43章 暗殺者
窓の外、蒼い月が儚く見える。その月に向かい物憂げな吐息をかけた。
「絵になるわ……」
「ん? 何か言いましたか?」
窓際でボンヤリと夜空を見上げるセティが呟き、アシムが声を掛けた。
「美女が物憂げに月を見上げる姿は絵になるって言ったのよ」
「それは残念です。美女かどうか私には分かりませんから」
そう言って笑うアシムをセティはジロリと横目で睨んだ。
「それはわざわざ言わなくても良いんじゃない?」
「しかし事実ですから」
そうアシムに返され、セティは肩をすくめた。
そこでアシムは不意に笑顔を消し、真剣な表情を作り口を開く。
「そんなことより、ネイは一人で大丈夫でしょうか?」
それに対し、セティは少し不機嫌な表情を作った。『そんなこと』で片付けられたのが気に入らない。
「さぁ、どうだかね。一人で乗り込むなんて無茶すぎるわ。本部には聖騎士団がゾロゾロいるっていうのに」
「聖騎士団?」
そう言って首を傾げたアシムにセティは呆れ顔を向けた。
「あんたそんなことも知らないの? これだから田舎者は……」
セティは後半部分を小声でブツブツと言ながら首を左右に振る。
「聖騎士団っていうのは教会の正規軍よ。信徒の中からより神様に忠実で、剣の才を見込まれた者だけが所属できる、言わばエリート集団ね」
セティは目を閉じながら人差し指を立て、得意気な表情でそう講釈を述べる。
「軍? しかし聖都は非戦闘地区なのでしょ? それなのに軍隊が存在するのですか?」
「バカねえ。非戦闘地区って言ったって、それを守らないヤツだって世の中にはいるでしょ? そういうヤツ等を取り締まる衛兵みたいなものよ。唯一、聖都で武力を行使することを許可されている連中なの」
「なるほど……しかし、それでは不公平じゃないですか。もしその聖騎士団と争いになったら、一方的に罰せられてしまう」
「だから『より神様に忠実な人格者』が選ばれるんじゃない。自分から争いを起こすような人間は選ばれないわよ」
セティが当然のように言ったが、それでもアシムは納得のいかない表情を浮かべて首を捻る。
「何が気に入らないわけ?」
その表情を見てセティがため息混じりに言った。
「う〜ん……初めから聖騎士団が正しいというのが前提のような部分が……」
そこで突然アシムが言葉を止め、表情を険しくする。
それを見たセティがどうかしたのかと声を掛けようとしたが、それよりも早くアシムはセティに近付いて来た。
「な、な……」
突然歩み寄るアシムに驚いたが、次の瞬間には身体を窓際から押し退けられていた。
「なっ! 何する……」
抗議の声を上げようとしたが、アシムが人差し指を口に当ててそれを制す。
そのアシムの只ならぬ様子にセティも言葉を飲み込んだ。
「一体どうしたの?」
セティが小声で問いただすが、アシムはそれには答えず明かりを消すように指示を出した。
セティはそれに素直に従い素早くランプの明かりを吹き消すと、ソファに座っていたルーナを引き寄せた。
部屋の中が暗闇に包まれる。
「どうやら『規則を守らない連中』が現れたようです」
アシムのその言葉を聞いて、ルーナを抱き寄せるセティの手に力が入った。
「こっちです」
アシムたちは部屋を出ると二階に降り、一番奥の部屋へと移動した。
その部屋の窓から、隣の建物の屋根へと飛び移ることが出来るためだ。
そしてその建物はちょうど宿の裏に位置し、表口の方向からでは確認することは出来なかった。
「よく調べておいたわね」
窓枠から身を乗り出して隣の屋根へと飛び移ったアシムに、セティが口笛を吹く真似をしながら感心したように言った。
屋根に移り、向き直ったアシムが手を差し出しながら笑顔を見せる。
「オズマが教えてくれたんですよ。何かあったら、気付かれることなくここから外へ出れるってね」
「へぇ〜……見直したわ」
そう言うと、セティはルーナに手を貸して窓枠に乗せた。
そのルーナの手をアシムが掴み、自分の方へと引き寄せる。
無事ルーナが屋根へと移ると、セティも身軽に窓枠から飛び移った。
「で、これからどうする?」
「とりあえずこの場から離れて、見つかっても一人づつ相手に出来る場所に身を隠しましょう」
セティが頷いて同意すると、アシムは身を低くしながらルーナの手を引いて屋根の上を走り出した。
建物と建物の間。細い路地裏に三人は身を潜めて通りの方向を覗き見た。
「どう?」
セティの問いにアシムは表情を緩ませて首を振って見せる。それを見てセティは安堵の息を漏らした。
「しかしアサシンとは大したものですね。目の前に来るまでその気配に全く気付きませんでした」
「それでも襲われる前に気付いたんだから、あんたも充分凄いわよ」
そう言ってセティが感心すると、アシムは穏やかな笑みを見せる。
「で、何人だった?」
「はっきりは分かりませんでしたが、おそらく三、四人だと思いますね」
セティはそれを聞いてガックリと肩を落とした。
落胆するセティの気配を察してアシムは笑顔を見せたが、直後にその表情が固まる。
アシムはルーナを背に隠すようにし、ゆっくりと背中の矢筒から矢を抜き取った。
それに気付き、セティも慌ててアシムの背後に回り込む。
アシムはそのまま大通りの方向に顔を向け、弓を下げた状態で弦に矢を掛けた。
重苦しい沈黙の中、セティの鼓動が周囲に聞こえるのではないかというくらいに高鳴る。
「っ!」
アシムは何者かの気配を『あらぬ方向』から感じ取った。
「走りなさい!」
アシムは振り返ることなく指示を出すと、頭上に向かい弓を構える。
その狙いの先を見て、セティはルーナの手を掴むと弾かれたように走り出した。
アシムの頭上、建物と建物の間にその影はあった。
脚を左右に伸ばして身体を支えているのか、空中からアシムに狙いを定めていた。
一瞬身体が浮くようになり、その直後にアシムに向かい落下してくる。
「くっ!」
弓を放つが狙いが逸れ、アシムは後方に飛び退いて距離を取った。
落下してきた影は標的が飛び退いたと見るや、身をよじりながらヒラリと着地し、間髪を入れずに距離を詰めようとする。
アシムは後方にバランスを崩しながらも、小さく息を吐き出すと同時に第二の矢を放った。
しかし至近距離から放たれたその矢を、影は微かに横に動いて難なく躱すと、速度を落とすことなくアシムへと襲い掛かる。
何かが来る。それを察知し、アシムは後方へ崩れたバランスを立て直すのではなく、そのまま身体を仰け反らせた。
次の瞬間、鼻先を何かが掠め、前髪が数本ハラリと落ちる。
アシムはそのままの勢いでさらに身体を反らすと、地面に手をつき後方に回転して距離を置いた。
鼻先を掠めていった物が何なのかは分からなかった。
しかし、その間合いは思ったよりも狭いことが確認出来た。
それと臭いだ。鼻先を掠めた瞬間、何か鼻につく臭いを感じた。
おそらく毒物か何かが塗ってあると考えられる。
(何はともあれ距離を取らなくては……)
アシムは一度笑みを見せると弓を構えて矢を放ち、それと同時にクルリと向き変えて走り出した。
背後で追ってくる気配を感じる。
その反応はアシムが思っていたよりも早かった。
そのとき、アシムの感覚がもう一つの気配を感じ取った。
その場所は壁の向こう側。前方左側に見える、木製の扉の中だ。
人の気配が抜けてくる感覚に、壁以外の仕切りが在ると判断し、アシムは扉の前を通過すると同時に、その扉を激しく叩いた。
二呼吸の間を置き、扉がゆっくりと開いてアシムと追っ手の間を遮る。
それと同時にアシムは前方に飛び込むように転がり、膝を突いて向きを反転させると素早く弓を構える。
扉から顔を出した中年の男は、いきなり自分に向かって弓を構えている人間に驚き、慌てて扉を閉めた。
扉が閉まり再び視界が開ける。その瞬間アシムは矢を―――放つことはしなかった。
そこに追っ手の気配はすでに無かった。
アシムは膝を突いて弓を構えた格好のまま周囲の気配を探る。
しかしすでにその気配は完全に消えていた。
アシムは弓を下ろすとゆっくりと立ち上がり、一度大きく息を吐き出した。
「まったく切り替えが早いですね……」
そう声に出し呟きながら、矢を矢筒へと差し戻した。
飛び道具を相手に視界と路が遮られたと見るや、無謀な追撃をせずに早々に姿を消す。
その判断の賢明さと行動力は敵ながら恐れ入る。
アシムはそんな自分の心境に苦笑いを浮かべ、セティとルーナの後を追うために再び走り出した。
自分が相手にしたのは一人。少なくともあと二人はいる。
その考えがアシムの足を急がせた。
セティはルーナの手を引き必死に走った。
裏路地を右に左にと曲がりながら走り、少し開けた場所に出ると速度を緩めて振り返る。
どれくらいの距離を取れたかは分からなかったが、追って来る者の影は見えない。
しかし、そんなことで安心出来ないことは良く分かっていた。
乱れた呼吸を整えながらチラリとルーナを見下ろすが、ルーナの息は乱れてはいなかった。
フードを目深に被り、ただジッと真っ直ぐに前を見ている。
それもそのはず。ルーナは走ったというより、ただセティに引っ張られていただけだ。
体力の消費量は俄然違ってくる。
ルーナの真っ白な肌。セティが掴んだ手首の部分だけが赤く染まっていた。
「痛かった? でも我慢して。もう少し走るわよ」
そうルーナに声を掛け顔を上げたとき、ビクリと身体が跳ね上がり背中が凍りついた。
視線の先、向かいの路地の暗闇に、真っ白な顔が宙に浮かんでいたのだ。
その顔が真っ直ぐにセティたちに近付いて来る。
近付いて来るその顔は、良く見れば白い仮面だった。
黒いフードを頭か被っているため、その仮面だけが宙に浮いて見える。
顔全体を覆う白い仮面。目と口の部分だけに細長い孔が穿たれている。
白い顔に黒く浮かび上がる切れ長の目と、微かに口角の下がった口の形が、無機質な不気味さをかもし出していた。
セティはルーナを庇うように背にし、腰を低く身構る。
「あんた達の狙いは鷹目でしょ! ここにはいないわよ!」
「……」
セティの怒鳴り声に応えることはない。
セティは引き返そうとルーナの手を引いて振り返るが、すでにそこにも同じ白い顔があった。
挟み込まれた。そう気付き、ルーナを背にしながら壁際に移動する。
二つの白い顔はセティたちを頂点にした三角形を描く位置に立ち、ゆっくりとその距離を詰めて来る。
セティは左右を交互に睨みながら、腰にある革の鞭を手にした。
「あたしたちはギルドとは無関係よ!」
そんな言葉が通じる相手ではないというのは分かっているが、そう怒鳴らずにはいられない。
しかしそんなセティの意に反し、一人が口を開いた。
「ホークアイに死を……連なる者に死を……。安心しろ。すぐに同じ場所に逝ける」
仮面のせいか少しくぐもった声でそう言うと、小さく含み笑いをする。
しかし、その笑い声に感情の類を感じることは出来なかった。
無機質な笑い声。その声がセティの身に戦慄を走らせる……
つづく
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