17章 不穏な空気
「情けない。盗賊だったとは……」
アシムが肩を落とし、タメ息混じりに言った。
「ねえ、どうしてキューエルと揉めてるの?」
「ネイは素行の悪さが顔に出ていたんですね」
「アウゥ……」
「……」
「ほら、早く払いなさいよ」
「まるで私まで盗人の仲間みたいじゃないですか! だから変な注目を浴びたんですね」
「キッキッ!」
「ネイ……ゲンキ……ナイ」
「……」
「黙ってないでなんとか言いなさいよ!」
「人の物を盗むなんて、もうお止めなさい」
次から次へと発せられる言葉に、俯いたネイの肩が小刻みに震え出す。
「うるさーいっ! おまえら、好き勝手なことをバラバラに喋るな!」
突然そう叫んだネイに驚き、三人と一匹が同時に口を噤んだ。
しかし、それもつかの間、再び一斉に口を開いた。
その声にネイは顔を歪め、椅子に深く沈み込むと自分の頬を撫でた。
そこには綺麗な朱色に染まった掌の痕がある。
カークが去った後、四人と一匹は場所を変えた。
さすがにあれだけ目立ってしまっては、再び黒猫亭に入る気にはなれなかった。
もっとも店を変えようが、どちらにせよ目立ってしまっていたが……。
「じゃあ、とりあえずお金の話からね」
そう言うとセティは脚を組んで椅子に寄りかかった。
太腿まで露出した脚を周囲の男がチラチラと覗き見するが、本人は一向に気にした様子が無い。
「盗みで得た金銭というのは感心しませんが、半分払う約束で仕事を共にしたのなら、その約束はちゃんと守りなさい」
そう言ってアシムも腕を組む。
「……だから払えないんだよ」
「なんでよ?」
「ギルドからまだその分の報酬を貰ってない」
ネイも腕を組むと、胸を張ってそう言いきった。
それに対し、セティの吊り気味の目がその角度を増す。
「なんですって? あんたどうするのよ! ただでさえ『渡り鳥』扱いされてるって言うのに!」
「だから、ギルドには用事が全部済んだら報告に行くよ」
「なに呑気なこと言ってんの! あんた、ギルドからも追われる身になるわよ!」
「……」
唾を飛ばしながら怒鳴るセティに、ネイは顔をしかめて背けた。
そのネイの態度に、セティも鼻息を荒くし頬を膨らませる。
「まあ、いいわ。とりあえずその用事ってやつが済んだらしっかり払ってもらうから!」
そう言うと、今度は打って変わって好奇心丸出しに目を輝かせた。
「ところで、どうしてキューエルと揉めてるの?」
そう聞きながらテーブルに身を乗り出し、無理矢理ネイの視界に入ろうとする。
ネイは眉間にシワを寄せてさらに顔を背けた。
「おまえには関係ないだろ」
「ねえ、なんでよ? 言いなさいよ」
ネイは目の前のハエを追い払うように掌を振った。
「ちょと、その態度はなによ!」
再び目を吊り上げた。
忙しなくその表情が変化する。
「まあまあ、他人には大したことじゃなくても、本人にとって言いたくないことだってあるんですよ」
アシムがセティを宥めるが、その言い回しがいちいちカンに触る。
ネイが横目でジロリとアシムを睨むが、目が見えないアシムには全く効果はない。
それどころか、そんなネイの視線を気にすることなく涼しい顔を向けてくる。
「ネイ、なぜ盗賊なんてバカなことをしているんです? そもそも人の物を盗むとは――」
指を立てながら説教が始める。
長くなりそうな話に、ネイは大きくタメ息をついて肩を落とした。
アシムの長い説教がやっと終わり、ネイが疲労感にうな垂れていると、休む間を与えることなくセティが口を開く。
「そういえばここ数日、急に私兵の数が減ったのよね……。もうキューエルを見つけたのかな?」
その話にネイが訝しげな表情を見せた。
「数が減った?」
「そうよ」
私兵が増えるならまだしも、逆に減った――キューエルが簡単に見つかるとは思えなかったが、妙な胸騒ぎを感じた。
「あ、それと赤い矢のギーを見たわ」
「ギーを? あいつまだこの国にいたのか?」
ギーとはベルシアから此処モントリーブに来て別れたが、まだ居るとは思ってもいなかった。
「私兵団に紛れてたわよ」
「私兵団に? あいつ、転職でもしたのか?」
「さぁ?」
頬杖を突いたセティが小首を傾げる。
もちろん転職したなんていうことは冗談だったが、なにか違和感を感じた。
「最近、他に変ったことはないか?」
「う〜ん……」
セティは眉間にシワを寄せながら低く唸ると、ポンッと一度手を打った。
「そうそう、それと昨日この街にズラタンが来たらしいわ」
「なに、ズラタン? ズラタンって……あのズラタン卿か?」
ネイが片眉を上げながら声を裏返すと、セティが神妙に頷き返す。
「ズラタンが来るのに私兵の数が減ったのか?」
「なによお、あたしが嘘言ってるとでも言うの?」
口を尖らせ、顎を上げながらネイを睨む。
ズラタンはこの国でもっとも成功した商人だ。
その財力にものをいわせ、最近になって近隣諸国を通して爵位の認可を得た。
王族もいないこの国では、認可を受けた唯一の貴族ということになる。
血筋や功績ではなく、金の力でなったとはいえ貴族であることに違いはない。
そういう人間が来るのにも係わらず、私兵の数が増えるどころか逆に減ったことがネイには気に入らなかった。
ズラタンが来ることをミューラーが知らなかったとは考えられない。
ネイの記憶に間違いがなければ、そもそもミューラーはズラタンに雇われていたはずだ。
そうなれば、何かの意図があって私兵団を動かしたと考えるのが妥当だろう。
そこまで考えをまとめたとき、不意にネイはあるものに目を止めた。
それは店内に置いてあった鏡だ。
何が、というわけではないが、なぜか引っ掛かりを感じた。
店内の隅。しかも、植木の後ろなんていう不自然な場所に設置されている。
その鏡をぼんやりと見ていたとき、何かに気付くと急にセティの腕を掴んで立ち上がらせた。
「ちょ、なによ! 痛いじゃない!」
「荷物をまとめろ。出るぞ」
そうアシムとビエリに指示をした。
「どういうことです?」
アシムは通りを歩きながら、急に店を出ると言ったネイの行動に疑問の声を上げた。
「どうやら俺たちはさっきの男に尾けられているようだ」
「さっきの?」
アシムが首を傾け、ネイは小さく頷いた。
「カークってヤツだよ」
「本当ですか?」
ネイの言葉に過剰反応し、ビエリがソワソワと周囲を気にする。
「ビエリ、見るな」
「一体どういうことよ?」
セティは歩きながら、顔を向けることなく小声で問いかけた。
「いいか、さっきの男はおそらくミューラーの片腕だ」
「ミューラーの片腕?」
セティが微かに顔を歪める。
「ああ。一度会ったことがあるが、そのときミューラーはヤツを優秀だと言っていたよ。あのミューラーがそこまで言い切るんだから只者じゃないだろうな」
アシムとセティが、納得のいくような表情で小さく頷く。
先刻、カークを目にして二人にもそれは分かった。
「そんなヤツがミューラーと一緒にいないどころか、兵も連れずに一人で巡回すると思うか?」
ネイがそこまで言うと、合点がいったようにセティが小さく声を上げた。
「俺たちを尾行してたんだよ。いつからかは分からないがな」
しかし、それにしても厄介な男が尾いてきたものだと思った。
そのまま何食わぬ顔で歩を進めると、前方の路が左右に別れているのが見えた。
「セティ、この先で路が別れてる。ヤツが尾行してるのは俺たちだ。巻き込まれたくなかったらおまえは左へ行け」
「……」
その無言を了解の合図と受け取り、ネイは別れ路まで来て右に曲がった。
しかし、すぐにその足を止める。
「おまえ……聞いてなかったのか?」
別れるはずのセティがネイの隣にまだいた。
セティは人差し指を立てて、顔を近づけてくる。
「ちゃんと払ってもらうまで別れるわけにいかないわ」
ネイは背を反らしながら表情を歪めた。
「信用しろよな」
「盗賊を信用すると本気で思ってるわけ?」
ネイは何か反論しかけるが、それをアシムが制した。
「ここで揉めていても仕方ありません。とりあえず行きましょう」
ネイは舌打ちをすると、諦めて再び歩き出す。
(カークどころか、セティを巻くのにも失敗したな……)
声には出さずにそう呟いた。
窓から周囲に視線を走らせる。
「どう? いる?」
「ワカラナイ」
セティの問いにビエリが首を横に振る。
結局カークを巻けたのかどうかは分からなかったが、とりあえずネイたちは宿を取ることにした。
ギルドの人間というだけで尾行してきているとは到底思えなかったが、その目的が分からない以上、ジタバタせずに自然に行動するのが良いという結論に達した。
「まあ良いさ。こっちはやましいことをしてるわけじゃないんだ。はっきりしない相手に、あまりビクビクしても始まらない」
「まあ、言われてみれば確かにそうね」
そう言ってセティは肩をすくめ、ベッドに腰掛けると脚を組んで膝の上で頬杖を突く。
「ねえ、もしかして私兵団が減ったのって、キューエルを動き易くさせるためじゃない?」
「どういうことだ?」
「だってネイとキューエルは揉めてるわけでしょ? で、私兵団の連中はキューエルを見つけられない。だから兵の数を減らしてキューエルを動き易くさせるわけ。そしてネイと会ったところで捕まえる――それなら私兵団が減ったのも、ネイに尾行が付いてるのも辻褄が合うでしょ? どう?」
自身ありげに胸を張るセティに、ネイも数回小さく頷いて返す。
たしかにセティの言う通りかもしれない。
しかし、そう考えたとしても、どこか釈然としないのも事実だった。
なぜかは分からないが、どうしても胸がざわつく。
「分からないことはいくら考えても分かりませんよ。刻がくれば、分かるべきことはおのずと分かるものです」
アシムらしい能天気な意見だが、たしかに的を得ている。
「アシムの言うことはもっともだ。分からないことを考えても仕方がない」
ネイはそう言いながら窓際まで歩いて外を見る。
「覗き見が好きなら勝手にそうせておくさ」
そこまで言って夜空を見上げた。
あと一つ、ネイにはあと一つ気付いたことがあった。
しかし、ネイはそれを皆には告げずにいた。
「天気が崩れそうだな……」
夜空の星たちは暗雲に覆われ、その輝きを隠していた。
まるで何かの凶兆を示すように……。
降り出した雨が屋根を叩く音がする。
その音に混じり、ユピとビエリの寝息が聞こえる。
ネイは暗闇の中、静かにその身を起こした。
そしてゆっくりと部屋を見回す。
窮屈そうにソファに寝ているビエリと、そのビエリの腹の上で寝ているユピはもちろんだが、ベッドのセティと床に寝ているアシムも起きている気配はない。
それを確認すると、ネイは静かに必要な装備を手にした。
二振りのナイフだ。
そしてもう一つ、手荷物から何かを取り出すとそっと部屋を出る。
その間、一切の音を立てることは無かった。
廊下に出ると向かいの部屋の取っ手に手を掛ける。
鍵が掛かっており、別の客が利用しているようだがネイは迷うことなくその鍵を解除した。
こういう安宿の鍵なら、ネイにとって解除するのは容易なことだ。
部屋に入り、後ろ手に扉を閉めると利用者の寝息を確認した。
規則正しい静かな寝息が聞こえる。
ネイは窓際まで素早く駆け寄って窓を開けると、その身を外へと投げ出した。
そこは二階だったが難なく着地し、雨でぬかるむ地面を蹴って走り出す。
もう一つ気付いたこと――それは二件目の店で見た鏡だ。
ぼんやりと見ていると、燭台に乗った蝋燭の光が横の壁に反射していることに気付いた。
そしてそこに写っていたのは、鏡の輪郭の中にある文字のようなもの。
それは、ネイとキューエルが共に仕事をしていたときに使っていた暗号だった。
おそらくキューエルが誰かに指示して鏡を置かせたのだろう。
もしかしたら、一件目の店にも同じような場所に置いてあったのかもしれない。
カークに関して言えば、目の前に姿を見せた時点で尾行されていることに感づいていた。
しかし、それが釈然としない最大の理由でもあったのだが……。
そこで先ほどのアシムの台詞が浮かんだ。
分からないことは考えても――というやつだ。
そう、今はっきり分かっているのは、キューエルが自分を待ち構えていること。
そして、分からないのはミューラーたちの意図。
「だったら分かっていることから片付けてやるさ」
そう呟き、ネイは走る速度を上げた。
雨脚が、その激しさを増し始める。まるで行く手を阻むかのように……
つづく