53章 追憶
「不吉な子だよ」
誰かが言った。
「災いを呼ぶよ」
誰かが言った。
心無い視線が胸をえぐるように突き刺さる。投げられた小石は、悪意という絶対的な負の力に感じた。
痛むのは負った傷か、それとも憎悪を刻まれた心か。それともその両方か。
絶望という泥沼に引きづり込まれ、ただ必死で逃げ出した。
聖都を出て四日目の夕刻。ネイたちはソエールへと辿り着いた。
ソエールへ入る際、門に守衛がいたが咎められることもなく街の中へと入ることが出来た。
「安心しろよ。この国にはおまえたちの捜索要請はまだ来ていない」
ネイが警戒しているのを察し、ラビが声をかけたがあまり意味がなかった。
ラビは警戒を解かないネイを呆れ気味に見た。
「ったく、ここまで来たんだから少しは信用しろよ。とりあえず着いて来い」
そう言うと、ラビは荒い足取りで先頭を一人歩き始めた。
街の中は茶色の敷石が敷かれ、門から入ってすぐの通りには露店が建ち並ぶ。
全体的にレンガ造りの建物が多く、路には緩やかな傾斜がついていて、北へ向かうほど標高が高くなっていた。
その路を直進し、しばらくすると路は水平になり円形の広場に出る。
中央広場といったところか、その場所の中央には大きな噴水があった。
そこでも広場の形に沿って無数の露店が建ち並び、夕刻ということもあり人で賑わっていた。
どこからともなく食欲をそそる匂いも漂ってくる。
「良い街ですね」
アシムがそう言うとラビが不思議そうに振り返った。
「なんで目も見えないのにそんなことが分かるんだ?」
「子供と女性に活気があります。良い街である証拠ですよ」
アシムは噴水の周りで駆け回る子供たちに顔向けて微笑んだ。
「なるほど……だが、どの街も良い部分だけじゃないぜ」
ラビが皮肉めいた笑みを浮かべると、アシムはゆっくり頷く。
「確かに。あなたのような人間もいることですしね」
セティが横で小さく笑うと、ラビは舌打ちをしてブツブツと文句を言う。
そして不機嫌そうに、広場の北東に伸びている大きな通りを指差した。
「向こうの通りに『涼風亭』という宿がある。おまえたちはそこで先に飯でも食ってろ」
「良いわね。やっとまともな食事にありつけるわ」
セティが思わず頬を緩ませた。
「……おまえはどうするんだ?」
ネイが警戒を込めた視線を向けると、ラビは少し顔をしかめる。
「別におまえたちをハメるつもりはねえよ。俺は雇い主に、この街まで来てもらうように手配してくる。それが済んだら俺もそこへ行く」
「……」
ネイがラビの真意を探るようにジッと見据えと、ラビは腕を組んでそれを見返した。
「おまえは本当に警戒心の強いヤツだな」
半ば感心したように言うと、少し離れた場所からセティが声をかけてくる。
「ほらあ、何をしてるのよ! 早くしなさい!」
セティはいつの間にかルーナの手を引き、先に歩き出していた。
アシムは苦笑してセティたちの後を追ったが、ネイはまだラビを見て動かずにいる。
「本当におまえは……あいつらを少しは見習えよ。じゃあな」
ラビはそう言うとネイの視線を無視して背を向け、広場から北西に伸びている通りに向かって去っていった。
ネイはしばらくその背を見ていたが、再びセティに急かされると小さく息を吐いて肩の力を抜く。
「少し神経質になり過ぎかもな……」
小さく呟いて苦笑いを浮かべると、ネイもセティたちの後を追った。
涼風亭。
「ふうー……満足満足」
セティは背もたれにより掛かると、だらしなく足を前に投げ出す。
テーブルの上には空になった皿がいくつも積まれている。
ネイたちはラビに言われたとおり涼風亭という宿で食事を注文すると、周りの客が驚くほどの早さでそれらをたいらげた。
まだのんびり食べているのはルーナだけだ。
アシムはテーブルの上で腹を膨らませ、仰向けになっているユピを膝の上に連れて来ると、ネイに顔を向けた。
「これからどうします?」
「どうしますって言ってもな……とりあえず『ドングリ』が戻るまで待つしかないだろ」
ネイが気の無いように頬杖を突きながらそれに答える。
視線の先ではルーナが静かに食事を口に運んでいた。
「でも枢機卿を探るような人物ってどんな人間かしら?」
「さあな。会えば分かるさ。会わなきゃ分からない」
セティはアシムと顔を見合わせると、肩をすくめた。
「やはり故郷は良いものですか? 私は森を出たのは初めてで、戻ってみないとその気分が分かりませんから」
話題を変えようとアシムが話をふると、ネイは頬杖を突いたままゆっくりと顔を向けた。
「……」
しかし何も答えず、そのまま席を立つ。
「どこへ?」
「……ちょっと出て来る。すぐに戻るさ」
ネイはそれだけ言って店を出て行こうとする。
アシムはその背中を見送った後、ルーナに顔を近づけて何かを話しかけた。
ネイは店を出ると広場の方向へと足を向けた。
記憶を辿るように、ゆっくりと街並みを見渡しながら歩を進める。
茶色いレンガ造りの家並み、夕暮れ時から灯される街路灯の淡い光。
露店で買ってきた食料品を片手に、道端で話し込んでいる女たち。その周りを子供たちが走り回り、時折首元を掴まれ叱られる。
どこか古めかしく威厳に満ち、それでいて活気のある街の雰囲気は、ネイの記憶と変わらなかった。
ただ景色に関して言えば、建物と路はネイの知らぬものも多く、それが時の流れを感じさせた。
ネイは広場に戻ると、そのまま西に伸びる大きな通りに入っていく。
そしてその通りの途中、今度は左に伸びる裏路地へ入った。
大きな通りとは打って変わり、その通りは夕日も当たらず、実際の時刻よりも周囲が暗く見える。
そのまま真っ直ぐに進むと拓けた場所に出るが、ネイは迷う事無く次の路地へと進んでいく。
そうして入り組んだ裏路地を進んでいくと、古びた家々が立ち並ぶ場所へと出た。
そこに建つ家は、明らかに表通りの建物とは一線を駕している。
今にも崩れ落ちそうな屋根に色あせた壁。所々に穴が空き、まともに取り付けられてもいな扉。
ネイは自分の記憶の確かさを実感できたが、喜びの感情は一切湧いてはこなかった。
そしてその家並みを歩き、壁沿いに身を隠しながら一つの建物を覗き見る。
ひどい有様だ。苔が生え、まるで廃屋と言ってもいい。
そうしてしばらくその建物を観察していたが、中に人のいる気配は感じられなかった。
もちろん外からやって来る人もいない。
そうしてしばらく様子を見ていると、あっという間に辺りが暗くなってしまった。
ネイがどうするか多少迷っていると、別の建物から出てきた骸骨のような老婆が、壁沿いにたたずむネイの存在に気付き、無遠慮な視線を向けてくる。
ネイは顔を伏せて目を逸らすと、意を決したように目的の建物へと足を向けた。
その建物の前に立ってそっと扉を押すと、今にも崩れ落ちそうな軋みを上げる。
中の床は暗がかりでもはっきり分かるほど腐敗し、黒く変色していた。
ネイは床を踏み抜かぬように注意しながら中へ入るが、軽く見渡しただけでも、しばらく人が足を踏み入れていないのは容易に見て取れた。
どこか安心したような気持ちで外へ出ようとすると、扉の前で誰かの声が聞こえる。
「一人? どこから来たの?」
ネイはそっと身を隠すように覗き込んだ。そして自分の目を疑う。
この場所には不釣合いな格好をした一人の女が、頭巾を被った少女に話し掛けている。
(あのバカ! こんな所で何やってるんだ!)
思わず目眩がしそうになった。頭巾を被った少女は間違いなくルーナだ。
ネイは舌打ちをすると、扉から怒りも露にズカズカと外に出た。
ルーナに話しかけていた女は、廃屋から突然人が出てきたのに驚いて目を丸くする。
「行くぞ!」
ネイはその女から顔を背け、ルーナの手首を乱暴に掴むと、その手を引いてすぐに立ち去ろうとする。
そしてネイが通り過ぎる瞬間、唖然としていた女の目が見開かれる。
「ま、待って!」
去ろうとするネイを女が慌てて呼び止め、思わず足を止めた。
「エルナン! エルナンでしょ? わたしよ、アンよ。アンジェリカよ」
ネイは背中を向けたまま頭だけを少し動かし、肩越しに相手の女性を確認した。
「……人違いだ」
そう短く応えると、すぐに顔を背けて立ち去った。
ルーナの手を引きながら裏路地をしばらく進み、角を何度か曲がるとルーナを壁際に押し付ける。
「バカやろう! 一人で何やってるんだ! 近寄って良い場所と悪い場所があるんだぞ!」
ネイはルーナを怒鳴りつけるが、無表情で効果のほどは分からない。
「くそっ! アシムのヤツだな」
ルーナが自分から着いて来るわけがない。おそらくアシムが指示をしたのだろう。
「一体どういうつもりだ? これじゃあ自由に……」
そこまで怒鳴って分かった。
自由に歩き回らせないために自分に『足手まとい』を付けたのだろうと……。
なんとか気持ちを沈めると、ネイは腕を組みながらルーナを見下ろした。
宿を出たときから着いて来ていたのだろうが、そのことに全く気付かなかった。らしくない失態だ。
そんな失態を犯すような状態では、アシムがいらぬ気を回しても仕方が無いとさえ思え、自分で自分が情けなくなった。
「どうかしてたな……」
ネイはため息を吐いて肩の力を抜いた。それと同時に怒鳴りつけた居心地の悪さを感じ、それをごまかすように舌打ちをした。
「いいか。はぐれるなよ」
ネイがぶっきらぼうに言って歩き出そうとすると、ルーナが腰の辺りをそっと掴んでくる。
ネイはその小さな手を見て顔をしかめたが、振りほどきはしなかった。
宿への帰り道、ネイはルーナを引き連れ鍛冶屋へと向かった。
先日、森での亡霊との戦闘の際、ナイフを一本失っていたからだ。
カーン、カーンと鉄を叩く音が響いてくる。
店の奥にいた鍛冶屋の爺さんは、伸ばし放題の白い髭と太い腕、上半身が裸で頭には薄汚れた布を巻いていた。
その姿はネイの記憶からそのまま抜け出したかのように、全くと言っていいほど変わってはいなかった。
店に入ると爺さんは手を止め、カウンターに立ったネイを見てかすかに表情を変えたが、結局は何も言わずに再びハンマーを打ちつけ始めた。
昔、鉄を叩くたびに舞い散る火花を見るのが好きで、よく店先で眺めていたのを思い出し、ネイはしばらくその様子を黙って見ていた。
そうして作業を眺め、きりが良いところで声をかける。
「爺さん、ちょっと良いか。ナイフを一本譲ってほしいんだが」
ネイが声をかけると黙って手を止め、無言のまま箱を持って近付いて来る。
そして、その箱をカウンターの上に投げるように乱暴に置いた。
無口で乱暴なところも記憶のとおりだった。
箱の中にはいくつものナイフが無造作に入れられている。
「何に使うんだ?」
「え?」
「斬るのか刺すのか、それとも投げるのか?」
「ああ、ええと……左手で使う」
「左利きか?」
「いや、違うよ」
「ふん。だったらこれにしろ」
そう言って箱からナイフを一本手に取り、それをネイに投げてよこした。
「両刃短剣か……」
鞘から抜いた短剣は両刃で、手を守るよう鍔が弱冠曲がっていた。
「マインゴーシュだ」
「マインゴーシュ?」
「そうだ。そいつは相手の刃を受け流すのに特化した、左手用の短剣だ」
ネイは短剣を左手に握ると、軽く振って見る。
「なるほどね。じゃあこれを貰うよ。いくらだい?」
ネイが尋ねると、爺さんは鼻を鳴らし、ネイの腰にあるナイフを見せてみろと言う。
ネイが腰からナイフを取り、それを手渡すと再び爺さんは鼻を鳴らした。
「こいつはダメだ。ろくに手入れもしたことねえだろ」
そう言われてネイが苦笑いを浮かべると、爺さんは更に一振りのナイフを投げてよこした。
今度は大型の片刃のナイフだ。刃と逆側、峰の部分に無数の凹凸がある。
「……これは?」
「ソードブレイカーだ。その凹凸で相手の剣をへし折ることも出来る」
無愛想にいうと、不器用に口の端を上げて見せた。
「いや、そうじゃなくて……一本でいいんだ。今はあまり持ち合わせがない」
ネイがそう言うと、爺さんはくだらない物を見る目をして手をヒラヒラと動かす。
「けっ、たいした業物じゃねえんだ。金なんざいらねえよ」
「良いのか?」
ネイが聞き返すと、爺さんはもう一度うるさそうに手をヒラつかせ、背を向けて奥へと戻って行った。
そして無言で鉄を打ち始める。
ネイはその様子を見て目を細めると、ルーナを連れて黙って店を出た。
ネイが店を出るとき、爺さんはその後ろ姿を一度だけ横目で見て、口許に小さな笑みを浮かべた。
通りには鉄を叩く規則正しい音が聞こえる。
その音は、先ほどよりもわずかに力強く響いていた……
つづく
9月16〜17日、PC版から投票をクリックしてくれた一名の方、ありがとうございます!
それと携帯の方からも一名いたのですが、それはいつ頃か分かりませんでした。
携帯版の方のランキングは、投票してくれる人はいないだろうと思い、全くチェックしてなかったです!
せっかく投票してくれていたのにすいませぬ! 同時に感謝!(10/17)