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105章 地下収容所

 ネイは眼下に広がった光景に息を飲んだ。

 業火のように燃え盛かる炎が世界を紅く染め、焼けた香りを乗せた熱気が吹き上がる。

 中央に設けられた巨大な器。その中では溶けた飴のような赤黒い液体が、気泡を作っては弾かせ、のた打つように波打っていた。

 剥き出しの岩壁で揺れるいくつもの人影は、ときに伸び上がり、ときに縮み、まるで狂喜しながら乱舞しているようにさえ見える。

 罪深き者が死した後に堕ちるという世界。眼下に広がる光景は、まさにその世界を連想させた。

「――地下鉱山か」

 天井から斜めに穿うがたれた空気孔。ネイはそこから収容所の様を目にし、ボソリと呟いた。

 ネイの呟きを聞き取り、レイルズが肯定する。

「そう、この地下収容所は鉱山になっている。帝国軍はこうした収容所を各地に設け、囚人に採掘と製錬せいれんを行わせているのだ」

 鉱石を採掘し、金属を抽出する。その作業を罪人に行わせるための場所がこの収容所であった。

 ヴァイセン帝国の最も恐るべきは、兵の数ではなく装備にある、と言う者も多い。装備の質はもとより、その生産性に置いても他国を圧倒しているのだ。

 ヴァイセン帝国の力の源に触れ、ネイは口笛を吹く真似をした。

「帝国にとっては囚人も立派な労働力ってわけか」

 足許から吹き上がってくる熱気に絶えかね、ネイが口許を覆った。

 空気孔に身を潜めているため、吹き上がってくる熱気に常にあてられて嫌が上にも汗が噴き出す。

「もともとが砦のこのゴルドランを、わざわざ改良してまで帝国本土からの移住地にしたのは、何よりこの鉱山があったからだ」

「なるほどね」

 ネイは納得したように頷くと、滑り落ちないように注意しながら空気孔の奥へと身を戻す。

 ネイたちの後方では、額に汗を浮かべたビエリとリムピッドが待機していた。

 ビエリなどは、今にもだらしなく舌を垂らしそうなほどに息を荒げている。

「しかし、ここは本当に暑いな。上の方はまだ涼しかったんだが」

 二人に声をかけながらネイ自身も汗を拭う。

「もう少し辛抱してくれ。一日に何度か作業を行う囚人の交代があるらしい。そのときが来れば帝国兵の意識も囚人に集中するだろう。そうなれば下りる隙も出来るはずだ」

 レイルズが言うと、ネイがげんなりとした様子で肩を落とした。

「茹で上がる前にそのときが来ることを願うよ」

 タメ息混じりに言うと、ビエリとリムピッドが力無く頷いて同意する。

「それじゃあ、待っている間に聞かせてもらおうか」

 ネイはそう言いながら頭の後ろで手を組むと、空気孔の壁に背を預けて目だけをレイルズに向けた。

「聞かせる? 何をだ?」

「おまえたちが救い出したい人物のことだよ。ここまで来たら協力するしかないんだ、もう信用しろよ」

 ネイの言葉にレイルズは逡巡して見せたが、目を閉じると吐息を漏らして小さく頷いた。

「いいだろう。――我々が救い出したいのはある女性だ」

「女か。一体どういった人間なんだ?」

「名をユアという。エマ様の妹君だ」

「エマの妹? 勿体もったいつけておいてそれだけか?」

 幾分驚いたように言うと、レイルズが一呼吸遅れて頷く。そのわずかな間が、他にも『何か』あることを物語っていた。

 ネイは小さく鼻を鳴らした。ここまで来てまだ信用しないことが気に入らない。

「嘘が下手なヤツだな。どうせ嘘をつくならバレないようにつけよ。――それで、背格好は? 見かけの特徴くらいなら言えるだろ」

 思い切り不機嫌そうに訊くと、レイルズは苦笑いを浮かべた。

「安心してくれ、ユア様は特別な方だ。目にすれば必ずその人だと分かる」

「特別な方? ただの妹じゃなかったのかよ。そもそも、そんな特別な人間なら罪人扱いなんかされるか」

 チクリと皮肉を言うが、レイルズは気にした素振りも見せない。ただ、目にすれば分かる、そう繰り返した。

 その問答を最後にネイは口を閉ざした。目を閉じ、ただ時間が流れるのをジッと待つ。

 変わらず吹き上がって来る熱気が嫌な汗をかかせるが、拭ってもキリがないので無視をする。

 リムピッドが背負った荷物から水筒を取り出し、時折喉を潤しては、その度に生温い喉ごしに顔をしかめていた。

 そのリムピッドが真っ先に限界に達する。他の三人に比べて体力的に劣るため、それは致し方ないことだった。

「もう限界だよ。まだなの」

 誰にともなく愚痴をこぼした直後、下から響いてきていた石を叩く音が徐々に収まり、代わってガヤガヤと人の騒ぎが耳に届いた。その音にいち早く反応したのはレイルズだ。

 レイルズは素早く身を起こし、滑り落ちぬように注意しながらも中腰で素早く移動した。

 空気孔からそっと顔を覗かせて眼下の様子を窺う。

 列をなす囚人たち。その周囲を看守役の帝国兵が囲み、声を荒げながら移動を促していた。

「よし、まずあそこに飛び移る」

 空気孔から見て右下、岩壁が大きく歪み、ちょうど踊り場のように突き出した場所がある。

「距離があるな」

 ネイが言ったとおり、レイルズが示した場所までは幾分距離があった。

 狭い空気孔からでは助走が取れず、飛び移るのは難しそうだ。

「ビエリ、荷物を。まずは私が行く。三人は後に続いてくれ」

 そう言ってビエリから荷物を受け取ると、レイルズはそれを背負って重心を後ろ足に乗せた。

 一度帝国兵の様子を窺い、反動をつけて何の迷いもなく空気孔から身を投げる。

 いくらレイルズとはいえ、とても届きそうにはない跳躍。

 落ちる、そう思われたとき、レイルズは途中にある岩壁のわずかな凹凸を蹴り、それを踏み台代わりにして落ちかけた身体を再び宙に浮かせた。

 さらに飛距離を伸ばした身体は目的の場所まで難無く辿り着く。

 レイルズは着地すると同時に転がり、両手を地につきながら頭を下げて息を殺した。

 帝国兵は相変わらず囚人を誘導し、レイルズに気付いた者はいない。

 無事に渡りきったことに、残された三人は胸を撫で下ろした。

 レイルズが身を低くしたまま自身に向かって手を振り、来い、という意志を示す。しかし、それを見たネイは呆れたようにタメ息を漏らした。

「あいつは馬鹿だ。自分の身体能力を分かっちゃいない」

 ネイが吐き捨てるように言うと、ビエリとリムピッドが同時に頷く。

 ネイはともかく、二人にレイルズと同じことをしろ、というのは無理がある。

「リム、荷物を貸せ。――ビエリ、ロープだ」

 ネイはリムピッドの荷物を背負うと、次にロープを腰に巻きつけ始めた。

「どうするの?」

 リムピッドが訊くと、ネイは足許を覗き込む。もし落ちれば、骨の一本や二本では済みそうにない高さだ。

 続いてレイルズのいる場所までの距離を目測する。その際、首を傾げるレイルズの姿が目に入り、腹が立ったネイは中指を立てて見せた。

「ビエリ、ロープをたるませておけ。――俺が先に向うに飛び移る。その後に俺とビエリでロープを引く。それが済んだら、リム、まずはおまえがロープを伝って滑り降りてこい」

 リムピッドは合点がいったようにコクリと頷いた。

「最後はビエリ、おまえだ。おまえはロープを掴んで飛び降りろ」

 さらりと言ったネイの言葉にビエリは目を剥くと、恐るおそる足許を覗き込んで思い切り首を左右に振った。

「大丈夫だ。レイルズがいる場所までの距離より、ここから地上までの高さの方が長い。三人でロープを引いててやるから、しっかり掴まっていれば落ちることはないさ」

 ネイが説明して聞かせるが、要領を得ないビエリはさらに激しく首を振った。

「ビエリっ! グズグズしてる時間はないんだよ」

 ネイがきつく言うと、ビエリは下唇を突き出した後にがっくりと肩を落とした。どうやら観念したらしい。

「出来るな?」

 反論を認めぬ口調で問うと、ビエリは目を合わせずに小さく頷いた。

「よし。じゃあ行くぞ」

 ネイが身体を前後に揺らし始める。

 さすがに鼓動が早くなり、それを鎮めるように右手で胸を押さえた。レイルズのように上手くやれる自信はないが、ここで固まっているわけにもいかない。

 ゴクリと喉を鳴らした直後、意を決してネイは空気孔から飛び出した。

 軽くしなやかな跳躍。レイルズと同じように岩壁を蹴り、さらに跳び上がると宙を駆けるように脚を交差させ、反らした身体を一気にたたみ込む。

「くっ!」

 眼前に迫る突き出した足場。そのぎりぎりの場所に着地すると、ネイはつまずくようにして前方に両手をついた。

 荒い呼吸。顔から血の気が引いて鼓動が激しくなっていたが、その激しさが自分が無事なことを実感させる。

「何をしていたんだ。早くしないと見つかるではないか」

「うるさいっ! 文句が言うヒマがあったら手伝え」

 レイルズの不満を切り捨て、ネイは腰に巻いたロープを掴んで腰を落とした。それを合図にビエリもロープ引き、たるんだロープがぴんと張られた。

 空気孔からリムピッドが姿を見せ、斜めに伸びたロープを掴む。そこでようやくレイルズも意図を察し、ネイと共にロープを引いた。

「こんなことをやっていては気付かれるぞ」

「黙って下の様子を見張ってろ」

 ネイに怒鳴られ、レイルズはチラリと視線を落とす。

 囚人の列はすでに半分ほどとなり、そろそろ帝国兵が囚人への集中を切らせておかしくない状況だ。

「レイルズ、来るぞ」

 リムピッドが飛びつくと同時にロープが上下に揺れ、ネイとレイルズはさらに強くロープを引いた。

 ロープに両脚を絡め、背中を地上に向けた状態でリムピッドが滑り落ちる。

 充分に近づいて来ると、レイルズはロープから手を離してリムピッドの小柄な身体を受け止めた。

 ネイはレイルズが受け止めたのを見届けると下の様子を窺った。

 帝国兵が囚人たちに何か声をかけている。その変わらぬ様子に胸を撫で下ろした。しかし、のんびりしている場合でもない。斜めにロープを張った状態では、いつ気付かれてもおかしくはない。

 先刻のレイルズと同じように、ネイが腕を振って早く飛び降りるように促す。そこでビエリは躊躇ちゅうちょして見せた。

 泣き出しそうな顔で、ネイと自分の足許を交互に見る。

「あいつ、この期に及んで何をモタモタしてやがる!」

 三人が身振り手振りで飛び降りるように伝えると、ビエリは泣き出しそうな顔をさらに歪ませてきつく目を閉じた。次の瞬間――

「飛んだっ!」

 リムピッドの声と同時にネイとレイルズが踏ん張った。

「うお!」

 ズシリと重い衝撃。三人の身体がわずかに引きずられ、足場のふちにロープが擦れてギリギリと軋む音を上げる。

 飛び降りたビエリの身体はロープが伸びきったところで一度跳ね上がり、振り子のようにネイたちの方向へと勢いよく向かった。

 上手くいった――そう思いかけた直後、三人の足許でゴツリと鈍い衝突音が鳴り、続いてガラガラと岩の崩れる音がした。

 きつく目を閉じていたビエリは足を着けることが出来ず、勢いを殺すことなく岩壁に身を打ち付けてしまったのだ。

「あの馬鹿っ!」

 ネイがビエリを責める。衝突音と激しく揺れたロープで事態を察した。

 再びズルリと引きずられ、三人が歯を食いしばる。

「気付かれるぞ」

 レイルズが踏ん張りながら苦しげに言うと、ネイはチラリと眼下に目を向けた。

 最も近くにいた帝国兵が衝突音に気付き、顔を左右に巡らせている。

 運が良かったのは、帝国兵がネイたちに背を向けていたということだ。しかし、その運も長くは続かない。

 帝国兵は異変が無いことに首を捻ると、今度は振り返ろうとする。

 ビエリが宙吊りになった状態では、振り向かれたら間違いなく気付かれてしまう。

 瞬時にネイの脳裏に地下の光景が甦る。掘り出された土石がいくつもの小さな山を作っていた――

「手を離せ、伏せろっ!」

 ネイが指示を出し、リムピッドとレイルズがロープから手を離す。それとほぼ同時、ネイは腰に巻きつけたロープを素早くナイフで断ち切った。

 二人が地に伏せ、わずかに遅れてネイも伏せる。三人は腹這いになるとそのまま体勢で息を殺した。

 全神経を耳に集中させて鼓動を早める。もしもビエリの落下を目撃されたのならすぐに騒ぎが起こるはず。しかし、結局騒ぎが起こることはなかった。

 充分な間を置いて全身の力を抜くと、同時に三人が大きく安堵の息を漏らす。

「彼はどうなった?」

 顔だけを上げてレイルズが訊くと、ネイはぎこちない笑みを浮かべて小首を傾げた。

「ロープの長さを考えれば、落下しても大したことはないと思うが……」

 言いながら腹這いで移動するとそっと下を覗き込んだ。

 ネイの視線の先、地に倒れて尻を擦るビエリの姿があった。

 ビエリの近くには山のように盛られた土石があり、それが壁となったおかげで帝国兵に気付かれずに済んだ。

「まったく、ヒヤヒヤさせやがる」

 まだ尻を擦っているビエリの姿にネイは苦笑した。

 

 

 

「大丈夫か?」

 座り込んだビエリを見下ろし、ネイが声をかける。

 ――踊り場のように突き出した岩場からは、三人ともさしたるう苦もなく地上に降り立つことが出来た。そこから岩壁の凹凸が激しなっており、手足を掻けることが容易だったからだ。

 声をかけられたビエリが横目にネイを見上げた。

「なんだ、その目は。この世の不幸を背負ったみたいなつらしやがって」

「ウソツキ。ネイ、オチナイ、イッタ」

 ビエリの批難めい態度にネイが口許をひん曲げた。

「無事だったんだからいいだろ。そもそも、おまえが馬鹿正直に壁にぶつかったのがいけないんだ。壁に足を着けばこんなことにはならなかった」

「アウウ……」

 ビエリは尚も不満な顔を見せていたが、ネイに鋭い一瞥をくらうと渋々といった様子で立ち上がった。

「何はともあれ侵入成功だ。まずはユア様とラビという男を探そう」

 レイルズが言いうと、ネイは物陰から地下の世界に視線を巡らせた。

 すでに囚人の入れ替えは済み、再びスコップとツルハシを叩きつける音が響いてくる。作業に当たっているのは男の囚人だけのようだ。

「ラビは何か重要な情報を掴んで捕らわれたらしいからな、採掘作業とはいえ自由を与えられているとは思えない」

 ネイの考えにレイルズが頷いて同意を示した。

「ここはあくまでも採掘場だ、牢獄は別のエリアにある。まずは牢獄へ向かおう」

 レイルズの提案にネイが緩くかぶりを振る。

「ここに辿り着くだけで苦労してるっていうのに、簡単に言ってくれるぜ」

「文句をいったところで今さら後戻りは出来ないぞ。――急ごう」

 レイルズが身を屈めて移動を始めると、三人は顔を見合わせてタメ息をついた。

 移動する四つの影が怪しく揺れる。リムピッドはその影の濃さに不気味なものを感じた。

 深い影はさらなる危険に足を踏み入れる者を値踏みする死神。影の手が伸び、死を宣告すべき者の肩を叩く――

 そんな馬鹿げた妄想が広がり、リムピッドはそれを振り払うように頭を振った。

「どうかしてる」

 自分自身を鼓舞するように呟くが、不吉な妄想は尚も意識を侵食した。

 ――肩を叩かれた者に、死から逃れる術はない……

 

 

 

 つづく

 

 

 6月、投票をクリックいてくれた方が25名いました。

 クリックしてくれた一人ひとりの方、ありがとうございます。拍手っ!

「あ、自分かも……」と思ったそこの貴方、間違いなく貴方です。ありがとうね(涙)

 

では、また次回も読んでいただければ幸いです(08/07/01)

 

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