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「工藤さん…明日は休みだな」


ひたすら涙を流す部下を見て、営業一課課長の神崎景吾は、その部下が明日にでも3日間の休みをとることを脳内のスケジュールに組み込んだ。


「いつものことながら、ご迷惑をおかけします」


部下の名前を工藤真雪と言う。

営業一課で有能な人物として有名ではあるが、さらに別の理由でも有名な人物である。

その理由は月に1日だけ涙が止まらなくなるという、おかしな体質を持つためだった。


「生理現象だ。しかたないさ」


「すみません」


入社して2ヶ月は月経が来ても勤めていたのだが、いかんせん、元が色白と言っても、色白では説明出来ない程の貧血と痛みでのあまりの真っ青っぷりと、生理前日の号泣に、生理休暇を取れと目の前の当時係長だった現課長に言われたのが始まりだった。


机に戻り、涙を流しながらもパソコンに向かい鬼のような早さで入力をしていく真雪。


終業時間が後5分で終わると言う時間になり、真雪は泣きながらも熱中していた画面から目を離し、メール送信ボタンをクリックすると神崎の下へと向かった。


「課長。一週間後のK社のプレゼンの詳細をメールしました。いつも通り限りなく引き継ぎのないようにはなっていますが、緊急性のある用件がありましたら。電話を下さい」


「あぁ。わかった。ゆっくり休んでくれ」


真雪は一礼すると自分の机に戻ろうとしたが、下腹部が捻れているのではないかと思える程の激痛に襲われ、その場に蹲る。


真雪の激痛に顔を蒼白にさせているのを見て、景吾は痛み止めのありかを真雪に尋ねた。


「相変わらず痛そうだな。痛み止めはどこにある」


「つくえの、した、の、かば、んを…」


息も絶え絶えな様子で話す真雪から離れた景吾は真雪の鞄を取りに行く。


「工藤さんアレですか?」


「男の俺にはわからないが、いつも大変そうだ」


「まだうちは神崎課長の理解があるからいいんですけど、上司に理解がないと大変みたいですよ」


「生理休暇なんてあってもないようなものですから」と言いながら、真雪の隣席の後輩の志村香苗が真雪の鞄を机の下から出すと、自分の机の上にある未開封のミネラルウォーターを景吾に渡す。


「ありがとう。俺だって工藤さんが下に居なければ、考えたこともなかったよ」


部下に礼を言い、真雪の下へと戻る。


「ほら」


鞄を手渡された真雪は中をまさぐり、痛み止めを出すと、適粒飲み込んだ。


「志村さんがくれた」


そういうと景吾は真雪にミネラルウォーターを渡す。

それで口に含んだ錠剤を流し込むのを確認した景吾は真雪を席まで連れていく。


「薬が効くまで休んでいなさい」


景吾は自分の席に戻った。


「真雪さん。本当に酷いですね。炎症もないのになんででしょう」


香苗が言えば、薬が効いてきたのか、真雪は深く息を吐いた。


「家系なの。出産する迄続くんですって。してからも多少痛みが和らぐぐらいで基本的には痛いままみたいだけど」


「うわぁ〜、大変ですね。予定はありますか?」


結婚する予定はあるのかと言う。そんなものがあったら、とっとと結婚している。


「あったらいいね」


真雪が苦笑すれば、香苗は「そうですよねぇ。」と語尾を伸ばしてうなずいた。


「この体質のせいで、いっつも振られるの…まぁ、いつかは終わるものだし、結婚できなければ、後30年の我慢だから…」


30年の我慢だから。

そんな呟きが真雪から漏れたのを景吾は聞き逃していなかった。


そこに就業時間が終わったことを報せるチャイムがなる。


真雪はのそりと立ち上がると、先に上がると香苗に声をかけて、鞄を持った。


その時だった。ふらりと大きく身体が揺れて、机に手をつく。後ろから声をかけられた。


「送っていく。それじゃあ電車は無理だろう。」


景吾だった。

以前、腹痛を抱え、満員電車に揺られている真雪を見かけたらしく、それ以来、会社でこうなると、家に帰るまで面倒を見てくれるようになったのだった。


真雪がどうしてここまで親切にしてくれるのかと尋ねたら、苦しむ部下が目の前に居たら、助けるのは当然だろうと言って笑っていた。

その様子に真雪の心は少しだけキュンとなった。

しかし、真雪はこれ以上の発展は期待してはいけない、今後一切、景吾に淡い思いは抱かない。と、頑ななまでに景吾をただの上司とするように心がけていたのだった。


神崎景吾は社会人として、誰にでも優しい。

若くして課長になるだけの実力もある上、背が高く、10人の女性が10人、全員がイケメンだとするだけの顔立ち、そして職場の上司。

それだけに真雪としては恋愛相手としては回避したい。

学生時代から合わせて4人に同じ理由で振られていると、尚更に恋愛が億劫になるのだ。


「課長、ありがとうございます。ですが、1人で大丈夫ですよ」


「…そうか…だが、無理しないように。今から帰宅ラッシュの時間帯だからな」


青白な顔をしつつも、真雪の比較的しっかりした口調に、景吾は頷いくと、少しだけ思案顔をしてから、自分の席に戻り、今日やるべき仕事の残りを片付け始めた。







―送ってもらうべきだったかもしれない。



会社と自宅の乗換駅まで着いたのはいいのだが、電車の混み具合に辟易してベンチに座り込んだ。


もう少し、空いてくるまで待ってみようか。

タクシーでも帰れるだけ財布に入ってはいるが、今日は真雪がこの駅についた後から雨が降り出して、タクシーはすぐに拾えそうもなかった。


「工藤さん。…帰れなかったんだな」


「えっ?あっ…神崎課長…」


真雪はただぼーっとベンチに座り込んでいた。

そこに仕事を終えた景吾がやってきた。


「もう7時半だ。退社してから、ずっとここに居たみたいだな。…立てるか?」


「…………無理みたいです」


一瞬、機嫌が悪そうな表情を見せた景吾は、真雪を送ることを決意し、問いかけてみた。

真雪はそんなにも時間が経っていたとはと、一呼吸置き、立ち上がろうとしたのだが、下腹部に何かが突き刺さったように痛みが走り、もう一度ベンチに座り込み、横に首を振る。


「…工藤さん、失礼するよ」


そう言うと、景吾は真雪に近寄り、真雪を抱き上げる。

周囲の視線が集まり、真雪は全身を赤く染める。


「えっ…あの…」


「いつまでもここに居るわけには行かないだろう」


「でも…」


「出来れば、セクハラだとは思わないで欲しい」


口調は軽めで冗談混じりだが、真剣な眼差しの景吾に、これ以上何を言っても無駄だろうことを悟り、真雪は自分に集中する視線から逃れる様に景吾の胸に顔を埋めた。

その様子を見て、景吾は目を細めた。


「電車は無理そうだから、タクシーに乗る。パスは?」


「鞄から釣り下がってます」


「分かった」



駅を出る時に駅員さんに手伝ってもらい、二人は駅を出る。

そして、タイミングよく来たタクシーに二人は乗り込んだ。


「道は分かるから、少しでも休みなさい」


自分の膝に頭を置かせ、真雪を横にする景吾に、真雪は硬直、赤面していたのだが、人肌の温もりは予想以上の安堵感と睡眠欲を沸き立たせる。

真雪の目蓋は自然と閉じられていた。





―どこ?


真雪が目を覚ますと、見知らぬ天井が目に入る。

カーテンの隙間から見える明るい空。


「まさか……っつう…」


飛び起きた途端に悪夢の2日目の生理痛に襲われた。

身体を丸めて、耐える。


「くすりぃ……ゃぁ……」



か細い声が漏れる。


「起きたようだな。薬飲むか?」

水入ったのコップを片手に入ってきたスーツ姿の景吾に真雪の目は見開かれる。


「あまりに熟睡していて、起こすのに忍びなくてな。何も悪さはしてないからな」


いたずらっ子の笑みを浮かべて、両手を上げて、何もしていないと言っていた通り、多少の着崩れはあるものの、真雪の姿は昨日のままのスーツ姿だった。


「ただの部下にこれ以上は本当のセクハラだからな。まぁ、人によっては既にセクハラかもしれない。それと、すまないが、スーツはクリーニングに出してくれ」


景吾は水をサイドボードに置くと鞄を渡す。

真雪は痛みに動きが緩慢になるが、鞄から痛み止めを出した。


しかしタイミングよく痛みのピークが来るもので、お腹に手をあて身体を丸める。


「何錠だ。」


「に…」


景吾は放り出された痛み止めを取り出すと、真雪の口に含ませる。

サイドボードからコップを取り、真雪の身体を起こして支える。


「飲めるか?」


景吾は歯を食い縛る真雪の肩を抱きしめ、口元にコップを寄せた。

真雪が一口水を飲むのを確認すると、コップを置き、ゆっくり真雪をベッドに横たえる。

腰を擦られ、―なんで、こんなにやさしいの―疑問と痛みの中で真雪は安心感に再び意識を失った。




―何で課長が…



真雪は自分を覗きこんでいる相貌に驚いた。


―そう言えば…つー


「今は18時を過ぎたぐらいだ。良く寝ていたようだけど、痛そうだな」


シャワー後のラフな姿に眼鏡をかけた会社とは違う景吾に真雪は胸を高鳴らせた。

いつも真剣に書類を見ている目は優しげに自分を見ていて、これはマズイと真雪は視線を外す。


「すみ…ませ…ん」


「気にするな。薬を飲むか?」


「…はい…」


真雪がジクジクと痛む身体を何とか起き上がらせると、景吾は背中にクッションをあてがった。


「その前にこれ飲めるか?空腹に薬ばかりだと身体に悪い」


真雪の目の前に差し出されたのはホットミルクだった。

カップを受け取り、ふぅふぅと息を吹き掛け、一口飲む。

暖かさと甘味に身体が少し楽になった気がした。

こんなにも安らかなのはいつぶりだろうか。

親元を離れてからは、生理の度に痛みに動けず、薬も飲めれば幸いなもので、悶絶し眠ることのない3日間を過ごすのも少なくはない。

ホットミルクをもう一口口にすると、真雪は薬を飲んだ。


「ありがとうございます」


「気にするな」


―神崎課長…好きになりそう……ううん…もう…好きだ。


元々、上司と部下としての信頼感をベースにした好意はあった。


好きになるものかと予防線は引いていたが、景吾のさりげない優しさはいつも女心を刺激していた。


「スーツのままだと何だから、これにでも着てくれ」


そう言うと、景吾は買い物袋ごと真雪に渡して、部屋から出ていった。

渡された紙袋の中を見ると、見るからに暖かそうなクリーム色のモコモコの部屋着が一着。

タグは全て外されていたが、袋を閉じるシールが張ってあった。


―わざわざ買ったのだろうか?

―誰にでもこんなに優しいの?


真雪は泣きそうになるのを必死に堪えた。

薬が効いてきたのか、身体が少し楽になってきた。

真雪はふらつきながらも立ち上がると、シーツを確認する。


―よかった。横モレしてない。


これでシーツが血塗れなら泣いちゃうよ。


昨夜会社を出る前に履き替えたショーツタイプのナプキンを履き替える。

履いていたものは、くるくる丸めて、常備のサニタリーの袋に入れて鞄に入れる。


鞄からお泊りセットを取り出すと、拭くだけのメイク落としで顔を拭い、簡単なスキンケアをして、ナイトメイク様のパウダーを載せ、眉を整えると、サイドボードに置いたままの温くなったホットミルクを飲み干し、脱いだスーツとシャツは軽く畳んで部屋着が入っていた紙袋に入れ、ベッドに腰を下ろした。


「お礼…言わなきゃ…」


力が入らない身体は中々立ち上がってくれない。

真雪はそれでも気合いを入れて、立ち上がると、景吾が出入りしていたドアへ向かう。





「着替え、済んだようだな」


真雪からは頭しか見えなかったが、扉の開閉音に気が付いた景吾はソファーから立ち上がる。

それから、ホッとした様子でソファーに座る様に促した。


ソファー前のローテーブルにはノートパソコンと資料があり、仕事をしていたことが窺い知れる。


ソファーに真雪が座ると、景吾はキッチンカウンターの傍にある椅子へと腰を掛けた。


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