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10章  少女の名

「ほお〜……ふてぶてしい……じゃ」

 暗闇の中でそんな言葉が聞こえた気がした。

 その声に反応し、重い瞼を持ち上げるとボヤけた視界が広がり始める。

「うう……」

 後頭部に痛みが走り、耳鳴りがする。

 身体は泥沼の中に捕らわれたように重い。

「おっ! 起き……ようじゃ」

 しわがれた声が聞こえるが、現実感がなく、どこか遠くから聞こえてくるよ感覚だ。

(俺は……森で……相手は女だった……いや……)

「っ!」

 蒼白い霧がかかったような意識の中、急速に記憶と意識が覚醒した。

 次の瞬間、反射的に身体を起こそうとする。

「ぐっ!」

 しかし、後ろに引っ張れるような抵抗力があり、立ち上がることが出来なかった。

 その反動で思い切り尻餅をつく。

 どうやら後ろ手に縛られ、柱か何かに繋がれているらしい。

「ホエッホエッホエッ! 気が付いた途端に警戒するとは見上げた精神力じゃ」

 息の抜けたような笑い声に、しわがれた声。

 まだ照準の合わないボヤける視界を、必死に合わせようと軽く頭を左右に振る。

 後頭部に鈍痛があり、頭がひどく重い。

 しかし、その甲斐あって徐々にだが、何とか周囲の様子を認識することが出来てきた。

 どこなのかは分からないが、どうやら木造製の部屋のようだ。

 二人……人がいる。

 一人が松明たいまつを片手に持っているところを見ると、どうやら夜のようだが、どれくらい気を失っていたかは分からない。

 それともう一つ……『あいつ』がいない。

 そこまで考えたとき、ニ人のうち一人が前に進み出てきた。

 杖を突き、深いシワが無数に刻まれたしわくちゃの顔。長く灰色に近い白髪。

 老女だ。

「あの少女のことが心配かえ?」

 ネイの心理を見透かしたように、しわがれた声で話掛けてくる。

 どうやらまどろみの中で聞こえていた声の主はこの老女のようだ。

 その質問には答えず、無言で老女を睨み返す。

 まだ多少視界がボヤける。

「ホエッホエッホエッ! そんな睨まんでも取って喰いやせんよ」

 また息の抜けた笑い方をした。

「それとも……この森の者は『人喰いだ』とでも誰かに脅かせれたかぇ?」

「……」

 それでも無言のネイに、老女は少々呆れた顔を見せた。

 厚みがあり落ち窪んだ瞼の奥、わずかに見える瞳がネイを見据える。

「では質問を変えるかのお……おまえさん達はここに何しに来たんじゃ?」

「……」

 何も答えようとしないネイに業を煮やしたのか、老女の後方にいるもう一人の人物が近付いた。

「ジュカ様の質問に答えなさい」

 ネイを見下ろしながら静かな口調で話し掛ける。

 流れるような白銀色の金髪プラチナ・ブロンド……

 森で襲ってきた男だ。

 細身の身体にその顔立ちは、やはり女と見間違えても無理がないものだった。

「いきなり襲ってきたあげく、気絶させて縛り上げるようなヤツが威張るな」

 ネイが相手を見上げながら噛み付く。

 そう言われると男は小さなタメ息をついた。

「もう少し穏便に捕らえる気でしたが、あなたが予想外に手強かったのです」

「穏便だと? 矢で殺されかけたのにか?」

「殺す気なら、わざわざ外すことはしません」

 男の言葉にネイは鼻を鳴らした。

「わざわざだと? 負け惜しみか?」

「……その気だったら避けられませんでしたよ」

「……」

「もうやめんか」

 二人の言い合いを見かね、ジュカと呼ばれた老女が割って入った。

「アシム、おまえもおまえじゃ! その者が怒るのも無理はなかろう?」

「申し訳ありません」

 ジュカにアシムと呼ばれた男は、頭を下げて後方に下がった。

「どうじゃ? なぜこの地に来たかちゃんと話してくれんか? そうすればおぬしの縄を解いて自由にしよう」

 

 

 

「これは……」

 木造の部屋から出て目にしたものは、何本もの樹の上に建てられている家々だった。

 その数は二つや三つではない。

 いくつもの家が大きな樹の幹に建てられている。

 いや、もしかしたら家から樹が生えているのかもしれない。

 そんな錯覚を受けるほど、家と樹が一体となった不思議な光景だった。

 そして所々に火が灯り、無数の灯りの効果でその光景をさらに幻想的に映し出している。

 そこでネイは自分の足元を見下ろし、自分の閉じ込められていた部屋も樹の上にあったと気付いた。

「驚いたかえ? 我々はこうやって樹と共に生活しておる」

「……」

 見たこともない光景に唖然とし、言葉が上手く出て来ない。

「ホエッホエッ、どうせこの地に住むものは『野蛮な原始の民』くらいにしか思っていなかったじゃろ?」

 まさにジュカの言う通りだった。

 他の国から見れば、この国は大半が森という未発展国で、尚かつ他国との流通がほとんど無い。

 野蛮とまではいかなくとも、しっかりとした家を建てて生活をしているとは正直思ってはいなかった。

 それだけでも驚きだったが、ましてやこの光景だ。

 自分が何かの物語の中に迷い込んでしまった気さえする。

「さあ、こっちへ」

 呆然としているネイに、アシムが吊橋の上から声をかけてきた。

 樹から樹へと吊橋が掛かっており、どうやらそれで建物間を移動するらしい。

 声をかけられ、我に返り慌ててアシムの後について歩く。

 吊橋を渡っている途中、前を行くアシムの背を見ながら、後方にいるジュカに耳打ちするように問いかけた。

「なあ、バァさん。さっき気になったが、なんであいつは眼を閉じてるんだ? それとも眼が細過ぎてそう見えるだけか?」

「ホエッホエッ。アシムは眼を開けていようが閉じていようが同じだからじゃよ」

「?」

「あやつの目は光を失っておる」

「っ! ウソだろ? とんでもない精度で矢を射ってきたぞ!」

「ホエッホエッ、本当じゃよ」

 見えていないなんてとても信じられないが、ジュカが嘘を言っているようにも感じない。

 幻想的な世界に超人的な能力。そしてこの怪しい年寄り……

(本当にこいつら人間か? 何かに化かされてるのか?)

 少し身を反らしながら、疑いの眼差しをジュカに向けた。

「何をしてるんです? さあ、ここですよ」

 アシムそう言うと、指し示した扉の横に立った。

 ネイは小さく鼻を鳴らし、アシムの横まで行くとその顔を覗き込んだ。

「何ですか?」

 アシムは少し身を反らし、迷惑そうに眉をひそめる。

「おまえ……本当に見えていないのか?」

「ジュカ様に聞かれましたか?」

 そう言ってアシムは、ジュカのいる正確な方向に顔を向けた。

 その行動を見ても目が見えていないとは信じ難い。

「確かにその通り。この目は光を失っています……ですが見えないわけではありません」

「?」

 言ってることが理解出来ずにネイが眉間にシワを寄せると、アシムはまるでその表情が見えるかのように小さく笑った。

「ちゃんと見えるのですよ。目とはまた違った見方でね」

 その言葉にネイは少し顎を上げ、胡散臭げに横目でアシムを見る。

 どうしても見えていないということが信用できない。

「それより、早く顔を見せてあげなさい。きっと彼女も見知らぬ地で一人は心細いでしょう」

 その捕らえた張本人がよく言う、と思ったがそれを口に出すのは止めた。

 この状況で相手を挑発しても得は無い。疲れるだけだ。

「あいつが心細いなんて思うのかねえ……」

 そう皮肉を零しながら木製の扉を押し開けた。

 ネイが閉じ込められていた部屋とは違い、松明に火が灯って明るさを保っていた。

 そしてその部屋の中央、少女がペタリと座っているのが見えた。

 相変わらず、やや俯いたままピクリとも動かない。

「!」

 そこでネイは何かに気付き、ズカズカと足を踏み鳴らして部屋へと入っていくと、そのまま少女の周りを一周回った。

 どう見ても少女が拘束されている様子はない。

 そして少女の前に置かれた物を、ネイはしゃがみ込んでマジマジと見る。

 少女の前に置かれていたのは、木製の皿に盛られた数種類の果物だ。

「どうしたんじゃ?」

 そのネイの様子にジュカが不思議そうに声をかけた。

「縛られもせずに食い物まで用意か……」

「それがなんじゃ?」

「同じ捕らわれの身にしては、ずいぶん待遇に差があるな」

 不満を最大限に顔に出すと、果物を一粒取って口の中に放り込んだ。

「ホエッホエッ、まぁそう言うでない。その娘は我々にとって特別なんじゃよ」

「?」

 どういう意味だか図りかねていたとき、部屋の隅で光る何かが視界をかすめた。

 その方向に目を凝らすと、それは小さな動物の両目だった。

 大きな真ん丸の目、同じく大きな耳。

 身体のわりに長い尻尾があり、手足は短い。

 そして、全身を鮮やかな黄色い毛が覆っている。

 その生き物が部屋の隅で両手に果物を持って、ネイに背を向けながら肩越しに顔を向けている。

 見るからに警戒しているのが分かる。

「その子の名はユピ。赤子のときに親が死に、私が育てました」

 アシムが見えているかのような正確さで声をかけてくる。

「ああ、そう……。しかし、人に育てられた割には警戒心が強いな……」

「その子は賢いんです」

「どういう意味だよ?」

 ネイが憮然とした顔で振り返った。

「悪い意味じゃありませんよ。賢いから人の顔も覚えるし、あなたにも負い目を感じる」

「顔を覚える? 負い目? 会った事もないのにか? ……一体どういうことだ?」

「決して怒らぬと誓うならお教えしましょう」

 そう言ってアシムが涼しい顔で頷く。

「怒らないから早く言えよ」

「その子は賢く、そしてとても優しい。だから私を助けようともします」

「で?」

 ネイは先を促したが、アシムはそれ以上語らず、黙って自分の後頭部を指差した。

「……?」

 しばらく考えると記憶が徐々に戻ってくる。

 森で気を失う直前、何かが上から降ってきて、頭に殴られたような衝撃が走った――

「あっ! おまえかっ!」

 そう言うと同時に、ネイはユピに飛びかかる。

 それをいち早く察知し、ユピはキッと短い悲鳴を上げて逃げ出した。

「待てっ! おまえの頭を出せ! 思いっきりひっぱたいてやる!」

 

 

 

 目の前に運ばれた食事にネイは我が目を疑った。

 少女の方を見やるが、運ばれてくる料理の豪華さには明らかな違いがある。

 運んでくる人間の様子も、どこか自分にはよそよそしい。

「おい……俺は自分でも知らないうちに、ここの人間に恨みでも買うようなことをしたのか?」

 隣に座るアシムに耳打ちした。

 そんなわけは無いと分かっていても、思わずそう訊きたくなるほどの対応差だ。

 アシムはそれには答えず、ただ涼しい顔をしているだけだ。

「で、ネイ。その娘を預かるのはいつまでかの?」

 質素な肉を口に運んだところで、ジュカに唐突に話かけられ思わず咳き込む。

 ネイは少女と自分のこと、そしてキューエルとの経緯をかい摘んで話した。

「そいつがどこから連れて来られたかを調べてくる。それまで頼む」

 そう言ってネイは少女の方に目をやった。

 少女の横ではユピが必死に果物を頬張っている。

 なぜか知らないが、どうやらユピは少女を気に入ったらしい。

 少女の方はどうなのかは分からないが……。

「そういやバァさん、さっき少女こいつを特別な存在って言ったな。あれはどういうことだ?」

「ホエッホエッホエッ。なあに、大したことではない。髪の色じゃよ」

「髪の色?」

 ネイが怪訝そうにジュカを見ると、アシムが横から口を挟んでくる。

「この国で深き銀色は聖なる象徴なんです」

「なるほどね……それでこの待遇差か」

「ええ、そうです。そしてさらにもう一つ。貴方は褐色の肌らしいですね?」

「それがどうした?」

「褐色の肌は不吉を運んで来ると言われてます」

 悪びれた様子もなくアシムはサラリと言ってのける。

「なに? ……肌の色で決めるなんてバカバカしい話だ」

 自分の頬を擦りながら、ネイは不快そうに眉間にシワを寄せた。

 聖なる象徴と不吉を運ぶ者……どうりで人の対応に差があるはずだと納得した。

 そのイメージはあまりにも真逆過ぎる。

 そんなネイの不愉快そうな表情を見て、ジュカが高く笑った。

「対応に違いが有るのはそのせいだけではないぞ……その娘が『持たざる者』だからじゃ」

 そのジュカの言葉にネイの身体がビクリと反応する。

 持たざる者――それは、キューエルが少女を指し示した言葉と同じだったからだ。

「持たざる者? バァさん、それはどういう意味なんだ?」

 ネイの表情が険しいものになり、それとは対照的にジュカは相好を崩した。

「お前さんも薄々気付いておるじゃろ? この娘には感情と呼ばれる類のものが一切無い」

「感情が……無い?」

 ジュカの言葉を、口の中で反芻はんすうするように繰り返す。

 何となくそんな気はしていたが……

「しかし、そんな人間がいるのか?」

「ジュカ様が言うのだから間違いありません。ジュカ様は人の心を読み解く力をお持ちだ」

 アシムのその台詞を、ネイにはとても信じることが出来なかった。

 しかし、少女に感情というものが欠落しているというのは、何となく本当のような気がする。

「ホエッホエッ、読み解けると言うても全てではない。せいぜい感じる程度じゃ」

「持たざる者……か」

 ネイはそう呟いて少女を見た。

 もしそれが本当なら、感情の無い少女の世界とは一体どんなものなのだろう、という疑問が浮かぶ。

「感情が無いゆえ、その娘は最も清き存在……怒り、妬み、憎しみ、その他の負の心も一切持ち合わせておらぬ」

「最も清き存在……」

「うむ。逆に希望や喜びといった正の心も無いがのお」

 ジュカの言うことが本当なら、そんな人間に一体何の利用価値があるというのか。

 キューエルの目的がますます分からなくなる。

「感情が戻ることは無いのか?」

 そのネイの質問に、ジュカは静かに首を左右に振った。

「分からぬ。そもそも失ったのか、それとも元から無いのか……」

 ネイ、アシム、ジュカがそれぞれ少女を見つめるが、少女は一点を無表情に見つめたままだ。

「ところでその娘、名は何と言う?」

 唐突に投げかけられたジュカの問いに、ネイは目を丸くした。

「名前? さあ……」

 ネイの返答にジュカは大きくタメ息をつき、両眉を上げながら緩く首を振る。

「ダメな男じゃのお……名は大事じゃぞ? 生命とは名を持つことにより、初めてその存在を得るんじゃ」

 そう言われてネイも多少居心地が悪い。

 今まで、おい、あいつ、程度で済ませていて、名前など気にも止めていなかった。

「名前と言われても、聞き出すことも出来ないからな……」

 口篭くちごもり、思わず言い訳がましくなる。

 ジュカはもう一度タメ息をつくと、ニンマリと口の両端を上げて笑みを浮かべた。

「では本当の名が分かるまで、良い別の名をやるとしよう」

 ジュカはそう言うと、ジッと少女を見据える。

 その眼差しには年齢を重ねた優しさと、鋭さの両方が見え隠れした。

(不思議なバァさんだ……)

 ネイはそう素直に感じた。

「ルーナ、この娘の名は『ルーナ』じゃ」

「ルーナですか……良い名です」

 本音を言えば、ネイには少女の名前などはどうでも良かった。

 ただ、満足げに頷く二人に辟易とした表情をする。

「うむ。では次にネイ、おまえじゃ」

「えっ、オレ? 俺がなんだ?」

 ネイが自分を指差すと、ジュカは怪しい笑みを浮かべた。

「まさかルーナを預けるのに無償だとは思っておるまい?」

「金でも取るのか?」

 ネイがそう訊くと、ジュカは愉快そうに目を細めた。

「金? ホエッホエッ、此処でそんな物を持っていても何の役にも立たん」

 確かに言われてみれば、この集落には店らしきものは見当たらない。

 この国に他にも集落があるのかどうかは知らないが……。

「おまえさんが我々に払うのは労働力じゃ」

「なに? 労働?」

 予想外の要求にネイは声を裏返した。

「何をさせる気なんだ? 悪いが、あまり時間をかけたくないんだけどな」

「なあに、簡単なことじゃ。二日もあれば済む」

 そう言うと、ジュカはまた息の抜けた笑い声を上げる。

 どうも上手くペースを掴まれている気がし、目の前で微笑む老女が苦手だと自覚した。

「明日、アシムが他の者と共に『森の獣』を捕らえに行く。それを手伝って欲しいだけじゃ」 

「森の獣?」

「うむ」

 そう言ってジュカは微笑むだけで、詳しく説明する気はないらしい。

 なかなか骨が折れそうな話だ。

 そうネイの勘が警告していた……

 

 

 

 つづく

 

 


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