13章 別離の朝に
星が空高く輝く刻、ネイが割り当てられた部屋で明日の支度をしていると、扉を叩く音がした。
ネイが手を止め、扉を開くとそこにはジュカが杖を突き立っていた。
ジュカは招き入れらるまでもなく、怪訝そうにするネイの横をすり抜け部屋に入る。
「ほれ、これを持っていけ」
そう言ってジュカが何かを投げてよこした。
「……何だこれは?」
ジュカがよこした物は、両端に金具の付いた紐のようなものだった。
「それはルーナの髪を編み込んでで加工した物じゃ」
「あん?」
よく見ると、たしかに紐かと思った部分は銀色の髪のようだ。
髪の部分は漆か何かで固めてある。
「銀色は聖なる色じゃ。聖なる魔除けと言ったところじゃな」
ジュカがそう言って笑うと、ネイは受け取った物を指で摘み上げてブラブラと揺らす。
「……いらないよ。残念ながらそういうのは信じないタチだ」
ネイが片眉を上げながら突き返すと、ジュカがそれを手で制して頭を振る。
「まあ、そう言わずに持っていけ。ルーナに作らせた物じゃぞ」
「あいつが?」
ネイはもう一度手の内の物に目を落とす。
確かに所々に歪みがあり、あまり上等とは言えぬ作りだった。
「……」
ネイは一度舌打ちをし、自分の荷物に乱暴な手つきで押し入れた。
それを見てジュカも満足そうに頷く。
「で、そのキューエルという男に会って、おまえはどうするつもりじゃ?」
不意に突き付けられた問いに、ネイは一瞬言葉を詰まらせた。
一体自分はどうするのか? どうしたいのか?
その答えはネイ自身にも分からなかった。
「……さあ、分からないな」
ジュカに背を向けながら、素っ気無く答える。
そして、わずかに逡巡すると言葉を続けた。
「ただ……キューエルは間違いなく俺を探してるはずだ。なんせ裏切ったからな……。きっと殺したいくらい憎いだろうよ」
「なるほど。では逆におまえの手でその男の命を絶つか?」
突き刺さるようなジュカの言葉に作業の手を止め、振り返ったがその質問には答えなかった。
ジュカは黙ったままのネイをジッと見据える。まるで何かを覗き込むように。
「……無理じゃな。殺せんよ」
そう言われ、ネイは肩をすくめた。
「ああ、そうかい」
「そうじゃ」
きっぱりと答えるジュカ。
二人が無言のまま向かい会う。
部屋の松明に灯った火が、風でかすかに揺れて二人の影を揺らす。
沈黙の中、外からは子供たちの笑い声が微かに聞こえてくる。
ネイはその沈黙に耐え兼ねるように顔を反らすと、窓際に向かって歩いた。
夜も更けるというのに、外では子供たちが焚き火の周りではしゃいでいる。
ビエリで遊んでいるらしく、遊ばれているビエリはオロオロとうろたえていた。
その光景にネイも頬を緩ませた。
「どうやら上手くやれそうじゃないか」
そうネイが言うと、ジュカもネイの横までやって来た。
「そうじゃな。そもそもビエリは純粋な男じゃ。感受性に優れた子供たちがまず気付く。まあ、あの調子ならすぐに大人たちも分かるじゃろ」
「……」
無言でビエリたちの様子を眺めるネイに、ジュカが顔を向けた。
「明日、此処を出る前にはルーナにも声を掛けるんじゃぞ。帰ってからろくに話もせんで」
窘めるような、諭すようなジュカの口調にネイは苦笑した。
「どうせ何も喋らないんだから、話になんかならないだろ?」
「なんじゃ? おまえは言葉を交わすことだけが会話だと思っておるのか?」
ジュカがさも意外そうに、小さい目をいっぱいに開く。
「おまえはビエリの恐怖を感じたんじゃろ? それも会話とは言わんか?」
「なっ……」
ネイが意表を突かれたような表情を向けると、ジュカは息の抜けたような笑い声を上げた。
「学ばんやつじゃの。まったく、これじゃ何のためにビエリ捕縛に遣わせたのか……」
ジュカはそう言って緩くかぶりを振ると、そのままネイにクルリと背を向けた。
「おい、バァさん! 今のはどういう意味だ?」
しかしジュカはそれには答えず、部屋のドアを開けると
「よいか、ちゃんと話をしてから行くんじゃぞ」
それだけを言うと部屋から出て行った。
「あのババァ……」
ネイは閉じられた扉を見ながら、腰に手を当てタメ息をついた。
翌日、ネイは日の出と共にルーナの部屋へと向かった。
アシムに森の外まで送ってもらう予定だが、その前に一応ルーナに会っていくことにした。
部屋の前まで来ると、一瞬ノックをした方がいいか躊躇したが、返事がないなら同じだと思い、結局そのまま扉をを開けた。
ルーナは部屋にあったベッドに腰を下ろし、扉の方にジッ顔を向けていた。
そのことが予想外だったネイはドキリとし、部屋に踏み入る足を一瞬止める。
ルーナの変化らしい変化と言えば、大きく真っ赤なリボンで髪を馬の尾のように一本にまとめているくらいだ。
きっと、黒い服に着いた赤いリボンに合わせ、集落の女がやったのだろう。
「よ、よお……起きてたのか?」
思わず上擦る声にネイは顔を歪めた。
「じゃあ俺は行くぜ」
「……」
相変わらずこれといった反応は無い。
ただ、言われたことには従うから一応言葉は分かってるはずだが……。
どうしたものかと、ネイは腕を組んでルーナを見下ろした。
言葉を交わすだけが会話じゃない……昨夜のジュカの言葉が脳裏をよぎる。
ネイは一度息を吐き出すと意を決したように歩み寄り、ルーナの前に方膝を突いてしゃがみ込む。
ルーナがわずかに遅れて顔を下げ、視線が合った。
そしてネイは黙ったままその紅い瞳を見続けた。
(俺はこれからキューエルに会いに行く。もしかしたら戻って来れないかもしれない……そうなってもここの連中なら良くしてくれるさ)
自分を認識しているかどうかも怪しい相手に、バカらしいとは思ったがそんなことを胸の内で語りかける。
「……」
だが、やはりこれといって特別な反応はなかった。
ネイは頭を振って自分に苦笑すると腰を上げ、ルーナに背を向けてドアに向かおうとした。
そのとき……
小さな抵抗を腕に感じ、ネイは立ち止まった。
振り返ると、俯いたままのルーナの手が、ネイの袖口を掴んでいた。
ルーナが自分から初めて行動して見せた。
そのことに驚き、ネイは言葉を詰まらせた。
…
……
………
どれくらいそのままの姿勢でいたかは分からない。
長い時間だったようにも感じるし、瞬き程度の時間だったようにも感じる。
ネイは袖を掴むルーナの手をそっと外すと、ルーナのか細い肩に手を置いた。
「心配するな。なんとかなるさ」
「……」
「じゃあそろそろ行くぜ。あ、それと……いや、なんでもない。じゃあな」
ネイは『魔除け』の礼を言おうとし、結局その言葉は飲み込んだ。
そしてルーナを残し、振り返らずに部屋を出る。
扉を閉めるとそこにたたずみ、自分の袖口をジッと見つめた。
不思議な気分だった。
明確なものではない。ただの気のせいかもしれない。
しかし、初めて意思の疎通を図れたような気がした。
そんな不思議な感覚に呆然とするネイを、動物の鳴き声が現実に引き戻す。
「キッ!」
「そこにいたんですか。そろそろ出ましょう」
アシムはネイを探していたらしく、肩にユピを乗せた格好で下から声をかけてきた。
「ん? ネイ、どうしました?」
何も答えないネイに、アシムは怪訝そうに眉を寄せる。
「……いや、なんでもない。今行く」
ネイは一度だけ扉を振り返ると、集落の門へと向かった。
アシムと一緒に集落の門まで行くと、ジュカとビエリが待っていた。
「なんだ? 見送りか? そんなの必要ないぜ」
「ホエッホエッ、まぁそう言うでない」
そう言って意味深な笑みを浮かべるジュカに、ネイは気恥ずかしそうに横目で視線を送った。
「な、なんだよ?」
「ホエッホエッ、どうやらちゃんと会話をしてきたようじゃな」
ネイは顔背けて一度鼻を鳴らすと、黙ってアシムに向かい手を差し出した。
「……なんです?」
「どうせ目隠しされるんだろ? 早くしろよ!」
「良い心がけです」
笑いながらアシムは布を手渡す。
ネイはそれを受け取り、ブツブツと文句を言いながら目隠しを着けようとしたが、そこでおかしなことに気が付いた。
「おい、荷物が多くないか? 気持ちはありがたいが、こんなにはいらないぜ。かえって邪魔になる」
「いいんですよ。三人分ですから」
「キキッ!」
アシムの台詞に、ユピが肩の上で抗議の声を上げる。
「そうでしたね。三人と一匹です」
「なにっ! どういうことだ?」
「アシムとビエリも一緒に行くんじゃよ」
「っ!」
ネイは絶句してビエリとアシムを交互に見た。
「オレ…キイタ……ネイ、キケン……ダカラ…オレ…イク」
ビエリの台詞にネイが唖然とする。
「ビエリ……おまえ、ここで上手くやれそうじゃないか。なんで……」
「オレ…タスケテクレタ……ネイ…ハジメテ……ダカライク」
「一体なにを言ってるんだ?」
救いを求めるようにアシムを見ると、アシムは微笑んで返した。
「貴方は身を呈して矢を叩き落としたじゃないですか。ビエリはそれを言ってるんですよ」
「だからっておまえ……で、なんでアシムまで?」
「ビエリ一人を行かせるわけにはいかないじゃないですか」
アシムはさも当然のように数度頷いて見せる。
「……じゃあ二人とも来るなよ」
「もう決まったことです」
そう涼しい顔であっさりと言ってのける。
「決まったこと? 俺は聞いてないぞ!」
「当然です。まだ貴方には言ってませんでしたから」
バカにしたようなアシムの返答に、ネイは顔を歪めた。
「それに良いんですよ。我々が勝手に着いて行くだけですから」
アシムの言葉にビエリも神妙な顔で頷く。
「本気かよ……」
巨体の臆病者。
盲目の森人。
その二人が一緒に着いてくる。
そう考えただけでネイは目眩がしそうだった。
「キキッ!」
そんなネイの気持ちを知りもしないユピが、アシムの肩で急かすように元気に鳴いた……
つづく