35章 ビエリの選択
オツランは箱を見下ろし肩を震わせる。
箱の中には一杯に詰められた黒い種のような物があるだけだった。
ネイは不思議そうにその黒い物体とオツランの顔を交互に眺めた。
「クプラの種……」
いつの間にネイの背後まで来ていたリーゼが呟くように言う。
「タカラ…コレ?」
ビエリもネイ同様に『なぜこんな物が?』という表情を浮かべた。
「これはあの白い花の種なのか?」
「ええ、そうよ」
「ほぉ〜……で、なんでこんな物が宝なんだ? この国じゃめずらしくもない花なんだろ?」
その言葉にリーゼも答えられずに困惑の表情を浮かべた。
「『当たり前』を当たり前として受け入れている者にはその価値が分からないノダ」
「?」
ネイとビエリは顔を合わせて首を捻る。
「この砂漠の国で始めから花が咲いていたと思うだベシ? そんなわけないだベシ」
「それをお前たちが『当たり前』のように見れるのは、先人たちの血の滲むような努力があってこそダス」
「『当たり前』の素晴らしさに気付かぬ者、先人の偉業を忘却する者に王の資格は無いダス」
胸を張ってそう言う三体に、ネイは肩をすくめた。
「ハフランがお前たちの街に多くのクプラを植えたのは、バジリスクを傷つけずにその危険から身を守るためなノダ」
「しかし砂漠で花を咲かせる苦労がお前たちには分かるだベシ?」
「バジリスクを殺めることをせず、その為に苦労を受け入れられるハフランは偉大な王なノダ」
「お前たちに出来るダスか? 自分たちのためだけではなく、他の種のためにも苦労を受け入れることが」
……
ネイたちは誰も答えなかった。
「ハフランはクプラの花が全滅したときのことを考え、人と他の種のために後世にこの種を残したノダ。共存を願って……」
「これ以上に尊い宝がどこにあるだベシ?」
「……」
リーゼはオツランに歩み寄ると、そっとオツランの肩に手を置きしゃがみ込む。
「この宝は置いていきましょう」
オツランはリーゼの言葉にコクリと頷くと立ち上がった。
「持っていかないダス?」
「僕はハフランの宝を貰いましたから」
涙を拭いながら微笑んだオツランに、三体は満足そうに目を細めた。
プドル族が総出でオツランとリーゼの前に立ち並ぶ。
「本当に良いだベシ?」
「もう一晩くらい休んで行ったら良いノダ」
その申し出にオツランは苦笑いを浮かべた。
「大変ありがたいですが、早く帰らないと皆が心配すると思うので」
そう言われると三体も何も言い返せず、ただ残念そうな表情を作る。
その表情を見てオツランは微笑んだ。
「またいつでも会いに来ますよ」
「そのときは立派な王になってるベシ」
「努力します」
オツランは右手を胸に当てて深々と頭を下げた。
「おい、早くしろ!」
オツランたちが別れを惜しんでいると後方からネイが叫んだ。
そのネイに三体が冷ややかな視線を送る。
「……王たる者、付き合う相手も選んだ方が良いノダ」
その言葉にオツランとリーゼが吹き出した。
「それも考えておきます」
そう笑いながら言って右手を差し出すと、三体は順番に小さな手でそれを握り返す。
リーゼにはヨタヨタと幼いプドル族が歩み寄り、太腿にしがみ付いて頬擦りをしている。
そうやって別れの挨拶を済ますと、オツランとリーゼもネイたちの元へ向かった。
「やっと来たか。早く乗れよ」
ネイが待ちくたびれたように皮肉を言うと、オツランとリーゼも『トロッコ』へと乗り込んだ。
三体の言うところによると、そのトロッコに乗れば城下街の近くまで辿り着けるらしい。
乗った後にトロッコを見回しながらリーゼが不安そうな表情を浮かべた。
「本当に大丈夫なのかしら?」
リーゼが心配するのはもっともで、トロッコはかなりの大きさがあったが、所々が錆付いていて、長い時間使われていないようだった。
「こんな楽な物があるのに歩いて帰るなんてごめんさ」
ネイが片目を瞑って余裕を見せるが、リーゼの表情が晴れることは無かった。
それを見てネイはつまらなさそうに鼻を鳴らすと、「じゃあ行くぜ」と短く言って横のレバーを上へ引き上げた。
トロッコがゆっくりと下りのレールを進み始める。
オツランは一度振り返ってプドル族に手を振ると、プドル族も全員が飛び跳ねながら力いっぱい手を振り返してくる。
「ジン・ギース・カーンか……最後まであいつ等の区別が付かなかったな……」
ネイの呟きにビエリが頷いて同意する。
「それに骨折り損だったしな」
ネイが小さくなっていくプドル族を見ながら言うと、オツランは首を左右に振った。
「いいえ。素晴らしい物を貰いましよ」
「そうか? 何と言おうが、結局はたかが種だぜ?」
「その『たかが種』を彼等は守り続けてくれたんですよ。種を残したハフランの気持ち、その気持ちを想って守り続けた彼等の心。僕にとってはそれこそが何よりの宝です」
まだ手を振っているオツランの言葉に、ネイは顔を思い切りしかめて前を向いた。
「キャー!」
リーゼの大きな悲鳴も、アッと言う間に後方に流されていく。
「これは……なかなか……」
ネイも顔を引きつらせていた。
最初は緩やかな動きを見せていたトロッコは、徐々にその速度を増してレールの上を進んでいた。
「こ、これは……少し……速過ぎませんか!」
「ウプ……キモチワルイ……」
加速しながら上がり下がりを繰り返すトロッコの動きで、臓器が浮く感覚になって気分が悪くなってくる。
ルーナはレールの上下に合わせ、正座をしたままの格好で身体を浮かせている。
「途中で減速すると……辿り着かないって……あいつ等言ってたぞ!」
途切れ途切れになりながら必死に言葉を吐き出す。
「しかしこれでは辿り着く前に……うおぉ!」
オツランの言葉の途中、全員が一斉に頭を下げた。
飛び出した岩が頭上を猛烈な勢いで通過していく。
ホッとしたのもつかの間、今度はすぐ先でカーブが待ち構えていた。
「掴まれぇ!」
必死にネイが叫び、全員がトロッコにしがみ付く。
カーブに入ると車輪が激しい火花を散らし、片輪を完全に浮かせた状態になった。
リーゼが上げる悲鳴の中、ネイとオツランが必死に浮いた側に体重を掛けた。
その行動が項を奏し、車輪は数度跳ねると再びレールの上に接地してなんとかカーブを通過する。
ネイとオツランが真っ青になりながら肩で息を吐いた。
リーゼは頭を抱えて弱々しく泣き、ビエリはルーナを抱きしめながら震えている。
しかしそれでもトロッコは速度を緩めることはない。
「減速しましょう! 間違いなく死にます!」
ネイも今度は反論せずに素直に頷いた。
這いながら中央に取り付けられたレーバーにしがみ付き、それを前から後ろへ動かそうとする――が、しかし動かない。
レバー全体が錆付いていて、全く動かない。
「何をしているんです!」
「動かなねぇ……っ!」
それを聞いてオツランも手を貸すが、二人掛かりで力を込めてもビクともしない。
「ビエリ! 手を貸せ!」
今度は三人掛かりで力を込める。
そのとき鈍い音と共に突然抵抗が無くなり、三人の身体が後ろに転がりそうになった。
「キャー!」
それを見てリーゼが再び悲鳴を上げた。
ただ、リーゼの視線は三人ではなく後方に注がれていた。
後方ではレールの上で何かが跳ねている。
レバーだ。レバーが宙に舞い、後方に飛んでいってしまった。
『……』
三人は呆然とレバーが『あった場所』を見ている。
錆付いたレバーは途中から折れ、すっかり見る影を無くしていた。
「あなた達バカでしょ! 壊してどうするのよぉ……取ってきなさいよぉ……」
リーゼは前半部を悲鳴に近い叫びで、後半部を泣き崩れながら言った。
ネイは左右を確認するが、ちょうど谷の部分に差し掛かっていてとても飛び降りられる状況ではなっかった。
「あぁ、レールが……。前を見てください!」
オツランが絶望の声を上げながら前方を指し示した。
「っ!」
前方を見た途端、他の者にも絶望の色が浮かぶ。リーゼなどはイヤイヤと頭を振って半狂乱状態だ。
終着点が近付き、谷を越えた先にはレールの終わりが見えていた。そしてさらにその先には岩壁が……。
ネイは慌ててルーナを押し倒し、その上に覆い被さるようになって叫んだ。
「ビエリ! お姫さんを頼む!」
そう言われてビエリもネイと同じ行動を取ろうとするが、完全に混乱しているリーゼはビエリをポカポカと叩いて逃れようとする。
それでも無理矢理押さえ込み、身体全体でリーゼを隠すように覆い被さった。
「ちくしょう! あのムクムク共! 生きて会えたらブン殴ってやる!」
ネイが恨み言を叫んだ直後、激しい振動と音を上げながら、トロッコはレールを飛び出した。
加速していたトロッコは、急激な地面との摩擦で前のめりに傾き、そこに乗っていた者たちを宙へ投げ出した。
ネイはルーナを抱えたまま砂地に叩きつけられ、そのまま後ろ向きに転がりながら岩壁に背中を打ち付ける。
「ぐぅ〜……いてぇ……!」
背中に受けた衝撃に顔を歪めていると、トロッコが地面を跳ねながら眼前に迫ってくるのがハッキリと見えた。
「うわぁ!」
ルーナを抱えたまま地面を転がり、横に避けるとトロッコは大きな音を上げて岩壁に激突した。
ルーナに覆い被さったネイの頭に砕けた木片がバラバラと落ちてくる。
少しの間そのままでいるとゆっくりと頭を上げた。
「いってぇ〜……」
木片が当たった頭と打ちつけた背中の痛みに顔歪めるが、どうやらルーナは無事のようで、下からジっとネイを見上げている。
ゆっくりルーナから上体を起こすと、ネイは周囲を見渡した。
ネイたちの少し手前ではオツランがうつ伏せで倒れていたが、頭を振りながら上体を起こし始めた。
どうやら無事のようだ。
だがビエリとリーゼの姿が見えない。
「ビエリ! どこだ!」
ネイの叫びでオツランも状況を把握し、慌てて周囲を見渡す。
「姉さーん!」
……
オツランも叫ぶが返事は無い。
二人の顔に焦りが見えたときかすかな声が耳に入ってきた。
それは小さな声だが確かに助けを呼ぶリーゼの声だった。
ネイはルーナにじっとしているように言うと、オツランと一緒に声のする方へ駆け寄った。
するとそこに二人は確かにいた。
地面の裂け目に落ち、ネイたちの場所からわずかに下、ビエリが右手でぶら下がり、左手でリーゼの手首を掴んでいた。
「ビエリ!」
「姉さん!」
それを見て二人がほぼ同時に声を上げた。
ビエリは肋骨が痛むらしく、声を上げることも出来ずに顔歪めながら必死に岩にしがみ付いていた。
「待ってろ!」
二人はビエリを引き上げるべく、周囲を見たが使えそうな物は見当たらなかった。
ビエリの様子を見た限り、そうそう長くはあの状態で持ちそうに無い。
二人を焦りの気持ちが支配する。そこで再びリーゼの短い悲鳴が聞こえた。
オツランは急いで駆け戻り、滑り込むようにして裂け目を覗き込んだ。
「大丈夫ですか!」
ビエリはまだ耐えていたが、岩を掴んだ右手がすでに震え始めていた。
「ビエリ! もう少しがんばれ!」
ネイが励ますとビエリはネイの顔をじっと見返し、その顔に何らかの決意の色を浮かべた。
直後、ビエリが全身に力を込めて身体を捻る。
「ガァ!」
短い声と同時にリーゼの身体がフワリと浮いた。
投げ上げた……ビエリは右手でぶら下がったまま、身体を捻ってリーゼを投げ上げたのだ。
リーゼの身体がネイたちの場所まで浮くと同時に、ビエリの右手が岩から剥がれた。
オツランとネイは浮き上がったリーゼの身体を抱き止めると、すぐさまビエリを覗き見る。
しかしすでにビエリの姿はそこにはなかった……
つづく
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