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117章 蜂の秘密

「これは凄いですね」

 陽光を浴びた街道、そこに広がる光景にギャリーが驚きの声を上げた。しかし、その声はどこか楽しげで、広い両肩がわずかに上下する。

 街道に転がる五十程度の兵士たち。それが脱獄者を追ってゴルドランを発った部隊だというのは明らかだ。

「あの脱獄者たちの仕業ですかね?」

 ギャリーが腕組みをして唸ると、スラルは倒れた兵士を一巡した。

 失神した者、呻き声を上げる者とそれぞれだが、地面は倒れた兵士の数に見合うほどの血で濡れているわけではない。

「さあな。――詳しいことはあの者に訊いてみるとしよう」

 スラルが顔を向けた先では一人の兵士が立ち上がろうとしていた。しかし脚が折れているらしく、呻きとも悲鳴ともつかない声を上げて地に転がる。

 兵士は今まで二人の存在に気づかなかったのか、二人が馬から降りて近づくと、尻餅をついたまま慌てた様子で後退りを始めた。

「手を貸そう」

 ギャリーが右手を差し出すと、兵士は放心したように口を開けて二人を見上げてくる。どうやら二人が何者であるのか計りかねているようだ。

「我々は聖都の聖騎士団の者だ。ワケあって君たちが追っていた脱獄者を我々も追っているのだが、良ければ何があったのか教えてほしい」

 スラルが微笑んで見せたことで兵士はようやく安堵の息をついたが、すぐに何かを思い出したようにハッとし、顔を引きつらせた。

「オズマが裏切ったんだ。だけど、それよりも――」

 兵士は自分自身を包むように両腕をまわし、ガタガタと震え出した。

不死者アンデッドだ……」

「アンデッド?」

「何度斬りつけても刺されても、立ち上がりやがったんだ……」

 差し出したギャリーの手を掴もうともせず、ただ震える兵士の様子に二人は顔を見合わせた。

「かなり怯えていますね」

 震える兵士に背を向け、ギャリーが声を潜ませる。背後の兵士は今だ地にうずくまるようにして震えていた。

「アンデッドというのは興味があるな」

 ギャリーが怪訝そうに眉をよせ、大柄な身体を縮めるようにして顔を近づけてくる。

「本気になさってるんですか?」

「まさかな。だが、あそこまで怯えるのはよほどのことだろう。――しかし、オズマが向こうについたとなると厄介だな」

 スラルが愉快そうに喉を鳴らすとギャリーが首を傾げた。  

「オズマを直接知っているんですか?」

「少しばかり世話になったことがある」

 そう言ってスラルは目を細めた。遠き日を懐かしむように……

 

 

 

「その湖に隠したんだな」

 念を押すようにネイが訊くと、荷台で横たわったラビがコクリと肯く。

 ――つり橋からさらに南下した場所にある岩場の陰。高く昇った太陽から隠れるようにして停められた荷馬車の中にネイの姿はあった。

 ラビの話では、枢機卿とヴァイセン帝国の繋がりを示す物――それをとある湖に隠したとのことだった。湖の場所は、現在地よりもさらに西、この地と帝国本土の国境沿いにあるらしい。

 肝心の中身について訊ねても、見れば分かる、の一点張りだ。

「でも、どうして国境沿いの湖なんかに隠したんだ?」

 ネイは億劫おっくうそうに肩を落とした。

 ヴァイセン帝国の本土はバルト大陸の中でも最も西に位置する。その国境近くとなると、どちらにせよ目的の物を手に入れたらそのまま引き返してくる必要がある。

 面倒そにするネイの様子に、ラビが不機嫌を露にさせて鼻を鳴らした。

「仕方がなかったんだよ。枢機卿を追って帝国本土内で盗み出したはいいが、本土から逃げ出す際に国境での検問に引っかかっちまったんだ。――運がなかったんだよ」

 結果、ラビは逃げ切れぬことを察し、国境を強引に越えるとそのまま近くにあった湖に隠したというわけだ。

 どうして検問に引っかかるようなヘマをした、と責めたいところだが、そこはネイも我慢した。帝国本土との国境といえば、他の国境よりも遥かに厳重なことで有名だ。どんな盗賊でも帝国本土に侵入しようとなんて試みない。

 帝国本土から脱出することには失敗したが、侵入できただけでも褒めてやるべきだろう。

「しかし、そんな大事な物を盗まれて、よく枢機卿は一度聖都に戻ったな」

 ルートリッジが呆れたように言った。

「枢機卿もその場は引き下がるしかなかったんだろうよ。ラビは帝国の占領下であるこの地で帝国軍に捕らえられたんだぜ。何も状況を知らない帝国兵にとってみたら、ラビはただの不審者だ。当然帝国軍が身柄を引き取る。られた物が物だけに、盗まれた物があるから身柄をよこせ、とは主張できなろうしな」

 ネイが答えると、ラビが同意を示して頭を縦に振った。

「目的不明の不審者として扱われてるうちは、俺も吐くことはないだろう、と考えたんだろうよ。実際、枢機卿からそんなものを盗んできたとバレてたら、今頃はもっと酷い拷問を受けただろうしな。――下手に動いて、帝国と秘密裏に繋がっている、ましてやその証拠があることを広く知られたくない枢機卿と、それを教えたくない俺。二人の利害が一致したってわけさ」

 ラビが愉快そうに笑う。しかし、少なからず拷問を受けた状態では、その笑いにもどこか覇気はなかった。

「もっとも、取り返さなきゃいけないものがある以上、俺をいつまでも帝国軍に預けておくつもりもなかっただろうが……。どうせ、急いで聖都に戻って引き取る段取りでも組んでたんだぜ」

 ラビが吐き捨てるように言うと、ルートリッジが顎に手を当てて考え込む。

「ただの罪人を自然な形で教会が引き取るには異端審問だな。枢機卿を尾行していた可能性がある――そんな理由でラビの召喚状をゴルドランに送っておけば、教会がラビの身柄を引き取るとことになっても問題ないな」

 ルートリッジの推測に、二人が同時に肯く。

「ゴルドランに来てた聖騎士団は、おそらく俺を引き取りに来た連中だぜ。――ネイ、急いだ方がいい。聖騎士団の連中がどれほど事情に通じてるのか知らないが、引き取りにきた囚人が逃げたとなったら躍起になるぜ」

 急かすラビに、ネイは憂鬱そうなタメ息を漏らして応えた。

 帝国兵の次は聖騎士団に追われる――それを考えると頭が痛んだ。

 

 

 

「ルー、あんたはエマたちを連れて聖都に向かえ。伝令が行き渡る前に国境まで辿り着ければ、あんたの“認可状”で何とかなる」

 ネイとルートリッジは荷台から降りると、そこから離れた場所に身を置いて向かい合っていた。

「国境沿いの湖まで一人で取りに行く気か?」

「いや、ビエリも連れて行こうかと思う。聖騎士団の連中も追って来るだろうからな。出くわしたときのことを考えると戦力が欲しい。ただ――」

「何か問題があるのか?」

「聖都に向かう際、そっちはそっちで危険があるかもしれない」

「どういうことだ?」

 ネイは口を開くのを躊躇ためらうように一呼吸置き、ルートリッジの顔を神妙な面持ちで見据えた。

「赤毛の“ギー”って盗賊のことを覚えているか?」

「アティスと一緒にフォンティーヌに帰った盗賊だろ? おまえは私のことを馬鹿にしてるのか」

 ルートリッジが見上げながら睨むと、ネイが苦笑する。

「あの二人とサイホンで別れる際、ギーに頼んでおいたことがるんだ――」

 ネイはギーに頼んだ内容をルートッリジに告げた。

 その内容とは、目的の物を手に入れたら直接フォンティーヌへ戻るのではなく、聖都を経由する――そのことを、ギーの口からアティスに伝えてほしい、ということだった。

「なぜわざわざそんな回りくどいことを? アティスに直接伝えれば良かっただろう。それにだ、女子供が増えた今なら非戦闘区である聖都に逃げ込むのも分かる。しかし、なぜそのときから聖都を経由するつもりでいたんだ? 遠回りになるだけではないか」

 ルートリッジが不可解なものでも見るような目を向けてくる。

「アティスに直接伝えなかったのは、聖都を経由する理由を追求されたくなかったからだ」

「どういうことだ?」

「ルー、俺たちがこの地に脚を踏み入れたとき、帝国兵に待ち伏せされたのを覚えてるだろ?」

「フォンティーヌに密告者がいることを疑い、おまえは認可状を取りに一度フォンティーヌに戻ったな――」

 そこでルートリッジが指先を弾いた。何かに思い至ったようだ。

「そうか、聖都へ向かうというのは嘘だったんだな。その時点で聖都へ向かうつもりなんてなかったんだろ」

 ネイが口の端を上げて笑う。それは肯定を意味していた。

「フォンティーヌ側に密告者がいる疑いがあったからな。聖都へ向かうという情報を流して、そっちに目を向けて欲しかったんだ。ただ、アティスは根っからの軍人だろ? 事情を知ったところで、上官にまで虚偽の報告ができるとは思えない」

「上官? 将軍エインセのことか? おまえ、エインセのことまで密告者として疑ってたのか?」

 ルートリッジが不快そうに眉をよせ、目を細めた。

「いや、将軍を疑ってはいなかった。ラビに枢機卿を探らせたのも、そのラビの救出を計画したのも将軍だぜ。その張本人が帝国軍に情報を流すなんて考えづらいな。だが――」

「エインセを疑ってはいなくとも、エインセの近くにいる人間は疑っている、か?」

「そういうことだ。ラビの救出が決まり、それからグラスローを出るまでさほど日にちが空いたわけでもない。それでもこの地にに侵入する計画が流れたってことは、密告者は少なくとも計画が決まった時点で身近にいた人間のはずだ」

 ネイが言い終えると、ルートリッジが感嘆の声を漏らした。

「おまえ、あの時点で脱出するときのことを考えていたのか」

「当たり前だ。“寝てるときも逃げることを考えろ”って言うぐらいだからな」

 さも高尚な教えを説いているかのように胸を張ると、ルートリッジが声を上げて笑う。

「また盗賊の間に広がる格言か。――しかし、赤毛から話を聞いたアティスはさぞ怒ったろうな。どういうことか問いただしたくとも、問いただす相手が近くにいないのだから」

 ルートリッジが目を細めてニヤニヤと笑う。

「まあ、怒ったろうが、ギーづてに話を通す方が都合が良かったんだよ。ギーなら完全な部外者だからな。聖都を経由する、と聞いても余計な詮索をしてこない」

「しかし、それでは聖都への国境で帝国兵が待ち構えているかもしれないな……」

「だからと言って、この人数で来た道を引き返して北上するのは無茶だ。――まったく、ここまで人数が増える予定じゃなかったからな、正直まいったぜ。今回ばかりは盗賊の格言も裏目に出ちまった」

 ネイがタメ息を漏らすと、ルートリッジが胸を軽く小突いてくる。

「気にするな。私たちの方での初期のメンバーは、私とルーナだけだ。それに、他の者たちに紛れていればそうそう気づかれはしないさ。上手く聖都への国境を越えてみせる」

 ルートリッジが軽く言うと、ネイが肩をすくめた。

「あ、それと一つ頼みがある」

「なんだ、言ってみろ」

「無事に聖都に辿り着いても、しばらくは将軍との連絡を取らずに身を潜めていて欲しい。目的の物を手に入れたら、俺とビエリは当初の予定どおり北上してフォンティーヌに戻るつもりだ。俺たちがフォンティーヌに着くまで、出来るかぎりこっちの情報を漏らしたくない」

「そうか、分かった。しかし、聖騎士団も追っている今、来た道を引き返すのは危険だぞ。しかも聖騎士団を率いるのは、あのスラル・ガトーだ」

 ルートリッジの知ったげな口調に、ネイが片眉を上げる。

「なんだ? 知り合いか?」

「あの男の学問の師と知り合いでな。ほら、以前に復活祭と日蝕の関係について話したとき、聖都にいる学者の話をしたろ」

「ああ……。聖都で日蝕を記録してる学者のことか?」

「そうだ。その学者がスラルの師でな。――ネイ、気をつけろ。スラルは賢いが、それだけじゃない。異例の若さで副団長に就任した数ヵ月後、当時の団長が心臓発作でたまたま死んだんだ」

“たまたま”という部分を強調し、ルートリッジが意味ありげな笑みを口許に作った。

「おい、まさか……」

「真実は分からん。だが、上の席が空いたことによって、若き団長が誕生したことは事実だ。あの男は涼しい顔をしているが、昔から目的を達成するためには手段を選ばないところがある」

「なるほどねえ……。“目的を達成するためなら”ってところだけは気が合いそうだ」

「まあ、何にしても油断はしないことだな」

「頭の片隅にでも留めておくよ。ただ、聖騎士団アイツらが追っているのはラビだ。出くわすのは俺たちじゃなく、あんたたちかもしれない。向こうも顔を覚えているかもしれないから、十分に注意してくれよ」

 そう言われて軽口を叩こうとルートリッジが口を開きかけたが、ネイを呼ぶ声が邪魔をした。

 二人が同時に顔を向けると、そこにはエマとユアが立っていた。

「ネイ、先生との話しが済んだら、その後で少しいいかしら」

 エマが二人を交互に見ながら言うと、ルートリッジがかぶりを振った。

「なあに、こっちの話はもう済んだ。私は先に荷馬車に戻っているよ」

 言いながら背を向けるとヒラヒラと手を振り、三人のもとから離れていく。何にでも首を突っ込みたがるルートリッジには珍しく、素直に引き下がった。

「どうやら、ここでお別れみたいね」

 ルートリッジが離れると、その背を見送りながらエマが切り出した。顔の大半がヴェールで覆われているため表情は読み取りづらいが、口調からは特別残念がっているような気配はない。

「別れる前に、ユアが貴方に御礼を、と」

「礼?」

 首を傾けてエマの背後を覗き込むと、ユアが伏し目がちに立っている。

 エマが一歩横に退くと、入れ替わるようにユアが進み出てネイを見つめてくる。

 陽射しを浴び、光の輪を作る艶やかな黒髪。切り揃えられた前髪の下に覗く眼、全てを映し出すような透明感がある。

 ――やっぱり苦手だ。ネイは真っ先に思った。

 収容所で初めて顔を合わせたときにも感じた居心地の悪さ。ユアに見つめられると、どうにも落ち着かない気分になる。ユアは特別な人間――そうレイルズに聞かされたせいかもしれない。

「レイのこと、ありがとう」

 ユアがわずかに頭を傾けると、ネイは白じんだように鼻を鳴らして返した。

「礼を言われるようなことはしていない。それどころか、俺は何もできなかったぜ」

 ユアが相手だと、ついつい突き放すような口調になってしまう。――やはり苦手だ。

「でも、哀しんでくれているでしょ?」

 確信を持ったように言われ、必要以上にかんに障った。

「さあ、どうかな。俺はレイルズと知り合って間もないんだ。哀しんでるとはかぎらないぜ」

 皮肉めいた笑みを浮かべて見せると、横に退いていたエマが微かに肩を揺らしているのが分かった。

「何が可笑しいんだよ」

「ユアにそんな虚勢は通じないわ。ユアが“哀しんでいる”と言ってるなら、貴方は哀しんでるのよ」

「ふざけるな。俺がどう思っているかは俺が決める」

 語気を強めると、エマがさらに肩を大きく揺らした。まるでネイの反論を楽しんでいるようだ。

「貴方は思い違いをしているわ。ユアが貴方の気持ちを決める、と言ってるわけじゃない。ユアは貴方の気持ちをが分かる、と言ってるのよ」

「そんな馬鹿な。それじゃあまるで――」

 笑い飛ばすように反論しようとしたが、ネイはハッとし、口をつぐんでユアを見た。すると、ユアが寂しげにはにかむ。

「まさか、おまえ……」

 心が読めるのか――その言葉を上手く出せずにいると、ユアが上目遣いにネイを見た。

「気味が悪いでしょ」

 ユアはネイの胸のうちを察したかのように答え、気まずそうに目を伏せた。

 ネイは唖然としたままユアを見つめ、しばし言葉を失う――が、突然小さな笑い声を漏らすと、その声を徐々に大きくさせ、しまいには腹を抱えて笑い出す。

 今度はユアたちが言葉を失う番だった……。

 

 

 

「そうか、そうか。そういうことかよ」

 ネイは笑いながら呟くと、目尻の涙を指先で拭った。

 ユアに感じた居心地の悪さ。その正体が分かり、この上なくすっきりとした気分だ。

 不思議そうに小首を傾げるユアに目をやると、さっきまで感じていた苦手意識はもう消えていた。それどころか、どこかに幼さを感じ、女と呼ぶことさえまだ少し早いように思えてくるから不思議だ。

「なんだ、そうだったのかよ」

 腕を組みをしながらウンウンと納得したように首を縦に揺らすと、パチパチとまばたきを繰り返しているユアを指差した。

「俺はな、おまえと同じ特技を持ってる人間をもう一人知ってるぜ。しかも、そっちはホエホエと不気味に笑う腰の曲がった白髪しらがのバアさんだ」

 ユアの眼差しに感じていた居心地の悪さ。それは、原始国セルケアに在るアシムたちの村の長老、ジュカに感じたものと同じものだった。

 全てを見透かされているような気まずさ。しかし、それさえ分かれば何ということはない。ジュカの方が遥かに不気味で胡散うさん臭い。

「私と同じ……」

「そうだ。そのバアさんに比べれば、おまえ程度は不気味でも何でもない。せいぜい、ちょっと変わった特技を持ってるお嬢さん、っていう程度だ。――良かったぜ。てっきり、無意識に恋でもしちまったのかと思ってたところだ」

 ネイが胸を撫で下ろすと、唖然としていたユアが思わず吹き出した。

 片手で口を押さえながら笑うその姿は、高貴でも神秘的でもなく、至って普通の少女に見える。

 ユアが笑いながらネイを見ると、ネイは身構えながら左右の掌を向けた。

「おっと、だからって心を盗み見するのは勘弁してくれよ」

 慌てるネイに、ユアが目を細めながら肯いて返す。

「まったく、レイルズがおまえのことを“特別な方だ”なんて勿体つけた言い方するから、一体何事かと思って身構えちまった」

「レイルズがそう言ったのは、心が読めることだけを指したんじゃないわ」

 エマが横から口を挟み、ネイが眉を寄せる。

「他にも何かあるのか?」

「ネイ、なぜ私たちが働き蜂ワーカー・ビーという名前か、その由来を知っていて?」

「知るわけないだろう。ギルドでさえ、あんたたち姉妹の存在を掴みきれなかったんだ。どうして俺が知ることができるんだよ」

 不機嫌そうに答えると、エマが薄い笑みを浮かべる。

「貴方は、また思い違いをしているわ。――姉妹で働き蜂ワーカー・ビーではないのよ。働き蜂ワーカー・ビーは私だけ」

 私たち、と言いながら、私だけ、と言う――その矛盾に首を傾げる。

「貴方と同じように、ギルドも働き蜂ワーカー・ビーに対しての認識を誤っている。働き蜂ワーカー・ビーとは特定の人物の通り名ではないの。それは、複数の人間を総称するモノなのよ」

 ネイはゴクリと喉を鳴らした。ギルドでさえ正体を知ることが出来なかった理由――それを今、エマは自分に告げようとしている。

「組織名のようなものか」

「まあ、そんなところね。――働き蜂が蜜を集めるように、各地で情報を集める。それが働き蜂ワーカー・ビーという名前の由来よ。そして、働き蜂はメスしかいない。同様に、働き蜂ワーカー・ビーも女たちで結成された女のみの組織なのよ」

「女たちの組織……」

 ネイが噛み締めるように反芻はんすうすると、エマが静かに肯く。

「男は野心、夢、誇り、見栄――そういったものと引き換えに、非力な女子供をないがしろにするわ。だから女たちは陰で結束した。様々な情報を共有し、先に起こるであろう難を逃れるために。でも男たちは気づかない。なぜなら女は非力だから、非力が無力だと思い違いをしているから。その男の高慢さが私たちの隠れみのよ」

 エマの唇が妖しい曲線を描く。

「男は女を無力だと思い、大事なことを平気で寝物語に語るわ。それこそまるで子供のように。女たちは母親のように微笑を浮かべてそれを聞いた。化粧で素顔を隠しながら」

 男を小馬鹿にしたような物言いに、怒りよりも笑いが込み上げそうになった。

 無力であると見せかけ、男をいい気にさせてやっているだけのだ――そう突きつけられたようで、そのしたたかさに痛快感すら覚える。

働き蜂ワーカー・ビーとは何人くらいるんだ?」

「それは誰にも分からないことよ。分かっているのは、どの街にも必ず働き蜂ワーカー・ビーが存在するということだけ。――当人たちですら互いに把握しきれていない。それを、ギルドの人間が把握しようなんて不可能だわ。事実、ギルドは近年になってやっとその存在に気づいただけ。働き蜂ワーカー・ビーの歴史はギルドの歴史よりも古いのに」

 ネイは軽い衝撃を受けた。

 ギルドは各国の汚い仕事を請け負うことで弱みを握り、力を手に入れた。その結果、土地を得て罪人国ベルシアが生まれた。言わば情報の勝利だったのだ。しかし、そんなギルドよりも先に情報を巧みに利用していた組織があった。それも、その組織はギルドのように情報ちからを誇示するのではなく、したたかに潜み続けていたという。

「それで、特別な存在ってのは何なんだ?」

「働き蜂にとっての特別な存在とは何かしら?」

「女王蜂、か……」

 エマが笑みを浮かべた。それは、上手い解答を導き出した我が子を見る母親のような笑みだった。

女王蜂クィン・ビーは歴史の傍観者。情報を把握し、働き蜂を導く予言者よ」

「それがユアなのか」

 信じられぬと言った様子でユアを見ると、エマが首を左右に振る。

「正確には女王蜂クィン・ビーとは違うわ。ユアは次代の女王蜂クィン・ビーよ」

「次の代の女王蜂か……。だけどいいのかよ、そんな大事なことを俺に話して」

「ユアが望んだから。ユアの意思は女王蜂クィン・ビーの次に尊重するべきものなの」

 ユアに目をやる。目の前の少女が数多あまたいるであろう働き蜂ワーカー・ビーを、いずれは統べる重責を背負う。――とても信じられぬ話だ。

「歴史の傍観者、か。で、その女王様はどの程度の情報を把握できるんだ?」

 半信半疑ゆえの挑戦的な問いかけだった。しかし――

「そうねえ……。エルナンという少年が、鷹の眼ホーク・アイと呼ばれるまでの生い立ち――それを調べるくらいなら造作もないことだわ」

 唐突にエマの口から飛び出した名前を耳にし、ネイの心臓が跳ねた。と、同時に冷たいものが背中を走る。

「調べたのか」

「貴方が私の前に現われた日から」

「その名を知っているということは――」

「貴方の故郷にも働き蜂ワーカー・ビーがいた、ということね」

 悪戯めいた笑みを浮かべるエマが憎たらしい。しかし、驚いていいのやら、呆れていいのやら、それすら分からずとりあえず皮肉を口にする。

「やれやれ、女は恐いね。今後、女を信用できなくなりそうだ」

「あら、今まで女を信用してたような口振りね。それはさすがに分からなかったわ」

 思わぬ反撃にたじろぎ、舌を打つ。チクリと針を刺したらナタで切り返されたような気分だ。

 ――何が働き蜂だ。そんな可愛らしいモノじゃないだろ。

 胸の内で毒づくと、ユアがクスクスと笑ったのでジロリと睨む。

「覗くな」

 一喝すると、ユアは慌てて笑いを引っ込めた。

「それで、何でその話を俺にしたんだ? そんな秘密をわざわざ話すってことは、有益な情報をもらえると期待してもいいのか」

 ユアに向かって訊ねると、ユアはかぶりを振った。

「今ここで有益な情報をもたらすことはできないの。まずはどこかの街に行かないと。情報を共有するといっても、それは女王蜂クィン・ビーを介してのことだから。いつでも皆が全ての情報を共有しているわけではないの」

「ただ、ユアなら女王蜂クィン・ビーから情報を与えられるだけでなく、引き出すことができるわ」

 ネイは二人の顔を交互に見やった。

「なるほどね……。今すぐは無理だが、とりあえず協力してくれる気はあるわけだ」

「ネイが知りたいことを教えて」

 ユアに促され、顔を伏せて考え込む。

 胸の内を読めるクセに――と思うが、それを言うのは止めた。協力する気はあるが、訊かれたこと以外は教えるつもりはない、ということだと解釈する。

 チラリとユアを見ると、申し訳なさそうに目を伏せた。どうやら当たりらしい。

 聞きたいことは山ほどある。しかし、どちらにせよしばらくは情報を受け取ることはできないだろう。そうなると、時間によって状況が変わることを調べても意味は無い。

 ネイはしばらく思案すると、調べてほしいことを絞り込んだ。

「じゃあ三つだ。それを調べて欲しい。一つは、俺たちがこの地に来る際、その情報を帝国に売ったヤツがいる。その人物について。二つ目は、キューエルという男のここ数年の行動について。そして三つ目は――」

 そこで言葉を止め、ルーナのいる方に目をやった。

 ルーナは少年たちに囲まれ、矢継ぎに何やら話かけられている。

「三つ目は、教会の聖女に関連のあること全てだ。それをできるかぎり調べてほしい。おそらく、キューエルという男との接点があるはずなんだ」

「分かったわ」

 ネイの目を真っ直ぐに見返し、ユアが力強く肯く。その表情は先ほどまでの少女のものではなく、次代の女王蜂クィン・ビーとしてのものだ。

「ところで、俺が働き蜂の秘密を誰かに喋っちまったらどうするんだ?」

「大丈夫。ネイは喋ってほしくないことは喋らない」

 ユアに自信を持って言われ、ネイは大袈裟に顔をしかめて見せた。

「盗賊がそんなことで信用されるようになったら終わりだな」

「あら、まだ盗賊のつもりでいたの?」

 今度はユアにナタを返され絶句した……

 

 

 

 つづく

 

 

 今回、帝国領土侵入編?の総括のような回になってしまいました。

 おかげで何も考えることがなくて早く終わった反面、文字数の多い説明臭い回に……(09/05/24)

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