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プロローグ

 窓から差し込む月明かりが、部屋の中を蒼く染め上げる。

 その窓から小石が投げ込まれた。

 刻が満ちた合図だ。

 部屋の隅、壁にもたれて座ったままの姿勢で、男は窓から夜空を見上げた。

 真円を描き、妖しい光を放つ蒼い月が夜空に浮かぶ。

「満月は不吉……か」

 そう一言呟くき、ゆっくりと立ち上がると部屋の中を一度ぐるりと見回す。

 殺風景な部屋で、ほこりとカビの匂いが鼻につく。

 四日間。ここに入って四日が過ぎようとするが、結局この匂いに慣れることはなかった。

 男は両手の指を組み合わせ、ポキポキと骨を鳴らすとさっそく行動に移った。

 まずは腰に巻いた帯だ。そこに仕込んでおいた針金を手早く抜き出す。

 次に右足のブーツを脱ぎ裏返した。

 すると、靴底にはちょうど針金の太さの溝があった。

 その溝に沿って針金を器用に曲げながら合わせていく。

 そうすることで、針金はちょうど鍵のような形に変化した。

 男はそれを見て満足そうに一度頷くと、ブーツを履きそっと扉に近づいた。

 そうしてドアの前に立ち、眼を瞑りながら耳に神経を集中させて外の気配を探る。

 入り口付近に気配を感じないことを確認すと、先ほどの針金をそっと鍵穴に差し込んだ。

 すると二呼吸程度の間を置き、鍵はガチャリと音を立てながらあっさりと外れた。

 それほど素早く解除出来たのは、針金が鍵の形を正確に型取っていたからというだけではない。

 男の腕前も大きく影響しているようだ。

 男は鍵を解除してもすぐには扉を開けず、もう一度外の気配に集中し、再度気配がないことを確認する。

 それが済むと扉に手を当てた。

 ドアを開ける寸前、一度部屋を振り返る。

 壁にある窓枠と、その外に浮かぶ美しい真円の月。

 ある一つのことを除けば、その組み合わせはまるで額縁に納められた絵画のようだった。

 ある一つのこと……それは窓に取り付けられた細い網の目の鉄柱。鉄格子だ。

 絵画と呼ぶには、それはあまりに不釣合いだった。

 せっかくの絵を台無しにされた気分になり、男は一度鼻を鳴らした。

 気を取り直して扉に向き直り、一度呼吸を大きく吸い込むと、ゆっくりと深くそれを吐き出す。

 直後、男は扉を押し開け、それと同時に素早く外に飛び出した。

 見るからに鈍重そうな扉を、音も立てずに開ける慎重さと俊敏性はかなりのものだった。

 

 

 

 牢獄の外は通路になっていて、東西の二方向に路が別れていた。

 通路には一定間隔で燭台しょくだいが備え付けられ、そこに立てられた蝋燭が弱々しくではあるが路を照らす。

 男は迷うことなく通路を東に向かい走り出した。

 その走る姿はしなやかで、足音すら立てることはない。

 まるで野生の獣を連想させた。

 通路を少し進むと路は左に折れている。

 男はそのまま路なりに曲がると、目の前に積んであった木箱の陰に飛び込むように身を隠した。

 そこに木箱が積んであることは承知の上だった。

 片膝をつき、軽く呼吸を整えるとそっと耳を澄ます。

 静かだ。

 先刻までと違う音といえば、通路を反響してかすかに風の音が聞こえるのみ。

 それは出口が近いためだ。

 周囲の確認を終えると、木箱の陰からそっと身を立てて通路の先を覗き込んだ。

 視線の先では、鉄製の甲冑に槍を装備した兵士が一人、欠伸あくびをしながら立っているのが確認できる。

 その兵士のさらに奥に鉄格子があり、鉄格子の向こう側には同じ格好の兵士がもう一人、椅子に座り机に向かって何か書き物をしている。

 二人の様子を見るかぎり、やはり気付かれた気配はないようだ。

 再びしゃがみ込み、手だけを上に伸ばして積まれた木箱の一番上、その箱の蓋をそっと開ける。

 箱の中に腕を入れ、目的の物を手探りで探すとすぐにそれは手に触れた。

 麻で作られた大きめの袋だ。

 細心の注意を払いながらその袋を木箱から取り出し、足元に置いて素早く口を開いた。

 中から取り出したのは刃幅の広い大振りのナイフと、通常の大きさをしたナイフの二本。それに革製のベルトとブレスレットだ。

 男はベルトを素早く腰に巻き、小さい方のナイフをそのベルトに装着した。

 ブレスレットは左手首に着ける。

 それなりに厚みがあるブレスレットだ。

(ここまでは予定通りだな……)

 声に出さずに呟くと、大振りのナイフを右手に掴んで再びそっと兵士を覗き込む。

 しばらくそうして様子を窺っていると、その機会は早くも訪れた。

 鉄格子の向こう側、机に向かって座っていた兵士が男に背を向ける形になった。

 その一瞬の機会を男は見逃さなかった。

 一気に身を低くし、木箱の陰から飛び出して走り出す。

 手前にいた兵士は、鉄格子の向こうで動いた同士に一瞬気を取られ、急接近してくる男に気付くのがわずかに遅れた。

 兵士が手に持った槍を構えようとするがすでに遅い。

 男はアッと言う間に距離を詰めると、慌てふためく兵士の喉にナイフの柄を叩き込んだ。

 兵士は小さく苦悶の声を漏らすと、そのまま前方へ倒れ込む。

 その音に気付いて鉄格子の向こう側、男に背を向けていた兵士が振り返った。

 男は素早くもう一人の兵士に向かって左腕を振った。

 キラリと一瞬何かが光ったその直後、鉄格子の向こうにいた兵士が苦しそうに顔を歪め、しばらくもがくと膝からガクリと崩れ落ちた。

 兵士が倒れたのを確認し、男が何かを引くような動きをすると、倒れ込んだ兵士がズルズルと鉄格子に近付いてくる。

 手が届く位置まで兵士が引っ張ると、自分の左手首に着けたブレスレットを回転させるように小さく動かした。

 すると小さくカチリと音が鳴り、シュルルと何かを巻く音が鳴る。

 それは暗闇では見えないくらいの細いワイヤーだった。

 ワイヤーの先端には小さなくさび型の金属が付いていて、それを飛ばして兵士の首に巻き付けたのだ。

 ワイヤーはカチっと小さな音を立ててブレスレットにしっかりと納まった。

 男は鉄格子の向こう側に倒れる兵士に手を伸ばし、腰に着けた鍵の束を抜き取ると素早く格子の錠前を外した。

 その後に二人の喉元に触れて脈を確認する。

 死んではいなかった。

 それだけを確認すると、今度は自分が走ってきた方向に耳を澄ませた。

 他の囚人に気付かれ、騒がれては厄介だからだ。

 誰かのイビキが聞こえたが他に音は無い。

 どうやら騒がれる心配もないようだ。

 再び倒れる兵士に向き直ると周りを見渡すが、二人を縛り上げるだけのロープの類は見当たらなかった。

 しかし、わざわざそれを探してくるほどの時間の余裕はない。

 それに、次の見張りの交代までは目を覚ますことも無いだろうし、まだ交代までは時間があるはずだった。

 それは捕まっていた四日間で確認済みだ。

「遅かれ早かれ気付かれるんだ……」

 そう呟き、男は倒れた兵士の胸を手の平で軽く叩いた。

「ゆっくり寝てろよ」

 そう声をかけると出口に向かい走り出した。

 

 

 

 影が空中を舞う。建物から建物へと飛び移っていく。

 男は急いでいた。牢獄を脱出し、目的の場所を探し彷徨っていた。

 何度ワイヤーを使い飛び移っただろう。

 しかし今だその努力は実っていない。

 再び窓の中を覗き見るが、また目的の場所とは違っていた。

 そういったことを何度繰り返したか、多少の苛立ちに舌打ちをすると夜空に浮かぶ真円の月を睨みつけた。

 自分を影を照らし出す、妖しくも美しい蒼い輝きが今は恨めしい。

 しかしいくら月を睨もうが、目的の場所へ導いてくれるわけもない。

 視線を戻すと、額に滲む汗を拭って気持ちを落ち着かせる。

 そこで男は作戦を変えることにした。

 周囲に視線を走らせ、最も高い建物を探す。

 そうしてそれはすぐに見つかった。

 すぐさま移動を始め、屋根を伝い細心の注意を払いながら目的の場所に近づいた。

 目の前に立つのはレンガで造られた円柱状の塔。いわゆる『城壁塔』と呼ばれる建物だ。

 問題は、そこに行くには一度地上に降りる必要があるということ。

 周囲に兵士がいないかを確認し、柔らかく地上に降り立つとすぐさま建物の陰に身を隠した。

 城壁塔の入り口を確認すると、二人の兵士が入り口の前で槍を構えて陣取っている。

 どうしたものかと思案していると、今度は背後で男の方に向かってくる金属が擦れ合う音が聞こえた。

(交代の兵か? ちょうどいい。見張りは二人、交代の兵も二人……もしくは三人程度だろう)

 声には出さずに呟き、足音がする方向へ猛然と走り出す。

 走りながら向かってくる足音を聞き分け、二人という自分の考えに確信を持った。

 目の前の角を曲がってくる一人目の兵士が姿を見せる。

 兵士は男の姿に驚きビクリと身体を震わせるが、それが精一杯の対応だった。

 男は兵士の手首を掴み自分の方へ引き寄せる。

 兵士がバランスを崩し、前のめりになったところへ首筋にナイフの柄を叩き込んだ。

 後から来るもう一人の兵士は、角を曲がった所でバランスを崩した仲間を見て、何かにつまづいたと思ったのだろ。

「おい、大丈夫か?」

 笑いを含んだ呑気な口調で声をかけてくる。

 しかしそれは無理も無かった。

 後から来る兵士から見れば、男の姿は見えずに仲間の足が宙に浮く部分だけが見えたのだ。

「おい?」

 もう一度そうやって声を掛け、何の疑いもなしに角に近付いてくる。

「大丈夫なの……っ!」

 角を曲がりながらそう声を掛けてきたが、その言葉は驚愕の中で途切れた。

 角を曲がった途端、足元でピクリとも動かない仲間を見たのだ。

 弾かれたように顔を上げたがもう遅い。

 顔を上げた瞬間、鳩尾に槍の柄が飛んできた。

 顔を歪め、搾り出すような呻き声を上げながら膝をついて倒れていく。

「悪いがその甲冑を借りるぜ」

 男は倒れた兵士を見下ろし、口の端を上げながらそう言った。

 

 

 

「ご苦労さん。交代の時間だ」

 目深に兜を被った兵が声をかけると、城壁塔の入り口に立った見張りの男は眉をひそめた。

「ん? もう一人はどうした?」

 交代要員が一人しか来ないことを不審に思い、見張りの兵士が問いかけた。

「後から来る。こいつの刃先が折れてたらしくてな。今交換しに戻った」

 そう言って手に持った槍をヒラヒラと振って見せる。

 二人の兵士は呆れたように顔を見合わせると肩をすくめた。

「そいつは新入りなのか?」

「ああ……」

「仕方がないな。日頃から手入れしておくようによく言っておけよ」

 そう言うと、二人の兵士はブツブツと文句を言いながらも交代に応じ、男の肩を軽く叩いた。

 二人の兵士の姿を見送り、その姿が見えなくなると急いで城壁塔の階段を上がり始める。

 螺旋状になった階段を見事な速さで上りきると、三人が立てる程度の見張り台に出た。

 見張り台ではさらにもう一人の兵士が眠そうな目を擦りながら立っていた。

「あれ? まだ僕は交代の時間じゃないですよねえ?」

 どうやらまだ若いらしく、螺旋階段を上ってきた男に気付くと慌てた様子で姿勢を正す。

「ああ。でも今日はもういいんだ」

 そう言って若い兵士に近づくと、首元を槍の柄で殴りつけた。

 不意を突かれた若い兵士は一瞬驚いた顔を見せたが、あっけなく気を失いその場に崩れ落ちた。

 若い兵士の顔を覗き込んで目を覚まさないのを確認すると、男は見張り台に備え付けてある望遠鏡を覗き込んだ。

 ここからなら敷地内を大よそ見渡すことが出来るはずだ。

 城壁に囲まれた敷地内。無数の建物が立ち並ぶ。

 地上を見下ろすと、何人かの兵士が歩いているのが見える。

 慌てた様子もなく、どうやらまだ脱走には気付かれてはいないようだ。

 それを確認すると今度は無数にある建物へと視界をずらしていく。

 さすがに部屋の中まで見ることは出来ないが、目的の場所の見当が付いた。

 敷地内の一角。宿舎には見えない建物の入り口に、兵士が二人ほど見張りで立っている。

 入り口に見張りが立つほどに地位のある人間の部屋にも見えない。

 それにしては建物がお粗末すぎるからだ。

「あそこだ……」

 そう呟いたとき、微かに聞こえる騒ぎ声が耳に飛び込んできた。

 望遠鏡をその方向に向けると、そこは男が逃げ出した牢獄だった。

 一人の兵士が慌ててどこかを指差し、もう一人の兵士がその方向に走り出して行くのが見える。

「もう気付かれたか」

 予想より早く起きた騒ぎに舌打ちすると、きびすを返して螺旋階段を駆け下りた。

 目的の場所までは地上を通り、最短ルートで向かうことにする。

 見つかる危険が高くはなるが、脱走に気付かれたのなら今さらそんなことは言ってられない。

 今は時間の方が惜しい。

 

 

 

 交代要員から拝借した甲冑がガチャガチャと音を立てる。

 走るには多少不向きだ。しかし今はまだこの格好のほうが有利だと判断した。

 何度か兵士とすれ違ったが、相手も慌てて走っていたため咎められることはなかった。

 どうやら予想よりも早く脱走の事実が広まっているらしい。

 しかし、兵士はまだ目的には気付いていない。

 男はそう判断し、目的の建物まで一気に駆け抜けた。

 目的の建物には先程見たときと同じように、二人の見張りが入り口に立っていた。

 男は極力息を弾ませ、慌てた素振りを作りながら二人に近付いていく。

「おまえ達も手を貸してくれ!」

 その言葉を聞いた二人の兵士は意外そうに顔を合わせた。

「脱走兵のことか? たかだか一人だろ?」

「まだ聞いてないのか! そいつは暗殺組織アサシンギルドの人間だ! ズラタン卿を狙ってる!」

「なにっ!」

 二人の兵士は予想外の言葉に面食らった。

「急いでズラタン卿の警備に廻れ!他の奴らにも声を掛けてくれ!」

「わ、分かった!」

 そう言うと二人の兵士は慌てふためきながら走り出した。

 その二人が走り去る背中を見つめ、男は薄い笑みを浮かべた。

「アサシンギルドの名は絶大だな……」

 二人が走り去ると、男は入り口に掛けられた錠前を遠慮なく槍で叩き壊す。

 牢獄の錠前に比べると簡素な物で、いとも簡単に破壊することが出来た。

 ドアを開け、そっと中に入るとそこは物置のような場所だった。

 建物の隙間から入るわずかな月明かりを頼りに室内を見渡す。

「違ったか……」

 そう思った瞬間、部屋の隅で人の気配を感じた。

 男はその気配の元へゆっくりと近付くと、そっと右手を差し出した。

「……またせたな。行こうぜ」

「……」

 しかし返事はない。

 男はタメ息をつくと頭に被った兜を脱いだ。

「俺だよ。『ネイ』だ」

 その言葉を聞き、やっと相手も反応を示す。

 気配の主がゆっくりと立ち上がると、その姿が月明かりに照らし出された。

 深い紅色の瞳をし、銀色の髪を持った少女だった。

 その銀色の髪は、月明かりで青みを帯びて見える。

「……行こうぜ」

 ネイがもう一度右手を差し出す。

 少女は差し出された右手に手を伸ばし、その手を握った……

 

 

 

 つづく

 

 


 ファンタジーに挑戦しました。

 ファンタジーは現実の物が題材じゃない分、頭の中の情景が伝えにくいことに書いていて気付きました。

 挿絵もないので、言葉だけで伝えるのは非常に難しいです!

 上手く伝わるのだろか?(6/19)

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