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116章 待つ者

 空が白み始め、塗りつけたバターのように周囲の景色が後方へと流れていく。

 オズマから借り受けた灰色の馬は、三人を背に乗せていることなど意にも介さず、力強く地を蹴りながら飛ぶように突き進む。気を抜いて手綱を握る手を緩めれば、すぐさま振り落とされてしまいそうな勢いだ。

 最前にリムピッドが乗り、その後ろにはネイが。そして、ネイの背に身を預けるようにしてレイルズが乗っている。すでに自らの力では掴まることができないレイルズは、ネイの腰に両腕を回し、手首を帯で結ばれていた。

 ネイが背中で感じている呼吸の乱れ。それは、レイルズの容態が非常に危険であることを示している。

「――止めてくれ」

 不意にネイの背後から声が届く。ただでさえ景色と共に後方へと流れてしまう声は、ともすれば聞き逃してしまいそうなほどに小さなものだった。

 ネイが力一杯に手綱を引くと景色の流れが緩やかになり、不満を訴えるように馬が高くいなないた。並外れた馬力のため、止めるだけでも一苦労だ。

「どうしたの?」

 リムピッドが振り返り、不安げにネイを見上げる。

「レイルズが何か言った」

 首を伸ばして背後のレイルズを覗き込むと、レイルズの乾いた唇が微かに動くのが見えた。

「降ろしてくれ……」

「どうかしたのか?」

「降ろして欲しいんだ」

 繰り返された要求に応えるべきか、ネイは逡巡した。しかし、結局はレイルズの手から帯を解くと、先に馬の背から飛び下りて肩を貸す。

 レイルズがどうにか馬から降りると、そのまま道脇の草原まで連れて行き、その場にゆっくりと座らせた。最後に馬から降りたリムピッドも駆けより、うな垂れたレイルズを心配げに覗き込んでいる。

 ネイはレイルズを見下ろしながら吐息を一つ漏らすと、背を伸ばし、来た道に目を向けた。――とても静かだ。陽の出を待ちわびる鳥のさえずりだけが響いている。

「エマたちとの合流地点まで、まだ距離はあるか?」

 ネイが訊くと、レイルズが頭を小さく縦に揺らす。

「そうか……。なら、今のうちに止血だけでもしておこうぜ。オズマが残ったことだし、ここまで来れば追っ手の心配もないだろう」

 リムピッドに目配せをして二人でがかりでレイルズを寝かせると、その身体を目で辿りながら傷を確認していく。腕、肩、胴、脚と、無数の個所で服が裂け、そこから覗く赤黒い傷痕が痛々しい。

 さらに傷の具合を見ようとレイルズの上着を持ち上げたとことろで、ネイが動きを止めた。

「どうかした?」

 いぶかしむようにリムピッドが覗き込んでくる。しかし、持ち上げていた上着はすでに戻されていた。

「いや、なんでもない。――それより、この近くに川はあるか?」

 リムピッドが考え込むように小首を傾げながら低く唸る。

「確か、あっちに沢があったよね?」

 南西の方角を指差すと、レイルズが肯定を示してあごを引いた。

「よし。じゃあこれに水を含ませてこい」

 先ほどまでレイルズノの手首を縛っていた帯を差し出すと、リムピッドは黙って受け取りきびすを返した。素直に言うことを聞くのも、荷馬車から落ちた責任を感じてのことだろう。

 リムピッドが十分に離れると、ネイは改めてレイルズの上着を持ち上げた。再び姿を見せた傷口を目にして表情を険しくさせると、レイルズが静かに口を開く。

「肺を損傷したようだ。馬を走らせている最中に吐血もあった。――他の傷だけなら何とかなるかもしれないが、これは致命傷だな」

 まるで他人事のように淡々としたレイルズの口調。説明の終わりに口の端から一筋の血が流れた。

「自分の傷の具合を冷静に語るなよ。気持ち悪いヤツだな」

 ネイが呆れたように肩をすくめて見せる。

 レイルズの言ったことを否定してやることが出来ない。胸の刺し傷が深いことは傍目にも明らかだった。呼吸に合わせ、傷口から血が流れ出ている。

 ネイはレイルズの傷口を強く押さえると、深いタメ息を漏らした。

「おまえは馬鹿だぜ。俺たちなんて放っておけば良かったんだ。“誰も死なせない”なんて言っても、自分が死んじまったら話にならないだろ。――おまえが命を懸けるべき相手は、他にいたんじゃないのか?」

 多少責めるような口調になってしまうが、レイルズは一向に気にした様子を見せなかった。それどころか、口許には笑みさえ浮かべている。

「ネイ、私は自分の中にもう一人の誰かがいると思っていたんだ。その者を恐れ、忌み嫌っていた。だが、オズマと対峙して私は知ってしまったんだよ。――私の中に、私以外の者などいない、と……」

 再び口の端から血が零れ落ち、レイルズの身体が短い痙攣けいれんを起こす。血を流しすぎたためだ。

 ――もう喋るな。ネイはその言葉を口にすることができないでいた。そんなことを言ったところで、何の助けにもならない。

 そんな気持ちを知ってか知らずか、レイルズは構わず言葉を続けた。

「オズマは私に言った。私は、自分の力を解き放ちたがっている、と。――私はオズマと同じだったんだ」

「オズマと同じ?」

 レイルズが静かに肯く。

「私は、力をふるう場を求めていたんだ。痛みを捨て、血反吐を吐きながら得た技術の全てを――それがどれほどのものなのか知りたがっていたんだ……」

 ゴクリとレイルズの喉が鳴る。血を飲み込んだのがネイにも分かった。

「オズマと対峙したとき、私は別の何者かに身を奪われたのではない。全てを受け止めるであろう相手に歓喜し、私自身がオズマに殺意を抱いたのだ。――初めから、私の中に別の何者かなどは存在しなかった……。そこに存在していたのは、己の欲望を押さえきれない脆弱ぜいじゃくな自分と、そこから目を背け続けた矮小わいしょうな自分だけだった……」

 細く、長く息を吐き出したレイルズに表情は無い。しかし、その顔は何かにいきどおっているようにも見え、泣いているようにも見えた。

 ネイが、くだらない、と言うように鼻で笑い飛ばす。

「難しく考えすぎだ。名剣を手にすれば、その切れ味を試してみたくなる。開錠技術が身につけば、他人の家の鍵も開けてみたくなる。――誰だってそうだ。手にしたモノは試してみたくなるもんだろ」

 ネイが冗談めかして言うと、レイルズが目尻を下げて喉を鳴らすような笑い声を漏らした。

「だが、私の得た力など小さなものだったよ……。それを、君を知って思い知らされた」

「俺を? どういうことだ」

「私は、身体能力においても反応においても、君よりも優れているという自負がある」

「おいおい、今度は自慢話か?」

 ネイがわざとらしく顔をしかめて見せる。

「私の方が優れているのは事実だ、そう作られたのだからな。――だが、リムピッドが荷馬車から落ちたとき、君は私よりも早く動いて見せたんだ……。あれには驚かされたよ」

「……」

「あの場に残った私を、馬鹿だと言ったな……。では、君はどうしてリムピッドを救うために荷馬車から飛び出した? 君にとっても関係のない人間のはずだろ」

「……」

 何も答えられなかった。なぜ救おうとしたのか、その明確な理由など自分にも分からない。

 ネイが答えられぬことを見越していたかのように、レイルズが満足げに顎を引いた。

「理由など無いのだろ? おそらく、それが人として正しい在り方なのだろう。だが、私はリムピッドを救うことにも理由を探し、躊躇ちゅうちょした。救う必要性を探したんだ……。それが、君が私より早く動けた理由だ」

 レイルズが自嘲的な笑みを浮かべる。

滑稽こっけいだな。私の得た力とは、与えられた暗殺しじをこなすためだけのものだったのだから……。私は、オズマと対峙して自分を知り、君を見て自分に欠けているものを知った。だからあの場に残ったんだ。あそこで君たちを置き去りにすれば、私は一生“レイルズにはなれない”と分かった……」

「やっぱり馬鹿だ。そんなことをしなくても、おまえはレイルズだろ」

 レイルズが首を小さく左右に振る。

「いや、私はレイルズでいようと務めていただけだ……」

 すでに血の気が引き、生命を感じさせぬような蒼白い顔。小刻みに震える身体。それでもレイルズが何かを必死に告げようとしているのが分かった。

「だが、今は違うぞ。君たちを救うことで、私は得たのだから……」

「何をだ?」

「痛みだ――」

 レイルズの手が、致命傷となった刺し傷のすぐ上に置かれた。

「今まで殺めた者たちのことを考えると……痛みを感じぬはずのこの胸が、確かに痛むんだ……。救うにはこれほど苦労するモノを、私は本当に簡単に摘み取っていた……」

 白み始めた空の下で、レイルズの右目尻が輝いているのが見えた。

「ネイ、“胸が痛む”という言葉は、本当に胸が痛むからそう言うのだな……」

「だったら、それをエマたちにも教えてやれよ。おまえの帰りを首を長くして待ってるぜ」

 その言葉を噛み締めるように、レイルズは目を閉じた。しかし、それが叶わないことは互いに承知している。

「自分を待つ人がいるというのは……良いものだな……」

「そんなこと、俺に言われても分からないな」

 ネイが答えた直後、レイルズの身体が激しい痙攣を起こす。開かれた虚ろな目が虚空を睨み、咳き込むと同時に口からは大量の血が溢れ出した。

「ネイ……教えてくれ……」

「なんだ?」

「これは、レイルズという……夢の終わり……私は、目覚めるのか……」

 なぜそんなことを言ったのか、その理由を察してネイは愕然とした。

 最期のとき、レイルズは命果てることよりも、今が夢であることを恐れていた。夢から覚め、暗殺者アサシンに戻ることを恐れた。

 ネイはうつむき肩を震わせた。ギルドに対して初めて感じる怒り。アサシンを生み出したことに、堪えようのない怒りが込み上げてくる。

「安心しろよ、これは夢じゃない」

 それが、レイルズにかけてやれう精一杯の言葉だった…… 

 

 

 

 帯に染みこませた水を出来るかぎりこぼさぬよう、両手で覆いながら道を急ぐ。

 昇り始めた陽の光はリムピッドの不安を払拭するように、強く、暖かかい。

 息を弾ませたリムピッドの目に、片膝を突いたネイの背中と、その前で横たわるレイルズの脚が映る。

「ネイ、遅くなってごめん。水、持って来たよ」

 弾む息を飲み込みながらネイの背に声をかたが、ネイは応えるどころか振り返ることさえしなかった。

 もう一度声をかけようとしたが、ネイの様子に気づき言葉を飲み込んだ。

 震える肩、土を握り締める右拳。レイルズの血だろうか、その拳は紅く染まっていた。何も訊かずとも、その姿が全てを物語っている。

 喉がカラカラに渇き鼓動が早くなる。しかし、鼓動の活発さに反するように、全身から力が抜けていくのを感じた。

 水を含ませた帯が手から落ちると、地面が揺れているのか自分が揺れているの分からなくなり、ペタリと腰を落とす。――どこかで遠くで鳥が鳴いた気がした。

 尻餅をついて茫然とするリムピッドの頭上を、一羽の鳥が悠々と横切る。

 生まれたての太陽が見守る中、羽ばたく鳥はあらゆる束縛を振り払うように空の彼方へと飛び去った……。

 

 

 

 槍斧ハルバートの柄で腹部を突かれた兵士が馬上から崩れ落ちる。

 三十近くいた後続隊もすでに半数となり、残る兵士は一様に頬を引きつらせていた。圧倒的な実力差を目の当たりにし、金縛りに合ったかのように動くことができずにいる。

「おいおい、そんなに怖がるなよ」

 オズマが不敵な笑みを浮かべた直後、生暖かい風が頬を撫でる。

 風が何かを告げたのか、オズマは弾かれたように南西の方角に顔を向けた。それは、ネイたちが逃げ去った方角だ。

 南西の白む空を睨み、目を伏せると憂鬱そうな吐息をつく。

「やっぱり無理だったかよ……」

 吐き捨てるように呟くと、再び視線を上げてハルバートの穂先を南西の空に向かって突き出した。

「いつかそっちに逝くからよ、そのときに決着ケリをつけようぜ」

 あらぬ方向に穂先を突き出すオズマに、後続隊の面々は困惑した。それは大きな隙であったが、誰一人として動ことができず、その隙を突くことができない。

 オズマは悠然と向き直り、ハルバートを一際大きく頭上で回転させてから鉄の柄を地面に突き立てた。

「さあ、ここからはとむらい合戦といこうか」

 オズマが口許に笑みを浮かべた。溢れる生命力を誇示するように……。

 

 

 

 暖かかな陽射しの中、道の先につり橋が見える。対岸には数台の荷馬車。その荷馬車の周囲には、こちらの様子を窺う無数の人影があった。

 どういった表情をすべきか、何を言うべきか、リムピッドは考えを巡らせたが、そんなときに限って時間が短く感じる。つり橋のたもとまであっという間に辿り着いてしまった。

 さっきまは手を抜いて走っていたのではないか? そう疑いたくなり、リムピッドは妬ましそうに馬の後頭部を睨んだ。

 馬が頭を上下させながら慎重につり橋を渡り始めると、対岸に見える人の群れから一人の人物が進み出たのが分かった。――エマだ。エマが出迎えるように待っている。

 リムピッドはどういう顔をしていいのか分からず、後ろにいるネイの顔を仰ぎ見た。

 しかし、ネイは手綱を握りながら、ただ前だけを見据えて憮然とした表情をしている。振り返ったリムピッドに気づかないのか、気づいて無視をしてるのか、目を合わせようとはしなかった。

 つり橋を渡りきりって馬が脚を止めると、ネイに背中を軽く押されてまずはリムピッドが馬から飛び降た。続いてネイが地面に降り立つ。

 ネイは何も言わずにエマに背を向けると、二つ折りの格好で横たわったレイルズを担ぎ上げ、エマの前でその身をそっと地面に寝かせた。

 エマの背で、娼婦の娘たちが口許を押さえて哀しげに顔を背ける。

 何も声をかけないネイはどういった表情をしているのか、それはリムピッドの位置から窺い知ることはできない。

 無言の中、エマは地面に両膝を突くと片手を伸ばし、血で汚れたレイルズの頬にそっと触れた。

「本当におかしな人ね。こんなに傷だらけなのに笑ってるわ」

 誰に言うでもなくエマが呟いた。エマの言ったとおり、レイルズは血だらけの顔に穏やかな笑みを作っている。

「レイルズが“痛い”と言った」

 ネイの言葉に反応し、エマがゆっくりと顔を上げた。

「痛い? レイが?」

「ああ。殺めた者たちを想い、胸が痛い、とレイルズは言ったんだ。“胸が痛む”という言葉は、本当に胸が痛いからそう言うんだと実感そうだ。――あいつは、レイルズになれたぜ」

 ネイを見上げたエマの目が、大きく見開かれたのが分かった。

「そう……」

 エマは顔を伏せてポツリと零すと、静かに立ち上がり、レイルズに目をやりながらビエリの名を呼んだ。

 ビエリはオズオズと近づいて来てくると、ネイとエマ、二人を上目遣いで交互に見やる。

「ビエリ、レイを荷馬車まで運んでくれるかしら」

 エマの要望にビエリはコクリと頭を振ると、しゃがみ込み、太い両腕でレイルズの身体を抱き上げる。ビエリは一度だけネイに視線をやったが、それに対してネイが何も応えないでいると、寂しげに肩を落として荷馬車へと向かった。

 ビエリの後について行こうとするエマを、リムピッドが咄嗟に呼び止める。

 エマは背を向けたままで立ち止まっていたが、リムピッドがネイの隣まで進み出ると静かに振り返った。

「あの……」

 呼び止めたはいいが、言葉がなかなか出て来ない。何かをエマに告げたいが、何をどう告げていいのか分からない。

「あたしのせいなの。あたしが荷台から落ちなければ……」

「それはユアから聞いたわ」

 エマの冷やかな声が返ってきた。その声色に怖気づきそうになる。しかし、今さら黙り込むわけにもいかない。

「それに、ユアさんが捕まったのは、あたしたちのせいなの。あたしたちの活動に巻き込まれたからだって、そう皆に聞いたの……」

 エマの背後に控えた少年たちに視線を送ると、少年たちは目をそらしてうつむいた。

「それで? 何が言いたいの?」

「謝って済むことじゃないけど……。本当にごめんなさい」

 頭を下げ、最後の謝罪の言葉は地面に落とすように小さなものだった。そんなリムピッドの姿を見かねてユアが近づこうとするが、エマが手で制した。

 エマの顔はヴェールで覆われているが、それでも感じる鋭い視線。リムピッドは再び消え入りそうな声で謝罪の言葉を口にした。

「ずるいわね」

 突き刺すように放たれたエマの言葉。リムピッドは驚き、下げていた頭を反射的に上げた。

「そうやって謝罪をして、私に何と言って欲しいのかしら。――責めて欲しい? それとも許しの言葉が欲しい?」

 冷やかなエマの問いかけに、リムピッドは言葉を詰まらせて何も答えられなかった。ただ戸惑い、視線を斜め下で彷徨さまよわせる。 

「貴方たちは“牙の団”とかいう反乱組織レジスタンスなんでしょ? 自分たちの活動は、誰も巻き込まないとでも思っていたの? 誰かを巻き込んだときに、恨まれる覚悟はなかったの?」

「それは……」

 リムピッドが口ごもると、エマは緩くかぶりを振った。話にならぬ、そう言っているようだ。

「この地を――あの灰色の街ゴルドランを滞在地に決めたのは、レイがそう望んだからよ」

 唐突に話が変わり、リムピッドは困惑の表情を浮かべて小首を傾げた。

「でも、レイルズはゴルドランを好いたわけではない。それどころか、草木の枯れた景色や灰色の街並みを嫌っていたわ。――レイルズが言うには、色の無い景色は人の心を狂わすそうよ。景色に色が無いからゴルドランは戦火が絶えなかった、と信じていたのよ」

 そう言ったときのレイルズを思い出したのか、エマの口許に笑みが浮かんだ。

「おかしいでしょ? 争いが絶えない地だったからこそ草木が枯れ、砦を終戦後に再利用して街にした――色が無かったから争いが絶えなかったのではなく、争いの産物として色の無い景色が出来たのにね」

 エマが愉快そうにクスクスと笑い、リムピッドはどうしていいのか分からず苦笑いを浮かべた。しかし――

「レイがそんな街を滞在地として望んだのは、あの地に色を与えようとしたからよ。花を植え、あの殺伐とした景色を変えようとしたの。色が無い景色が人を狂わせたと信じたからよ」

 その言葉は冷水となり、幾千本の針となり、リムピッドの身に容赦なく浴びせられた。

「貴方たちが巻き込み、結果、命を落としたレイルズという人間は、そういう人間だったのよ」

 エマが背後の少年たちに一瞥いちべつをくれると、少年たちが一斉に顔を伏せる。

「貴方たちは、争ってこの地を取り返そうとしたんでしょ? それが正義だと信じたのでしょ? そのこころざしを否定はしないわ。でもね、そういうことで誰かを巻き込んだ人間は、詫びるよりも先に果たさなきゃいけない責任があるの。それは、自分たちの得たモノはそれだけの価値があった、と証明することよ。でも、貴方たちはまだ何も得ていない。何の責任も果たしてないうちに、レイルズのことを詫びないでもらいたいわ」

 静かで、落ち着いた声に気圧され、リムピッドと少年たちが小さくなるように頭を垂れる。

「責められて、自分たちだけ楽になろうなんて虫が良すぎるわよ。だから、ユアを巻き込んだことで貴方たちを責めはしない。結果、レイルズが命を落としたことで責めはしない。――その代わり、貴方たちを許しもしないわ」

 エマはリムピッドを拒絶するように背を向け、すぐ後ろに控えていたユアの肩を抱いた。

「すぐにこの場を離れるわ。さあ、荷馬車に乗ってちょうだい」

 エマは娼婦の娘たちに指示を出すと、ユアを連れ去るようにしてリムピッドの前から立ち去った。

 

 

 

 うな垂れ、立ち尽くすリムピッドにトゥルーが駆け寄る。

 トゥルーはリムピッドの両肩に手を置くと、無事を確認するように何度も頭を上下に動かし、それから思い切り妹の身体を抱きしめた。

「ずいぶんくたびれた顔をしているようだが、無事で何よりだ」

 目に前で抱擁を交わす兄妹きょうだいをネイが眺めていると、いつの間にかルートリッジの姿が隣にあった。眼鏡を指先で持ち上げ、ふてぶてしい笑みを斜め下から向けてくる。

「それ、どうかしたのか?」

 ルートリッジがネイの頭を指差してくる。そこには包帯代わりの布が巻かれてあった。

「ああ……。大したことじゃない」

 気のない返事をすると、ルートリッジは両腕を組んで鼻を鳴らした。

「ならいい。――それより、心配してたぞ」

 そう言いながら、ルートリッジの顎先が一台の荷馬車へと向けられた。その方向に目をやると、ジッとこちらを見ているルーナの姿が目に留まる。

 ネイは横目でルートリッジを睨んだ。

「怪しいもんだな。あいつが心配してたかどうかなんて、あんたに分かるのかよ」

「分かるさ。女同士だからな」

 ルートリッジが両腕を組んだまま胸を張ると、ネイが鼻にシワをよせて顔をしかめる。

「なんだ、その不服そうな顔は? 何か文句でもあるのか?」

「“女同士”なんて台詞は勘弁してくれよ。発育途上の子供ガキと、年齢不詳のババアじゃ――」

 最後まで言い終えぬうちに、ルートリッジのつま先がネイのすねを捉えた。傷を負った頭よりも数倍痛く、思わず苦悶の声を漏らして屈み込んでしまう。

「つべこべ言わず、無事なことをルーナに伝えてやれ」

 うずくまっていたところで背中を押され、地面に転がりそうになる。振り返って文句を言おうとしたが、早く行け、と先に言われて仕方なしに文句を飲み込んだ。

 ブツブツと不平を漏らしながらルーナの前に立つと、一呼吸遅れて上げられた紅い瞳に自分の姿が映る。 

「ああ……その、なんだ。心配してたとは思わないが……。とりあえず何とか生きて戻ってこれた」

 ネイが無事を示すように軽く両手を上げ、ぎこちなく口の端を上げるとルーナが一歩進み出た――

 ルーナは耳を当てるようにしてネイの腹部に顔を添えると、腰に両腕を回してくる。

 突然のことに面喰い、上げていた両手をどこに置いていいのか分からずにいると、今度はドタドタと慌しい足音が耳に届いた。

 両手を上げたままの格好で足音の方向に顔を向けると、駆けてくるビエリの姿が見えた。泣き出す寸前の顔をしている。

「ちょっと待て」

 ネイはビエリを止めようとしたが、もう遅い。

 ビエリは体当たりのような勢いで飛びかかってくると、そのまま太い両腕でルーナごと抱き締めてきた。

「ネイ、ブジ、ヨカタ……」

 ビエリが声を上げて泣き出すと同時に、ネイは顔を歪めた。頭上から落ちてくる泣き声が、鼓膜を破ろうかという勢いで耳に飛び込んでくる。

「おい、離れろ、苦しいんだよ」

 逃れようと身をよじるが、け出すことができない。まるで、ルーナとビエリに捕らわれてしまった気分だ。

 ネイはしばらく抵抗を試みたが、ついに観念するとタメ息と共に全身の力を抜いた。すると、それを待っていたかのようにレイルズの笑う声が聞こえてくる。

 ――自分を待つ人がいるというのは、良いものだな。

 ネイは苦笑いを浮かべてうつむくと、ルーナの頭を見下ろし呟いた。

「少し暑苦しいけどな……」

 

 

 

 つづく

 

 

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