41章 情報整理
大陸の中心に位置する国、ミラン。
国内にある『聖都』と呼ばれる唯一の街と同一視され、度々同名で呼ばれることが多いこの国は、完全な中立国にして非戦闘地区とされている。
現在、存在している国の中では最も古くに建国された国で、バルト大陸で最も面積の小さな国でもある。
約千年ほど前、このバルト大陸を統一した『始まりの王』は大陸を分割して当時の家臣・親族にその管理を任せると、自身は大陸中央部に居を構え、隠居の身として己の信じた神に残りの人生を奉げた。
これが『聖都』の始りである。
現在このバルト大陸で正式認可された唯一の信仰でもあるその教えは、現在では大陸全体で約六割を占める人間に広がっていると言われている。
各国の重要な地位に立つ人間にも熱心な信徒は多く存在し、その為に完全な中立国でありながら、大陸全体に絶大な影響力を持っていた。
大陸人口の六割を背をにしたその発言力は、実質上バルト大陸で最も『権力』を有し、どの国も決して無視することは出来ないほどの『力』を持つと言われる。
「ここまで悪かったな。あんたはどうするんだ?」
夕刻の聖都の入り口。ネイはルーナを馬の背から降ろすと、オズマの横顔を見上げながら言った。
オズマは自分が聞かれているなどとは思っていないかのように、横に列を成す人の群れを眺めていた。
巡業者であろうか。列に並ぶ人は皆同じような格好をし、両手を組合わせて祈りを奉げているようだった。
返事をしないオズマの視線につられ、ネイもその光景を同じように眺めた。
しばらくそうして眺めていると、不意にオズマが口を開く。
「なぁニィさん。もう少しあんた達に付き合わせてもらっても良いかい?」
列の人に目を向けたままオズマが言った。
ネイは振り返りアシムとセティを見たが、二人は『まかせる』と言ったように軽く頷いただけだった。
「別に構わないが……あんたも用事があったんじゃないのか?」
「……」
しばし無言の間を空け、オズマは振り返ると笑顔を浮かべた。
「俺の用事は急ぎじゃ無いんでね」
聖都。信仰の象徴としての街は、それに見合う素朴な雰囲気を持っていた。
他国に見られるような娯楽を主とした建物はなく、それに伴い他国のような騒がしさも無い。
それは街の中央通りであろう路でもそうだった。
一応は露店が並んで人の群れも行き交うが、そこに雑多な印象は無い。
店の人間も道行く人に不躾な声をかけたりはせず、また客も静かに淡々と買い物を済ませていた。
「しかしいつ来ても静かな街だなぁ……」
頭からすっぽりとフードを被ったオズマが退屈そうに声を上げた。
さすがに一緒に行動するには、その容貌は目立ち過ぎる。
それでも、やはりビエリ並の巨体と大きな馬は目を引くのか、すれ違う人間が時折振り返っていく。
ただ、そういった人間も他国のように騒いだりはせず、チラリと視線を送る程度なのが救いだった。
「まずは宿だな。あまり不用意に歩き周りたくない」
ネイはそう言って横を歩くルーナに目をやった。
ルーナも頭からフードを目深に被り、その容姿は端からは一斉分からない。
「だったら俺が案内してやるよ」
そう言ってオズマが馬を引きながら先頭に立ち、手招きをすると勝手に歩き出した。
歩くたびにフードの中に隠れた装飾品が、ジャラジャラと擦れ合う音を上げた。
ネイたちは顔を見合わせて肩をすくめると、オズマに遅れぬようにその後に続いた。
オズマが案内してくれた宿は実に質素な造りだった。
きらびやかな看板の類はなく、初めてこの地を訪れる者からすれば、そこが宿だとは気付かないかもしれない。
地味な木製の看板に書かれた名は『憩い亭』―――名前も素朴で飾り気がない。
中に入りオズマがカウンターの前に立つと、フードを取って顔を見せる。
その顔を見てカウンターの老いた店主は驚いた顔を見せたが、すぐに顔を緩ませ何か親し気にオズマと言葉を交わし始めた。
「どうやら本当に『知った街』みたいね」
オズマと店主の様子を見たセティが、そっとネイに耳打ちをした。
そうしてしばらく待っていると、店主がやって来てネイたちに穏やかな口調で声を掛けてくる。
部屋に案内してくれるということで、ネイたちは店主の後に着いて歩いた。
案内された部屋は三階にあり、店主が言うにはこの宿で一番大きな部屋ということだった。
鍵を受け取り店主が階段を下りていくのを見送ると、ネイたちは部屋に足を踏み入れた。
部屋の中にはベッドとテーブル、それにソファが一つ有る程度で飾り気も無く質素な造りだったが、それなりに広く不自由はしなさそうだった。
ただ、ベッドは三つと人数分には足りなかったが。
「ベッドは足りないが、お嬢ちゃんは小さいから誰かと一緒で問題ないだろ? 俺はソファで充分だからよ」
「なに! あんたも一緒に泊まるのか?」
自然に言ったオズマの台詞にネイが驚いた。
「宿はここしかないんだから当然だろ?」
オズマは反対に『当たり前のことを聞かれて驚いた』と言わんばかりに、目を丸くして数回瞬きをした。
その態度にアシムが苦笑いし、セティは迷惑そうに眉を寄せた。
オズマはそんな周囲の態度をよそに、さっさと自分の荷物をまとめるとネイたちに一階に降りるように促す。
本来この宿では食事は作らないらしいが、オズマの頼みで店主が簡単な食事を作ってくれるとのことだった。
荷物を置き、再び一階まで降りるとすでに待合部屋にテーブルが用意され、その上にはパンとスープが置かれていた。
ずいぶんと寂しい食事に、店主は申し訳無さそうに頭を下げて照れ笑いを見せた。
それに対し、アシムが代表して店主に礼を述べる。
アシムの声を聞いた店主は、それが男性のものだったため少し驚いた顔を見せたが、すぐに笑顔になると深々と頭を下げてカウンターの奥へと戻って行った。
店主が視界から消えるとアシムが口を開く。
「では頂きましょうか」
それを合図にそれぞれが席に着き、食事を口に運び始めた。
「じゃあ行くわ」
食事を済ませてくつろいでいるとセティが席を立った。
「頼むぜ」
セティを見ずにネイがそう声を掛けると、セティは右手を軽く上げて宿を出て行った。
ネイはセティの背を横目で見ると、そのままチラリとオズマに視線を移す。
本来はもっと今後について話たかったが、詳しい事情を知らないオズマが一緒ではそういうわけにもいかない。
そんなネイの気持ちを知ってか知らずか、オズマは意地悪な笑顔を浮かべ、小さな果物を指先で掴んで上下させていた。
その動きに合わせ、ユピがテーブルの上で果物を獲ろうと何度も飛び跳ねる。
そんな様子を窺いながら、アシムがネイにそっと顔を近付けてきた。
「彼女、一人で大丈夫ですか?」
その問いにネイは小さく頷いて返す。
「任せておけば大丈夫さ。着いて行けばかえって足手まといになる」
ネイにそう言われると、アシムは心得たと言ったように頷いた。
ネイが言ったとおり事実セティの仕事は早かった。
翌朝、食事を取るためにネイとアシムがルーナを連れて一階に降りると、セティは涼しい顔で一足早くテーブルに着いて紅茶を飲んでいた。
「で? どうだった?」
セティの姿を見てもネイは驚いた様子も見せず、隣の席に座ると開口一番でそう切り出した。
セティは紅茶を口に運びながら、目を閉じて当然のように頷いて見せる。
アシムも椅子を引いてルーナを座らせた後で席に着く。
そこでセティはオズマの姿が見えないことに気付いて首を捻った。
「オズマは?」
その台詞にネイが無言で首を振る。
「陽が昇る前に、ユピを借りると言って出かけましたよ」
アシムはそう言って、困ったように眉間にシワを寄せながら苦笑いを浮かべた。
「ふ〜ん……まぁ良いわ。いない方が遠慮なく話が出来るから」
「じゃあさっそくその『話』ってやつを聞かせてくれよ」
ネイはそう言って背もたれに寄りかかると、腕を組んで目を閉じた。
セティはもう一度紅茶を口に運ぶと、やや身体を前のめりにする。
「まずネイ。あんたはやっぱり『渡り鳥』決定よ。間違いなく暗殺組織に処刑命令が出てる」
その言葉にネイは微動だにせずジッと耳だけを傾ける。
「その関係で追って来てるのは一部隊ね」
「部隊?」
アシムが反芻すると、セティは一度アシムに視線をやって頷いた。
「そう。アサシンは五人一組で仕事をすることが多いの。ただ例外もいるけど……」
「さっき『その関係で』って言ったな。他の関係で追ってくるヤツがいるのか?」
ネイが目を閉じたまま聞いた。
それに対してセティは少し間を空け、考える素振りを見せてから口を開いた。
「これはハッキリしていないけど、もしかしたらその部隊以外にもギルドから送り込まれたヤツが狙ってるかもしれない」
「誰だ?」
「……亡霊よ」
その名がセティの口から出ると、ネイも目を見開いた。
「ファントム! なんでそんなヤツが?」
怒鳴るようなネイの口調に、セティが不機嫌な表情を作り唇を突き出す。
「だからハッキリしてないって言ってるでしょ! あたしだって分からないわよ」
そんなセティにアシムが宥めるように口を開いた。
「まぁまぁ、それよりどんな人物なんです?」
そう言われても不機嫌な表情のままだったが、仕方が無いといった様子でセティは先を続けた。
「単独で行動するアサシンの変わり種らしいわ。と言うのも、存在するのは常に噂だけで、その実体はよく知られていないの」
「なるほど……だから亡霊ですか」
「とりあえずギルド関係はそんなところよ。次はヴァイセン帝国」
セティがそう言うと、アシムは機嫌を損なわぬように笑顔で相槌を打って見せるが、セティは胡散臭げにアシムを見て鼻を鳴らした。
「砂漠国に帝国から追加の兵が送られたらしいわ。なんでも指揮してるのはあの『血路の騎士』って話よ」
「またずいぶんな大物の登場だな」
ネイは何かを考え込むように、腕を組んで呟くように言った。
「血路の騎士? その人物も有名なんですか?」
オツランたちのこともあり、アシムは心配気な表情をセティに向ける。
その問いにセティは肩をすくめて返した。
「常に黒い甲冑に身を包んでいて年齢性別は不明。ヴァイセン帝国の武力の象徴で、通った路は必ず血に染まることから『血路の騎士』って呼ばれているわ。そしてヴァイセンが帝国主義に変った頃から存在しているとも言われてる。ファントムとはまた違った意味で得体が知れないわね」
その話を聞いたアシムが両眉を上げて驚いた。
「確かヴァイセンは三百年近くも前に帝国主義となったんですよね? そんなに永く生きられるものですか?」
アシムが驚きの声を上げると、ネイが呆れたようにタメ息をつく。
「そんなわけ無いだろ。演出だよ、演出。だから全身具に身を包んで容姿を隠すのさ。中身はもちろ
ん変ってるだろうが、外身は変わらない……そうやって他国から畏怖の対象になるように仕立て上げたんだ」
そう聞いてアシムは感心したように数度頷いた。
そこでセティが仕切り直すように、もっともらしく一度咳払いをする。
「で、そいつが指揮を執ってディアドに向かったらしいけど、その後についてはまだ情報が流れてないわ。聖都に向かって来てる部隊も無さそうね」
「ズラタンは? そっちはどうなってる?」
先を急ぐネイをセティは手で制し、紅茶を一口飲んで喉を潤した。
「ズラタンについては何も無し」
「何も?」
セティの情報に不服なのか、ネイは疑わし気に片眉を上げる。
「そうよ。本当に追って来ているのはミューラーだけだったみたい。手配書の類も出されていないわ。ただ……」
「それが却って不自然だな」
セティの言葉を継ぐようにネイが言うと、セティも深く頷いて同意を示した。
そこでアシムが汚い物でも口にするような言い方でボソリと呟く。
「ファムートもですよ。きっとファムートも我々を追ってます」
「そう言えばミューラーがそんなことを言ってたな……暗殺者に亡霊。不死身の騎士に蛇男か……」
そこまで言ってネイはガックリと肩を落とす。
「まったく面倒な連中ばかりだな。で、それで終わりか?」
ネイはうんざりしたような口調で言い、チラリとセティを見た。
それに対し、セティは意味深な笑顔を浮かべて見せる。
「あとこれは関係あるか分からないけど、もう一つ面白い話を聞いたわ」
そう言われてネイは顔をしかめた。
「まだあるのかよ? 一体なんだ?」
「これはあくまで噂で、日時も分からないんだけど、聖都で『復活際』というのがあるって言われてるの」
「復活際? なんですかそれは?」
「分からないわ。ただ、一部の信徒の間で噂になっているらしいの」
そこでセティは間を置いてネイを見ると、その後に隣にジッと座っているルーナを見た。
そのセティの視線にネイが気付き口を開いた。
「ルーナに関係があるのか?」
「あたしには分からないわ。それは今から言う話を聞いてからあんたが決めて」
セティはそう言うと真っ直ぐにネイを見据えた……。
つづく
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