口を開けながら城壁の扉を見上げていたネイは、馬車に戻ったアティスにそう尋ねた。
ネイの質問にアティスは微笑を浮かべる。
「おかしなことを言うのだな。開閉が出来なければ扉とは言わないだろう?」
アティスが答えた直後、城壁の扉が重々しい音を上げながら、ネイたちに迫るように外側に向かって両開きに動き出した。
その光景をネイは口を開いたまま眺めていた。
どういった仕組みかは分からなかったが、今までに見たことも無いような分厚い扉が確かに開き始める。
しかし扉は完全に開くことはなく、馬車一台が通れる程度でその動きを止めた。
「おお……」
ネイの驚きをよそに、馬車は重厚な扉に出来た隙間へと進み始めた。
分厚い扉を抜けると城壁に穿たれた半円上の通路に入る。
通路の長さがそのまま城壁の厚みだと考えられるが、それは外観からのイメージ通りかなりの厚みがありそうだ。
その通路の距離は馬車を縦に並べて優に五台分は位はありそうだった。
「本当に凄いな。こんな街が王都を守るように存在するなら、ヴァイセンが侵攻を諦めて休戦を結んだのも頷ける」
しきりに感心するネイに、アティスは苦笑した。
暗い通路を抜けてネイの視界に広がったのは石畳の広間だった。
少し先には大きな噴水がある。外来者を迎える広場といったところか。
噴水のさらに先には左右に街路灯の設置された大きな路があり、その周辺には無数の建物が立ち並び、窓からは灯りが漏れる。
(こんな所まで来ちまうなんてな……)
ネイは感慨に耽り、横に座るルーナに視線をやった。
ルーナは膝に手を置き、やや俯き加減に一点を見ていた。
そんなルーナを見て、ネイはタメ息をつくと再び視線を先へとやった。
視線の遥か先、月明かりに照らされた城の影が小さく見えた。
これより八日の後、ネイはこの街でヴェイセン帝国とディアドの開戦を知らされる……
つづく
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