15章 若き回収者
夕暮れ刻。通りは人に溢れていた。
ゴミゴミした光景が、ここ数日の間、森しか眺めていなかった目には新鮮に写るから不思議だ。
「お、おい、あれ見ろよ。すげえ……デケぇ……」
「あの顔の傷……かなりの悪党だぜ」
周囲の人間が好奇の目を向け、ヒソヒソと耳打ちし合っている。
さっそく注目の的だ。
道を空けてくれるのはありがたい……と言いたいところだが、まさにありがた迷惑だった。
「うおっ! ずいぶん別嬪さんだな」
鼻の頭を赤くした男が、下卑た笑みを浮かべながらおぼつかない足取りで近寄ってきた。
目深に被ったフードの中身を不躾に覗き見る。
「やめておけよ」
覗き見る男の頭を横から抑え、そのまま後ろに突き飛ばす。
男は尻餅をつくと目を白黒させ、鈍った思考で状況を理解すると同時に、突き飛ばした相手を下から怒鳴りつけてきた。
「おまえのために言ってるんだ。亭主に殺されるぞ」
そう言って親指で後方を指差しながら、冷ややか目で酔っ払いを見下ろす。
酔っ払いはその指差した先を見ると、短い悲鳴を上げて四つん這いのまま逃げ出していく。
「やれやれ……」
逃げる途中、男が無様に転ぶ姿を見てタメ息をついた。
「ネイ、なぜ私が女性ではないと教えてあげないんです」
背後から声を掛けられ、ネイは逃げる男から視線を外して振り返る。
「いいんだよ。いちいち説明して回らなくても」
「しかし……」
反論しながら目深に被ったフードを外す。
首筋で一本に纏められている、長い白銀色の金髪の髪がサラリ肩に落ちる。
客寄せ第二弾と言ったところだ。
その効果はてき面で、途端に周囲の道行く人がその足を止めた。
「イイ女だなあ」
「綺麗な顔だわ……」
その端整な顔立ちと美しい髪に、男たちの賞讃と女たちの羨望の声が小さく聞こえてくる。
「……どうする? 全員に説明して回るのか?」
そんな周囲の人間を冷ややかに見ながら言うと、アシムも言葉を飲み込んだ。
「デモ、オレ、テイシュトチガウ……」
二人のやり取りを横で黙って見ていた、客寄せ第一弾がおずおずと声を掛ける。
その高い肩では、黄色い体毛の小動物が木の実を食べていた。
「ビエリ。おまえって体がデカいくせに、結構細かいことにこだわるヤツだな」
ネイがジロリと横目で睨むと、ビエリはオロオロと目を泳がせてその巨体を縮めた。
その拍子に肩に乗った小動物が地面に落下する。
そのことに腹を立てたらしく、なぜかネイの足首にガジガジと噛み付いた。
「おいチビ助……怒る相手が違うんじゃないのか?」
「ユピはネイが嫌いですから」
アシムはさりげなく嫌味を言うと、爽やかに笑った。
ネイは舌打ちをし、ユピの首元をムズリと掴み、顔の前まで持ち上げた。
威嚇の鳴き声を上げながら、短い手足をバタつかせて暴れている。
「焼いて喰っちまうぞ」
そう吐き捨てると、一度鼻を鳴らしてビエリに向かい放り投げた。
「行くぞ」
そう言って一人でさっさと歩き出す。
その背に向かい、ユピが抗議の鳴き声を上げいたが徹底的に無視をした。
此処はモントリーブ国内にあるクレスタ。
クレスタは、モントリーブでほぼ中心に位置する街だ。
モントリーブの首都というわけではないが、場所の関係でモントリーブ内の情報をもっとも得やすい。
しかし、一つ問題があった。
ミューラーがこの街の私兵団宿舎に来ているらしい。
それでもクレスタに赴いたのは、キューエルの消息が途絶えたのがこの街だったからだ。
もちろん、ミューラーもそれが理由でこの街に滞在しているのだろうが……。
キューエルが脱走したことを耳にしたのは、モントリーブに入国した次の日だった。
ギルドの情報屋の話によると、捕まった三日後には脱走してその姿を消したらしい。
しかし、脱走してからこの街に来るまで、その足跡を残しているのが気になった。
キューエルならそんなミスを犯すとは思えない。
敢えてそうしたと考えた方が、ネイにはまだ納得がいった。
そう考えたとき、キューエルがこの街で自分を待っていると確信した。
少なくとも、この街の付近には潜伏している……。
それともう一つ、情報屋から歓迎出来ない話を聞いた。
ギルド内で、ネイが『渡り鳥』になったのでは?と噂になっているらしい。
渡り鳥とは、ギルド内で使われる『逃亡した者』の隠語だ。
仕事の報告をせず、姿を消したのだからそう思われても仕方がない。
もっとも、その仕事の依頼主である『金の梟』がキューエルだったのだから、そもそも仕事として成立していないはずなのだが……。
しかし、そんな事情を知らないギルドからすれば、渡り鳥と思われても仕方がないだろう。
ルーナを連れていた関係で、ギルドにも消息を気取られぬようにしていたのだから自業自得だ。
もしギルドに知られれば、キューエルとミューラーに気付かれる恐れがあったのだ。
黒猫亭。
そう看板に書かれた店で、ネイは不機嫌そうに左手で頬杖を突いていた。
右手に持ったフォークで、木製の皿に乗った野菜をつつく。
そのネイの浮かない様子を察知し、ユピにパンをちぎっていたアシムが手を止め、怪訝そうに声をかける。
「どうしたんです?」
「……別に」
短く答えて、向かいに座るアシムとビエリをジロリと見る。
この店に限ったことではないが、どうしても二人は目立ってしまう。
今も周囲の人間の視線が痛いくらいだ。
端から見れば、二人はまさに『美女と野獣』と言ったところだろう。
(クソッ……人目を集める盗賊なんて聞いたこともない)
口には出さずにそう毒づいて、もう一度ジロリと二人に目をやる。
「コレ……タベタイ?」
どう勘違いしたのか、ビエリはそう言うと、おずおずと自分の前に置かれた皿をネイに押して寄越した。
名残惜しそに眉尻が下がる。
ネイはタメ息をつき、その皿をビエリに押し返した。
「いらないよ」
戻って来た皿にビエリの表情が晴れるが、ネイの視線に気付いて慌てて肩を小さくして俯く。
ビエリの様子にネイはもう一度タメ息をついた。
その直後、パンをちぎっていたアシムの手が不意に止まる。
「ところでネイ……貴方は人に恨まれる心当たりがありますか?」
そう訊くと再びパンをちぎり始める。
「なに? 恨まれる心当たり?」
ネイはそう訊き返し、顎に軽く手を当てて逡巡する。
「……心当たりがありすぎて、逆に分からないな」
言いながら両手を開いて肩をすくめた。
「そうですか……」
そこまで言ったとき、アシムの顔が弾かれたように跳ね上がった。
アシムはテーブルに上にあった空の木製皿を手に持つと、その皿を縦にしてネイの顔の横まで素早く持っていく。
「おい、な……」
ネイが問いただそうとした途中、耳元でガツっと鈍い音がなった。
「……」
ネイは背を反らし、そっと皿の反対側を覗き込む。
木製の皿には、この店の食用ナイフがしっかりと突き刺さっていた。
背を反らした姿勢のまま、視線をもう一度正面に戻すとアシムが微笑む。
「今さら言わなくても分かると思いますが、どうやら貴方に軽い殺意を持っているようですよ」
「……」
今度はそのまま、恐る々ナイフが飛んできた方向に視線を移す。
「っ!」
その方向を見てネイの目が見開いた。
向かいではビエリがユピを抱え込み、哀れになるくらい狼狽している。
ネイの視線の先、腕と脚を組み、椅子に浅く腰掛ける人物がいる。
「セティ……」
ネイが呟いたと同時に、相手は不敵な笑みを浮かべた。
セティと呼ばれた人物はネイと目が合うと、椅子から立ち上がってネイたちの席に近付いてくる。
ネイはバツが悪そうに顔をしかめ、慌てて目を逸らした。が、もちろん手遅れだ。
その人物が向かってくる途中、他の席にいた男がその後ろ姿を目で追う。
若い女だ。
女はスラリとした体型に、よく引き締まった太腿を惜し気もなく露出した服を着ていた。
膝上まであるロングブーツが、歩くたびにカツカツと軽快に音を立てる。
バンッ!
ネイの横まで来ると、手の平で激しくテーブルを叩いた。
その音にビエリとユピ、そしてネイの体がビクリ震える。
「ここ……いい?」
ニッコリと笑みを浮かべながら、ネイの左隣の席を指差した。
ネイは十分な間を置き、相手の顔をゆっくり見上げる。
柔らかそうな明るい紅茶色の髪を首筋まで垂らしている。
やや吊り気味の大きな目が気の強さを表し、その深縁色の瞳は綺麗に輝いた。
全身から、これから成熟に向かうという年齢特有の、健康的な魅力が溢れ出ている。
「ここ……いい?」
返事をしないネイに、もう一度繰り返して訊いた。
先刻より、弱冠語気が強くなっている。
「あ、ああ。もちろんさ」
そう答えると椅子に腰掛け、左腕で頬杖を突いてネイに顔を向ける。
その顔には、逆に不気味になるほどの満面の笑みが浮かんでいた。
「や、やあ、セティ! こんな所で奇遇だな。仕事か?」
「……」
ネイは引きつった笑みを作り、極力陽気に声をかけたが返事はない。
ただ満面の笑みを浮かべ、右手を差し出してきた。
「ハハハ……」
ネイは引きつった笑みを浮かべたまま、その手を握り返した。
握られた手をセティは笑顔のまま見下ろす。
「……なんの冗談かしら? お金よ、お・か・ね」
満面の笑みを浮かべたままだ。
「ハハ……分かってるさ! 分かってる」
そう言ってネイは手を握ったまま、逆の手でセティの肩を軽く叩いた。
次の瞬間、セティの満面の笑みが無表情へと変化する。
その極端な変化が怖い。
「じゃあ早く出して」
「……」
ネイはその手を離すと同時に立ち上がり、踵を返して猛然と走り出した。
店を飛び出し、通りを右に行こうとした直後、足首に何かが絡まり無様に転倒する。
「ぐっ!」
したたかに胸を打ちつけたネイの足首に絡まっていたのは、革製のムチだった。
そして、その先はセティが右手でしっかりと握っている。
「一度だけ聞くわよ。今のは何かの冗談? それとも……」
無表情に倒れたネイを見下ろす。
そして、腰に掛けてある金属製の輪に左手が伸びた。
どうやらその輪は外側が刃になっているらしく、夜の明かりを反射して鈍く光っていた。
「一体何事です?」
慌てて店から追ってきたアシムが、セティの後方から声をかけた。
さらにアシムの後ろでは、三人分の荷物を持ち、頭にユピを乗せたビエリが隠れるように小さくなっている。
「こいつは、セティ……フリーの盗賊だ……」
ネイは倒れたままの姿勢で、セティを見上げながらそう言った。
後方のアシムを鋭く射抜くセティの目は、ネコ科の動物を連想させる。
(俺が悪かった。だからこれ以上目立たないでくれ……)
誰に対してなのかは自分でも分からないが、ネイは胸中で謝罪の声を上げる。
周囲はざわつき、人が集まり始めていた……
つづく