ブートキャンプ
ジャンは憂鬱な気持ちで朝を迎えた。一昨日の帰り道、ファンジオに聞かされた事がジャンの気を滅入らせていた。
「新兵訓練?」『S&W(スカッシュ&ウィルキンソン)銃砲店』を出て、乗り込んだ馬車の中でファンジオに言われた。
「そうだ、受け入れの用意が出来たとグルップから連絡が来た」受け取ったメモを見ながらファンジオが言った。
「試験の時居た怖い顔の人?」記憶を遡り答えを見つける。
「ああ、明後日から入所の予定だ」
「それってブートキャンプって奴?」恐る恐る聞く。嫌な予感しかしなかった。
「そうだ、君は士官に成り王立士官学校に入学する、君が例え少尉の階級を持っていても、その振る舞いが士官のそれじゃ無いと、この計画の全てが泡になる事も有る」
「士官学校に入ってからじゃダメなの?」抵抗を試みた。嫌な事は後にしたいタイプだ。
「普通に入学する奴はそれで良い。だが君の行くのは精霊学部なんだ、全員士官学校を一度卒業した現役の士官しか在籍していない。そこに何も出来ない君が入学したら周りは君の事をどう見るだろう?」
「ズルした奴……?」想像は付いた。
「そうだな、君の事を良く思わない連中も居るんだ、残念だが。弱みを見せる事は出来ない、すでにウィストン王まで巻き込んでいるんだ。事の重大さ、君なら分かるだろ?」
「分かるけど……」それ以上言葉が出てこない。
「大丈夫。死ぬ事はほぼ無い、たった6週間だ」慰めに成らないそれを言いファンジオは口を噤んだ……
「はぁ……」ため息を付いてベットから這い出た。
「やっぱ『完全被甲弾』みたい感じなのかな……」以前見た芝居を思いだした。
『完全被甲弾』と、砲弾の名が与えられた芝居はイグノスでも著名な作家、スタンリー・キューブの作品だった。作中のほぼ全の構成が新兵訓練所を舞台にしており、芝居ながらリアルで狂気染みたそれはジャンの中に新兵訓練所の恐怖を刷り込んでいた。
「ふぅ」重い体を引きずり、昨日出来上がったばかりの軍服に身を通した。まだ肩章の無いフロックコートに袖を通すとミリーに買ってもらったブーツを履き、姿見の前に立った。
「はぁ」ため息しか出てこない、のろのろとガンベルトにホルスターを付け、二丁のピースメーカーを納めた。
「仕方ないか……」まるで死地に赴くような覚悟でジャンはニーナに貰った赤いリボンを首に巻きつけると、ファンジオの待つダイニングへと降り立った。
「お早う、似合うじゃないか」他人事のような声でファンジオがジャンに声を掛けた。
「うん……」死刑宣告は覆りそうに無かった。
「ジャン良く眠れた?」心配そうな顔でミリーが言った。ジャンのリボンには気付いて居ない様子だった。
「うん……まあ」死相を漂わしながらジャンが席に付いた。
「まともな食事も今朝が最後だ、沢山食べろよ!」リボンに気付いたファンジオがジャンを元気付け様と、嫉妬に満ちた笑顔で言った。
「うん」短く返すと少しパンをかじり、スープを飲みそこで手を止めた。
「もう食べないの?」あんまりな様子のジャンをミリーは心配そうに見つめた。
「よし!食べたなら出発だ!」チラチラとリボンを見せ付ける甥を一人前の将校に仕立てる為ファンジオは心を鬼にして、何故か満面の笑みをジャンに向けた。意外に根に持つタイプらしい。
「うん、ご馳走さま」ファンジオを見上げる事無くジャンはゆっくり立ち上がった。
「体、気を付けるのよ」淡く光るグリーンの目を細め、ミリーが言った。
「逝ってきます……」足取りも重くファンジオの後に続いた。
用意された馬車に乗り込み一路目的地に向かった。ジャンのあまりの落ち込み様にファンジオも少し可哀想に思った。
「俺もジルも通った道だ、君なら楽勝さ!」元気付ける様に静寂を破りファンジオが発した。
「辛くなかった?」恐々とジャンが聞いた。
「辛く無いと言えば嘘に成る、でも俺たちは1年間、ジャン、君はたった6週間で良いんだ、喜びはしても、落ち込む事じゃない。ラッキーだと思わなきゃ!」底なしの明るさでジャンの目を見た。
「……そっか!!たった6週間だもんね!一年に比べたら楽勝だよ!!」ファンジオに唆されジャンは再び笑顔を取り戻した。
「その調子で逝けば大丈夫さ!」地獄に落とす前に天国を見せる。まるで美人局の様な作戦でファンジオはジャンを死地に追いやった……
『士官候補新兵訓練所』と書かれた薄暗い門を潜り馬車は塀の中に入っていった。囲む赤レンガの塀は高く聳え、看板が違えば刑務所と言っても通用しそうな雰囲気だった。あちこちに訓練兵と思われる黒の上着を着た男達がマスケットを担え中隊単位で歩いて居た。
ファンジオは指導教官室と書かれた所に一人で入ると、数分を置いてジャンの前に再び現れた。
「ジャン、俺が付いてこれるのは此処までだ、6週間後逞しく育った君を見る事を楽しみにしている」
「わかった!期待しててイーよ!」楽勝ムードを醸し出したジャンはファンジオに軽く返した。
「ああ、君なら大丈夫さ」今日一番の真面目な顔でファンジオはジャンを見つめた。そしてジャンの頭を軽く叩くと振り返る事無く、乗って来た馬車に再び乗り込んだ。
「ウォーカー君」冷徹な声がジャンの背後から聞こえた。ファンジオを見送っていたジャンは寒気のする声の方へと振り向いた。
「グルップさん!」見覚えの有る怖い顔にピンと来た。
「君の兵舎は彼が案内する」ジャンをスルーして一方的に放った。グルップの横に居た作業着の老人がジャンの荷物を持つと、付いて来いと言わんばかりの顔でスタスタと歩き始めた。
「荷物、自分で持ちます!」先を歩く老人に言った。
「最後ぐらいは楽をしなさい……」足を止め意味深に呟くと、ジャンをチラリと見て再び歩みを始めた……
地獄の入り口はすぐそこだった……