30章 三位一体
振り上げたハンマーが鈍く光る。
ビエリはそのハンマーを草を刈るように力一杯に振り下ろした。
ハンマーを叩き付けた壁は激しい衝撃音と共にガラガラと崩れ落ち、床から膝の高さあたりまでの穴がぽっかりと開いた。
そして、崩れかけている部分をビエリはハンマーの柄で突いて落とす。
ビエリがある程度作業を終えると、ネイが屈んで穴を覗き込む。
多少狭いが、屈めばなんとか通り抜けられそうだ。
「よし、まずは俺が行こう」
ネイはそう言うと、腕まくりをして身を屈める。
そのまま這うように前進するが、壁の厚さが思っていたよりもあり、なかなか抜けることが出来ない。
壁の厚さを考えると、どうやら崩れた部分だけがそうなり易いように造られていたようだ。
なんとか壁を抜けると、立ち上がって服に付いた砂を落としながら周囲に目をやる。
そこは、地下で最初に見た部屋以上の広さを持った空間になっていた。
ただ今までの場所と違い、あまり人が手を加えた形跡は見当たらない。
壁も剥き出しの岩のままで、足元は砂と土で波打っていった。
頭上を見上げても、遥か高くにゴツゴツした岩が見えるだけだ。
そして、広間の中央あたりには緑の草が生え、そこに白い花が無数に咲いていた。
その部分だけに上空から光が降り注ぎ、薄暗い空間で浮かび上がって見える。
それと同時に、その光で灯りが無くとも、なんとか周囲を見渡せる程度の明るさを保っていた。
ネイがそうして周囲を観察していると、壁の穴からモゾモゾと銀色の髪が出てきた。
どうやらルーナがネイの次に壁を抜けてきたようだ。
ネイはそれに気付くとルーナに手を貸し、穴からその身を引っ張り出した。
ルーナは横に立つと、ジッと花が咲いている辺りを見つめる。
リーゼ、オツランも続いて壁を抜けて来た。
ビエリはその巨体故にかなりの苦労を要したが、三人で引っ張りなんとか通り抜けることが出来た。
「最初に見た部屋も見事ですが、ここはここでまた違った意味で見事ですね」
花咲く場所に立ちながら、オツランが感想を漏らした。
「この花は?」
ネイがしゃがみ込み、花にそっと触れてリーゼに尋ねた。
リーゼは膝に手を置き中腰になって覗き込む。
金色に近い栗色の髪が肩から流れ落ち、甘い香りがネイの鼻腔をくすぐる。
「これは『クプラ』ね……この国では最も有名な花よ」
「水は? この花が咲くにはそれなりに必要だろ?」
「ええ。通常の花と同じように、水がなければ枯れてしまうわ」
「……」
リーゼの答えにネイは花を見つめたまま険しい表情を作った。
「どうかした?」
リーゼが中腰の格好のままネイに顔を向ける。
「いや……だったら、水はどこから来ているのかと思ってね」
そう言いながらネイは立ち上がって周囲を見回す。
薄暗さに目もすっかり慣れ、周囲の状況を把握することは容易だ。
やはり、水の類は見当たらない。
「……たしかにそうですね」
オツランも同じように周囲を見ながらネイに同調する。
オツランがそのまま視線を切り立った岩の上に移したとき、そこから鈍い光を放った物が飛んで来るのが見えた。
「っ!姉さん危ないっ!」
オツランがリーゼに手を伸ばしたが、ネイが飛び込んで押し倒す方が早かった。
ネイがリーゼと共に倒れ込むと、リーゼが立っていた場所に鉄製の『三叉のフォーク』が勢い良く突き刺さった。
オツランはリーゼの無事を目で確認すると、腰に差した幅広曲刀を引き抜き、岩の上を鋭く睨む。
「誰だ!出て来い!」
しかし、相手は姿を見せるどころか返事さえもしてこない。
ネイとビエリも、それぞれリーゼとルーナを背にして武器を構えた。
「中央はまずい。狙い射ちにされるぞ」
ネイが小声でそう言うと、オツランが小さく頷く。
そして周囲を警戒しながらジリジリと壁際まで後退した。
壁際まで来るとリーゼとルーナを中心にし、ビエリを先頭に三人で壁を作る。
「出て来い!」
もう一度オツランが叫んだとき、岩の上で何かの影が動いた。
「あそこです!」
その場所をシャムシールで指し示すが、相手の動きが素早く、岩場の陰から陰へと移動してその姿を捉えることが出来ない。
「こっちにもいるぞ!」
ネイも叫び声を上げた。
オツランが差した場所とは真逆に位置する岩場でも、同じような動く影を確認出来た。
「くそっ!最低二人はいやがる!気を付けろ!」
オツランがゴクリと喉を鳴らし、ビエリは小刻みに肩を震わせる。
「あなた……震えてるの?」
ビエリの巨体に隠れたリーゼが、その背を見て心配気に声をかけた。
「アウウ……」
情けない声で返事とは言えない返事をする。
『来た!』
ネイとオツランの口から同時に同じ言葉が発せられた。
左右の岩場の陰から、二つの影が挟み込むように同時に飛び出してきたのだ。
どちらの影も小柄で、闇に溶け込むような漆黒のフードを頭から足元まですっぽり被る。
そのおかげで容姿を確認することは出来ない。
二つの影はフードをなびかせながら信じ難い速度で間合いを詰め、ネイとオツランに同時に襲い掛かった。
耳を突くような金属のぶつかり合う音が、同時に二つ周囲に響き渡る。
「このっ!」
「くっ!」
ネイとオツランが同時に、相手の攻撃を手にした武器で受け止めた。
一撃目が防がれたとみるや、二つの影は風車のように回転しながら後方へ飛び退いた。
ビエリはどちらに手を貸して良いか分からず、オロオロと交互に顔を向けるだけだ。
「っ!ビエリ、前だっ!」
ビエリがネイの叫びに反応して前方に視線を戻すと、鈍い光を放つ何かが目に飛び込んできた。
それは放物線を描きながらビエリに向かって来る。
「ウグッ!」
ビエリは慌てて身を仰け反らせながら、飛んできた物をハンマーでなぎ払う。
ガチャリと音を立てて地面に落ちたのは、先刻の物と同じ造りの『フォーク』だった。
「三人目……ですか」
その落ちたフォークを横目で確認し、再び正面の相手を睨みつけながらオツランが呟いた。
その直後、ビエリの正面にある岩場から、前方に回転しながら三体目が飛び降りてきた。
ヒラリと地面に着地し、フードの隙間から小型直剣のような物を覗かせる。
「まいったな……一体このチビ助たちは何者だ」
周りを囲むように立つ三人は、ネイの腰程度しかない小柄な身体だった。
その小柄な身体がユラユラと左右に揺れたかと思うと、信じ難い早さで横移動を始め、互いの立ち位置を変えながら徐々に間合いを詰めて来る。
「ちょこまか動きやがって!的が絞りづらいぜ」
「いくら動こうが、三対三に変りはありません!」
「アウゥ……」
ビエリが情けない声を上げたとき、三体が一体となりビエリの前で止まった。
正確には、一体になったと錯覚するど、三体はピタリと一列になったのだ。
そしてそのまま一気に直進してくる。
どうやらビエリの怯え方を見て狙いを定めたらしい。
「こいつ!」
ネイとオツランがその動きを察知し、ビエリの前に素早く移動して壁となる。
しかし、相手は怯むことなく突進してくる。
そのままネイたちの直前まで来たとき、二体が再び左右に分かれた。
一体足りない―――もう一体が、完全に視界から姿を消していた。
しかし考える間も与えず、二体は左右から同時に攻撃を仕掛けてくる。
ネイとオツランが再びその攻撃を受け止めたとき、ネイに仕掛けてきた相手の背後、そこから身を隠していたもう一体が真上に飛び出した。
そのままネイとビエリの頭上を飛び越え、空中でリーゼとルーナに狙いを定める。
「このっ!」
ネイが左手のナイフを素早く手放し、振り返りながら左腕を空中の相手に向かって振り上げる。
左手首にあるブレスレットから放たれたワイヤーが、無防備だった空中の相手を捕らえた。
さすがにその攻撃には面食らったらしく、空中でバランスを崩す。
だがそのまま落下することはなく、バランスを崩しながらも岩壁を蹴ると、その反動を利用して距離を取りながら着地する。
三体が再び一箇所に集まった。
だがその一体は、ネイのワイヤーによって身に纏ったフードを絡め取られていた。
フードにより隠されていたその姿が露になる……。
「な、なんだこいつ等は……」
相手はフードの下に革製胸当を身に付けていた。
しかし、ネイが絶句したのはそれが理由ではなかった。
問題は、レザープレートを身に付けた身体の方だ。
短い手足にずんぐりむっくりの体型で、頭が大きい三頭身。
目は真っ黒で、低い鼻先も黒かった。
頭の高い位置にある二つの丸い耳は、ピクピクと小刻みに動いている。
それだけでも異質だが、決定的に人間と違うのは、頭の先から足の先まで柔らかそうな茶色の巻き毛で覆われていることだ。
「ユピの親戚か?」
ネイの口から思わずそんな感想が漏れる。
「か、可愛い……」
リーゼが目を潤ませながら呟いた。
そんなネイたちの視線を受けながら、三体は何かゴニョゴニョと相談を始めると、頷き合って横一列になった。
そして、残りの二体もフードを同時に脱ぎ棄てる。
フードの下から現れた姿は……先の一体と全く同じだった。
「我はジン!」
「我はギース!」
「我はカーン!」
中央から始り、向かって右・左と順にポーズを取りながら名乗りを上げる。
『我等、王の宝の守護者!』
同時に声を発し、それに合わせてポーズを変えるとそのまま動きを止めた。
「……」
ネイたちは呆気に取られ、口をあんぐりと開けたまま動くことが出来ない。
「喋ったわよね……」
「ああ……。それもビエリより上手く……」
「アウウ……」
「それに、王の宝と……」
完全に戦意喪失したネイたちは立ち尽くしたまま呆然とし、前方の奇妙な生き物をただ見ていた。
「遺産を荒らす不届き者なノダ」
「成敗するダス!」
「覚悟するベシ!」
戦意満々の三体は、再びポーズを変えてネイたちを威嚇する。
対峙するネイたちの頭上で、岩に張り付いた影が蠢く。
三体の奇妙な生き物がネイたちに挑み掛かろうとしたとき、その影も岩からその身を離した。
真下に見える獲物の群れを捕らえるために……
つづく