61章 褐色の戦士
深夜の教会。今その扉が静かに開かれた。
それに合わせて燭台の炎が激しく揺れ、ぼんやりと長椅子に腰掛けたルーナの影が形を変える。
教会に足を踏み入れたエインセ将軍は、ルーナの横まで来ると見下ろすようにして口を開いた。
「この娘がそうか……」
呟くようなその言葉は、もちろんルーナに問われたものではない。背後に立つもう一人の人物に対してだ。
「ネイ君……といったな。では早々に発つとしよう」
ネイがその言葉に無言で頷くと、将軍は踵を返して扉へと足早に戻っていく。
ネイはルーナを立たせると、二人で将軍の後へ続いた。
エインセ将軍との二度目の会合は、互いの利害が一致しているためすんなりと合意に至った。
ネイは枢機卿がルーナを追う理由について、知りうる限りの情報を提供する。
その代わりにエインセ将軍は、ネイとルーナを保護して安全を保障する。
もっともルーナを保護することは、枢機卿の動きを探ろうとするエインセ将軍にも利益と成り得る。
そのためネイはもう一つの要求をした。
それは、エインセ将軍が枢機卿を探る理由を開示するというものだった。
要は、それにより互いの情報を全て開示することとなる。
その要求にエインセ将軍は逡巡したが、ネイたちが己の保護下にある以上は情報が漏れる心配は無いと判断したのか、結局はその要求にも首を縦に振った。
互いに納得出来れば次の行動は早い。とりあえずは早々にこの街を発ち、エインセ将軍の領土に向かうことだ。
この街にいることを他者に知られたくないエインセ将軍と、アシムが目覚める前にこの街を出たいネイ。二人はそのことでも意見が一致した。
それにより、情報を共有しあう前にエインセ将軍の手中に入るという多少の危険はあったが、それについてはセティたちと別行動を取ったことで安心もあった。
ここまでの経緯を知っているセティたちがいる限り、自分たちにおかしな真似は出来ない。
もっとも、エインセ将軍が口約束とはいえ、一度交わした約束を破るような人物には思えなかったが……。
エインセ将軍は教会を出ると街の方向ではなく、教会の裏手に周ろうとする。
そのことにネイが怪訝な表情を作ると、その気配を察したエインセ将軍が笑みを浮かべた。
「安心したまえ。北にある山道に馬車を待機させている」
ネイは肩をすくめて見せると、ルーナの背に手を当てて先へ進むように促した。
教会の裏手に周ると、そのまま丘を北に向かって下っていく。
足元に気をつけながら丘を下りきると、今度は平地になり木々が生い茂る。
そこでエインセ将軍は足を止めて振り返った。
「ここを抜けると山道に出る」
言われるまでもなくネイもそのことは知ってた。
ここは小さな森で、すぐに山道まで出ることが出来ると記憶している。
そしてそのネイの記憶は正しく、森を歩くとすぐにその終わりが見えてきた。
エインセ将軍が言ったように木々の先、月明かりに照らされた馬車の影が二つ浮かんでいる。
その馬車に向かい三人が難無く森を出ると、先頭を行くエインセ将軍の元に三つの人影が近づいてきた。
三人ともフードを目深に被っているためその容姿は分からないが、二人は中背で一人は小柄だった。
三人はエインセ将軍の前まで来ると、腹に手を当てるようにして揃って頭を下げる。
小柄な人物が中央に。そしてその左右やや後方に中背の二人が立ち並ぶのを見ると、どうやら小柄な人物が三人の中では最も身分が高いようだ。
エインセ将軍が三人の礼に頷いて返すと、三人は無言のままもう一度頭を下げて馬車へと戻る。
中背の二人がそれぞれ馬車の運転席に乗ると、小柄な人物は馬車の扉を開いて横に逸れる。
「っ!」
その開いた扉の先にファムートの姿が見えた。
ファムートはネイに顔を向けると、意味深な笑みを口許に浮かべて見せる。
その顔を見てネイが眉をひそめた。
「私はこっちに乗る。キミは向こうに乗ってくれ」
ネイたちに乗るように指し示したのは、ファムートの乗った馬車とは別の馬車だ。
ファムートが客人だから将軍と共に乗るのか、ファムートとの関係に気を遣いネイたちと別にしたのかは分からない。
ネイが了解すると、エインセ将軍は満足そうに頷き馬車に乗り込む。
それを見て横に立った小柄な人物が扉を閉めた。
次にネイの乗る馬車の扉を開け、先程と同じように横に立つ。
先に乗れ。ということらしい。
ネイがルーナを連れて馬車に乗り込むと、小柄な人物が運転席の人物に小声で何かを話しかけ、それが済むと自らも馬車に乗り込み扉を閉める。
それを合図に馬車はゆっくりと動き出した。
馬車に揺られながらネイは横に座るルーナをチラリと目をやった。
気のせいだろうが、心なしか寂しげに見える気もする。
そんなルーナを見て小さくタメ息をつくと、今度はそれとなく向かいに座る小柄な人物を観察した。
馬車が動き出してから一切口を利く気配がない。
気詰まりになりそうな沈黙が馬車の中に広がっている。
ネイの視線に気付いてか、向かいの人物が不意に顔を上げる。
「なにか用か?」
相変わらずフードを目深に被り、周囲の暗さと相まって顔を確認することは出来ない。
「馬車の中でもフードか……。そんなに顔を見られたくないかねえ」
そう皮肉を返すと、目の前の人物はわずかに間を置きフードを頭から外した。
「あ……」
その顔を見てネイは一瞬言葉を失う。
正面に座る人物はネイと同じ褐色の肌だった……が、言葉を失ったのはそれだけが原因ではない。
それはその人物の容姿全体に起因する。
フードを外すと同時に胸元に落ちたしなやかな黒髪。
まるで目の縁取りを黒く塗っているかのような長い睫毛。それが切れ長の目を小さな顔の中でよりハッキリと目立たせる。
鼻筋が通り、それでいて小ぶりの鼻、その下には桃色の唇が艶やかに浮かぶ。
女だ。目の前に座る人物は女だった。
そう考えれば、小柄に思えた体躯も女の中では多少高い方なのかもしれない。
「満足か?」
唖然とするネイに向かい、ゆっくりと語気を強めて言った。
黒目がちの瞳が射抜くようにネイを見据える。
「いや……ああ……」
ネイがぎこちなく答えると、女は胸元に垂れた髪を耳の後ろに引っ掛け、背後に流しながら小さく鼻を鳴らした。
「では人の様子を盗み見しないことだ。気分の良いモノではないぞ」
そう言って腕と脚を組むと、ネイから緯線を外して窓の外に向けた。
「なっ! この……」
冷ややかな物言いに気分を害し、文句を返そうとするが言葉が上手く出ない。
そんな様子のネイに対し、チラリと横目で冷ややかな視線を向ける。
その態度に余計に腹が立ったが、ネイはそれをグッと堪えた。
「あんた、名前は?」
ネイがそう言うと、褐色の女は顔を向けて少し目を大きくしたが、すぐにその目を細めて顎を少し上げた。
「名前? それをお前が知る必要があるのか?」
取り付く島も無い返答に、ネイの表情がわずかに歪む。
「ああ、そうかい!」
ネイは褐色の女とは逆の方向に顔を背け、これ見よがしに鼻を鳴らした。
その態度を見て、女は特に気分を害したふうでもなく再び顔を背ける。
沈黙の中、窓の外に目を向けるネイ。その蒼い瞳にゆっくりと遠のくソエールの街が映った。
二度とは戻らぬと心に決めた街。その街にひょんなことから帰郷を果たした。
その街が離れていくのを目にし、ネイの胸に不思議な感情が去来する。
それと同時に、再び訪れることになるような確信にも似た予感。
ネイは苦笑し、それらを振り払うように緩く頭を振った。
空が白み始めた頃、馬の嘶きと同時に一定のリズムで揺れていた身体に負荷がかかる。
その瞬間、顔を伏せて目を閉じていたネイが咄嗟に顔を上げた。
それとほぼ同時に、向かいに座る褐色の女も伏せていた顔を上げる。
どうやら馬車が急に止まったようだが、向かいの女の表情を見る限り、この停止は予定に無いことだというのが分かった。
案の定、女は窓を開けて顔を出すと、前方の運手席に向かい声を張り上げる。
「一体何ごとだ!」
「怪しげな連中が道を塞いでいます」
落ち着いた口調で運転席から返答が来た。
その答えを聞き、ネイも窓を開けて顔を出すと前方に目をやった――と同時にタメ息をつく。
確かに、前方で怪しげな連中が道を塞いで待ち構えている。
大方ヴァイセン帝国の領土から流れて来た元兵士といったところか、十数人の男が武器を片手にこちらに向かって歩いて来る。
ヴァイセン帝国と此処フォンティーヌは、永い争いの末に休戦協定を結んだ。
そういった状況が永く続くと、正規軍に属していない傭兵といわれる者たちの中には、野に下り賊となる者も多い。
傭兵は戦場に立たなければ金にならない。休戦が続けば収入の場を失うのだから、それは当然と言えば当然の理屈だ。
そういった輩の厄介なところは、多少なりとも訓練を受けているせいで中途半端に統率が取れているというところだ。
向かって来る男たちを見て女の口から舌打ちが漏れた。
「こんな時に」
そう吐き捨てた女の様子は焦りからくる苛立ちというよりも、まるでくだらないことへの怒りにも見える。
ネイが後方の馬車に目をやると、その運転席にいた人物が降りて近付いて来きた。
どうやらエインセ将軍とファムートが降りてくる気配は無い。
その人物はネイの乗る馬車の横まで来ると、窓から顔を出す女に向かって言葉をかけた。
「アティス団長。適当に痛めつけて追い払えとのことです」
その言葉に女が頷き、ネイは目を剥いた。団長と呼ばれたことに驚いたのだ。
エインセ将軍が人の目に触れたがらないということは、今回の行動が極秘裏に行われた単独行動だと考えられる。
それならば国の正規軍の人間を動かせるわけもなく、三人はエインセ将軍の私兵だと思えるが……。
(女だてらに団長殿とは)
ネイも胸の内で感嘆の声を上げた。
アティスと呼ばれた女は、馬車から降りると男たちに向かって歩み寄っていく。
それを追うように、馬車を運転していた二人も後へ続いた。
どうやら三人で相手をするつもりらしく、馬車の少し先で並んで男たちを待ち構える。
ネイはそれを見ると馬車から降り、腕を組んで馬車に寄り掛かかった。
三人の動向を傍観することにする。
向かって来る男たちは、三人にある程度まで近づくと立ち止まり、アティスを見て口笛を吹く。
「はは、男が女の尻にくっついて来るとはな」
群れて強奪を働く人間の類に漏れず、男たちは下卑た笑みを浮かべる。
しかし三人は無言のまま何の反応も示さない。
それを恐れからの無言と解釈したのか、男たちの輪にドッと笑いが起こった。
「ずいぶんと上等な馬車に乗ってるじゃねえか」
先頭に立つ男が大袈裟なくらいの抑揚をつけて言うと、背後の男たちがこれまた大袈裟な仕草で覗き込むように馬車に視線を向けた。
アティスはそんな男たちの様子に小さく鼻を鳴らす。
「馬車に興味があるのか? 残念ながら馬車作りの職人志願なら他を当たってくれ」
アティスが無表情にそう言うと、男たちが一斉に目尻を吊り上げた。
その物言いと、恐れた様子を一切見せない態度に怒りを露にする。
「ふざけるなよ! 大人しく有る物を全部置いていけ!」
そう叫ぶと手に持った剣に力が込められた。
「大人しくしていれば生かしておいてやる。特にお前さんはな……」
再び下卑た笑みを浮かべ、空いた手でアティスの肩に触れようとした。
次の瞬間、アティスの右腕がその手を振り払うようにフードの下から飛び出した。
何かが風を切り、肩に触れようとした男が唖然とする。
「ぐがあああ!」
一瞬の沈黙の後、男は獣のような叫び声を上げて身を屈め、それと同時にボトリと何かが横に落ちた。
腕だ。アティスの肩に触れようと伸ばした左腕。
膝を突き身悶える男の身体から、左腕の肘から先が無くなっている。
そして、アティスの右腕は横に真っ直ぐと伸ばされていた。
その伸ばされた腕の先。手に握られているのは肉厚な両刃の剣だった。
ただ、その形状は通常の剣とは大きく異なっていた。
剣身の長さは通常の剣の半分ほども無く、何よりも柄の部分が異質だ。
その柄は剣身から直線上に伸びるのではなく、鍔に対しては水平の状態だ。
それにより、剣身が腕に対して垂直ではなく、握り込んだ拳の先に伸びている。
今回は男の腕を『斬り』落としたが、本来は『突く』ことに特化している武器だということが、その形状から容易に判断することが出来た。
「ぐああああ!」
膝を突き、血の噴き出す左腕の痛みに身悶えする男。
その男を呆然とした表情で見下ろす仲間たち。
「腕が無いなら馬車職人は諦めるんだな」
アティスは膝を突いた男に冷たく言い放つと、呆然とする男たちに向き直った。
「大人しくすれば生かしておくと言ったな? だが、わたしはお前たちほど優しくはないぞ」
アティスの顔に冷笑が浮かんだ……
つづく
11月10〜12日の間、携帯版から投票をクリックしてくれた貴方!大変ありがとうございます!
ええ、実は話の進み具合が予定より遅いです。
予定していたより長くなりそうな気配……要はまだまだ終わりません。
今後も飽きずに読んでいただけたら幸いです。(11/13)