45章 得られぬ資質
まるで風と戯れるように、宙にゆらゆらと揺れる花びら
それをネイは呆然と見つめた。
三階の窓に落ちてくる花びら。その不自然さにしばし目を奪われる。
誰かが窓を開けていたのだろうかという考えがよぎったが、それは考え難かった。
落ちて来た花びらの量は、鉢に咲いている程度ではない。
まるで花畑が風を受け、花びらが舞っているようだった。
ではテラスがあり、そこで栽培されていたのか。
いや、それも違う。
吹き抜けに面した壁にテラスの類は無かった。
考えられるのは……。
(屋上か! ここの真上に何かある!)
ネイは確信と同時に部屋から飛び出した。
身を低くし回廊を駆け抜け、一気に五階まで階段を駆け上る。
その間の障害は無い。
まだ教団本部に侵入されているとは思っていないのか、白い鎧を着込んだ者の姿は見えなかった。
五階まで辿り着くと身を屈めて回廊をそっと覗くが、やはりそこにも白い鎧は見なかった。
「これだから非戦闘地区は……緩すぎるぜ」
皮肉の言葉を口にしてニヤリと笑うと、ネイは落ち着いた足取りで北回廊に向かい歩き出した。
足元に敷かれた真紅のカーペット。その質がどう見ても三階までとは違う。
部屋の数も上の階に行くほど減っていた。その代わり、一つ一つの造りが豪華になっていく。
それは部屋の扉にも表れていた。明らかに一階や二階などとは造りが違う。
「神の名の元では皆平等……じゃないみたいだな」
良く耳にする信徒の言葉を口にし、顔をしかめて苦笑した。
真っ直ぐに伸びる路がこれまでと同じように直角に折れる。
ネイはそのままゆっくりと進み、角で先を覗き見てから歩を進めた。
やはり誰もいない。北回廊も静かなもので、人の気配はなかった。
北回廊を東に向かい進んでいくが、今度は部屋が一つもない。ただ壁があるばかりだ。
そして結局、そのまま東回廊への角まで辿り着いてしまった。
一度立ち止まり北回廊を振り返る。扉を見落とすなんてことはまず考えられなかった。
しかし、花びらは間違いなく北回廊の上から舞い落ちてきた。少なくとも部屋か何かはあるはずだ。
部屋も何もない建物上空から花びらが落ちて来るわけがない。
ネイは向き直り、今度は入念に壁を観察しながら来た路を戻り始めた。
表面が木製となっている壁には、葡萄唐草だろうか、蔦がいくつも絡まった模様が掘り込まれていた。
その模様の一つ。まるで額縁のように、天井から床まで四角に縁取られた部分があった。ちょうど北回廊の中央付近だ。
ネイはその部分をしばらく眺め、縁取りの墨をそっと押してみた。
すると少し抵抗があった後、その縁取られた部分の中心を軸に、押した側が奥へ、反対側が手前へと回転するように動いた。
隠し扉としてはあまりの呆気無さにネイも唖然とする。
しかしよくよく考えれば、それは隠し扉としてそうなっていたのではなく、後から造り足された扉なのかもしれない。
その為、壁の模様を残すためにそういう扉となった。そう考える方がまだ納得がいく。
それくらい隠し扉としては用を成してはいなかった。
扉の奥はすぐに階段があり、薄っすらと差した明かりがその階段を蒼白く浮かび上がらせていた。
ネイは警戒しながら一段ずつゆっくりとその階段を上っていく。
もちろん扉は閉めて来た。それでも階段は充分な明るさを保っている。
そのまま階段を上って行くと踊り場があり、そこに窓が取り付けられていた。
蒼白く差す明かりは、どうやらその窓から入る月の輝きだったようだ。
ネイはそっとその窓に近付くと、窓から外を覗き見た。
吹き抜けの中庭。向かいの窓。どこも物々しい雰囲気はない。
自分の侵入に気付かれている様子がないことを確認すると、ネイは満足して窓を離れた。
そして再び警戒しながら、踊り場で直角に方向を変えた階段を上って行く。
警戒しながら階段を上った行くと、天井が近付き階段の終わりが見える。
扉の類は無く、ただ天井に四角の穴が空いてあるだけの出口だ。
そのまま階段を上り、身を屈めて頭だけをそっと出して様子を探る。
そこは人が四、五人立てる程度の部屋のようになっていて、四方を石壁が囲んでいた。
天井もしっかりあり、ちょうど階段の真上に位置する方向に扉も確認出来る。
ネイは安心して階段を上りきってその空間に立つと、扉に近付き取っ手に手を掛けた。
そしてそっと扉押し開く。
次の瞬間、視界に広がる光景に目を見開いた……。
セティの喉がゴクリと鳴った。
どれくらい睨み合っているだろう。長いのか短いのか。その時間の感覚も麻痺しそうになる。
「クックック……」
不意にアサシンの一人がくぐもった声で笑い出した。
「?」
セティは不安を感じながら、怪訝そうに相手を見据える。
「何もない……お前には何も無いな」
その言葉に、セティは心臓が握り潰されたような錯覚を受けた。
しかし、そんな心境をおくびにも出さずに笑みを浮かべる。
「さぁ、それはどうかしら?」
「無駄だ。強がりはよせ」
笑いを含みながらも感情を感じさせない声が、即座にセティの言葉を否定した。
「足が――」
セティの鼓動が激しく高鳴る。
「――震えているぞ」
「走って!」
アサシンの言葉が言い終わると同時に、セティはルーナの背を押して叫んだ。
ルーナは一呼吸間を置き、指示通り押された方向に向かって走り出す。
しかしアサシンはそれを見逃さず、ルーナに近い一人が襲い掛かろうとする。
すかさずセティがそのアサシンを狙って鞭を振り、ルーナへの道を阻んだ。
だがそれはセティにとって致命的な行動でもある。
大きく出来た隙を見逃さず、もう一人のアサシンがセティに襲い掛かる。
「くっ!」
セティは身を捻るが間に合わない。
黒いフードの下から出された刃がセティの右腕を掠め、短い悲鳴を上げるとそのままバランスを崩して倒れてしまった。
セティは倒れ込むと、痛みに顔を歪めながらルーナに目をやった。
そして愕然とする。
ルーナは立ち止まり、その紅い瞳でジッとセティを見ていたのだ。
「何してるの! 早く行きなさい!」
そう怒鳴りつけるがルーナは動かない。
そのルーナにアサシンがゆっくりと歩み寄り、フードの下から腕を振り上げる。
その手には爪のような形をした、四本の長い刃が着けられていた。
その腕が振り下ろされる瞬間、セティは絶望感に顔を背けた。
何かがぶつかる音が、倒れ込むセティの耳に届く。
その直後の沈黙の中、セティはゆっくりと瞼を上げた。
最悪の光景を目にする恐怖に身体が震える。
しかし―――
目にした光景は、仮面を抑えて顔を伏せるアサシンの姿だった。
そしてその足元。アサシンとルーナの間には、真っ黒な瞳に短い手足。全身を黄色い毛で覆った生き物が四つ足で仁王立ちになっていた。
長い尾は真上にピンと上がり、毅然とした態度でアサシンを見上げている。
「ユピ!」
「キキッ!」
セティの声に短く鳴いて応える。
どうやらアサシンは腕を振り下ろす前にユピに攻撃されたらしく、仮面の目の部分を押さえながら怒りに肩を震わせている。
それは初めて見せるアサシンの感情的な気配だった。
「!」
セティを見下ろすように立っていたアサシンが何かに反応し、腰を低くし身構えた。
同時に肩を震わせていたアサシンも身構える。
二人の視線の先。路地裏の暗がりからジャラジャラと何かが擦れ合う音が聞こえる。
「大したチビ助だ。突然走り出したと思ったら、こういうことか……」
そう声をかけながら、暗がりから長い金髪を逆立てた男が月明かりに姿を見せた。
その手には槍斧を持っている。
「どうやら気配は消せても、染み付いた血の臭いは消せないらしいな」
「オズマ!」
その姿を見てセティが歓喜の声を上げた。
オズマは倒れたセティにチラリと目をやる。
「ずいぶん楽しそうじゃねぇか。俺もまぜてくれよ」
そう言ってオズマはアサシンを見ながら、口の端を小さく上げた。
アサシン二人の緊張感が跳ね上がったのが、セティにもはっきりと分かった。
ユピはオズマが来ると、任せたと言うようにアサシンの前から離れ、ルーナの胸に駆け上って腕に抱かれた。
オズマがゆっくりと歩き出すと、その歩調に合わせてルーナの前にいたアサシンが後退する。
オズマはアサシンを気にする様子もなく、そのままルーナに歩み寄ると、ルーナの肩に大きな手を置いた。
そしてルーナを連れ、今度は倒れるセティに向かう。
セティの横にいたアサシンはそれを見てかすかに身体を揺らすと、もう一人と同様に後退を始めた。
オズマはセティの元まで来ると、手を貸してセティを立たせる。
セティは腕の痛みに顔を歪め、それを見たオズマが傷の具合を確認する。
「う〜ん……まぁ傷自体は大したことなさそうだな。多少は痕が残るかもしれんが」
その間もアサシンは動くことが出来ない。ただ遠巻きに身構えているだけだ。
オズマはセティに離れているように指示を出すと、ゆっくりとアサシン二人に向き直る。
「またせたな。それじゃあ今度は俺と遊んでくれよ」
そして槍斧を肩に乗せると、顎を少し上げて冷ややかな視線を向けながら、口許だけは笑って見せる。
アサシン二人は少しづつ横に移動しながら互いの距離を詰め、縦に並ぶと同時にオズマに向かって飛び出す。
そしてオズマに近付くと、後ろに隠れた者が、前を行く者の背を利用して宙に舞う。
地上と空中から同時に襲い掛かるが、オズマは鼻を鳴らすと力強く一歩踏み込んだ。
「うらぁ!」
ハルバートを右から一閃。地上のアサシンを左へ吹き飛ばし、ハルバートをそのまま背中まで回転させると、勢いを殺すことなく空中のアサシンに向かって打ちつける。
アサシンは肩口に鉄製の柄の直撃を受け、半回転して頭から地面に叩き付けられた。
しかしすぐに転がりながら距離を取り、黒いフードを揺らしながら立ち上がる。
左に吹き飛ばされた者も同様にして立ち上がった。
かなり効いたらしく、両者ともかすかに身体が左右に揺れている。
それでも今度は左右に分かれ、再び同時に飛び込む。
右から来るアサシンを再びなぎ払う。
しかしアサシンも今度は直撃を受けず、ハルバートに乗るように足を掛けて後ろに飛んだ。
わずかに隙が出来た。その隙を突き、もう一方が身を低くしてオズマの懐に飛び込む。
そして低い姿勢からオズマの顔を目掛けて腕を突き出す……が、爪のような形をした四本の刃はオズマの顔に届くことなく、その直前でかすかに震えながら止まっていた。
オズマの左手が、突き出されたアサシンの手首を掴んでいたのだ。
さすがに驚きを隠せずアサシンの動きが一瞬止まる。
次の瞬間には掴まれた手首を引き離そうとするが離れない。それどころか、逆に手首を捻り上げるようにされてしまう。
「ずいぶん危険な武器を持ってやがるな」
そう言って、オズマはアサシンの手に取り付けられたその刃をマジマジと眺める。
その間もアサシンは、手を引き離そうとするがどうしても離れない。
「そんなに離して欲しいなら、今離してやるよ」
そう言いきると同時に掴んだ手首を強引に引き、反動をつけて壁に向かって投げ飛ばした。
アサシンの身体は壊れた玩具のように宙に舞うと、そのまま背中から壁に叩きつけられてゆっくりと地面にずり落ちる。
動かなくなった様子を見届け、もう一人に顔だけを向ける。
「どうやら二人じゃ足りなかったらしいな」
ゆっくりと向き直るオズマに、アサシンは成す術がない。
強い……ただ強い。それがセティの率直な感想だった。
先のヴァイセン兵とのときも思ったが、アサシンすらも子供扱いするその強さは、セティがそのとき思っていた以上だった。
その強さに身震いすらする。それと同時に―――。
痛かった。傷を負った腕ではなく、悔しさに引き裂かれそうな胸が痛かった。
傷ついた己のか細い腕を押さえ、唇を噛みながらオズマの背を見つめる。
その大きな背には圧倒的な自信が満ち溢れていた。
そしてセティはそっと目を伏せた……。
つづく
9月20日〜21日の間、PCから投票をクリックしてくれた1名の方、ありがとうございます!
あ! 俺? もしくは私? と思った方、間違いなくあなたです!!
私は物語を書き出すとき、必ず一番最初にエンディングの形がおおよそ決まります。
次に入れたい点がいくつか浮かび、あとはその点を右に左に逸れながら結んでいく感じです。
その書き方は目標がブレない反面、決定的な欠点があります。
それは『作業をしている感覚』にどうしてもなってしまうことです!
要は飽きてくる! 私は長編に向かない!
なので、投票してくれた貴方! あなたのおかげで、またしばらく頑張る気力が湧きました!
ありがとね……
ではまた次回をよろすくぅ(9/22)