ランナー
疲れ果て、深い眠りの中に居たジャンの目を開かせたのは朝の光や、清清しい空気等では無く、昨日と同じ罵声だった。
「起床!」ドアを蹴破り、バードマンが兵舎にドカドカと乗り込んできた。
「点呼を取る、番号ー!」
ジャンは飛び起きると、眠い目を擦る事無くベットの脇で気をつけの体勢を取った。
「1――!」視線をずらす事無く叫ぶ。
「現在の時刻、5時50分、朝食は6時だ! 6時15分に兵舎前に集合とする! 解散!」
ジャンは解散の声を聞くと、バードマンより先に兵舎を飛び出した。空腹に鳴る腹の音をBGMに食堂に全速力で駆けた。昨日灯りを消していた食堂は煙突から香ばしい香りを撒き散らし、飢えたジャンには壁すらも食べ物に見えた。
「ごはん下さい!」食堂のドアを勢い良く開け滑り込んだ。まだ他の訓練者は一人として居らず中年の給仕が驚いた顔でジャンを迎えた。
「トレーを持って、カウンターに行きなさい」アンより10歳は老けた女性が優しくジャンに促した。
「はい!」木で作られたトレーを引きちぎる様、手にすると指されたカウンターへ駆けた。
「ほらよ!」ジャンの持つトレーにお玉一杯のスクランブルエッグが盛られた、その横の給仕にウインナーを貰うと、ジャンはバケットに詰まれたパンを載せれるだけトレーに載せた。適当な机にそれを置くと再びカウンターに向かいスープを器いっぱいに注いでもらいテーブルに座った。
(早く食べなくちゃ!)壁に架けられた時計を見た。時刻は6時を少し過ぎていて、ジャンはスープを水の様に飲み干すとスクランブルエッグを一口で口に放り込んだ。ウインナー3本を左手に持つと右手でパンを鷲掴みした。
(行かなくちゃ!)パンとウィンナーを握り締めジャンはテーブルを立った。
「ご馳走様でした」通り過ぎる給仕に言うと口にパンを銜え食堂を飛び出した。
来た道を再び駆ける。口いっぱいにパンとウインナーを頬張りジャンは兵舎を目指した。
「気をーつけ!」今だ口をモグモグ動かすジャンの前に鬼の形相をしたバードマンが現れた。
一息で口の中のそれらを飲み込むとジャンは直立不動となった。
兵舎前に広がるグラウンドは一周800ヤード程のトラックがジャンの眼下に広がり、その向こう側には赤レンガの高い塀が見えた。ジャンの兵舎の横に立ち並ぶそれらに人の気配は無く、グラウンドにも誰一人見当たらなかった。
「注目!」バードマンの声にジャンの瞳は斜め横のそれに移動した。
「今日は『クソ』な貴様の足腰を叩き直す!覚悟しておけ! ケツの穴でスープを飲む様になるまでシゴき倒す! 駆け足ー! 進め!」バードマンの号令でジャンはトラックを駆け出した。バードマンはジャンの横にピッタリと張り付き、ジャンに罵声を浴びせ続けた。
「自分の名を言って見ろ!」走るジャンに言う。
「はい! サー 自分は『クソ』であります!」
「そうだ! 『クソ』ならクソらしく走れ! 正規兵は80ポンドの装備を付け、一時間に5マイルは走破するぞ! 貴様は何だ! ババアのファックの方がまだましだ!」
「申し訳在りません! サー」ジャンは全速力で走る事を決めた。後は野となれマウンテン、そう思った。
「おい! 『クソ』速度が落ちているぞ! 戦場に着く前に戦争が終わっちまうぞ!」トラックを2周して速度が落ちたジャンの耳元で叫んだ。
「申し訳在りません! サー!」言葉が思い付かなかった。
「ようし! 貴様が性根まで『クソ』なのは良く分かった! ウジ虫のクソ以下のお前を構成させてやる!」
「あっ、有難う御座います……サー」横腹を押さえながら返事した。
「俺が休めと言うまでトラックを回り続けろ!」言うとバードマンは走るのを止め、宿舎の方へ歩きだした。
「はい――サー」喉を枯らし叫んだ。
ジャンはこの後意識が無くなるまで走り続けた。トラックの隅で蹲り倒れるジャンにバードマンはバケツの水を浴びせると言った。
「午前の訓練はこれで終了とする!」ふらふらと足がおぼつか無いジャンを前に言った。
「返事は!!」破棄の無いジャンを睨みつけ叫ぶ。
「はい……サー」朦朧とする意識の中何とか言った。
「現在時刻10時45分! 昼食は11時50分からだ! 午後の訓練は中止とする! 尚今日の昼食は俺様が特別に用意したものだ! 味わって食べる様に! 解散!」
へたり込むジャンを横目にバードマンは兵舎の方へ消えて行った。
「助かった……」安堵と同時に疲労感が全身を襲った。ジャンは土のグラウンドに大の字で寝転がるとひと時の安息を求めた。
何とか立ち上がったジャンは昼食を逃すべく食堂へと足を運んだ。12時を過ぎて居るにも関らず食堂にはやはり訓練生の姿は無く、ジャンはトレーを掴むとカウンターへ歩いた。
「何? これ」トレー山盛りに盛られた物を凝視して給仕に問う。
「スパゲティーさ」何を今更といった顔で給仕が返した。
「これが……?」伸びきった麺にケチャップをかけた物を見詰め呟いた。
「嫌なら食べなくてもいいんだぞ!」不機嫌そうに給仕が言う。
「食べます!」ジャンはスープを受け取ると、テーブルに付き、不快な食感のパスタにかぶり付いた。
「注目!!」ジャンが半分を食べ終えた頃、食堂のドアが勢い良く開きバードマンの姿がジャンにも確認出来た。
「気をーつけ!」
号令に従い、ジャンは口いっぱいにパスタを頬張り体勢を整えた。
「午後の訓練中止は撤回する、今より五分以内に兵舎前に集合! 急げ!」
「ふぁぃい! サャー」口の中のそれを撒き散らしながらジャンは叫んだ……