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101章 戦術的逃走

 きらめく刃が夜空に弧を描き、飛び散る血が砂地に黒々とした染みをつくる。

 ディアド、モントリーブ、両軍すでに弓を手にする者はなく、身をぶつけ合うように白刃を振るう。そんな中、砂地に倒れる同胞の姿にアギナガが険しい表情で舌を打った。

「アギナガ、そろそろ限界じゃないか」

 背を預けた男が、迫り来るモントリーブの兵士を斬りつけながら怒鳴るように声を上げた。

 男の言うとおり、肩で息をするディアドの兵士が目立ち始めている――と、また一人、太股を槍で突かれて膝をつく者を目にした。

 とどめを刺そうと槍を掲げるモントリーブの兵士。それを見たアギナガは槍が振り下ろされるよりも早く駆け寄ると、脇下から首に向かって幅広曲刀シャムシールで斬り上げた。

 血飛沫と絶叫、振り上げたシャムシールを素早くひるがえすと、そのまま首筋を斬りつけモントリーブの兵を死の世界に送る。

「アギナガか、すまねえ」

 膝をついた男が刺された脚を抑えながら歪んだ笑みを見せた。

「さっきまでの威勢はどうした、立て」

 アギナガの鼓舞に応え、男は苦悶の声を漏らしながらも歯を食いしばって立ち上がる。

 アギナガが戦線から後退するよう指示すると、男は頷き足を引きづりながら離れて行く。それを見ていた別の男が周囲に警戒を向けつつすり足で近づいて来た。

「アギナガ、そろそろ潮時じゃないか」

 アギナガが周囲に視線を走らせ戦況を見極める。

 確かに戦況は不利なものとなっていたが、モントリーブ軍も上手く統制されていないようで、有利な戦況を生かせず力押しに攻めてくるだけだった。しかし、その原因も分かっている。

 ――アギナガはある一団に目を留めた。モントリーブの兵でありながらもモントリーブ軍に攻撃を仕掛けている一団だ。

 その中の一人、黒髪の男には見覚えがあった。戦闘が始まる前にミューラーが、元部下だ、と言っていた男に違いない。――カーク、そう名前を記憶していた。

 カークたちの一団がモントリーブ軍の背後から指揮官であろう男の部隊を直接叩くことにより、モントリーブ軍の指揮系統に乱れが生じているのだ。

「有り難い」

 少数でありながらも勇ましく斬りかかるカークたちの姿にそっと呟き、疲れを見せる同胞へ声を張った。

「ここが正念場だ! 気力を振り絞れ!」

 

 

 

 味方を鼓舞する声とそれに応える雄叫びが聞こえてくる。

 おそらくディアドの兵士であろうが、グロッソにそれを確認する余裕はなかった。

 斧のように振り下ろされたカークの刃を自身の剣で受け止め、手が痺れる重い一撃に顔が歪める。

 襲いくる刃は正統な剣技と呼べるようなものではなく、粗野な我流であった。しかし、その場馴れした身のこなしがグロッソを圧倒する。

 グロッソが一歩退きチラリと周囲に視線を走らせると、カークは鼻を鳴らすように小さく笑った。

「どうした、グロッソ。一対一に持ち込まれたこの状況でも仲間の助けを求めるのか?」

「ふざけるなっ!」

 グロッソがカークを憎々しげに睨みつける。

 しかし、カークの余裕が物語るとおり、仲間の助けを望んでもそれは訪れない。カークの一団が他の者を近づけぬように二人を孤立させていたからだ。

「グロッソ、観念しろ」

 口の端を上げて余裕を見せるカークに、グロッソは怒りの咆哮を上げて斬りかかった。

 首を狙っての一閃。その攻撃をカークは身を屈めて軽々と躱し、踏み込んだグロッソの脚をなぎ払うように逆反り刀ククリとうを振った。

 グロッソも負けじと脚を引いて躱すと剣を素早く逆手に持ち直し、身を屈めたカークの首筋を狙って剣を突き立てる――が、その切先は無常にも砂地に突き刺さった。

 剣が突き立てられるよりも早く、カークは身を屈めた姿勢から地を転がるように後退したのだ。

 カークは身を起こすと再び距離を詰め、胸を大きく反らせて飛び掛かるようにククリ刀を振り下ろした。

 グロッソはよろけながらも後退してその一撃を避けたが、カークが追撃の手を緩めない。

 振り下ろしたククリ刀の切先で砂をすくい上げ、それをグロッソの顔に浴びせかけた。

「ぐっ!」

 砂が目に入り顔が歪む。

 それでもグロッソは闇雲に剣を突き出した、が手応えはない。そして、無理矢理に片目をこじ開けると『それ』を見た。

 回転し、風を切る音を上げながら迫ってくるククリ刀。――カークが投げつけたのだ。

「っ!」

 咄嗟に身を捻ったが避けきれず、ククリ刀はグロッソの左肩に深々と突き刺さった。

 肩への衝撃でバランスを崩し片膝をつくと、カークがゆっくりと歩み寄る。

 グロッソが痛みに顔を歪めながらも剣を振ろうとするが、カークは剣身を踏みつけてその動きを封じると、突き刺さったククリ刀の柄に手を伸ばした。

 グロッソの口から漏れ出す絶叫。カークは空いた足をグロッソの胸にあてがい、ククリ刀を引き抜くと同時に足に力を込めてグロッソの身体を押し倒した。

 仰向けに倒れて呻き声を漏らすグロッソを、カークの冷たい瞳が見下ろす。

「よく躱したな、多少は見直したぞ」

 そう言ってカークが薄い笑みを浮かべると、グロッソは憎々しげに顔を歪めて唾を吐き捨てた。

「や、れよ、クソ野郎っ!」

「言われるまでもない」

 冷酷な光を放つククリ刀。それが振り下ろされようとしたとき、カークは何者かの気配を察知し、反射的に背を反らせて顎を持ち上げた。

 顎先を掠める刃。寸でのところで躱したが、息つく間もなく第二の刃が頬を掠め、カークは大きく飛び退き距離を取った。

 倒れたグロッソとの間に、一人の男がダラリと両腕を下げて立ち塞がっている。

「何者だ」

 男の姿にカークは眉をひそめた。

「気を付けろ、カーク! そいつは只者じゃないぞ」

 どこからか声が投げかけられるが、只者でないのは重々承知していた。そうでなければ、誰も近づけぬようにしていた味方の壁を簡単に突破できるわけがない。

 男がグロッソに顔を向けると、細かく編み込まれた幾本もの髪の束が静かに揺れた。

「おまえが指揮官だと聞いた。――間違いないか?」

 静かな問いかけにグロッソが頷いて返すと、男はゆっくりとカークに向き直った。

 カークが目を細め、男の左頬に目を凝らす。

「ヴァイセン帝国の者か」

 呟くような問いかけに、男は下げていた両腕をわずかに開いて見せた。

「上辺とはいえ、共同戦線を張っている以上は手出しをさせてもらう」

「先遣隊、といったところか」

 言いながら、カークの視線が再び男の左頬に注がれる

「左頬に炎の刺青タトゥーか……。貴様、黒き火炎アジー・ワイ、だな」

 カークの全身から殺気が湧き立ち、その気配にアジー・ワイが微かに眉を動かした。

「荒ぶる魂を持っているようだ。その魂は戦火を広げ、憎悪の連鎖を生む。悪いが、此処で断たせてもらおう」

「ほざくな。――南部の部族は戦争には参加しないんじゃなかったのか? 信念を曲げた男に何が出来る」

 ククリ刀に拳先突剣ブンディ・ダガー、両者が構えを取り、静かな殺意を絡め合う。

 

 

 

「抜刀! 此処からは道を切り開きます」

 先頭を駆けるミューラーがサーベルを抜くと、後に続く者たちもそれに合わせて腰のシャムシールを引き抜いた。

 目の前で砂煙を上げて繰り広げられる戦闘。今、ミューラーたちもその戦闘の只中に身を置いた。

 徐々に戦況を有利なものとしていたモントリーブ軍も、戻ってきたミューラーたちに背後を突かれる形となり再び軽い混乱をきたす。

 ミューラーは素早く一歩踏み込むと、短く息を吐き出すと共にサーベルを振る。

 両太股を同時に斬りつけられたモントリーブの兵は、短い悲鳴を上げて砂地に両膝をついた。

「大丈夫ですか、撤退しますよ」

 傍らで片膝をついたディアドの兵を無理矢理に立たせ、ミューラーは周囲に視線を巡らせた。 

 すでに息絶えた者、傷を負って動けぬ者の姿が目立ち舌打ちをする。思っていた以上に被害が大きい。

「ミューラー殿、戻られたか」

 聞き覚えのある背後からの声にミューラーが振り返った。

「あっ、アギナガさん、ご無事でしたか」

 ミューラーが笑みを見せると、アギナガも返り血を浴びた顔で白い歯を見せた。

「アギナガさん、これ以上の戦闘は無意味です。まずは救護班を作り、自力で動けぬ者を後退させてください」

「了解した」

 ミューラーの言葉にアギナガは頷き、すぐに行動に移った。モントリーブ兵を斬り倒しながら、近くの者に指示を与えていく。

 ミューラーは、勇ましくシャムシールを振るうアギナガの姿に苦笑すると、そのさらに奥で剣を交える二人の人物に目を留めた。

「アジー・ワイ! に、カーク君? ――また厄介な相手を」

 ミューラーはタメ息をつきながらガックリと肩を落とし、緩くかぶりを振ると二人の元へ駆け出した。

 

 

 

 連動して突き出される左右のブンディ・ダガー。カークはそれを避けながら、苛立たしげに舌打ちをした。

 顔かと思えば腹部へ、腹部かと思えば顔へ、二つのブンディ・ダガーを自在に操り上下に突き分けてくる。

 第一の突きは躱すことが出来ても、第二の突きが躱しきれない。必然的にククリ刀で受け流すこととなり、反撃に転じることが出来ない。

 再び繰り出された顔への攻撃を躱し、カークは見るでもなく足許を見た。

 第二の攻撃をククリ刀で受け流すと同時、砂地に落ちた槍を足ですくい上げ、素早く左手で掴むとアジー・ワイの腹部目掛けて突きを放つ。

 意表を突いた至近距離での反撃。しかし、アジー・ワイの反応速度と柔軟性はそれすらも凌駕した。

 身を捻って槍を避けると、その体勢のまま顔を狙ってブンディ・ダガーを突き出してくる。

 尻餅をつくように身を屈めて何とか避けたが、アジー・ワイはすかさず膝を突き上げカークの顎を打ち抜いた。

 砂地に倒れたカーク。次の攻撃は避けきれない――そう思えたとき、アジー・ワイの背後から強烈な殺気が湧き立った。

 向けられた殺気にアジー・ワイの肌が粟立ち、反射的に振り返る。その隙にカークは立ち上がって素早く距離を取った。

「やはりおまえか」

 殺気を放った人物に目を留め、アジー・ワイが満足げに頷く。

 アジー・ワイの視線の先、ミューラーがサーベルを振り抜いた体勢で動きを止めていた。ただ、両者の間合いはとてもサーベルが届く間合いではない。

 身を起こし、安堵の笑みを浮かべながらミューラーが歩み寄ると、アジー・ワイも薄い笑みを浮かべた。

「素晴らしい、すぐ背後から斬りつけられたような恐怖を感じたぞ」

「いやあ、気付いてくれて良かった。気付かれなかったらどうしようかと思いました」

 そう言ってミューラーは照れ臭そうに鷲鼻を掻いた。

「ミューラー団長、この男は私が仕留めます」

 進み出ようとするカークを、ミューラーが手をかざして制す。

「落ち着きなさい、カーク君。――アジー・ワイ、我々はこのまま撤退しようと思います」

 真っ直ぐに向けられるミューラーの目を、アジー・ワイが受け止める。

「見逃せ、と?」

「我々は目的を達成しました。仮に此処で全滅しようが、目的を達成した時点でこの戦闘は我々の勝利です。勝敗のついた戦闘を続けても、互いに無駄な被害を広げるだけではありませんか? それに――」

 言葉を切り、周囲に顔を巡らせる。

 剣を振る者たちの中に、南部の部族と思われる人間が数名混ざっていた。

「見たところ、貴方たちも少数のようです。偵察に来ただけなら、勝敗のついた戦闘に介入する意味は無いと思いますよ」

「我々が偵察を買って出たのは、おまえが指揮を執っていると踏んだからだ。おまえがいなければ有利になる」

 ミューラーを狙って――その意図にカークが噛みつこうとするが、ミューラーは一瞥してそれを制した。

「困りましたね、私はそんな大そうな人間ではないのですが。しかし、逆に此処で貴方がいなくなれば我々が有利になる。すでに意味を無くしたこの戦闘で、それを賭ける価値はありますか?」

「……」

 ミューラーとアジー・ワイ、二人が無言で探り合う。

 つかの間の睨み合い、先に目を逸らしたのはアジー・ワイだった。軽く顔を伏せ、口許に笑みを浮かべる。

「次、ということか」

「そうですね。次、です」

 ミューラーが応えると、アジー・ワイは深く頷いた。

「良いだろう。だが、一つだけ訊かせてもらう。――昔、おまえと会ったことがあるか?」

 唐突なアジー・ワイの問いにミューラーは目を丸くしたが、すぐに穏やかな笑みを見せ、一度だけ小さく頷いた。

「やはりそうか」

 納得したように呟き、アジー・ワイが踵を返して去ろうとする。

「待て、アジー・ワイ! カークだ、俺の名はカーク。この名を忘れるな」

 怒鳴りつけるカークに、アジー・ワイは肩越しに顎を引いて見せた。

「ミューラー殿!」

 遠くからの呼び声に二人が顔を向けると、離れた場所からアギナガが大きく腕を振って撤退を知らせてくる。

 軽く手を上げて応えると、再びアジー・ワイに視線を戻す。しかし、アジー・ワイの姿はすでに消えていた。

 

 

 

「カークっ!」

 撤退を始めたカークの背に、憎悪を含んだ声が投げつけられる。

 カークが足を止めて振り返ると、左肩を押さえたグロッソの姿があった。

「カーク、逃げるのかっ!」

 憎々しげに顔を歪ませるグロッソの挑発に、ミューラーはカークの肩を掴んで首を左右に振った。

「カークっ!」

 再び怒鳴りつけてくる声。カークはミューラーの手を静かに払い除けると、心配げな表情を見せるミューラーに背を向けてグロッソに向き直った。

「グロッソ、貴様は『逃走』と『撤退』の違いも分からんから無能だというんだ!」

 怒鳴り返して見せつけるように勝ち誇った笑みを浮かべると、グロッソは歪んだ顔をさらに歪めた。

「ミューラー団長、馬鹿は放っておいて急ぎましょう」

 カークの言葉に、ミューラーが嬉しそうに声を上げて笑う。

「ミューラー団長、何してんですかっ! カーク、おまえも早く来い!」

 撤退を始めていたカークの一団が大きく手を振ると、二人は頷き合って駆け出した。

 最後尾の二人を狙って矢が飛んで来るが、カークは何事も無いかのようにそれをなぎ払いながら疑問を口にする。

「しかし、よろしいんですか?」

「何がです?」

「食料物資と破城兵器を焼き払えば一度撤退せざるを得ないでしょうが、それでは時間稼ぎにしかならないのでは?」

「時間稼ぎでいいんですよ。詳しいことは後で話しますが、今は時間が欲しいんです。それに、時間を稼げばフォンティーヌが加勢してくれるかもしれない」

「フォンティーヌが? なぜです?」

「なんでも、帝国領土にフォンティーヌの諜報員が捕らわれているらしくてね――」

 一度言葉を切り、ミューラーが短い悲鳴を上げながら矢を躱す。

「その諜報員が、帝国と教会の繋がりで何か掴んでいるらしい」

「教会との繋がり、ですか?」

「そうです。それを知るため、ネイ君が帝国領土に潜入しているそうですよ」

「ネイ?」

 笑みを見せるミューラーに反し、カークの顔が途端に曇る。

「自分は気に入りませんね」

「何がです?」

 ミューラーが眉を寄せるとカークは急に立ち止まり、くるりと振り返って怒りを込めるようにククリ刀を大きく振った。

 バラバラと数本の矢が砂地に落ち、それを苛立たしげに踏みつける。

「どういった経緯か知りませんが、ミューラー団長があんな男に期待することが気に入らんのです」

 鼻を鳴らして憮然とするカークに、ミューラーは苦笑して肩をすくめた……

 

 

 

 つづく

 

 

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