40章 強さの秘訣
「聖都かあ。なんか無意味に緊張するわ……」
灰色の馬の背に乗ったセティが苦笑いを浮かべながら呟いた。
そのセティの前には、ユピを肩に乗せたルーナが一緒に乗っている。
「そんなものですか?」
馬の手綱を引いているアシムは、不思議そうにセティに首を傾げて見せた。
「まぁ、俺たちのような『職業』の人間は、信仰心なんて無縁なヤツが多いからな。『清らか』って言うのは衛兵と同じくらい苦手なんだよ」
ネイが冗談めいてそう言うと、アシムは『なるほど』と短く言って呆れたように頷いた。
「――それより『アイツ』はどうするの? やけに元気無いわね」
セティが馬上から身を低くし、こっそりと後方を指差しながら二人に耳打ちをする。
ネイはまるで他人事のように言ったセティを白い目で見た。
ネイたちの背後、金獅子オズマはガックリと肩を落としながらトボトボと着いてくる。
ネイは頼まれた通りにアシムを紹介すると、オズマは見ていて哀れになるほど落ち込んだ。
男を女と間違えたことがよほど堪えたらしく、『誰にも言うなよぉ』と口を尖らせてしつこいくらいに繰り返し言った。
反対にアシムは腹を立て、ついでにセティも腹を立てた。
アシムは相変わらず女と間違えられたことに腹を立てたが、セティはアシムに『魅力』で劣っていたことが頭に来たらしい。
「男と女を間違えるあんたの目ってどうかしてるんじゃない。それとも男と仲良くなりたくて助けたの? そういう趣味? あたしだったら情けなくて外を歩けないわ!」
セティはそんな皮肉を、こともあろうか金獅子オズマに向かって吐き続けた。
乱射された皮肉で、少し前に恐るべき強さを見せたオズマがガックリと膝から崩れ落ち、片膝を突いてうな垂れた。
そのオズマの前で両腕を組んで仁王立ちになり、鼻息を荒くして見下ろすセティは、その瞬間だけ大陸一の強者だったかもしれない。
その後でネイがオズマを慰め、馬の背にセティとルーナを乗せてもらえるように交渉をした。
その結果、オズマが力無く頷いたことにより現在に至る。
ネイが振り返ると、オズマは時折大きなため息を付き、フラつく足取りでうな垂れながら着いて来る。
その様子にさすがに気の毒になり、ネイも小さくため息を付いた。
「オズマのことは聖都が近付いてから考えるさ。今は馬を借りられて『良し』としよう」
ネイの頭に先ほど逃げた三人の兵士のことが浮かんだ。
アシムとセティの話では、砂漠国に来たヴァイセン帝国の兵はもっと数が多かったらしい。
そう考えると、先ほどまで追って来ていたのはあくまで『先遣隊』と考えられる。
逃げ帰った三人が『本隊』に事情を話し、さらに警戒を強めて再び追って来ることは容易に想像が出来た。
そのため、逃げた兵士が本隊に合流する前にどうしてもネイは聖都まで辿り着きたかった。
しかしそれにはどうしてもルーナの歩調が足枷となる。
ネイが馬の背に揺られるルーナを見上げたとき、後方からオズマが意外なことを口にした。
「なあ、ちょいと聞くが、後ろから着いて来るヤツらは『連れ』かい?」
その言葉にネイたちは顔を合わせた。
「着いて来るヤツ? 帝国兵以外でか?」
「ああ」
ネイの問いにオズマはそっけなく答える。
ネイはそこで首を捻った。
「間違いなく着いて来てるぜ。さっき俺はあそこからあんた達が追われてるのを見たんだけどよぉ……」
そう言いながら、オズマは小高い丘の上を指差した。
「そのとき、帝国兵のさらに後ろを着いて来るヤツ等がいたんだよ」
「……」
ネイたちが返事をしないのは、自分の発言の信憑性を疑われたと思ったのか、オズマは慌てて言葉を続けた。
「ほ、本当だぜ! 俺は目が恐ろしく良いんだ! 間違いねぇ!」
「どんなヤツ等だった?」
「どんなヤツ? う〜ん……。黒ずくめで……黒いフードか何かを被ってたんだろうな! 顔にも何か被ってやがったのか、見た目はよく分からねぇな」
オズマはそう言って口を『への字』に曲げた。
しかしネイとセティにはその情報だけで充分な驚きを与えた。
「何人だ! 何人いた?」
ネイの豹変振りにオズマは少し驚いた顔を見せたが、その後で『五人』とハッキリとした口調で答
える。
それを聞いたネイはアシムを見たが、アシムは小さく首を振った。
「気配は上手く消してるぜ。だが間違いなく着いて来てる」
ネイの意図を察し、オズマがそう言葉を付け足す。
「一体何なんです?」
アシムはネイとセティの只ならぬ様子に心配気に声をかけた。
「恐らく『暗殺組織』の連中さ。帝国軍の動きを嗅ぎ付けて着いて来てたんだろうよ……」
そのネイの言葉を聞いオズマが感嘆の声を上げた。
「ほお、あれが暗殺者か……。そんな物騒なヤツ等にも追われるたあ、ニィさんたち一体何をしたんだい?」
楽しそうにニヤニヤと笑うオズマに、ネイは何も答えなかった。
「セティ、聖都に着いたら組織の情報を集めてくれ」
小さく言ったネイにセティが肩をすくめる。
「集めるまでもなく、あんたは『渡り鳥』決定よ。アサシンが差し向けられたならね」
「とにかく頼む」
ネイはそう言うと再び歩き出した。
その際、後方を一度だけ険しい表情で振り返った。
暗闇の中、どこかで獣が鳴き声を上げた。
陽もすっかり落ちると、ネイたちは身体を休めるべく野営を張ることとした。
『地下』から出て丸一日、休むことなく追われ続けた為にさすがに疲れが溜まっていた。
「オツラン殿たちは大丈夫だったでしょうか? ビエリのケガの様子も気になりますね」
アシムが焚き火に木をくべながら口を開いた。
「ミューラーも一緒だったんだ、きっと大丈夫さ……」
ネイが揺れる炎をジッと見つめながらそれに答えた。
焚き火の周りには、小分けにされた動物の肉が串に刺さって焼かれている。
それは先ほどアシムが森に入り獲って来た物で、さすがにそういった事には慣れているらしく、森に入ると苦も無く植物と肉を調達してきた。
「しかし暗殺者のヤツ等は一向に襲ってくる気配が無いな」
オズマは肉が焼けた頃合を見計らうと、遠慮もせずに手を伸ばし、熱そうに頬張りながらネイに目を向けて言った。
「あいつ等はこんな見晴らしの良い場所では襲って来ないさ。標的に感付かれちまうからな」
ネイにそう返されると、オズマは肉に食い付きながら周囲を見回す。
小高い丘の上の草地に腰を下ろしているため、周囲が良く見渡せた。
「あいつ等は自分達の身を隠せる場所……例えば人混みや屋内で『仕事』をするのさ」
「なるほどね……だからこんな『目立つ場所』で野営を張ったのかい?」
オズマは早々に肉を食い終えると、指先を舐めながら言う。
「でも人混みなんかでそんな事をしたら、目立って仕方がないんじゃないですか?」
アシムが焼けた肉をルーナに手渡しながら口を開いた。
「それを目立たずに出来るからこそ、あいつ等はそういった場所で『仕事』をするのさ。扱う武器
(どうぐ)もそれ相応に変った物ばかりだ」
ネイはルーナを見ながら返事を返した。
ルーナは両手で串の端を持ち、ジッと肉を見つめている。
「まぁ、何にせよ要は『不意打ち』ってやつだろ? つまらねぇヤツ等だな」
そう言うとオズマはゴロリと仰向けになり、さもつまらなそうに鼻を鳴らした。
セティはそんなオズマをジロリと横目で見た。
「そう言った意味じゃ、あんたのような人間とは正反対の存在ね」
セティにそう言われると、オズマは寝転がったまま片肘を突き、『どういう意味だ』と片眉を上げる。
「アサシンっていうのは『戦う』ことが仕事じゃなく『暗殺』が仕事なのよ。大事なのは命の『奪い方』じゃなく『奪うこと』なの」
「なるほどねぇ……ならやっぱりつまらねぇヤツ等だ」
そう言うと再びゴロリと仰向けになり、目を閉じて薄い微笑を浮かべる。
セティはその様子を見て肩をすくめた。
「ところで、あんたに聖都まで付き合わせちまって良いのかい?」
ネイがそう尋ねると、オズマは目を閉じたまま頷いた。
「俺も聖都に用事があってね」
「へぇ〜……あんたみたいな人間でも聖都に用なんてあるんだ」
セティが膝の上で頬杖を突きながら、意外そうに瞬きを数回した。
その隣でアシムもクスリと笑う。
「俺ぁ、こう見えて信心深いんだよ」
「貴方は名の知れた傭兵なのでしょ? 神に頼らずとも、その『腕』でどんなことでも乗り越えられそうですけどね」
アシムがユピに肉を千切ってやりながらそう言って笑う。
「バカ言っちゃいけねぇな。『腕』で戦場を生き残れるかよ」
『?』
全員が意外そうな顔でオズマを見た。
その様子を横目で見たオズマは、ゆっくりと上体を起こして胡座をかいて笑った。
「いいか、戦場で生き残るのは腕が立つヤツじゃねえ。強いヤツだ」
何が違うのかと三人が顔を見合わせる。
「生き残ろうとする『意思が強い』やつ。そして『運が強い』やつ……それが戦場で大事な強さだ。一対一のお稽古じゃないんだぜ? 腕の差なんざ相手の人数、ほんの少しの不運であっさりと帳消しになっちまうよ。そしてそれが分かってねぇヤツが死ぬ」
そこまで言うと、オズマは顎を上げて胸を張り、自分の胸を親指で指差した。
「その点、俺は意思も運もどっちも強い」
そんなオズマを見てセティが呆れたようにため息を付く。
「三十人の兵士を軽々なぎ払った人間が、腕じゃないなんてよく言うわ」
「ハッハッハ! あれは指揮官が無能だったから楽だった。それにだ、無理強いされたヤツの『強さ』なんてたかが知れてる。そこに自分の意志は無ぇ」
そう言ってオズマはニンマリと笑って見せた。
焚き火に枝を投げ込み、ネイはボンヤリと炎を眺めた。
ネイ以外の者は皆横になり、周囲は静まり返っていた。
ただバチバチと火のくすぶる音だけが聞こえる。
ネイはルーナに視線をやると、ルーナは仰向けになり腹の上で両手を組んで目を閉じていた。
その胸が規則正しくかすかに上下している。
「休まないのですか?」
不意にアシムが上体を起こし声をかけてきたことに驚いて、ネイは慌ててルーナから視線を外した。
もちろんアシムにはネイの視線など分からないのだが。
アシムが起きたことにより、その身体の上に寝ていたユピも起きて鳴き声を上げるが、アシムが人差し指を口に当ててそれを制す。
「なぁ、アシム……聖都に着き、もしそこが本来の自分の居場所だったとき、ルーナはどうするんだろうか?」
ネイはアシムに視線を向けずに声をかけた。
アシムも顔を向けずにそれに答える。
「さぁ? それは私にも分かりません」
「……」
ネイが黙っているとアシムが小さく笑う。
「もし別れが来たら寂しいですか?」
微笑むアシムに、ネイは一呼吸分の間を空けて鼻で笑った。
「まさか、そんなんじゃ無いさ。ただ……ルーナの意思ってやつが気になっただけだよ」
そう言ってネイはもう一度ルーナを見た。
先ほどと変らず胸が上下に規則正しく動いている。
(俺はどうだ? 自分の意志でここまで『来た』んだろうか? それとも本当はただ、キューエルの影に引きずられてここまで『辿り着いただけ』なのだろうか?)
ネイは胸の中で自問自答をしたが、その答えは見つからなかった。
「きっと聖都に行けば何かが分かりますよ」
微笑むアシムの言葉に、一瞬自分の胸の内を見透かされたのかと思いドキリとしたが、ネイは自分を納得させるように頷いた。
「そうだな。ルーナのことはまずは聖都に着いてからだ……」
そう言って頭上を見上げると、ネイの気持ちとは逆に、夜空には雲一つ無い星空が広がっていた。
(聖都に行けば何かが分かるさ)
ネイは声に出さずそっと呟いた……。
つづく
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