眠れぬ夜に
ご覧頂き有難うございます。誤字、脱字、感想など頂けましたら、至らぬ作者の糧となりますので、宜しくお願い致します。
目が覚めた少年の眼下には、まだ太陽の光はなく、部屋一面は漆黒の闇が広がっていた。
変な体制で寝ていたのか首筋が少し痛んだ。繋いでもらった右手には違和感は無く、ケロイド状の傷跡を少年は誇らしく思った。
寝返りを打ち暗闇の向こうに、うっすら見えるドアノブを見つめた。冷たく黄金色に光るドアノブを見つめていると、今にもそれが回り、外から何かが自分を連れ去って行くような不気味な感覚が少年を襲った。
目を離す事ができず暫く見ていると、微かに下の部屋から話し声が聞こえてきた。
(喉渇いたな。下に行って水を飲もう、ついでにお客さんに挨拶してくればいい。どうぜ母さんにお祝いを言いに来た村の人だろう)
思い立ちベッドから這い出すと靴を足で探した。
(そういえば、母さん僕が契約者になったのあまり喜んで無かったな。ここ最近ずっと考え込んでいたし、僕を家から出さなかった)
靴を履き、ノブを回す。そっとドアを開き部屋を出た。階段の下の方から漏れるランプの明かりが眩しく感じた。
(皆驚いてたな……村で初めての契約者だって。トリル州でも年に5人位しか新規の契約者はいないってダンの父ちゃんも言ってたしな)
少年は笑みを浮べ、音を立てないようにゆっくり階段を降り、手摺りの間から台所を覗き込んだ。
(顔がよく見えない。誰だろう?先生って事ないよね?四日も学校休んでいるし。先生は会いたくないな、宿題持って来るかもしれないし。きっと嫌味爆発だよ)
覗いた先には、黒っぽい色をしたダブルボタンのフロックコートを着た男が居た。肩章には金で刺繍されたラインの上に星が二つ、左胸には沢山の略章が見えた。
ゆったりと折り返された平織の襟は裏地の赤色がとても綺麗で、襟の下の方には丸いコイン大の襟章が付けてある。
七宝焼のそれは、金の枠に緑色の縁取りがされ中心は白くそこに三つの点を線で結んだ模様があった。
(スリーポイントスター!あれは契約者の付ける襟章だ!しかも色付き、緑の縁取りは3級上だ!)
少年にはすぐに分かった。
契約者の付ける襟章には、7級の鉄色の物から、プラチナ枠に青く縁取りされ中心が白くダイヤが鏤められた1級上契約者の付ける襟章まで10種類ある。今、目の前に見える襟章は3級以上の契約者が付ける『色付き』といわれる、縁取りの付いた物だ。この村に契約者は居ないし、トリル州には色付きの契約者は存在しない。自分の記憶に有る佐官で色付きの契約者、しかもこんな時間に母と話し込む人間は一人しか居ない!!
少年は急いで残りの階段を駆け下り、ダイニングへ飛び込んだ。
(やっぱりだ!)
「おじさん」ジャンは勢いよくファンジオに抱きつくと頬にキスをした。
「起きてきたのか!」
ファンジオはそう言うと強くジャンを抱き締めた。
「まったく、母親と同じだな」
ファンジオがジャンを抱えたままアンを見た。
「あらそう?私はそんな事した記憶無いけど」アンが笑いながら答えた。
「君もイエス様に祈っていたのかな?」ファンジオが悪戯っぽく言った。
「なにそれ?イエスさん、なんて関係ないよ!もう聞いた?僕、契約者になったんだ!」
ジャンは子供扱いされた事に腹を立てて剥きになった。
「ああ、知っているよ。それでアンと、これからの君の事を話していたんだ」
ジャンが待ちきれなくなり、捲くし立てる。
「これからの?何を?それで?僕どうなるの?」
ファンジオは右手の人差し指を唇に当てジャンの声を遮り、少し黙っているようにと論した。
「いいか、しばらく喋っちゃだめだ。理由は後で話すから」
そう言われジャンが椅子に座ると、アンは温めたミルクが並々と入ったコップをジャンの前に置いた。ジャンは一瞬アンを見てから再びファンジオを見つめた。
「ジャン、君のこれからなんだが……」
そう言うとファンジオはグラスに残った水を飲み干し、話を続けた。
「君は王立国軍士官学校に入学することになった」ファンジオが真剣な顔を見せた。
「プ!!」
ジャンはファンジオの言葉に心臓が飛び出るぐらい驚いた。驚きすぎて、口に含んだばかりのミルクを全て吹き出した程だ。
喋ろうとしたが、再びファンジオが指を当て静止した。彼の顔中がミルク濡れになっていた。
(僕が士官学校!?すっごいよそれ!ダンやケビンに早く教えてあげなきゃ!奴ら羨ましがるだろうな。契約者で少年士官だなんて、クラス中、大騒ぎになるよ!)
ジャンは満面の笑みを浮かべていた。
まるで正月や誕生日と、精霊の父クリフの復活祭が一度にやって来た様な顔だ。
『いつ・入学・でき・るの?』ジャンは声が出ないように注意し、唇の動きでファンジオに伝えようとした。
「えらく嬉しそうだな?」
タオルで顔のミルクを拭きながら、ファンジオが言った。
ジャンは首を大きく動かし頷いた。
「あまり時間がない。契約者は通常一週間以内に出頭しなきゃいけないからな。君は怪我をしているから若干の猶予が在るが早いに越した事はない。明日の朝、此処を出る」
ジャンが驚いてアンを見る。
アンはただ微笑んでいた。
「アンもリリステルにくればいい」ジャンの顔を見てファンジオがアンに言った。
「そうね考えておくわ……」
アンの言葉にジャンは少しホッとした。
「さてと、」ファンジオがジャンの顔をじっと見て続けた。
「今から契約者について、最低限知っていなければならない事を教えておく。君が喋るのはそれからだ。いいかい?」
ジャンは軽く頷いた。
「うん、まず契約者が最初に気をつけなければいけないのは、話し方なんだ。精霊達は契約者の声に反応して集まって来るからね」
ファンジオはベルトに付けた牛革の弾薬入れから小さな鼠の様な動物を取り出した。
明るい茶色の毛並みをしたそれは、ファンジオがテーブルに置くと、体の割りに大きな尻尾を体に包み、丸くなった。
大きさは小さい子供の握りこぶし程しかなく、余りに動かないので、ジャンには置物に見えた。
「モルっていう鼠の一種さ。元々こいつらの元になった種は精霊の動きに反応する習性があったんだが、モルは品種改良によって、より敏感にそれが分かるんだ。観ててご覧」
そう言うと、ファンジオは手の平をジャンに見せ、何か口ずさみ始めた。
ジャンには何を言っているのか一つも分からなかった。言葉に聞こえなくも無いが、意味は全く分からずそれが言語なのかもジャンには怪しくなっていった。
ジャンがアンに目をやると、アンは首を横に振り視線を戻すよう目でジャンに促した。
ジャンが再びファンジオの方を見ると小さい炎が手の平の上に出来上がっていた。
ファンジオの声に反応する様に、段々と炎は大きくなっていき、鶏の卵程の大きさになった。
ジャンは初めて近くで見るその不思議な契約者の創る炎に見入ってしまった。
それも無理は無い。この村で初めての契約者はジャン自身だし、自分の契約はケビンを塀の上へ引っ張る事に夢中でそれを見損なっていた。
大体、トリル州に居る契約者の数は少しの軍属契約者か、両手の指で足りるほどの下級契約者医師が、州都とその付近の町にパラパラといるだけだったし、その下級契約者医師ですら、普通の生活をするジャンや、一般の村人には全く縁の無い存在であった。
しかも初めて受けた大隊付きの上級契約者医師の芸術的とも言える契約術は、気絶していて見損なっていた。
「すごい……」ジャンは初めて近くて見るそれに、堪りきれ呟いてしまった。
ジャンが約束を破った事に、思わずファンジオが眉間に皺を寄せた。
「ジャン、モルを見なさい」堪り兼ねてアンがジャンに促した。
ジャンが慌てて炎からテーブルの上にいるモルに視線を移すと、モルは全身で生える明るい茶色の毛を立て、その小さく光る赤色の瞳は、ファンジオが創る炎を敵視している様だった。
ファンジオが炎を手の平から消すと、モルはすぐに立てていた毛を収め、始めの状態に戻った。
「ちゃんと見れたかい?」ファンジオが言った。
ジャンは、ばつが悪そうに小さく頷いた。
「精霊が集まりだすと、モルはすごく警戒するんだ。これは君にあげるよ」
ファンジオがそう言うとジャンは嬉しそうにモルの薄い茶色の毛を撫でた。
「モルが警戒しない様に喋るんだ。少しでもモルがおかしな様子を見せたら、口を閉じるんだ。分かったかい?」
ジャンは頷いた。
「さあ、声を出してもいいぞ!モル行動に注意してな」
ジャンは堅く閉じていた口から大きく息を吐くと、コップの中のミルクを飲み干した。
「こいつなんて名前なの?」
乾き切った唇をミルクの付いた舌で舐め回しながらジャンが言った。
「ん、名前は無いんだ」
「なら、僕が付けてもいいの?」
ジャンは初めてのペットに興奮した様子だ。
「それはあんまりお薦めできないな」
「なんで?」不服そうな顔をファンジオに付き付けた。
「モルの寿命は元々短い。それにあの程度の契約術であれだけの反応をするんだよ。未熟な契約者と一緒だとすぐにストレスで命を落とすんだよ。普通、一人前の契約者に成るまでの期間、たとえば5級契約者に成るまででも100匹ぐらいのモルが必要なんだ」
ファンジオは銀の煙草入れからそれを一本取り出し、先端に火を点けた。真新しい紙巻き煙草から昇る煙の香りがジャンの鼻を不快に擽った。
「そっか、でも……もし僕がきちんと精霊を手懐ける事が出来たら、こいつは長生きできるんじゃないの?」
「契約術の訓練中はどうするんだい?」
「遠くにやって置くよ。それに僕が医療契約術を使えるようになれば、こいつをすごく長生きさせる事も出来るかもしれない!」
ジャンは目を輝かせて、ファンジオを見つめた。
「それは……」ファンジオは何かを言い掛けたが、すぐに言葉を飲み込むと、煙草を吸いジャンを見つめた。
ジャンはモルを手の平に乗せ、毛並みのツルツルとした感触を楽しんでいた
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