20章 盗賊の流儀
ガラガラと荷馬車は揺れる。
クレスタから逃げ出して丸三日、ネイはひどい熱にうなされた。
その間に様々な夢を見た気がするが 良い夢だったか、悪い夢だったか、それさえも憶えていない。
アシムが運転席から荷台に顔を覗かせる。
「傷は大丈夫ですか?」
「あぁ……」
ネイは気の無い返事をしたが、アシムは気にした様子もなく笑顔を見せるとその顔を引っ込めた。
「デネ…オレ…コウシテ…」
ビエリはネイの横で身振り手振りを交えながら、熱を帯びた顔で嬉しそうに自分の大立ち回りを説明する。
目を覚ましてから計八回もこの話を聞かされ、これで九回目だった。
肩の傷はアシムの持っていた薬草のおかげでなんとか血が止まった。
しかし、まだ動き周る元気がまだ無いため、ビエリの一人芝居から逃れることが出来ない。
うんざりとした顔をし、ユピの食べている果実を取り上げるとそれに噛り付いた。
果物を取られたユピが抗議の鳴き声を上げる。
「ここからは歩きになりますが大丈夫ですか?」
森に差し掛かったとき、アシムがネイに声をかけた。
「ああ、どうってことない。ところで……」
横目でセティを見やる。
「ん? なによ?」
「おまえ……もう帰れよ」
ネイがそう言うと、セティは目を吊り上げた。
「あんなに派手に暴れて、しばらく戻れるわけないでしょ!」
噛みつかれるかと思うくらい顔を近づけて怒鳴りつける。
牙が生えてきてもおかしくない勢いだ。
思わずネイもその勢いに仰け反ってしまう。
「ドウシタノ…?」
荷馬車から二匹の馬を離していたビエリが、アシムの様子に気付いて声を掛ける。
アシムの表情が険しくなっていたのだ。
「……森の様子がおかしいです」
「どういうことだ」
ネイもアシムの横に立って森を眺めるが、コレと言って変化は無いように思う。
「ネイ、これ見て!」
セティの呼びかけに傍まで行き、セティの指差す場所を見る。
「どうしました?」
「……枝が折られてる」
「どういうことです?」
「誰かが森に入ったってことさ」
ネイとセティの立った場所から森の奥へ、鉈か何かで枝を切り落とされた形跡が一直線に伸びている。
「しかも……かなりの数だ」
地面には踏みしめられた落ち葉の跡が帯のように続いていた。
「嫌な予感がします。急ぎましょう」
アシムがめずらしく焦りを見せ、ネイたちは森の奥へと歩を進めた。
「凄いな……こんな具合になっていたのか」
初めて集落への入り口を見て、ネイは感嘆の声を上げた。
集落への入り口は少しずつ、本当に少しずつ高くなっていく丘に掘られた大きな穴だった。
そしてその丘は周囲の風景に溶け込み、傍目からは穴を見なければ、そこが丘になっていることさえ気付かないだろう。
緑一色の景色を上手く利用し、目の錯覚を起こさせる見事な作りだ。
「なに? ネイもここに来たことなかったの?」
セティが馬の鼻梁を撫でながら、もっともな疑問を口にした。
「……」
ネイは無言で下唇を突き出す。
信用されずに目隠しをされていたから、とは言いたくなかった。
そんなネイを尻目に、アシムは馬を引きながら急ぎ足で穴へと入った。
本当は走り出したい気分だが、そうしないのはネイに合わせているからだ。
穴を抜けて少し進むと、ネイも見慣れた集落の門が見えてくる。
しかしすぐには近寄らず、アシムは立ち止まって神経を集中させた。
「……」
「どう?」
横から尋ねたセティに、アシムが安堵の笑顔を見せた。
「大丈夫みたいです。おかしな気配は感じませんでした」
その言葉にネイも胸を撫で下ろした。
ネイたちが門をくぐると、まず門の近くで洗濯をしていた女がそれに気が付いた。
しかし、その女は慌てて集落の奥へと走って行ってしまった。
おそらく、ジュカを呼びに行ったのだろうが、その慌てぶりがネイには気になった。
同時にアシムとビエリも異変を感じたようだ。
集落の人間がまるで気を使うように、誰も近寄って来ない。
子供たちでさえそうだった。
「ひゃ〜…凄いわねぇ……」
唯一異変に気付いていないセティが、集落の景色に驚きの声を上げている。
ほどなくすると、ジュカが自分の部屋から姿を見せ、ネイたちに上がってくるように手招きをしてきた。
やはり何かあったのだと察し、アシムは険しい表情でジュカの元へと向かった。
「なに! モントリーブの私兵が?」
ジュカの部屋の中、ネイの驚く声が上がる。
「うむ。そう言っておった。どうやこの森を知る者がいたらしい……」
聞かされたのは、モントリーブの私兵が多勢でやって来て、ルーナを連れて行ったということだった。
ちょうど行き違いになったらしく、おそらくモントリーブの私兵団が一時的にその数を減らしていたのは、この森に来ていたことが原因だったらしい。
ネイはクレスタでカークを見たときに感じた、釈然としない感覚を思い出した。
カークが自分たちの前に姿を見せたとき、尾行されていると気付いたが、それと同時に『ならどうして姿を見せたか?』という疑問が頭に浮かんでいた。
まるで、揉め事の仲裁に仕方なく出てきた風を装っていたが、そんなものは他の団員に任せれば済んだことだ。
なにも尾行している人間が、その姿を見せてまで仲裁に入る必要ない。
では、なぜ姿を見せたのか……
考えられることは、カークが尾行してきた理由は、キューエルを捕らえるためではなく、あくまでも『キューエルを捕らえるために監視している』と思わせるためだったのではないか?
それは、自分たちの狙いはあくまでもキューエルだと思わせ、ルーナへの意識を薄れさせるために……
そこまで考え、ネイは自分の迂闊さに腹が立った。
ミューラーたちはルーナも狙っていた。
それは分かっていたはずなのに、まんまとしてやられてしまった。
「すまんかったのお」
ジュカはルーナを無抵抗で引き渡したことを詫びた。
さっきの集落の人間たちの態度も、おそらくジュカと同じ気持ちからだろうと解釈した。
「別にいいさ。あんたたちは巻き込まれただけなんだから」
そう言いながらネイは肩をすくめて見せる。
その仕草で左肩に激痛が走り、思わず顔を歪めた。
「で、そのルーナって子はどうするの?」
セティが口を開いた。
「放っておくさ」
気の無い口調でそう言うと、アシムが訝しげな顔を向ける。
「なんですって? 放っておく?」
「ああ。元々あいつはズラタンの所にいたらしい。元の場所に戻ったんだから、後は俺たちがどうこう言ことじゃないだろ?」
「ズラタンねえ……」
セティは意味ありげに呟くと、横目でネイを見た。
その視線に気付いたが、ネイは視線を合わせはしなかった。
そのネイの態度に、セティは両手を開いて首をすくめる。
「それに……これで俺も厄介事とおさらば出来る。元の生活にやっと戻れるってわけさ」
「アウゥ……」
ビエリも何か言いたそうに、上目遣いでネイを見ている。
「それでいいんですか?」
「あぁ……問題ない」
ネイがそう言うと、それ以上誰も口を開かなかった。
「そう言うおまえも利用したんだよ」
鉱山跡地。キューエルがネイに向かい、ルーナについて吐き棄てた言葉。
その声が頭の反響する。
ベッドの上で仰向けになりながら、ルーナのくれた御守りを、顔の上でブラつかせて眺めていた。
そのとき不意にドアが開いた。
ネイは慌てて手に持ったものを隠してドアの方を見ると、ジュカが杖を突きながら部屋に入っくる。
「入るぞ」
「バアさん……そういう台詞は入る前に言えよ」
ネイは苦笑しながら起き上がり、ベッドに腰掛けた。
そしてその横にジュカも腰掛ける。
「効果はあったか?」
「……何がだ?」
何のことかは分かったが、そのことに敢えて気付かぬフリをした。
しかし、ジュカは何も言わず、ただ目を細めて視線をネイの右手に落とす。
右手には御守りが握り隠されている。
ネイは右手を開くと再び苦笑し、首の後ろを掻いた。
「まあまあだったよ」
「ホエッホエッホエッ」
ネイはジュカの方が一枚上手だと自覚し、小さく笑った。
「殺せんかったじゃろ?」
それは、ネイが集落を出る前日、ジュカに言われた台詞だった。
「いいや……俺が殺った」
「ホエッホエッ、誰がおまえのことだと言った?」
ネイは言われた意味が分からず、怪訝そうにジュカを見る。
そんなネイの疑問を察し、もう一度ジュカは笑った。
「おまえのことではない。キューエルという男には、おまえを殺すことは出来ん。そういう意味で言ったんじゃ」
ネイは驚き、隣に座るジュカに目を見張った。
「バアさん……あんたはキューエルのことを知っているのか?」
その問いに、ジュカは首を左右に振る。
「じゃあ、どういうことだ?」
「その男のことは知らんが、おまえの胸内にいるそやつなら多少は分かる」
そう言いながらジュカはネイの胸を指差した。
「その人間ならば、おまえを殺せんと思っただけじゃ」
「……」
「ホエッホエッホエッ」
言っていることの要領はいまいち得られなかったが、ジュカの笑いにつられてネイも小さく笑った。
「ネイよ、心とは何層にもなって奥へと続く未知の世界じゃ。他者が分かる部分なんぞはその表面程度でしかない。いいや、本当の意味では、その表面ですら他者には分からんのかもしれん」
何かを諭すように語られる言葉。
その言葉に、ネイは俯きながら耳を傾けた。
「だからこそ、人は何かしらの手段で意思を疎通させようとするんじゃ。ときにそれは言葉であり、文字であり、また別の何かでな……」
そこまで話すとジュカはネイに顔を向け、落ち窪んだ目でジッと見据える。
「じゃがな、その表面ですらも分かり合えていないかもしれん心を、ときに通わせ合うことが出来るのもまた事実なのじゃ。それも心の奥の奥、最も深い中心の部分でな」
「中心?」
「うむ。その者の魂、存在、心の本質と言ってもいい。その部分が通い合えたとき、そこには決して断ち切ることの出来ない強い鎖が打ち込まれ、何かが胸の内で震える。それこそが絆じゃ」
「……」
「おまえはどうじゃ? 何かを感じたことはないか?」
ジュカの問いでルーナと別れたときのことが頭に浮かんだ。
袖を握ったルーナの小さな手。
あのとき感じた不思議な感覚……。
しかし、ネイは緩くかぶりを振った。
ジュカが言っていることとは何かが違った気がしたからだ。
「いいや……俺には分からないな」
「……そうか」
ジュカはそれだけを言うと立ち上がり、ドアに向かって杖を突きながら歩き出した。
「傷が癒えるまで何日でもいていいぞ」
背を向けたままそう言うと、ジュカはそのまま部屋を出て行ってしまった。
ネイはジュカが出て行くと、再びベッドに仰向けになり、右腕をもち上げその手を開いた。
手の平から『聖なる魔除け』が零れ落ち、ユラユラと振り子のように揺れる。
「……」
ネイはしばらくそれをジッと睨み、そして力強く握り締めた。
まだ日も昇り切らぬ刻、ネイは荷物を持って集落の門へと向かった。
霧の中、門の影が薄らと見えてきたとき、ネイの目が見開かれる。
「おまえら……こんな時間に何をしてるんだ?」
門のところに三人の人影があった。アシム、ビエリ、セティだ。
「キキッ!」
アシムの肩にはユピも乗っている。
ネイは三人に近付き、その姿を頭から足の先まで一人づつ順番に眺めた。
三人とも今にも出かけるような装備で、ビエリの手には中身を補充したであろう荷物がある。
アシムとセティは一頭づつ、集落に連れて来た馬とは別の馬を引いている。
「貴方こそ、こんな時間にどうしたんです?」
そう言ったアシムの顔には意味ありげな笑みが浮かんでいる。
「お、俺は散歩だよ。散歩!」
ネイは目線を逸らした。
「散歩ねえ〜……」
「ニモツ……モッテ?」
セティどころかビエリにまで突っ込まれ、ネイの顔が嫌そうに歪む。
「まあ、良いでしょう。ではこれを持っていきなさい」
アシムがそう言って何か小さな袋をネイに投げて寄越した。
「なんだこの汚い袋は?」
「失礼ですね。それはジュカ様特製の薬草ですよ。貴方に渡すようにと」
「バアさんが?」
全てお見通しといったところか、ネイは苦笑いをした。
「……おまえら、本当にいいのか? 一応は爵位を持った相手だぞ。それに正面切ってタテ突けば、ヘタすりゃ一生逃亡生活だ」
そう言って三人の顔を順番に見る。
「乗りかかった船です。沈みかけの泥舟かもしれませんが」
「オレ…ネイ…イッショ」
「まあ、あたしは捕まらないから。それに、まだ貰う物も貰ってないし」
ネイは呆れたように三人を見ると、大きくタメ息をついた。
「おまえらって本当にバカだな……」
「貴方ほどじゃありませんよ」
「なにっ! 俺は……」
自分自身が納得したいだけだ。そう言いかけて口を噤んだ。
自分自身が納得したいだけ……。
キューエルのときのように、何も分から無いまま時が過ぎ去るのはもう沢山だった。
頭には疑問だけが残り、心には虚しさだけが残る……そんなことはもう御免だった。
だからこそルーナに会って知りたかった。
本当にズラタンの元に戻って良かったのか。
そして、キューエルは何をしようとしたのか。
「一つ言っておくが、俺はあくまでも盗賊の流儀に従うだけだぜ」
「盗賊の流儀……ですか?」
アシムがそう言って首を捻り、その隣でセティが肩をすくめる。
「ああ。盗られたら盗り返せってやつさ」
そう言うとネイは口の端を上げた……
つづく