109章 求めし者
「凄い――」
通路の角、ビエリと一緒に顔を覗かせるホーリィが呟くように言った。
「レイルズはとても強いの。いつだったか、店で暴れた四人の兵士をあっという間に捕り押さえたことがあるのよ。それなのに……」
槍斧を構えるオズマに二人の視線が注がれる。その口許に浮かべた笑みは、絶対的な自信を示していた。
「見事なもんだ。そこまでになるには余程の修練を積んだんだろうよ」
ハルバートの穂先をレイルズに向け、オズマが満足げに頷く。対してレイルズは静かな眼差しを向けていたが、その胸の奥には表面上の静けさとは異なる別の何かがあった。
「金獅子オズマ、一つ訊ねたい」
「なんだ?」
ハルバートを構えたままのオズマが顎先を軽く振ると、レイルズが躊躇いがちに口を開く。
「――数多の戦場を駆け、何を求める?」
「何を求める、か」
レイルズの問かけにオズマは穂先を下ろし、苦笑いを浮かべながら頭をボリボリと掻いた。
「そうだな、俺が求めるのは強者。そいつらを超え、俺こそが最強だという自負」
はっきりと口にした返答にレイルズは目を丸くし、一度深い吐息を漏らした。
「本気で言っているのか?」
「ああ」
胸を張るオズマに、レイルズは呆れたように緩くかぶりを振った。
「なんと稚拙な。そんな者はこの世に存在しない」
「そうかい? 最強の武人、そう謳われる英雄は確かにいるぜ」
オズマが顎を擦りながら言葉を返すと、レイルズは真っ直ぐにオズマを見据えた。
「それは過去の存在だからだ。誰が強者か、どちらが強者か、そんなことは剣を交えねば分からない。しかし、全ての者と決することは不可能だ。いくら戦い続けようが、その間も新たな命は生まれて来るのだから」
否定しながらも不敵な笑みを浮かべるオズマに心揺さぶられる。それを振り払い、拒絶するかの如く言葉を続けた。
「人である以上いつかは老い衰え、新たに現れる力に淘汰される。所詮、最強などとは人の記憶が生み出した甘美な幻想にすぎない」
レイルズの否定にオズマは肩をすくめた。
「確かにそうかもな。だが、辿り着けねえと思われるほどの道なら、死ぬまで走り続けられるだろ」
当然のように言って笑って見せる姿に、レイルズは眩しそうに目を細めてそっと顔を背けた。
レイルズの見せた一瞬の隙。しかし、オズマは平然とそれを見逃す。
「愚かな。その道は死に導く者に出会うだけの道だ」
レイルズが吐き捨てた言葉にオズマは顔を伏せ、喉を鳴らして笑った。
「そうだな。だが、それならそれでいい」
レイルズが弾かれたように顔を上げ、訝しげな視線をオズマに向ける。
「なぜ!」
「なぜ? そいつはおまえもよくご存知だろ?」
オズマが何を言っているのか、何を言おうとしているのか分からない。だが、胸の高鳴りはそれを知っているかのように加速する。
「自分で言うのもなんだが、俺は強え。それこそ、満足する相手とそうそう出会えねえほどに。だからこそ俺は強者を求めてる。血が沸き立ち、肉躍る瞬間を求めてる。そんな死線を越えて勝ちてえからだ」
(ああ……いけない)
これ以上、聞いてはいけない――レイルズの意識の隅、どこかでそう叫ぶ声が聞こえるが、同時にどこかで先の言葉を望んでいた。
「おまえも同じだよ。俺と同じ――」
(ああ……私は違う)
「強者を求めてるのさ。自分の全てをぶつけられる相手を――」
(ああ……私は)
「自分の持てる全てを限界まで解き放ちたくてしょうがねえんだ――」
(ああ……)
「だからこそ、おまえは微笑ってるんだろ?」
(っ!)
オズマの言葉にレイルズの身体がビクリと反応した。いつのまに自分の口許に笑みが浮かんでいたことに身が震える。しかし、それと同時に何かから解放されたように胸が軽くなった。
「見せてみろよ。俺はおまえが待ち望んだ相手だぜ。簡単に壊れやしねえ」
オズマの挑発に、レイルズは蒼白となった顔を伏せた。片手で口を覆い、凍えるように小刻みに身体を震わせる。
(ああ……私はいつも望んでいた? 全てを吐き出せる相手を望んでいた? 何を吐き出す? 何を……)
再び身体がビクリと波打つと震えが止まり、口を覆った手からどこか調子の狂った低い笑い声がこぼれ落ちた。そのレイルズの変化に、オズマが歯を剥くような笑みを作る。
レイルズの気配が変わった。冷たく流れるようだった気配が、今は渦を巻く黒々したものに感じる。
「やっぱり本性を隠してやがったか。それが本当の顔かい?」
その声にレイルズが応えることはない。レイルズは無言のまま、脱力したようにダラリと両腕を下げて見下ろすような視線をオズマに向けた。
濁り、血走った瞳。微かに左右に揺れる上半身――まるで何かに陶酔しているかのような様子だ。
オズマがゆっくりとハルバートの穂先をレイルズに向ける。
「いいねえ、死が背中に張り付いてるような気分だ。その危険な香りが生きてることを実感させるぜ」
「死? 生きてる?」
レイルズは不思議そうに小首を傾げ、再び調子の狂った笑い声を上げながらオズマを指差した。
「生きてちゃいけない。ただ死に果てろ――」
甲高い声でそう言い放った直後、レイルズは地を蹴りオズマに突進した。
「上等だっ!」
迎え撃つべくレイルズの腹部を狙って突き出されたハルバート。その刃はレイルズの脇腹を掠め、服を紙のように切り裂く。さらにもう一突き放つが、レイルズの速度が勝り仕留められない。
ハルバートの間合いをすんなりと突破し、オズマの懐に飛び込むとレイルズは左足を振り上げた。
金的――オズマの脚の間、急所を狙った蹴りが襲いかかり、オズマはそれを左手のみで押さえつける。続けて二本指を立てた右拳が眼球を狙って突き出された。
「くっ!」
オズマは後退しながら首を捻ってどうにか躱すが、レイルズの間合いから離れることが出来ない。
レイルズはピタリと張り付くようにオズマの後を追い、さらに喉元に向かって左拳を突き出す。それをオズマは躱すのではなく逆に一歩踏み込むと、身を屈めるようにして頭を突き出した。
ゴツリと響いた鈍い音――オズマはレイルズの拳を額で受け止めたのだ。
レイルズの左拳が軋む。
「うおおお!」
額で押し返すように頭をさらに押し出しすと、今度はレイルズが後退してオズマが追う形となった。
右腕と共に振り上げれたハルバート。それを見て取ったレイルズは踏み止まり、大きく踏み込みながら左脚を跳ね上げた。
オズマの身体に蹴りを届かせるには距離がありすぎる。
オズマが構うことなく渾身の一撃を振り下ろそうとすると、それよりわずかに早くレイルズの蹴りが放たれた。
「ちっ!」
オズマの顔が微かに歪む。レイルズの狙った場所はオズマの身体ではなく、ハルバートを握る右手だった。
右手を襲った痺れが刃先を鈍らせ、ハルバートの『斧』はレイルズを捉えきることなく左肩を掠めて地を砕く。
服が裂け、肩から血が噴き出すがレイルズは全く気に留めず、さらに踏み込んでオズマの顔に右拳を突き出した。
オズマが顔を逸らして避けると、レイルズの右拳が風を切る音を上げながらオズマの耳を掠める。しかし、それで終わりではなかった。
拳が顔の横を通過すると握り閉められていた指が開かれ、オズマの髪を鷲掴みにする。さらに左手が伸びて同じように髪を掴むと、レイルズはオズマの頭を引きつけながら跳ぶようにして右脚を跳ね上げた。
「ぐっ!」
両わきの髪を掴まれ、オズマは避けることが出来なかった。跳ね上がった脚――右膝がオズマの顎を正確に捉える。
頭上に突き抜けるような衝撃。
逃げることも出来ずにまともに受け止めた結果、オズマの腰は砕け、その巨躯がゆっくりと後方に傾いていく。しかし、レイルズは掴んだ髪を放なさなかった。
髪を掴んだままオズマの胴回りに両脚を絡め、覆い被さるようになって共に倒れていく。その瞬間、レイルズの口許に浮かんだ笑みは深さを増し、瞳が妖しく光った。
オズマの背中が地に着くと同時、レイルズは自身の体重を乗せのせるようにオズマの頭を石床に叩きつけた。
再びゴツリと鈍い音が響くが、その音は先のものより遥かに大きく不快なものだ。
オズマの手がビクリと跳ね、その身体の上に馬乗りになるようにレイルズが着地する。
凍りついたような静寂が訪れ、レイルズは動かなくなったオズマを冷淡に見下ろしていた。
角から様子を覗っていたビエリとホーリィは呼吸をするのも忘れ、その光景をただ呆然と眺めていた。
永遠に続くかと思われた静寂。その中から、ゴツ、ゴツと鈍い音が聞こえ、ビエリとホーリィが我に返る。しかし、目にした光景に更なる恐怖を覚え、二人は気が遠のきそうになった。
二人が目にした光景――馬乗りになったレイルズが二度三度と拳を振り下ろす姿。
レイルズは薄い笑みを浮かべたまま、動かなくなったオズマの顔を淡々と殴り続けていた。
薄暗い通路をネイが駆ける。
約束の時間を示す蝋燭は燃え尽きたというのに、扉の前でいくら待てどもレイルズたちは現れなかった。
「何をやってんだ!」
何かあった――それは分かってはいるが、焦りと苛立ちから声に出して毒づく。すると、その声に応えるように通路の先に人の影が浮かんだ。
何者かに馬乗りになり、拳を振り下ろす白髪の人物――間違いなくレイルズだ。
「レイルズ!」
ネイが一度立ち止まって呼びかけるとレイルズはピタリと手を止め、二呼吸ほど間を置いてユラリと立ち上がった。顔は伏せられ、その表情は見て取れない。
「どうした! 何があった?」
そう声をかけながら小走りに近づくと、レイルズも身体を左右に揺らしながら進み出た。その動きにネイが眉を寄せる。
「おい、一体――」
再びを声をかけたそのとき、不意にネイの中で早鐘のような警告音が鳴り響く。その警告に従い慌てて踏み止まると、何の前触れもなくレイルズの足が跳ね上がり、ネイは反射的に身を沈めた。
「うおっ!」
四つん這いの格好になったネイの頭上、レイルズの足が唸りを上げて通過し、黒髪が風になびいた。
「馬鹿野郎! 俺だ、俺」
そう怒鳴なりながらレイルズを睨みつけたネイの頬がヒクつく。
小首を傾げるようにしてたたずむレイルズの姿。その顔には薄い笑みが浮かんでいた。
「げっ! 『おまえ』かよ」
片膝をつき、咄嗟に腰に下げた小袋に手を伸ばすがレイルズが邪魔をする。顔を狙いすまして突き出される蹴り。ネイは転がりながらそれを避けると壁際で身を起こした。
「おまえはお呼びじゃねえ!」
無意味な文句が口をつく。
向き直って近づいて来ようとするレイルズの姿に、慌てて腰の袋から吹き筒を取り出した――ルートリッジに借りた物だ――続いて矢を取り出そうとするが、間に合いそうもない。
もう一度距離を取ってから――そう判断してレイルズを睨むと、ネイはレイルズではなくその背後に目を見張った。
レイルズの背後、大きな人影がヌっと現れる。その人物は頬を腫らして顔を血に染めてはいるが、確かにネイにも見覚えのある顔だった。
「オズマっ!」
ネイが叫ぶと、レイルズも背後の存在に気付いて振り返る。
オズマは振り返ったレイルズの顔を左手で鷲掴みにすると、血に染めた顔にニヤリと笑みを浮かべた。
「なに勝手に相手を変えてやがる。まだ終わっちゃいねえだろうが」
レイルズがオズマの手首を掴んで引き剥がそうとするが、力を込めた手は離れない。それどころか、さらにレイルズの顔を締め上げた。
レイルズは引き剥がすの諦め、両脚を跳ね上げてオズマの左腕に絡みつこうとする。だが、今回はオズマの方が速かった。
オズマは大股で踏み込むと、咆哮と共にレイルズの頭を壁に叩きつけた。
オズマの左手の下、後頭部を叩きつけられたレイルズの鼻から血が流れ出る。
ゆっくりと手を離すとレイルズの身体は崩れ落ち、壁には血の帯が作られた。
オズマは崩れ落ちたレイルズを見下ろし、両手でハルバートを振り上げる――が、それを振り下ろしはしなかった。
振り上げた格好のままで動きを止め、怒りを静めるように鼻から深く息を吐き出すとハルバートを静かに下ろして距離を取った。
「立てよ。さっきは邪魔が入らなきゃ俺も危なかったからな。これで『チャラ』だ」
そう言ったオズマの前で、レイルズがよろけながら立ち上がる。
『痛みを感じない』ということは『効かない』ということではない。自覚はなくとも斬りつけられれば血は流れ、頭部を激しく揺らせば運動能力は喪失する。
立ち上がったレイルズは右に左に足をもつれさせた。
「ちょっと待てっ!」
ネイが止めようとするが、レイルズはもちろんのこと、オズマの耳にもその声は届かない。ネイは舌打ちすと素早く吹き矢を準備し、それをよろけるレイルズに向かって吹きかけた。
足許がおぼつかないレイルズに命中させることは、動物を狙うよりも容易だ。
「がっ!」
針が首筋に突き刺さるとレイルズは短い呻き声を漏らし、膝が砕けたように地に倒れ込んだ。その様子にオズマが目を剥き、ネイが恐るおそる足先でレイルズを突く。
「おい、ニィさん、邪魔するんじゃ――ああん?」
ようやく見覚えのある顔だと気付き、オズマが小首を傾げた。
「ニィさんは、確か聖都で会った……」
「そう、聖都で会った男だよ。――事情は知らないがここは引いてくれ。事情を聞くヒマもなければ、説明しているヒマもないんだ」
ネイがオズマを睨むと、オズマは倒れたレイルズとネイの交互に目をやった。
「ははん、なるほどね。ニィさんたちはお仲間ってわけか」
ネイは頷くと、チラリとオズマの背後に目をやる。しかし、そのことにオズマは気付かない。
「ニィさん、残念ながら今回は協力できねえな。今の俺の仕事は監獄の治安維持だからよ」
オズマはこれ見よがしにハルバートを肩に担ぐと、胸を張って親指を自分に向けた。ネイはそんなオズマに向かい、躊躇なく吹き矢を吹く。
「うわっ! いきなり何しやがる!」
慌てて避けながら怒鳴り声を上げると、ネイがさらりと言って返す。
「今は敵なんだろ?」
「だからって、知った仲にいきなり仕掛けて来ることはねえだろうが! なんて冷たい野郎だよ」
オズマが鼻息を荒げながら進み出ようとする。しかし、まるで鎖に繋がれたように身体が引かれ、前に踏み出すことができなかった。
「ああん?」
オズマが訝しげに振り返ると、そこにはオズマよりもわずかに大きな男――ビエリが立ち、オズマが担ぐハルバートの柄を両手でしっかりと掴んでいた。
「な、なんだてめえは!」
自分よりも大きな男に驚き、オズマの声が裏返る。
極度の緊張から一転して気が緩んだ状態となっていたため、ビエリが近づいていることに全く気付かなかった。
「デ、デカい図体して存在感の無いヤツだな。――離せよ!」
肩からハルバートを下ろしてビエリと向き合うが、ビエリは首を左右に振って離そうとしない。
「離せって言ってんだろ」
片手でハルバートを引こうとするが動かない。試しに押してもみるがやはり動かない。
「こ、この野郎!」
ハルバートを両手で掴み腰を落とすとビエリも同じように腰を落とし、二人で綱を引き合うような格好となった。
オズマとビエリ、両者の二の腕に血管が浮き上がる。
「俺と力比べをしようっていうのかよ。デケえからって図に乗るんじゃ――」
言葉の途中、両足が地を離れ、オズマが思わず目を丸くする。
「えっ! ええ?」
「グギギギ」
ビエリは歯を食いしばり、オズマの『身体ごと』ハルバートを持ち上げると、そのまま向きを半転させて背負い投げるようにハルバートを投げ捨てた。
「うおおお!」
驚愕の声と共にオズマの身体は宙に舞い、ドシンと大きな音を上げて石床に落下する。
ビエリに背を向けながら尻餅をついた格好となったオズマは、信じられぬ、といった様子で目をしばたかせていた。
「ビエリ、来い!」
いつの間にかレイルズを背負っていたネイが声を上げると、ビエリがオズマの奥に向かって手招きをする。すると、角からホーリィが姿を見せ、スカートをたくし上げて駆け出した。
突然姿を見せたホーリィに、ネイが目を丸くさせる。
ホーリィはオズマの横を恐々と通過したが、呆然とするオズマはそのことにすら気付かなかった。
ホーリィがビエリの許に辿り着くとオズマもようやく身を起こし、顔を伏せたままネイたち四人に向き直った。
「俺が力で負けるわけがねえ……負けるわけがねえ……」
肩を小刻みに震わせながらブツブツと口の中で繰り返し、キッと顔を上げてビエリを睨む。
「待て、こらあ!」
腹の底から絞り出したような怒号。角でも生えてきそうな形相を浮かべてオズマが駆け出すと、ビエリの口から短い悲鳴が漏れる。
「ビエリ、早く来い!」
ネイに急かされ、ビエリは踵を返すとホーリィを抱え上げて駆け出した。
「待てえ、このハゲえ!」
鬼のような叫びにビエリは首を左右に振り、目を閉じながら必死に走る。そのままビエリがネイの横を通過すると、ネイは手にしていた『玉』を石床に向かって投げつけた。
途端に立ち昇る白煙。それを目にし、ネイもビエリの後を追うように逃げ出す。その直後、必死で逃げるネイとビエリの耳に鬼の声が届く。
「なんだこりゃあ! うお、目が痛ええ! うおおお!」
鬼は悲鳴を上げながら激しく咳き込んでいた……
つづく
一応言っておくと、オズマとビエリは初顔合わせです(記憶が正しければ)。
ネイとオズマが出会ったとき、ビエリは一緒じゃなかったはず……と、そこまで気にする人はいないと思いますが、一応……
では、また次回も読んでいただければ幸いです(08/07/02)