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100章 窮地・旧知

「わざわざ見物に来てやったっていうのに、煙が邪魔で見えやしねえ」

 視界をさえぎるように立ち昇った白煙に、男は独り毒づいて舌打ちをした。

 ディアド軍とモントリーブ軍、両軍の争いの結末を確認することが出来ない。

 男は逡巡すると、面倒そうにタメ息をついて緩くかぶりを振る。

「仕方がねえな、もう少し近付くか」

 傍らに置いた手荷物の紐を肩にかけると、その拍子に腰に掛けられた大振りのナイフとクロスボウが揺れる。

 歩き出した男の視線の先、点々とした灯かりが徐々にその数を増やしていくのが見えた。

 

 

 

 凍てつくようなカークの殺意。その気配に気圧され、グロッソの身が強張る。

「みゅーらー? ミューラーと言ったのか?」

 グロッソが訝しげに問が、カークは逆反り曲刀ククリとうを構えたまま何も応えなかった。

 つかの間、無言で睨み合い、グロッソは何かに思い当たったようにわずかに目を見開くと、カークに対して充分な警戒を向けつつ視線だけを周囲に走らせた。

 そこかしこで斬り合うモントリーブとディアドの兵士。しかし、今のグロッソは戦況を見極めたいわけではない。ただ一人の影を入り乱れる兵士の中から見つけ出そうとする。

 しかし、舞い上がった砂煙が視界を狭くし、目的の人物を見つ出すことが出来ない。

「ミューラーだな、ヤツがディアドの指揮を執っているんだな!」

 問うというより怒りをぶつけるようにカークに向かって吐き捨てた。それに対し、カークはただ薄い笑みを浮かべる。

 その笑みを肯定と受け取り、グロッソも強張った口の端を無理矢理に上げて低い笑い声を漏らした。

「カーク、やはりおまえはその程度の男だよ。ミューラーの留守を守り、ミューラーが現れれば喜んで尾を振る。おまえに出来るのはその程度だ。――おまえが陰で何と呼ばれているか知っているか?」

 醜く歪んだ笑みを浮かべるグロッソだが、カークはそんなグロッソの言葉を無視するように、砂地に向かって唾を吐き捨てた。

「番犬――ミューラーの番犬カーク、だ。所詮はミューラーに飼われているだけの犬さ」

 嘲笑するグロッソにカークは顔を伏せて肩を震わせ始めた。しかし、それは怒りのためではない。グロッソもそのことにすぐに気付き、顔から笑みを消すと目を細めて訝しがった。

 カークは笑っていたのだ。

「――上出来だ」

「なに?」

 訝しげな目を向けるグロッソに、カークは伏せた顔を上げて満足げな笑みを見せた。

「番犬なら上出来だ、そう言ったんだ」

 静かに腰を落としてカークがククリ刀を構えた。

「俺が犬なら、さしずめおまえは犬の餌だ。今から俺に喰われるんだからな」

 カークの瞳に、戯言は終わりだ、と言わんばかりに冷たい光が宿った。 

 

 

  

「ひっ!」

 天幕に進入した煙に、ズラタンが短い悲鳴を漏らした。

 外から聞こえる怒号と、金属のぶつかり合う甲高い音。戦闘が繰り広げられているのは分かったが、天幕から出て行こうとはしなかった。

 そうこうしていうちに焦げ臭さが鼻をつき、天幕には茜色の揺らめきと人の影が映っていた。

 外を覗くと松明たいまつを手にした一団が目に留まり、ズラタンは天幕の奥へと身を隠してその場から動けずにいた――

「グロッソは何をしているのだ!」

 指揮を任せたグロッソに毒づくが、当人がいない状態ではそんな文句も意味を成さない。

 その意味の無い文句を繰り返そうとしたとき、ズラタンの口から再び短い悲鳴が漏れ出した。天幕の出入り口、その垂れ布がそっと開いたのだ。

 地中に潜ろうとするかのように慌てて身を低くすると、天幕に進入してきた人物の小声がズラタンの耳に届く。

「ズラタン様、ズラタン様、どちらに」

 その聞き覚えのある声にハッとし、ズラタンはそっと顔を覗かせた。

 天幕に入ってすぐのところ、オロオロと顔を巡らせている眼鏡をかけた男の姿――会計士だ。

 顔を覗かせていたズラタンと目が合うと会計士もビクリと身体を震わせたが、それがズラタンだと気付くとホッとした表情を見せて小走りに駆け寄る。

「ズラタン様、まだこちらにいましたか」

 安堵したように声をかけたが、怯えて動けずにいたズラタンはそれを嫌味と受け取り、顔を真っ赤に染め上げながら小鼻をヒクつかせた。

「此処に残ったのは指揮を執るためだ! それとズラタン様ではない、ズラタン卿と呼べっ!」

 自尊心を満たそうと胸を張り大声を上げる。その声の大きさに、会計士はあたふたとしながら垂れ布へと目を向けた。

 その慌てぶりで、ズラタンも自分の声の大きさに気付き慌てて口許を手で覆う。

「卿、とにかく早く脱出しましょう」

「グッロソは何をやっているのだ、早く火を消さねば兵糧が燃えてしまうではないか」

「兵糧だけではありません。破城槌などの攻城兵器にも火を放ったようです」

 会計士のありがたくない補足に、ズラタンの頬の肉が怒りで震える。

 八つ当たり以外の何物でもない怒りを会計士にぶつけようとするが、会計士の背後で再び出入り口の垂れ布が勢いよく開いた。

 手を振り上げようとしていたズラタンは飛びつくように会計士にすがりつき、青ざめた顔を出入り口の方へと向ける。

 松明を片手に、頭からすっぽりとフードを被った人の影。その顔は、松明の眩しさで確認することは出来なかった。

 相手もズラタンたちの存在に驚いたのか、入ってきたままその動きを止めていた。

 腰のサーベルを抜く気配は見えない。それを察するやズラタンは会計士から飛び退き、慌てて口を開く。

「待て、話を聞いてくれ! 私はズラタンに乗せられただけなんだ」

 そう言ってズラタンが会計士を指差すと、会計士は身体を大きく仰け反らせた。ズラタンの取った咄嗟の言動に、身代わりにされた怒りよりも驚きのために絶句する。

「な、何をおっしゃっているんです、ズラ――」

「どうか、どうか私めはお見逃し下さい! 全てはズラタンが、ズラタンがあぁ!」

 ズラタンは会計士に余計なことを喋らせぬため、まくし立てるように言葉を吐き出し頭を下げる。

 その二人のやり取りに、フードを纏った男の影が微かに揺れた。

 小さく笑ったようにも思えたが、男は松明を前にかざし、空いた腕で顔を隠すように歩み寄ってくる。

 ズラタンは再び小さい悲鳴を漏らすと、会計士の背後に慌てて身を隠した。

「死にたくなければ去れ。背を向けた者を斬りはしない」

 松明の炎を二人に向け、男はくぐもった声で指示を出した。

 二人がその指示にガクガクと顔を上下させると、今度は顔を動かして出て行くように促す。それに従い、二人は男の横をそそくさとすり抜けようとした。

 すれ違いざま、男がズラタンの尻に火を放つと、ズラタンが悲鳴と共に飛び上がって駆け出す。

 両腕を上げながら天幕を駆け出て行くズラタンの姿に、男は笑い声を上げて身体を前後に揺らした。

「まったく、あの男は……」

 目許を指で拭いながら男が呟くと、ズラタンたちと入れ代わるように別の男が天幕に入って来る。

 新たに来た男は笑っている前人に目に留めると、あっ、と小さく声を漏らした。

「ミューラー殿、こちらにおいででしたか。――今、悲鳴を上げながら逃げていった者がいましたが……」

 男が不思議そうに天幕の出入り口に目をやると、ミューラーは首を左右に振って見せた。

「放っておきなさい。どうせ何も出来やしませんよ。――それより、どうですか?」

 ミューラーが訊くと、男は気を取り直したように表情に引き締めてコクリと小さく頷いた。

「大半の天幕には火を放ち終えました。あと目ぼしい天幕といえば此処くらいのものです」

 男の返答にミューラーが満足げに頷く。

「この地の湿度ならすぐに火が回るでしょうね」

 その確認に、当然だ、と言うように男が肩をすくめて返すと、ミュラーは手にした松明を傍らに投げ捨てた。

 投げ捨てられた松明は木箱に火を伝え、あっという間に天幕へと燃え移っていく。

「では、撤退しましょう」

 ミューラーが声をかけると男が無言で頷き、二人は足早に天幕を出て行った。

 

 

 

「ズ、ズラタン様、お待ちを……」

 息も絶えだえにズラタンを止めようとするが、ズラタンはそんなことには耳も向けずにフラフラと北に向かい歩き続けた。

 逃げるには邪魔なだけの甲冑はすでに脱ぎ捨て、薄手の服が汗に濡れる。

 背後から会計士がさらに何度か呼びかけたところで、ズラタンはようやく足を止めてその場にヘタリ込んだ。

「ズラタン様、部下の方々を置いていかれるのですか」

 ようやく追いついた会計士が乱れた呼吸のままで訊くと、砂地に座り込んだズラタンも肩で息をしながら会計士を睨みつけた。

「ズラタン卿と呼べ、そう言ったはずだ」

 まだ強がる元気を残したズラタンに、会計士はわずかに顔を背けて舌打ちをした。

「このまま我々だけで逃げても、水も持たぬ状況では北の聖都に辿り着く前に干からびてしまいます」

「ふざけるな、では戻れと言うのか! 負け戦に戻る馬鹿がどこにいる!」

「負け戦ならばグロッソ殿も撤退するはずです。何も戻らずとも、しばらくここで身を潜めてはいかがでしょう」

 会計士の進言に、ズラタンは返す言葉なく頭を垂れて低くうめいた。そのズラタンの耳に、砂を踏み締めるような微かな音が飛び込んでくる。

 恐怖の虜となっているズラタンはその音に敏感な反応を示し、地に腰を下ろしたまま顔を引きつらせて後退った。

「だ、だ、だ、誰か来るぞ」

「落ち着いて下さい。北から来るということは、ディアドの兵士とは思えません」

 会計士がなんとかなだめようとするが、ズラタンは表情を強張らせたまま首を左右に激しく振った。

 踏み締めるような足音は、時折砂の崩れるような音を混ぜながら徐々に二人に近づいて来る。

 二人がゴクリと喉を鳴らしてジッと目を凝らすと、突然に砂地の上に生首のような影が浮かんだ。

 それを目にしたズラタンが、喉かられた悲鳴を絞り出す。

「く、首、首い!」

「落ち着いてください、砂丘を上ってきただけです」

 会計士が言ったとおりすぐ先が砂丘の下りになっていたらしく、生首かと思われた影は肩、胸、腰と、徐々に確かな人の影を形作る。

 ようやくズラタンも状況を把握し、向かってくる人影に目を凝らすと今度は別の意味で両目を大きく見開いた。

「お、おまえは……」

「ああん?」

 驚くズラタンに向かい、近づいて来る人物が訝しげな声を漏らした。

 その人物の顔が、月明かりに照らされてはっきりと浮かび上がる。蛇を連想させるような顔に顎の傷痕――

「ファムート! おまえ、こんなところで何をしている」

「ああ? 誰かと思ったらズラタンかよ」

 驚くズラタンに打って変わり、ファムートは表情一つ変えることはなかった。

 二人が顔を見知りだと分かり、会計士がズラタンの耳元にそっと顔を近づける。

「何者です?」

「ファムートだ。おまえが来る少し前まで面倒を見てやっていた。まあ、用心棒のようなものだ」

 ズラタンは立ち上がりながら得意げに答えると、付いた砂を払ってファムートに歩み寄った。

「今までどこに行っていた、黙って消えおって」

 怒りを見せるズラタンにファムートは何も答えず、顔を離しながら繁々とズラタンの格好を眺めて嘲笑うような笑みを浮かべた。

「まるで敗残兵のような格好だな。まさに『尻に火が点いた』ってやつだな」

 ファムートがニタニタと笑うと、ズラタンは慌てて自分の尻に両手を当てた。そこには大きな焦げ跡があり地肌が露になっている。

「余計なことを口にするな! 黙って手を貸せ!」

 怒りで顔を真っ赤に染めながら怒鳴りつけると、ファムートは白けた顔で耳を掻いた。そのファムートの態度が、ズラタンの怒りに油を注ぐ。

「聞いてるのか!」

 苛立たしげにファムートの腕を掴もうとすると、ファムートはズラタンの手をスルリと躱し、掴み所を失ったズラタンは前のめりにバランスを崩してそのまま砂地に倒れ込んだ。

「貴様っ! なにを――」

 口に入った砂を吐き捨てながら怒鳴りつけようとするが、その唇は最後まで言葉を発することなく動きを止めた。鼻先にクロスボウが突きつけられていたからだ。

「待て、これはなんの冗談だ」

「冗談か……。俺は冗談で殺すことが出来る人間だぜ、知ってるだろ?」

 ニタニタと笑みを浮かべる口許に反し、その目は獲物を狙って瞳孔がわずかに開いたように見えた。

「め、面倒を見てやった恩を忘れたのか」

 表情を引きつらせるズラタンに、ファムートが低く笑う。

「恩、か……」

 クロスボウが鼻先から外れ、ズラタンは安堵の息をつく――が、すぐに裂けんばかりに大きく目を見開くと、一呼吸遅れて絶叫を上げた。

 ズラタンの左手を砂地に張り付けにするように、クロスボウから放たれた矢が深々と貫いていた。

 言葉にならない声で身悶えるズラタンの頭上、ファムートが甲高い笑い声を上げる。

「俺は恩着せがましいヤツが大嫌いでね。いつまでも親しいつもりでいられるのも虫唾が走る」

 そう言ったファムートの足許で、ズラタンは青ざめた顔に脂汗を浮かべていた。

「ファムート、貴様あ……」

 左手を押さてうずくまるズラタンの後頭部に、再びクロスボウが向けられる。

「俺からの礼だ、受け取れよ――」

 指先に力を込め、ファムートが引金を引こうとしたときにそれは起きた。

 足許がズシリと沈み、二人を囲むように円状のくぼみが砂地に形を成すと、砂が円の中心に向かってサラサラと流れ始めた。

 ファムートは舌打ちすると円状の窪みの外に素早く飛び退き、残されたズラタンはオロオロと顔を巡らせる。

 次の瞬間――

「うおおおお!」

 まるですっぽりと床が抜けたような穴が空き、ズラタンが叫び声と共にその穴の中へと姿を消した。

 会計士が慌てて駆け寄り覗き込むが、穴の中は深い闇に支配され、その深さを窺い知ることさえ出来なかった。

「なんということを……」

 呻くように声を絞り出した会計士の頭に、ファムートのクロスボウが向けられる。

「困ったことになっちまったみたいだな。だが安心しろ、その悩みからすぐに解き放ってやるよ」

 言い終えると同時、ファムートは笑みを浮かべながらクロスボウの引金を引いた……

 

 

 

 つづく

 

 

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