アレの隠れ家
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「私達もお部屋に往きましょ!」ニーナはジャンの顔を覗き込み手を取った。
「何処に?」
ジャンは自分の状況をイマイチ理解出来て居なかった。
売春宿--ダンの兄が話すそれの事を何となく耳にした事は在ったが、レベルの高いその内容は当時のジャンが理解出来る範疇では無かった。その話の内容からジャンが出した結論は、綺麗な女性従業員が沢山居る宿屋--そんな感じだ。
「まだ此処に居たいなら良いけど--皆貴方の事見てるわよ」キラキラした瞳でジャンの視線を誘導しながらニーナが言った。
「え?」
ニーナの視線の先にジャンが目をやると、お客と思われる紳士達がジャン達を眺め、話の種にしていた。
『あの歳でこんな所に……』
『将来が恐ろしい』
『あれはロクデモない大人に成る』
等々ジャンの将来に関する話題が中心の様だ。
何故か急に恥ずかしくなり、ジャンは紳士達から視線を逸らし自分の靴を凝視した。
「部屋に行く?」すまし顔でニーナがジャンに聞いた。
「うん--」ちらりニーナを見ると、ジャンが頷いた。
「賢明なご判断ね」
無邪気な笑みを見せると、ジャンの手を取り二階へと促した。
シャンデリアに照らされたニーナの笑顔が眩しく見え、ジャンは少し後ろめたい気分になった。
「ニーナ! 粗相の無い様にね」二人の後ろ姿を見送る様にマダムが言った。
「はい!」
ニーナは振り返り元気に返事をすると、ジャンの手を引き階段を駆け上がった。
「此処よ--私の部屋」ファンジオが消えた部屋の隣--ドアノブに手を掛けるとニーナが言った。
「ここが君の部屋?」
「そう、これが私の部屋。お客が居る時も、居ない時も一日の殆どを此処で過すのよ!」
扉を開け、ジャンを中に導きながら言った。
「へえ--」
関心して返すと、ジャンは部屋を舐める様に眺めた。
30平米程の部屋の中心には小金色に鈍く輝く、装飾のされたキングサイズのベットが据えられ、純白のシーツが皺一つなく敷かれていた。奥のバルコニーの手前には、陶器で作られた白い浴槽が在り、脇から獅子の頭を模ったカランが浴槽に向かって伸びていた。壁際の真紅のソファーにはテーブルが備えてあり、花瓶一杯に美しい花々が生けられていた。
バルコニーから射す橙色の夕日が美しく、白い壁を段々と淡く染めていく様は幻想的だった。
「綺麗でしょ」ニーナが夕焼けに見惚れるジャンを覚ますよう言う。
「……うん」ジャンは目を夕日から離す事無く答えた。
「私もこの風景が一番好き--アレの最中でもずっと見てるのよ--」ニーナは少女の顔を浮かべ、夕日を愛しむ様目を細めた。
アレ--昨晩から続くキーワードに鋭く反応したが、ジャンは平然を装った。
「えっと、ベットが一つしか無いけど……?」真顔でジャンが聞いた。
「何言ってるの?一緒に寝るのよ!」
小悪魔の笑みをジャンに投げ、すぐに可愛らしく微笑んだ。
「!!」
顔を夕日とは違う何かがジャンを耳たぶまで赤く染めていく。
「冗談よ--私はソファーで寝るわ」右手を口にあて、クスクスと笑いながらニーナが言った。
「…………」
『出来れば一緒に寝てください』 ジャンは口に出掛かったセリフを飲み込み沈黙を返答に変えた。
「お腹空いた?」沈黙を破りニーナが唐突に聞いた。
「……少し」本当はペコペコだった。
見栄を張るのは男の仕事--ファンジオに聞いた事だ。
「すぐ用意するから、寛いで居て!」そう言うと入って来た扉を再び潜り、ニーナは消えて往った。
「ふー」
大きく息を付くとソファーに深く腰を掛け、背を預けた。
聞いて居た話と違う--ジャンの第一印象だ。
(話の展開からすると、売春宿はアレに関係がある様だけど……)記憶を辿るが糸を見つける事さえ出来なかった。
「お待たせ」トレーで塞がった両手で器用に扉を開け、笑みと共にニーナが帰って来た。
「お、お帰り……」
堕ちて往く日の光を受け、薄いブルーのドレスが桜色に煌き、天女の様に輝くニーナにジャンは釘付けになっていた。
クインの冷たく胸に刺さる視線と違う、優しく包み込むニーナの眼差しは母--アンを想い浮かばせた。
「見惚れた?」ニーナが意地悪く聞いた。口振りと似合わない優しい笑みがジャンの胸を締め付ける。
「うん--いや、えっと……」俯き答えるジャンの前に、ニーナはパンとスープ、鶏肉を香草で焼いた料理が載ったトレーを静かに置いた。
「ニーナの分は?」トレーに目をやりスープ皿が一つな事に気付き顔を上げる。
「仕事中は食べないのよ」短く返すとジャンの横にチョコンと浅く腰掛けた。
「変なの--」ニーナからわざと目を逸らす様にパリパリとしたブレッドを手にした。
「ジャンは幾つ?」
ニーナがパンを口一杯に詰め込むジャンを見詰め聞いた。
「ひゅうに」
パンを口に入れたまま、指を二本立てジャンが答えた。
「私の5つ下か--11才位かと思った」
「む--」この歳頃の1歳はかなり大きい。幼く見られジャンは顔を顰めた。
ニーナがジャンのしかめっ面を見て、微笑んだ。
「どこに行くの?」
「リリステル--」ナイフで切る鶏肉から目を離さず言った。
「へぇー、いい街よあそこは」ニーナはジャンの口元をナプキンで拭きながら答えた。
「ずっと此処に居るの?」ジャンは慣れない事をされ、顔が熱くなるのが分かった。
「此処って? 白馬館の事?」
「白馬館って言うんだここ--」
「有名なのよ、聞いたこと無い?」ニーナがキョトンとした顔で聞いた。
「--ない」お世辞は苦手だった。
「そう……イグノスで白馬に乗るって言ったら此処に来ることを言うのよ」得意げな顔でニーナ言った。
「凄いんだね--」何が凄いのかは分からなかったが……
「此処に来て二年くらい、その前は自営よ」
「自営?」
ジャンは新しいパンを手に取り、両手でそれを転がした。
「店に所属してない、フリーの娼婦よ」ニーナはジャンのパンを取り上げると、ちぎりジャンの口元に運んだ。
娼婦--新しいキーワードに戸惑いつつジャンは目の前のパンにかぶりついた。
「それが何で?」
「マダムに拾って貰ったのよ--私元々ポルトの生まれなんだけど、革命が在ったでしょ? お父さん前政権の大臣だったの、それで捕まる前に家中の金目の物を馬車に積んでイグノスに亡命しようとしたんだけど、国境に辿り付く前に賄賂に全部使ってしまって--」
ポルト共和国は、10年前ロロゾフ王朝が革命で倒されてから、革命とクーデターを何度も繰り返しているイグノスの隣国だった。
ジャンはパンを飲み込み、ただ黙ってニーナの話す事を聞いていた。
ニーナが一口大に切った鶏肉をジャンの半開きの口に差し込み、それを口に含むジャンを笑顔で見ると続けた。
「それでね、最後の検問--国境の検問所で渡す賄賂が無くて--両親が捕まる代わりに私達は見逃してもらったの--で、イグノスに入ったのは良いんだけど身寄りも無いし。こう見えて長女なの、歳の離れた双子の妹がいてね、とりあえず食べなきゃいけないし、私の歳で効率良く稼ぐには体を売るのが手っ取り早いの、言葉を良く分からなくてもこの仕事なら大丈夫だから」
「体を売る?」意味不明な言葉にジャンは聞き返した。
「お金を貰ってアレをするのよ」
「え?」
アレ--昨晩からのキーワードが再び浮上した。
ニーナは聞き返したジャンを合間見ると、スプーンで琥珀色のスープをすくい、ジャンに飲ませた。
「でもフリーじゃ色々大変なの」
「何が?」
「アレの最中に私をぶって興奮するお客や、もっと危ない趣味の奴も居るわ、最悪なのはやり逃げね」
「ぶつ? やり逃げ?--食い逃げみたい感じ?」ジャンが逃げ繋がりで聞いた。
「そんな感じよ」
言うとニーナはジャンの口の周りに付いたスープを親指で拭うとペロリと舐めた。ジャンは更に顔が熱く成るのを感じたが平然を装った。
「しかも手口がセコくて、さんざんヤリまくった後、説教するんだから!!」
思い出した怒りがニーナの顔を歪める。
「やりま……くる? 何て?」
茹蛸の様な顔をニーナに向け聞いてみた。
「『君がこんな事をして稼いだ金で暮らして、妹達が喜ぶのか!?』--って。その後はご立派な倫理観をのたまうって、最後に、『君が私の金を受け取ら無かったら、今した事は売春に成らない』--とか言って、私を心配したようなふりをするの。 私もまだ15ぐらいでしょ、聞いていると自分が本当に悪い事をしている様な気になって……結局お金を受け取らなかったわ--後で、そういう手口のヤリ逃げだって気付いたけど」
一息つきニーナが続ける。
「でね、私のお客だった人が、マダムの知り合いで私の事をマダムに話したみたいなの。私達を不憫に思ったんでしょうね、マダムが私を白馬館に誘ってくれて--今に至るって訳。此処は良い所よ、
妹達はマダムのお母さんと一緒に暮らしているわ、休みの日は私そこで一日遊んでやるの、それに毎日契約者医師が来てくれるから、病気の心配もないし、お給料もとても良いの! 白馬館は三ツ星を貰って居るんだから!」
「星?ロット・スポッツの?」
ロット・スポッツは元々隣国フランドル公国に在る旅行馬車専門のコーチビルダーだ。顧客サービスの為に配ったホテルガイドが評判を呼び、今ではフランドル周辺5カ国の旅行案内の付いたホテルガイドを発行していてその権威はイグノスでも常識だった。ロット・スポッツの付ける星は、一ツ星から三つ星まであり、一ツ星を取るだけでもホテルにとって栄誉であり、集客効果は計り知れない。ジャンの様なホテルに縁の無い子供でも星の存在は知っていた。
「そうよ! すごい事なの! イグノスで三ツ星の娼館はマダム・ロードの白馬館とマダム・ハイドのホテル・ビバリーの二つしか無いんだから。」
「凄いんだね--」ジャンが驚いた様に言う。基準がハッキリ分からなかったが。
「一流なんだから。一晩幾らか知ってる?」得意げにニーナが聞いた。
「わ、分からない--」ジャンに想像付く訳無い。アレが何かも知らないのに……
「これだけよ!」右手の指を4本立てジャンに見せた。
「400クラン?」当てずっぽうに言う。
「違う!金貨4枚、800クランよ」
ニーナはまくし立てる様しゃべると、アッと気付き、元の優しい笑顔を見せジャンに微笑んだ……