36章 戦術指南
地面に出来た裂け目。その闇の中、ビエリの姿は呑みこまれた。
「ビエリさん!」
……
オツランはその闇に向かい呼びかけたが、返ってくるのはただ沈黙だけだった。
リーゼは青ざめた表情を凍りつかせ、小刻みに震えていた。
ネイは目を見開き、裂け目の奥を凝視するがビエリの姿を確認することが出来なかった。
「……出口を探すぞ」
ネイは立ち上がると冷ややかな口調で言葉を発した。
そんなネイをリーゼは怯えたように見上げ、オツランは驚いたように振り返った。
「な、何を言ってるんですか! ビエリさんを見殺しにするんですか!」
オツランは声を荒げてネイに歩み寄る。今にも掴みかかりそうな勢いだった。
「……」
ネイはオツランの言葉を無視すると、オツランに背を向けて歩き出した。
そんなネイの肩をオツランは荒々しく掴み、振り向いたネイを睨みつける。
「見殺しにするんですか」
もう一度、しかし今度は静かな口調で言うと、ネイは肩を掴んだオツランの手を払いのけた。
「ネイさん!」
「下まで見通せないような高さだ。今は助けられる道具も無い……」
「だから見殺しにするんですか!」
「だから出口を探すんだ。あの『ムクムク』が言ってたろ。トロッコに乗って行けばすぐに出口に着くって」
ネイとオツランが睨み合うのを不安そうに見ていたリーゼだったが、そのとき見た。
握り締めたネイの拳がかすかに震えていたのだ。
「出口を見つけたらお前は一人で城に戻れ。城の近くに出れると言ってたから、お前一人ならそうは時間が掛からないはずだ」
そこまで聞いてオツランもネイの意図に気が付いた。
「急いで助けを呼んできてくれ」
ネイのその言葉にオツランは静かに頷いた。
「で、どうだ?」
ネイがオツランに尋ねた。
「大丈夫です。ここからなら半日程度で戻って来れます」
オツランは周囲を見渡し、自分達のいる場所を認識すると確信を持った声で答えた。
出口への通路ははプドル族が言ったようにすぐに見つけることが出来た。
トロッコが辿り着いた先、その岩陰に上へと伸びる梯子が見つかった。
その梯子を上り、頭上の扉を押し開けると大きな岩と岩の間に出た。
外に出ると陽が落ち肌寒く、空には星が姿を見せていた。
久々に外の空気を吸うことが出来たが、今はそのことを喜ぶ余裕は無い。
オツランは一度ネイに視線を送ると深く頷き、城下町へと歩み始めた。
ネイはそのオツランの背を見送り、一度空を見上げると大きく息を吐くと再び地下への梯子を下りた。
「どうだったの?」
地下へ戻ったネイに気付き、リーゼが心配気に聞いてきた。
「どうやらアリストから北に位置する場所に出たらしい。半日もあれば往復出来るとさ」
リーゼが思っていたよりも近かったのか、ネイが多少おどけたように言うと、それを聞いて表情にも安堵の色が浮かべた。
「様子は?」
今度はネイが問い掛けると、リーゼは力無く首を左右に振った。
「だったら外へ出て空気を吸ってきたらどうだい? 星が出て少し肌寒いが、久々の空気は美味いぜ」
背後の梯子を親指で指差しながら言うと、リーゼはぎこちない笑顔を浮かべてそれにも首を振った。
自分を救って落ちたビエリに責任を感じるのか、ネイとオツランが外へ出るときにリーゼは着いては来なかった。
そんな憔悴した様子を見せるリーゼにネイは意識的に明るく笑いかけた。
「あいつは頑丈なのだけが取り得なんだ。大丈夫さ」
「……私は彼が嫌だったの……」
リーゼがボソリと呟くと引きつった笑顔を浮かべた。
「だってあんな身体をしてるのに、いつもビクビクして人の後ろを着いて歩いて……」
「……」
ネイはそれには何も答えず、ただリーゼを見つめていた。
「見ていてイライラしたわ」
「そうかい」
「だってそうでしょ? 臆病で弱虫だわ……」
語尾は消え入りそうなほど小さかった。
ネイは俯いてため息を付くと、首筋をポリポリと掻いた。
「あいつは臆病じゃないぜ」
「?」
「あんたとオツランがバジリスの尾にやられそうになったとき、俺より早くあんた達の元に辿り着いてたんだ。バジリスクの尾を受け止めようなんてヤツはそうそう居ないと思うぜ」
「……」
ネイの言葉に今度はリーゼが黙って俯き、その手がギュッとズボンを掴んだ。
「大丈夫さ。大丈夫……」
初めをリーゼに、二度目を自分に言い聞かせるようにネイは呟いた。
そんな二人を、ルーナは少し離れた場所から紅い瞳でジッと見つめている。
声をかけ、返事が返って来ない。そして重い空気に包まれる。
そんなことを何度繰り返したのか、時間だけがただ過ぎていく。
それでもリーゼは何度も声を掛けつづけていた。
そのとき後方で地上へ出る扉が音を上げた。
突然のことにリーゼとネイが顔を見合わせる。オツランが戻るにはあまりにも早すぎた。
ネイは立ち上がろうとするリーゼを制すると、唇に人差し指を当てて岩陰に隠れるように無言で指示を出した。
リーゼが岩陰に向かうと、そこに続くリーゼの足跡を消し、ネイはルーナの元へ素早く移動した。
そしてルーナを抱えると、足跡を消しながら自分達も岩陰に身を潜めて灯りを消した。
岩陰からそのまま様子を見ていると、誰かが梯子を下りてくる音が近付いて来る。
その音が近付くにつれネイの身にも緊張が走った。
下りてきた者は灯りを手にしているらしく、かすかに周囲が明るくなる。
どうやら梯子を下りてきたのは一人のようで、後に続く音は聞こえて来なかった。
ネイはそれを確信するとそっと岩陰から相手を覗き見た。
ネイに背を向けているため顔を見ることは出来なかったが、相手は消しきれなかった足跡に気付き、しゃがみこんでそれを確認していた。
するとその人物は周囲を警戒しながら腰のサーベルを抜き、手に持ったランプの灯りを消した。
辺りが再び暗闇に包まれ、相手の場所を確認できなくなるとネイは小さく舌打ちをした。
離れた場所に潜むリーゼが心配だったが、相手の位置が確認出来なくなった以上はヘタに動くことは出来ない。
地上への扉を開けたまま入ってきたらしく、かすかに月明かりが入ってくるが周囲を照らすほどではなかった。
しかしそのかすかな明かりを頼りに、暗闇に目が慣れるのを待つしかない。
先に地下にいたネイの方が相手よりも先に目が慣れるはずだった。
しかしそんな考えを嘲笑うかのように、暗闇の中でリーゼの短い悲鳴が上がった。
どうしてかは分からないが、相手はこの暗闇の中でリーゼを見つけ出したようだった。
考えてる時間は無い。
ネイはまだ闇に慣れぬまま、二本のナイフを抜いて岩陰から飛び出し、記憶と感覚を頼りにリーゼの元へ走り寄った。
リーゼの元へ近付くとボンヤリだが立っている人影が見える。
その大きさからリーゼでは無いと判断すると、迷う事無く右手のナイフで斬りかかった。
左から右へ水平に斬りつけたナイフは相手を捉えることなく宙を斬る。
しかしネイはその勢いのまま回転するように、今度は逆手に持った左手のナイフで斬りかかる。
が、それも後方に飛び退いて上手く避けられてしまった。
一気に押し切るつもりで距離を詰めようとしたとき、ネイの中で警報が鳴り、その足を止めてわずかに身を仰け反らせた。
寸での所で止まると、ネイの顎先をサーベルの切っ先が下から上へ通過していく。
相手は完全に捉えたつもりでいたのか、その攻撃をネイが避けると距離を置いて口笛を鳴らした。
目が徐々に暗闇に慣れてきたが相手の顔は確認出来ない。しかし相手の余裕は感じ取れる。
それでもネイは暗闇なら自分が有利だと自信があった。
どうやら相手は『飛び道具』を持っていないようだが、それが自分には有るからだ。
「その余裕を消してやるぜ」
その言葉に一瞬驚いたように、相手の影がわずかに震えた。
ネイは素早く左手のナイフも右手で持つと、左腕を相手に向かって振りあげた。
捉えた。そう確信を持った。
左腕から放たれたワイヤーの先、楔型の刃は確かに相手の肩を捉えるはずだった。
しかしそれすらも相手は半身になって避けると、一気に距離を詰めてくる。
暗闇の中、避けれるはずの無いものが避けられた。
そのことで完全に虚を突かれた。その隙を相手は見逃さない。
右手に持ったナイフを正確に弾かれ、胸に蹴りを入れられると尻餅を着いて倒れた。
そして喉元にサーベルの切っ先を突きつけられる。
「参考までに言っておきます。勝ちを確信するのは完全に相手を仕留めてからにした方が良い」
そう言われてネイは目を見開いた。
「それともう一つ。こういう状況では不用意に声を掛けないこと。声で何者か知られる恐れがある。何者か知られれば、何を仕掛けてくるかも知られる恐れがある。そうなったらせっかくの不意打ちも台無しになる」
ネイは苦笑いを浮かべた。
「それにしても良く見えたな」
そのネイの言葉に相手は小さく笑った。
「見えませんよ。しかし何をするのか分かっていれば、相手の輪郭を見て避けることは出来ます。あとは縦の攻撃か横の攻撃かだけです。縦なら、平面的に見れば結局は直線軌道なので尚のこと避け易い」
「参ったよ、完敗だ。……で、俺をどうするんだ?」
「それについては私も困ってますよ」
そう言うとサーベルを喉元から外して鞘に収め、腰に付けた袋から小型のランプを取り出した。
そしてランプに火を灯すと周囲が明るくなり、相手の姿もはっきりと見える。
ネイの思った通りの人物だった。
相手が声でネイだと気付いたように、ネイも相手が最初に声を発したときに気が付いた。
ネイを見下ろしながら、苦笑いを浮かべてポリポリと鷲鼻を人差し指で掻いている。
「本当に困りましたね。こんなところで出くわすとは……」
そう言いながらネイに手を差し出して来る。
ネイはため息を付き、素直にその手を掴むと立ち上がった。
「それはこっちの台詞さ。よその国まであんたの管轄ってことは無いだろ? ミューラー団長殿」
ミューラーはそう言われると、元々細い目をさらに細めて笑う。
地下にミューラーの陽気な笑い声が響いた……
つづく
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