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16章  放たれた矢

 人が集まり始める周囲の喧騒とは裏腹に、向かい合った二人の間には張り詰めた空気があった。

 ネイの足首に絡まっていたむちは、すでにセティの左手に納められ、いつでもアシムを襲う準備ができている。

 セティの殺気に呼応するように、アシムも背にした弓をゆっくりと下ろし、左手に持ち直した。

 アシムの右手は一見すると力が抜けているように見えるが、その実、いつでも矢を引き抜けるという無言の威圧がある。

 その気配にセティが一度ゴクリと喉を鳴らし、アシムを見据えたまま口を開いた。

「……あんた女じゃないわよね?」

「もちろん。見た通り男ですよ」

 アシムが平然と応えると、ネイは立ち上がりながら苦笑を漏らして緩くかぶりを振った。そのまま壁際まで行くと壁に背を預けた格好で腕を組む。二人の動向を傍観するつもりだ。

 荷物を抱えたビエリもコソコソと小走りにネイに近寄ってきた。

 分かりきったことだが、ビエリもこの状況を止めるつもりはない。

 ただ、落ち着きなく視線を彷徨さまよわせているだけだ。

「一応言っておくが、そいつは自分の容姿なんて分かってないぞ。なんせ両目の光を失っているらしいからな」

 そのネイの言葉にセティが眉間にシワを寄せる。

「それは冗談?そんなんで弓なんて扱えるわけ?」

「それが冗談じゃないから俺も驚いた」

「……」

 ネイの口ぶりから冗談ではないと悟ると、セティはゴクリと喉を鳴らした。

 一方、アシムはセティを見据えたまま、ダラリと両腕を垂らしている。

「どういう理由があるのかは分かりませんが、放っておくわけにはいきません。出来れば穏便に話し合って頂けませんか?」

「……余計なお世話よ。部外者は口出さないでくれる?親切も度が過ぎると嫌われるわよ」

 セティが乾いた口で皮肉を吐き出すと、アシムはさわやかに声を上げて笑った。

「大丈夫ですよ。それで嫌われたことはありません」

 そうあっさりと言ってのけるアシムに、ネイが小さくタメ息をつく。

 本人が気付いていないだけだ、という言葉をネイは飲み込んだ。

「……じゃあ、あたしが一人目ねっ!」

 セティは語尾を発するのと同時に、右手を下から縦に振り上げる。

 手にした鞭が、まるで獲物を捕らえる蛇のようにアシムへと襲い掛かった。

 しかし、アシムは左足前の半身の体勢になり、鞭を避けるのと同時に背にした矢筒から素早く矢を引き抜き弓を構える。

 その一連の動作には無駄が無い。

 その動きを目にし、ネイと周囲の野次馬から感嘆の声が上がった。

 アシムの動きに対し、セティの反応も中々のもので、鞭を避けられたと見るや左手を腰の刃輪に素早く伸ばす。

 だが、それでもアシムの方が一枚上手だ。

 アシムの右手から放たれた矢は、セティの左手が触れるよりも先に腰の刃輪を弾き飛ばした。

「っ!」

 その正確さにセティが目を見開く。

 驚くセティに向かい、アシムは矢を放ったままの姿勢で余裕の笑みを浮かべた。

「今ので分かっていただけませんか?残念ながら、私の方が上手のようです」

 その台詞にセティは下唇を噛み、悔しさを滲ませた顔でアシムを睨みつける。

「そうだぞ。何事も穏便に済ませるのが一番だ」

 横からネイが、さも他人事のように茶々を入れた。

 が、悔しさで赤くなったセティの目に睨まれると、すぐに視線を逸らす。

 その直後、セティは周囲に一度視線を走らせると、突然ビエリに向かって走り出した。

 向かってくるセティに驚き、ビエリは顔を隠すように腕を前へと突き出す。

「バカヤロー! 荷物だっ!」

 ネイがセティの目的に感付き、ビエリに向かって叫んだが間に合わない。

 セティはビエリが持った三人分の荷物から一つを素早く奪い盗った。

 それはネイの物だ。

 いつの間にかそれを抜け目無く確認していたらしい。

「ビエリっ! 止めろ!」

 そこには路銀の全てが入っていた。

 もっとも全財産と言っても、そもそもビエリとアシムは一文無しだったが……。

 セティは荷物を奪い盗ると、しなやかな動きでアシムの横をすり抜けていく。

 黒猫亭の出入り口から顔出していた野次馬たちが、逃げるセティに歓声を上げた。

 アシムは走り去るセティに向き直り、感心したように頷いている。

「見事な俊敏性ですね。ネイよりも素早そうだ」

「バカ! 呑気に感心してる場合かっ! 早く追え!」

 セティはすでに先の十字路まで逃げ切り、横路を行き交う人間をすり抜けて通りの反対側まで渡り切っていた。

 そこで一度振り返ると、桃色の舌を思い切り出して見せる。

「あの女!」

 その行為を見てネイは悔しさに顔を歪めるが、セティは投げキッスをするとそのまま背を向けて走り出してしまった。

 成す術もなく、ただ地団駄を踏むネイ。

 その横をすり抜け、アシムが颯爽さっそうと進み出る。

 そして、静かに弓を構えた。

「お、おい、おまえまさか……」

 そこからセティを狙うつもりらしいが、すでにセティはかなり離れてしまっている。

 ましてやセティとネイたちの間には、通りを行き交う『人の壁』があった。

「バカっ! やめ――」

 ネイが制止しようと右手を伸ばすが、それよりもアシムの方がわずかに速かった。

 眉がピクリと動き、小さく息を切ると同時に指が矢から離される。

 放たれ矢は一直線に飛んで行き、人の壁に飛び込んでいった。

 ネイと周囲の野次馬が、短い声を発するのと同時に顔を背ける。

 しかし、その矢は行き交う人々の隙間を縫って、人の壁を見事に通り抜けた。

 歩いていた人間が数人立ち止まり、不思議そうに首を傾げる。

 何かの風を感じたのだろうが、まさかそれが矢だとは思いもしないだろう。

 矢は走り去るセティに一直線に向かって行く。

 そして、セティの手に小さな衝撃を与え、荷物を前方へと落下させた。

 何が起こったのかセティには分からなかった。

 立ち止まり、自分の手を不思議そうに見下ろすと、そのまま前方に落ちた荷物に視線を移す。

 次の瞬間、ある物を捉えたその目が大きく見開かれた。

 地に落ちた荷物には、矢が深々と刺さっていたのだ。

 セティは呆然としたままゆっくりと振り返る。

 人の壁の向こう側、アシムが右手を軽く上げて親しげな笑みを浮かべていた。

 

 

 

「しかし、信じられないヤツだな」

 ネイはそう言いながら、矢の刺さった荷物を拾い上げた。

 セティはまだ信じられない様子で、口を閉じるのも忘れてアシムのことを見ている。

 驚いて立ち止まっていたセティに追いつくのは簡単だった。

 セティはあまりの驚きにその場で立ち尽くし、一歩も動くことが出来なかったのだ。

「簡単なことです。狩りのときには風に揺れる枝の隙間を狙い、空の鳥を射止めることもあります。不規則な枝の揺れに比べたら、行き交う人々は個人が一定の速度で歩いているため、その隙間を狙いやすい」

 アシムは事も無げに言ってみせるが、ネイは肩をすくめた。

「おまえの言ってる理屈は理解出来る。が、その感覚は理解出来ない」

 ネイは呆れた口調でそう言うと、立ち尽くすセティに目をやった。

 セティはまだ呆然とアシムを見ていたが、ネイと視線が合うとやっと言葉を発した。

「な、なんなのこいつ……」

「俺も教えて欲しいよ」

 そう答えて苦笑すると、先ほど拾ってきた刃輪をセティに手渡した。

 そのとき……

「そこまでだな」

 突然鋭い口調で声をかけられ、ネイはギクリとした。

 気配に全く気付かなかったからだ。

 アシムとセティも同じだったらしく、二人とも険しい表情を浮かべる。

 ネイたちは示し合わせたように、声がした方向に一斉に目を向けた。

 視線の先、黒髪を肩まで伸ばした鋭い目つきの男が、腕を組んで壁に寄り掛かっていた。

(この男は……)

 ネイの脳裏に、滝の洞窟でミューラーと会ったときのことが浮かんだ。

 ミューラーの部下で、カークと呼ばれていた男だ。

 カークは壁から離れると、ゆっくりとネイたちに近付いて来る。相変わらずその歩き方には隙がない。

 腰には反りの度合いが強い曲刀が差さり、いつでも抜けるという気配を放っている。

 よく見れば、腰に差した曲刀は特殊な形をしていると気付く。反っている方向が通常の曲刀とは逆――刃の側に向かって弧を描いているのだ。

 カークがネイたちの近くまで歩み寄ると、ビエリの頭に乗っていたユピが威嚇の声を上げる。

「チビ助を黙らせろ」

 ネイがカークから視線を外さずにビエリに指示すると、ビエリは慌ててユピを胸に抱え込む。

 カークは一度だけ全員を見回し、小さく鼻を鳴らした。

「見世物としてはなかなか面白かったが、少々はしゃぎ過ぎたな」

 そう言うと鋭くネイを睨みつける。

「ドブネズミ同士がじゃれ合うのは構わんが、人のいない場所でやれ。変な病気を移されたらたまらないかな」

「なんですって!」

 前に出ようとするセティをネイは左手で制した。

「セティ……止めておけ」

 そんな二人を見てカークは薄い笑みを浮かべる。

「賢明な判断だな。それに免じて今回だけは見逃してやる」

「……そりゃどうも」

 わずか間、ネイと睨み合うとカークはそのまま背を向けた。

「盗賊なら盗賊らしく、物陰でコソコソしていろ」

 肩越しに顔を向けてそう言うと、もう一度鼻を鳴らしてそのまま去っていく。

 カークの姿が見えなくなると、アシムが口を開いた。

「恐い人ですね……一体何者ですか?」

「さあな……分かっていることは、この国の私兵団員で、あまり関わり合いになりたくないヤツってことだ」

「ところでネイ……」

 セティの声がかすかに怒りに震えている。

「なんだ?」

「で、あなたはいつまで触ってるのかしら?」

「?」

 ネイの左手はセティを制したままだ。

 そしてその手はセティの胸に触れていた。

「っ! ま、まて! これは不可抗力だ!」

 慌てて手を離したが遅かった。

 セティの右手が振り上げられ、小気味良い音が路地に響き渡った……

 

 

 

 つづく

 

 


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