3章 背後の殺意
硬そうな髭を蓄えた男が、不躾に顔を覗き込む。
「仕事を探しに? 男二人でか?」
男はあからさまに疑惑の眼差しを向け、目の前に立つ男二人を交互に眺めた。
「へい、そうです! へへへ……」
ギーが揉み手をしながらヘラヘラと答えた。
此処はモントリーブとベルシアの国境。
二人は国境の番兵に怪しまれ、足止めをくっていた。
ギーの笑顔に番兵は鼻を鳴らす。
「流刑地ベルシアの人間が商売ねえ……」
番兵の分かりやすい皮肉の言葉にも、ギーの笑顔と揉み手は崩れなかった。
「……まあいい。通れ」
そう言って番兵は道を空けると、顎で二人に進むように指示をした。
「へへへ……どうも」
ギーがペコペコと頭を下げながら進むと、ネイもその後に続く。
そうして番兵の視線を背中に感じながら、二人はモントリーブの地に足を踏み入れた。
しばらく進むとギーは立ち止まり、得意気な顔を作りネイを振り返った。
「なっ? 俺が一緒で良かったろ?」
まるで一緒にモントリーブまで来たような言い草だが、現実は弱冠異なる。
ギーが勝手にネイの後を着いてきたのだ。
しかし、どうやら本人的にはあくまで『対等』を主張したいらしい。
「だがめずらしいな。検問を張るなんて……」
そう言ってネイは番兵たちの方を一度振り返った。
その姿はすでに小さくなっている。
「ところでネイ。おまえはどこへ向かうんだ?」
「とりあえず『ガラニスタ』へ着いてから考えるさ」
ガラニスタとは国境から最も近く、モントリーブの『窓口』のような街だ。
そのため国外からの来訪者が多く、様々な情報が行き交う。
(とりあえずは情報収集だな……)
ネイはガラニスタの方角の空を見上げた。
三日前とは打って変わり、空は雲一つない綺麗な紅色に染まっていた。
ガラニスタへ二人が着いたときにはすでに太陽は身を隠し、代わって月がその姿を空に見せていた。
様々な国の旅人が集まるこの街は、昼間よりも夜の方がその賑わいを見せる。
通りでは楽器の音色が流れ、夜だというのに女子供の姿も多い。
ベルシアにあるネイの住む街とはまた異なる喧騒だ。
「空きはあるか?」
ネイこの街に着くと、まず寝床の確保をするために宿に向かった。
食事が取れるような宿ではなく、ただ寝る場所を提供するだけの安宿だ。
宿主の男はチラリとネイの顔を見ると、無言で部屋の鍵をカウンターの上に置く。
ネイはそれを受け取ると、代金を払うこともなく割り当てられた二階の部屋へと向かった。
この宿は表手向きは通常の宿だが、その実態はギルドの専用宿舎になっている。
そのため如何なる空き部屋が確保されており、代金も必要ない。
ネイとギーはガラニスタまで来ると、街中に入る前に別行動を取った。
ガラニスタに着いてしまえば、方向音痴のギーもネイと一緒にいる理由がなくなる。
そして何より人の目に付く場所で、ギルドの人間が一緒に行動しているのはあまり好ましくない。
お互いの仕事に支障をきたすことが無いとは言えない。
最も、お互いになぜこの国まで来たのかは知りもしないが。
とりあえず荷物を部屋に置くと、ネイは酒場へ向かうことにした。
情報収集のため……ではなく、純粋に腹ごしらえのためだ。
階段を下り、カウターの上に鍵を置くと宿主が無言でそれを受け取る。
「気をつけな。厄介なヤツが来てる」
目を合わせないまま小さな声でそう言ってきた。
ネイは何の反応も示さず、そのまま宿を出て酒場へと向かった。
酒場に来ると店内はかなりの盛況ぶりだった。
ウエイトレスの女が忙しそうに注文の品を運んでいる。
そしてその女をからかう酔っ払いの男たち。
女の方も慣れたもので、そういった男たちを軽くあしらっていた。
ネイはとりあえず店内を見渡した。
すると店の隅、入り口を見渡せる位置にギーが陣取って食事を取っていた。
だがもちろん挨拶をすることはない。
ギーの方もネイには気付いたはずだが何の反応も示さず、黙々と食事を口に運んでいる。
あくまでもお互い他人同士だ。
ネイは空いてる席の中でも最も奥にあり、入り口が見渡せるであろうテーブルに腰を据えた。
すぐ左側が二階への階段になっている位置だ。
「お兄さん注文は?」
席に着いてほどなくした頃、ウェイトレスの女が注文を受けにやって来た。
先ほどは酔っ払いを軽くあしらっていたが、その慣れた対応とは裏腹に、どうやら思いのほか若いようだ。
ソバカスのある顔に命一杯の笑顔を作っている顔は、女と言うよりもまだ少女といった感じだ。
「そうだな……とりあえず腹に貯まる物を頼む」
「まかせて!」
そう元気良く答えると、少女は小走りに店の奥に消えていった。
娘が消えると先刻の宿主の言葉を考える。
(厄介なやつ?)
ネイは酒場に来る途中、街中のあることが気になっていた。
しばらくネイが物思いに耽っていると、娘が料理を持って戻ってきた。
「どうぞ」
注文を取りに来たときと同じ笑顔を見せる。
料理は湯気の立つスープとパン。それに生野菜だ。
スープには肉やらが多く入っていて、確かにこれなら腹は満たされると思えるものだった。
「なかなか美味そうだな。ところで……」
ネイは街中の気になったことをこの娘に聞いてみることにした。
「ずいぶんと街に兵が多いみたいだが……何かあったのか?」
そう。気になったこととは街中で衛兵らしき者を多く目にしたことだ。
国の中心街なら分かるが、こんな国境付近の街にしては多すぎるように感じていたのだ。
しかし、ネイの質問に娘は小首を傾げた。
「さあ? ……あっ!でも多くなったのはここ最近よ」
「そうか……」
(ギルドのおかしな仕事……最近増えた衛兵……この国で何かあるのか?)
そんなことを考えていたが、娘がまだ隣に突っ立ていることに気が付いた。
「ん? なんだ?」
ネイがそう聞くと、娘はわざわざ回り込んでネイの右隣の椅子に座り、両手で頬杖を付いた。
その瞳は好奇の色を出している。
「おい、一体何なんだ?」
多少さっきよりも声を荒げて聞き返す。すると……
「お兄さん普通の人と違うんでしょ?」
「なにい?」
意表を突かれ、内心は驚いたが表情には出さない。
「どうしてだ?」
「だって、わざわざ遠くの席に座るのは普通の人じゃない。警戒して入り口を見渡せるようにするためだって……」
そう言うと娘は悪戯めいた可愛らしい笑みを浮かべる。
「誰かがそう言っていたのか?」
ネイは首の後ろを掻きながら、苦笑いをして聞いた。
「ううん。そう話かけてみろって」
「?」
「そう言われたの」
「どういう……っ!」
娘の言ってる意味を理解した瞬間にはすでに遅かった。
右隣に座る娘に視線を奪われ、左隣にある階段から人が降りて来ているのに気付かなかった。
いや、通常なら視界に入ってなくても気付けたはずだ。しかし……
「ありがとう、お嬢さん。もう結構ですよ」
ネイの真後ろに立っている男が、ゆっくりとした優しい口調で娘に言った。
そう言われて娘は不安そうにネイとその後方を交互に見る。
ネイの顔に緊張が走っていたためだろう。
「……知り合いなんだよ」
娘の不安を察したネイが、そう言って娘に肩をすくめて見せると、娘はホっとしたように頬を緩めて席を離れた。
「ほぉ〜……なかなか御優しいですねえ」
後ろに立つ男が感心したように言った。
「邪魔だからだよ」
ネイはそう突き放して答えるが、背中には冷たい汗が流れる。
ネイの視界を階段から外すため、娘に右隣に座らせ話かけさせる。
もちろん注意を引くために『普通の人じゃない』などと言わせたのだろう。
しかし、ネイにとって重要なのはそこではなく、ネイに『気付かせなかった』ということだ。
いくら注意を引かれて視界から階段が外れていたとはいえ、後ろに立たれるまで全く気配を感じなかった。
それが最も重要だ。
のんびりとした優しい声だがそれは表向きだけで、その実かなりの腕だということが容易に判断出来る。
チラリとギーの座っていた方に視線を向けるが、すでにそこにギ−の姿はなかった。
「赤い矢ですか? 彼なら私を見て消えてしまいましたよ」
ネイの視線を察したのか、男が小さく笑いを含みながら言った。
「さすがに一つの身体で二人を捕らえるのは無理ですからねえ……キミに絞らせていただきました。ネイ君……いや、鷹の眼と呼んだ方が良いですか?」
そう言い終えると同時に男の殺気が顔を見せた。
それに合わせてネイの緊張も跳ね上がる。
(こいつは……)
ネイは相手が誰だかを察した瞬間に覚悟を決めた。
(片腕くらいはくれてやるさ!)
しかし、ネイが決意を固めて振り返ろうとしたそのとき、鞘に収まったままのサーベルが、ガチャリと音を立ててテーブルの上に投げられた。
背後の人物がサーベルを手放し、争う気が無いことを示したのだ。
「恐いですね。そんなに殺気を向けられたら震えて思わず斬ってしまいそうですよ」
すでに男の気配に殺気は微塵も無い。
男はゆっくりとネイの横を通り、投げ込んだサーベルを掴み上げると、ネイの向かいの椅子に座った。
鷲鼻で頬の扱けた顔。
鼻の下に髭を蓄え、笑顔を浮かべている糸目の中年だ。
そういう表情をすると、ただでさえ細い目がより一層細く見える。
「お久しぶりですね」
そう声をかけてきた相手の目を見据え、ネイは男の名を口にした。
「ミューラー……」
この国、モントリーブで最も厄介な男だ……
つづく