37章 予兆
「いや、本当に参りました。まさかこんな場所で出くわすとは」
ミューラーは細い目をさらに細めながら、苦笑いを浮かべて鷲鼻を掻いている。
「それはこっちの台詞だ。商業国の団長殿が、部下も連れずに『こんな所』で何してるんだよ? それもそんな格好で……」
ネイは弾かれた二本のナイフを拾いながら不機嫌な声を投げ掛けると、向き直って胡散臭げにミューラーの格好を横目で見た。
袋を腰から下げ、背には寝袋のような物を丸めて背負っている。
そして傍らにはさらに大きな袋が置いてあった。
ミューラーは私兵団とはいえ、まがりなりにも一国の『団長』という肩書きだったが、その姿はまるでただの『旅人』『放浪者』だった。
ネイの視線にミューラーは照れ臭そうに笑う。
「いや〜、この国の話は聞いていたんですが、思っていたよりも夜が冷えるもので。そうしたらちょうど地下に入る扉を見つけたんですよ。多少は寒さをしのげるかと思いましてね」
そう言ってミューラーは陽気な笑い声を上げる。
「……そういう意味じゃなくて、この国で何をしてるか聞いてるんだよ」
白々しく笑うミューラーを一睨みして言うと、ミューラーの顔からも笑顔が消えた。
「あなたを捕らえるために追って来たんですよ」
ミューラーが静かにそう言うと、無意識にネイの身体に緊張が走り、背中を冷たいものが流れる。
先ほどまで陽気に笑っていた目の前の人物は、一瞬にしてその身体から殺気を向けてくる。
ネイがゴクリと喉を鳴らし、思わずナイフに手が伸びそうになると、ミューラーは再び白い歯を見せて笑った。
「ですが今は止めておきますよ」
そう言ったとき、すでにその身から殺気は消えていた。
ネイは緊張が解けて小さく息を吐くと、自分の手が汗で濡れているのを知った。
「そういう冗談は止めてくれ。心臓に良くない」
ネイがそう言うとミューラーは愉快そうに目を細める。
「お知り合い?」
不意に背後から声を掛けられ、ネイは振り返った。
二人の様子を見て害は無いと思ったのか、リーゼが岩陰から出てきて不安そうに二人を見ていた。
「まぁ、そんなところさ」
ネイが言うとリーゼは胸に手を当てて安堵の息を付いた。
ミューラーは岩陰から女性が出てきても驚いた様子も見せず、ただニコニコとネイを見ている。
「どうやら私は邪魔だったかな?」
そのミューラーの台詞にネイはムッとした表情を作り、リーゼがこの国の王女であることを付け加えながらミューラーに紹介した。
それを聞き、ミューラーは細い目を見開いて驚きの表情を作ると、慌ててリーゼに向かい深々と頭を下げる。
初めて見ることが出来たミューラーの驚く顔に、ネイは声を噛み殺して笑った。
ロープの先に結びつけたランプが、地面に出来た裂け目の中を徐々に下りていく。
ランプの灯りが裂け目の中を照らすが、まだビエリの姿は確認出来なかった。
ネイはミューラーとリーゼを互いに紹介し、リーゼと一緒にいる経緯を簡単にミューラーに説明した。
そしてビエリが裂け目に落ちてしまったこと。オツランが救援を呼びに言っていることを付け加えた。
ただルーナが今現在、岩陰に隠れていることは伏せておいた。
リーゼもそのことには気付いただろうが、ネイがルーナのことに触れないのに余計な口を挟む事は無かった。
そしてリーゼの願いでビエリの様子を調べるべく、ミューラーは大きな袋からロープを取り出した――
「思ったより深いですね。長さが足りれば良いが……」
「あっ!」
リーゼが突然声を上げる。
裂け目はまだまだ底が見えそうになかったが、その途中、飛び出した岩の上に仰向けに倒れる人影を見つけた。
ビエリだ。
運良くその岩の上に落ち、底まで落ちずに済んだようだ。
そのことにとりあえずネイとリーゼは胸を撫で下ろした。
しかしビエリは一向に動く気配を見せない。
「ここからじゃ良く分かりませんね……。もう一本ロープがあります。降りて様子を見ましょう」
ミューラーはそう言うと同じ長さのロープを袋から取り出し、近くの岩に結び付け始める。
その間にネイは壊れたトロッコの元に行き、添え木に使えそうな木片を数枚探した。
使えそうな木片を見つけて二人の所に戻ると、ネイは「自分が行く」と申し出る。
それを聞いてミューラーは頷き、腰に付けていた袋に包帯と水を入れると、それをロープと共にネイに手渡した。
ネイはロープを腰に結び付け、袋を首から掛けるとうつ伏せになって裂け目に足を入れる。
「気を付けて」
リーゼが心配そうに声を掛ける中、裂け目に身体全体を入れた。
かすかに下から風の流れを感じる。
慎重にロープを伸ばしていきながら、ゆっくりと下へ下へと降りて行く。
一度止まって下を見ると、ランプの灯りに照らせたビエリがさっきよりも良く見えた。
そして息を吐くと再び下へと降りて行った。
ビエリがいる岩が崩れないか、それを確認するように片足ずつそっと岩の上に乗せる。
もし体重を掛けて岩が崩れれば、もうビエリを救うことは出来ない。
緊張しながら少しずつ体重を掛けていき、岩に全体重を乗せた。
しかし岩が崩れる気配は無かった
しばらくそのままジッとしていたが、かなり頑丈なようで、崩れるどころか軋み一つ聞こえない。
ネイは安堵の息を吐いてビエリに近付きしゃがみ込むと、険しい表情でそっと胸に耳を当てる。
その瞬間力が抜けた。
心臓の音が確かに聞こえ、安心したのだ。
それを確認した後、リーゼに向かって親指を立てて見せると、安心したのかリーゼが座り込んでミューラーに慌てて支えられた。
次にビエリを動かさないように身体全体を見ていく。
どうやら左腕が折れているらしく、肘からすぐ下の辺りであらぬ方向を向いている。
あとは頭だ。頭の下に血が広がっているのを見ると、どうやら頭も打ち付けたらしい。
ただ、その程度のほどは確認出来ない。
他にも所々に痣や切り傷があるが、目立った外傷はそれ以外は見当たらなかった。
「ビエリ、ビエリ、しっかりしろ」
耳元で何度か静かに声を掛けると、ビエリの口から小さく呻き声が漏れる。
その途端に少し声を大きくして呼びかけると、ビエリはうっすらと目を開けた。
「アウゥ……」
「俺が分かるか? 大丈夫か?」
ネイがそう聞くとビエリは小さく頷き「ネイ」と答えた。
「そうだ。ネイだ。まったく心配かけやがって」
「アウゥ……ハ」
何かをビエリはモゾモゾと言おうとしている。
「なんだ?」
「リーゼ……ハ……」
「あぁ、大丈夫だ。上で待ってる。お前に感謝してたぜ」
ネイがそう教えるとビエリが小さく笑った。
「どうだ? どこが痛い?」
「ウデ……セナカモ……」
「頭はどうだ?」
「スコシ……イタイ……」
それを聞いてネイは安心した。
少しずつ意識がはっきりしてきたのもそうだったが、頭に痛みを感じながら、そこは『少し』と認識していたからだ。
ケガをしていて痛みを全く感じないよりはよほど良い。
「少し頭を動かすぞ」
ネイがそう言うとビエリは頷いた。
頭を上げるとさすがに多少顔を歪めたが、ビエリが感じた通り出血の割にはさほどの傷ではなかった。
事実、すでに血が固まりかけている。
「また傷が増えちまったな。だが今回のは名誉の傷痕ってやつだ」
ビエリの古傷だらけの顔を見て笑いながら言うと、ビエリも笑顔を浮かべた。
そして水を飲ませてやり、少し間をおくとオツランが助けを呼びに言っているのを伝える。
ビエリの意識が完全に覚醒したのを確認するとネイは言った。
「助けがくるまで岩に寄りかかってろ。そこでだ……ちょっとこれを咥えろ」
そう言って木片をビエリの口に咥えさせた。
「?」
「多少痛むぞ……」
「ガアァ!」
ネイが声を掛けた途端、ビエリが声にならない悲鳴を上げて木片を噛み砕いた。
ビエリの折れた左腕を無理矢理まっすぐに戻したのだ。
「アウゥ……」
しばらく痛みに身悶えした後、涙目で恨めしそうにネイを見る。
「そんな目で見るなよ。お前のために不意を突いたんだ」
ネイは口を尖らせて反論しながら、左腕に木片を添えて包帯で固定すると、ビエリの上体を起こして岩壁に寄り掛からせた。
「いいか。もう少しここで待ってろ。上に戻って様子を伝えてくる。あのお姫さんを安心させてやらなきゃな。本当にお前の心配をしてたんだぜ」
ネイが頭に包帯を巻いてやりながらそう言うと、ビエリは俯いて頬を紅く染めた。
そんなビエリの顔をネイは片眉を上げながら見下ろす。
「ニヤニヤしやがって。気持ち悪いヤツだな」
「アウゥ……」
ビエリは照れ臭そうに頭を掻いた。
「本当に?」
「ああ。ケガはそれなりに酷いが、とりあえず命に別状は無いだろ。本当に頑丈なヤツだよ」
ネイが半ば呆れたように言うと、リーゼは心底安心したように深く息を吐き出した。
「良かったよかった。無事ならば何よりですね。ところでネイ君、ちょっといいですか?」
ミューラーはそう言うと、ネイの同意を得る前からリーゼと距離を置いた場所に歩き出す。
ネイは鼻を鳴らすと、不機嫌な表情でミューラーの元へ歩いた。
「なんだよ」
「とにかく、あの大男君の無事が分かったということで、こちらの用事も良いですか?」
「だからなんだよ」
「単刀直入に聞きます……彼女はどこです」
「さあな」
ネイはミューラーの質問に両手を開いて肩をすくめて見せた。
それを見て、ミューラーはこめかみの辺りを人差し指で掻きながら苦笑いを見せた。
「協力したんだからそれくらい教えてくれても良いじゃないですか」
「どうしてあいつに拘るのか教えてくれたらな。『ズラタンの娘だから』なんて冗談は言わないでくれよ」
ミューラーは大きくため息を付くとガックリと肩を落として頭を振った。
「彼女を連れて行かないと、私はモントリーブに帰れないんですよ」
「どういうことだ?」
「君たちを取り逃がした挙句、まんまと彼女も連れ去られましたからね……大失態です」
「で?」
「だからズラタン卿から一人で連れ戻すように無茶を命じられたわけですよ。『それまで帰って来るな』とね」
ネイは腕を組みながらつまらなそうに鼻を鳴らした。
「だから『番犬』は一緒じゃないのか?」
「番犬? ははは、それはカーク君のことですね? まぁ、そういうことです。彼まで着いて来てしまったら、団員をまとめる人間がいなくなってしまいますからね」
「なるほどね……。それがあんたの拘る理由か?」
「分かって頂けましたか?」
「あんたの理由はな。だけどズラタンが拘る理由をまだ聞いてない。そっちが重要だろ?」
ミューラーは苦笑いを浮かべたまま、再びこめかみの辺りを掻いた。
「はは、勘弁してくれませんか? そこまで言ってしまっては……おや? そこにいたんですか」
「なに!」
ネイは思わずルーナが隠れる岩陰を見た。
しかしそこにルーナの姿は無かった。
ハッとしてミューラーを見ると、してやったりといった表情でニコニコとしている。
「やはりここに一緒にいるんですね? 小さな足跡が一組あったのでそうだと思いました」
ネイは悔しそうに舌打ちをすると、岩陰に向かってルーナを呼んだ。
「……」
岩陰からルーナが姿を現し、真っ直ぐにネイの横まで歩いて来る。
それを見てミューラーは安心したように笑顔を浮かべる。
「で、あんたのお目当ては目の前だぜ? どうするんだ?」
「すんなり引き渡してくれそうもないですし……王女の前ですから今は何もしませんよ。とりあえず無事が確認出来て『良し』とします」
ミューラーはルーナから視線を外さずにそう答えると、真剣な眼差しでネイに向き直った。
「もう少し君に預けておきますよ」
「そりゃどうも」
「ただ、一つ忠告しておきます。彼女を連れている限り追われ続けますよ。私だけではなく他の者からもね」
「どういうことだ?」
「『だから気を付けなさい』ということです。私以外の人間に引き渡されては、困ってしまいますかね」
「……」
ネイはじっとミューラーを見据えたが、それ以上のことは聞き出せないだろうと諦めた。
一見するといつも笑っているような表情をして掴み所がないが、相手の方が一枚も二枚も上手なのは良く分かっている。
そのとき、地上へ繋がる梯子を慌しく降りてくる音が聞こえた。
ネイは驚いてミューラーを見たが、ミューラーは「自分は知らない」と言わんばかりに肩をすくめる。
リーゼもその音を聞き、不安そうに三人の元に近付いて来た。
ネイたちが固唾を飲んで見上げる中、姿を見せたのはオツランだった。
「驚かせやがって」
ネイは安心して笑みを浮かべると、オツランは梯子の途中で何かを言おうとネイたちの方を見た。
しかしそこに見慣れぬ顔があったせいか、オツランは険しい表情を作ると口の動きを止めた。
「ずいぶん予定より早かったな。大丈夫、知り合いだ」
ネイがミューラーを示しながらそう言うと、オツランは一瞬表情を緩めたが、すぐに険しい表情に戻った。
「ネイさん!上にアシムさんとセティさんが待ってます!ビエリさんのことは任せて、早くルーナさんを連れて上がってください」
一気に怒鳴りつけるように言ったオツランの勢いに驚いて、ネイはリーゼと顔を見合わせた。
「おい、オツラン落ち着けよ。一体何が……」
「いいから早く!今すぐ逃げるんです!すぐにヴァイセン帝国の兵士が来ます」
「!」
その言葉にいち早く反応したのはミューラーだった。
すぐにルーナを抱えると走って梯子へと向かう。
そのミューラーの行動には、ネイどころかオツランも驚いたようだった。
「ネイ君!彼の言う通りにするんです!早く!」
「おい一体……ヴァイセン帝国って……あのヴァイセンだろ?」
『早く!』
二人に同時に急かされ、ネイはわけも分からずに梯子へと向かう。
不吉な影は、もうすぐ近くまで迫っていた……
つづく
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