102章 報告
陽が傾きかけた刻、軽快な足音を響かせて石畳の上を歩く女が一人、その後を足音を消すように歩く男が一人。その二人に気付き、離れた場所で長髪の男が目を丸くした。
「団長、アティス団長じゃないですか」
声をかけられ、先を行くアティスが足を止めると、その後に続く男も足を止めた。
声をかけた男が二人に向かい小走りに駆け寄ってくる。その姿を目に留め、アティスは小さく吐息を漏らした。
「エウか」
「エウか、じゃないですよ。いつ戻られたんです? それに――ええと、こちらの方は?」
エウはアティスの背後に控える男に目をやると、柔らかげな長髪を掻き上げながら意味の無い笑顔を送った。
嫌味のないエウの笑顔に、男は鼻筋にしわを作りながら口の両端を思い切り下げる。遠慮無く不快感を表した顔だ。
「この男はギーだ。ネイとセティの知り合いらしいんでな、成り行きで一緒に連れて来た」
「へえ、ネイ君とセティの……。ところで、そのネイ君たちはどこに? 一緒じゃないんですか?」
エウがキョロキョロと周囲を目を配ると、アティスが歩きながら話すように顎先を軽く振って先へと促す。
それに従いエウが並んで歩くと、二人の後をギーが追った。
「色々あってな、ネイたちとは別行動を取った。――そんなことより、帝国に情報が漏れている、という件はネイから聞いたか?」
「ええ、一度戻って来たときに聞きました。帝国領土に侵入した際に待ち伏せにあったとか」
エウが確認すると、アティスが神妙な面持ちで頷き、その背後でギーが退屈そうに大きな欠伸をした。
「情報の流出元は特定出来たのか?」
「それがまだなんです。団長たちの行動を把握していた人物となると、かなり範囲が絞れるはずなんですが……」
歯切れの悪い報告にアティスは一度足を止め、小さく鼻を鳴らすと再び歩き出した。
再び話を続けようとした二人に、ギーが咳払いをして邪魔をする。
「なあ、小難しい話はさ、とりあえずセティちゃんの居場所を俺に教えてからにしないか?」
場違いな締まりの無い声。話を中断されたエウが顔をしかめてアティスに耳打ちする。
「彼、どこまで連れて行くんですか?」
「適当な部屋で待たせておけ。セティに会いたいそうだ」
「彼女とはどういった関係で?」
「本人が言うには恋仲らしい」
「へえ」
エウが意外そうな声を漏らして背後を覗き見ると、その視線に気付いたギーが片眉を上げながら不機嫌そうに口を曲げた。
「ああん? なに見てんだよ」
「いや、君とセティが恋仲だと聞いたんでね」
エウの弁解に、ギーは不機嫌そうな表情をパッと晴らして小鼻をヒクつかせた。
「おい、そんな馬鹿正直に言われると照れるじゃねえか。それより――」
ニヤけた顔を引き締めてエウを指差す。
「セティちゃんを勝手に呼び捨てにするなよな」
そう言ってギーは小鼻を大きく膨らませた。
では誰の許可が必要なのか、そう訊こうとしたがエウは口を噤み、代わってアティスに顔を近づける。
「彼、本当にセティの恋人なんですかね。本当ならかなり変わった趣味だと思いますね」
「おい、こら、思い切り聞こえてるぞ。――いいか、俺はこの国に来てからというもの、セティちゃんの存在をひしひしと感じるんだよ。これは愛し合う者同士の共鳴ってやつだ。こうしてる今もセティちゃんの愛を近くに感じるね」
両腕を組みながら自分の言葉に納得するように頭を上下させると、エウが呆れ気味に肩をすくめた――と、ちょうどそのとき、先に見える階段にセティの姿が見えた。
階段を独り下りて来ると、セティもアティスたちに気付き、あっ、と声には出さず口を開く。
「おやおや、共鳴し合うっていうのはまんざら嘘でもないのかな」
エウが苦笑すると、背後のギー覗き込むように前方を見やる。その途端、前を歩く二人を乱暴押し退けてセティに向かって駆け出した。条件反射のような反応だ。
左右に押しやられた二人はよけながら壁に手をつくが、ギーはそんなことはお構いなし。
「セティちゃーん!」
飛ぶように駆ける――まさに、そう形容するのがぴったりな足取りで、両腕を翼のように左右に広げた。
駆け寄ってくるギーの姿を目にし、セティは一瞬たじろぎながら表情を引きつらせる。
「げっ! ぎ、ギー?」
「セティちゃーん!」
セティに迫り、飼い主に飛び掛かる犬のような勢いで地を蹴り、そのまま強くセティを抱きしめる――はずだった。
「げぎゅっ!」
短く滑稽な悲鳴。飛びつこうと宙に舞ったギーは、セティに触れる寸前、透明な柱に突き当たったようにその進行を止めた。
咄嗟に突き出したセティの右拳が、見事にギーの顎を捉えたのだ。
奇妙な角度に曲がったギーの首、その一連の流れを見ていたエウが首をすぼめて顔をしかめた。
「あれは痛い、あれは効いた」
右拳を突き出した格好で動きを止めたセティの先で、ギーの身体は腰が砕けたように崩れ落ちていく。
四肢を伸ばして床に倒れたギーに、エウは歩み寄ると恐々と覗き込んで声をかけた。
「ず、ずいぶん乱暴な愛情表現だね。今ので愛は感じられたかのい?」
「い、痛いほどに……」
呻くように答えると、ギーは白目を剥いてがっくりと力尽きた。
「それは本当ですかっ! それで、どうなったんです?」
無数にある部屋の一室、詰問するようなアティスの口調に、横に立ったエウが目をしばたかせた。
テーブルを叩かんばかりのアティスの勢いに、向かいに腰掛けた人物がそっと手を翳す。
「落ち着け、アティス。――モントリーブ軍がディアドに向けて発った、という情報だけで、帝国と手を結んだと決まったわけではない。ディアドの加勢に向かったのかもしれん」
後者は詭弁、それはアティスにも重々分かっていた。しかし、はっきりとしていない状況では反論する材料もない。
アティスは浮かせかけた腰を再び沈め、気を静めるように大きく吐息を漏らした。
「モントリーブがどういった態度を示すか、それを確認させるためにファムートをディアドに向かわせた」
その言葉にアティスの表情が再び曇る。
「ファムートを? 将軍、お言葉ですが、あの男を一人で行かせたのですか?」
向かいに腰掛けた男――エインセのことを射抜くように見据えた。
「情報漏洩の件か? おまえはファムートを疑っているんだな?」
エインセの問いにアティスは何も答えず、ただ顎を引くようにしてわずかに顔を伏せた。その様子にエインセが目を細める。
「アティスよ、警戒心を持つことは構わん。しかし、何の根拠もない状況で疑心を態度に表すのは感心できんな。それが団長という立場の者なら尚のことだ」
「軽率でした。申し訳ありません」
アティスが背筋を伸ばして頭を下げる。
「とにかく、軍を動かせんのは今までと変わらん。今はファムートが戻るのと、ラビが救出されるのを待とうではないか」
アティスが小さく頷いた。
「他に報告は?」
「あと一つだけあります。――ネイと別れる際、聖騎士団を目にしました」
その報告にエインセは眉をひそめ、先を続けるように促した。
「聖騎士団を率いていたのは、あのスラルです。馬車が一台、それを護送しているようでした」
「騎士の中の騎士が……」
そう呟くと顎に手を当ててしばし考え込むが、それだけの情報で答えが出るわけもなく、一度タメ息をつくと緩くかぶりを振った。
「――報告は以上か?」
「はい」
「分かった、では下がってよい。今日はゆっくり休んでくれ」
その言葉にアティスは腰を浮かせ、一礼するとエウと共に退室する。
二人が退室するのを見届けると、エインセは窓際に立って目頭を強く押さえた。
「帝国の黒騎士に、教会の白騎士か……。ネイ、早くラビの掴んだ情報を持って来い」
エインセは恨み言のように呟き、西の空を険しい表情で睨んだ。
まだ賑わう時刻には少し早い街の酒場、ギーが上手そうに喉を鳴らしながら酒を煽る。そんなギーに、セティが鼻をつんと上げながら白い目を向けた。
「で、あんたはすぐにベルシアに戻るわけ?」
セティが冷やかに訊くと、ギーは口許を拭って満面の笑みを浮かべると、グラスをテーブルに置いて頷いた。首が痛み、頭を前に倒すことが出来ない。
「さっきも言ったけど、鷹の眼が帝国領土にいるってギルドに早く報告しなきゃ。他のヤツに先を越されたら、わざわざ帝国領土まで行った苦労が報われないよ」
人差し指を立てて得意げに語るギーに、セティが頬杖を突いて鼻を鳴らした。
「なんかさあ、セコい点数の稼ぎ方よね」
「どうしてさ?」
「あんたも盗賊のはしくれでしょ。だったら点数は盗みで稼ぎなさいよ」
セティの言葉にギーはタメ息混じりで小さくかぶりを振る。分かっていない、そう言っているような態度がセティの気に障る。
「あのねえ、俺は盗みだけで上に行けるほど有能じゃないの。そんな信念は有能なヤツが好きなだけ語ればいい。そうじゃないヤツはどんな手を使ってでも上に行く――それが俺の信念」
ギーが自信満々に親指を立てたると、セティはがっくりとうな垂れた。
「そこまで前向きに卑屈なことを言えるなんて、あんたはある意味で立派だわ」
「そ、そんなことねえよ」
どういった解釈をしたのか、ギーは照れ臭そうに鼻先を掻いた。その姿にセティが深いタメ息を漏らす。
「それで、この国には何しに来たのよ?」
「何しにって、セティちゃんに会いにだよお」
ギーがヘラヘラ笑うと、セティは疑惑の眼差しを向けた。
「それだけの理由で、あのアティスが一緒に連れて来てくれたわけ? それはないでしょ。あんたの頼みを聞く義理なんてないんだし」
セティの冷やかな視線に気圧されたように、ギーが顔を離して苦笑いを浮かべる。
「実はさ、鷹の眼に頼み事を言われてね」
「あんたに頼み事を?」
セティが納得しかねる様子で片眉を上げた。
「いや、それが大したことじゃないんだよ。鷹の眼と別れてから二日後に、あの姉ちゃんに伝言をしてやっただけさ」
「姉ちゃんってアティスのことね。――で、何を伝えたの?」
「セティちゃんは女の学者が一緒だったのは知ってるかい?」
セティがコクリと頷く。ルートリッジのことだ。
「この国と帝国領土との国境は警戒されているだろうから、学者たちを連れて突破するのは無理がある。だから、用件が済んだら鷹の眼は聖都に向かう――そう伝えたんだ」
「そうなんだ……。でも、どうして直接アティスに言わず、わざわざあんたに伝言を頼んだのかしら」
「同じ疑問をあの姉ちゃんも口にしてたよ。俺が思うに、反論されるのが面倒だったんじゃないかな。実際それを伝えたとき、あの姉ちゃんはこんな目をしてたし」
そう言いながら、ギーは左右の目尻を指で押し上げた。その顔を見てセティが苦笑する。
「そりゃあ怒るでしょうね」
「とりあえずそう頼まれたから、俺はそのまま伝えただけだよ」
「その見返りに、あんたを連れて行くようにネイがアティスを説得したってわけね」
「そういうこと」
セティは椅子に背を預けると、両腕と両脚を組んで顔を伏せた。ネイが何を考えているのかが気になる。
考え込むセティに、ギーは様子を窺うように上目遣いに視線を向けた。
「あのさあ、セティちゃんがこれ以上関わるのはやっぱり良くないよ」
ギーが恐るおそる言うと、考えに耽っていたセティがゆっくりと顔を上げる。
「あいつはギルドに狙われてるんだぜ、これ以上関わっていたら巻き添えを食っちまうよ。それに、あいつはキューエルを――」
「ギーっ!」
セティが鋭く睨みつけ、ギーの言葉を遮った。
睨みつけられたギーは唇をすぼめ、シュンと肩を落とすと身悶え始める。
口許を歪めながらソワソワと視線を泳がせる態度は、口にしたくないことを口にする前兆だった。
「こ、こんなこと訊くだけでも腹立つけど、も、もしかしてセティちゃんて鷹の眼のことを……」
ボソボソと言葉を紡ぎ、上目遣いにセティを見る。
ギーの視線を受けたセティは一呼吸置いて険しい表情を緩めると、打って変わってわざとらしいくらいの笑みを浮かべた。
「嫌いよ。ネイのことは大嫌い」
笑顔のままのセティに、ギーが顔を引きつらせながら乾いた笑い声を漏らす。
「そ、そうだよね! そんなことないよね! 俺は何を言ってるのかね」
意識的な陽気な口調、ギーのその不自然な態度にセティが笑みを消して顔を背ける。
「嫌いよ」
自分の気持ちを確かめるように、セティはもう一度だけ口の中で繰り返した……
つづく