折り鶴
座布団を遠慮して、畳に座り、きちんと正座して、弥生は机の上で一羽の折り鶴を折っていた。その眼差しは真剣そのものであった。折る紙は千代紙らしい。彼女がうちから持ってきたものだ。ひと折り、ひと折り、と寸分のズレもなく、丹念に折っていく。見ている良哉は、その気迫のようなものに心を打たれていた。
やがて、一羽の折り鶴が折り上がった。見事な出来映えであった。まるで生きているかの如く、折り鶴は、彼女の手のひらの上で羽ばたきそうであった。弥生は、にっこりと笑うと、その折り鶴をそっと僕に差し出した。
「いいよ、悪いから」
と、良哉は断った。それでも笑顔を崩さずに、弥生は鶴を差し出してくる。ついに根負けして、良哉はそれを、
「ありがとう。大事にするよ」
と言って、静かに受け取るのであった。
弥生と良哉は、幼い頃からの友達であった。そもそもの出会いは何だったのか、良哉はよく覚えていない。たぶん、ひとりで遊んでいる弥生に何気なく良哉が話しかけたような気がする。その時に、初めて出会った小さな弥生が、いくら話しかけても答えないので、良哉は正直、不思議に思った。そして、幼心で、この子は耳が聞こえないんだなと、ようやく気づいたのである。そのあと、見よう見まねで、良哉は手振り身振りで自分のことを伝えようとして懸命になった。そんな良哉の様子を見て、弥生は思わず笑い出すのであった。しかし、その笑い声にも声はなかった。
やがて、ふたりで遊ぶようになってから、弥生はしきりに妙な手振りで彼に問いかけてきた。弥生が何度も同じ手振りを繰り返すので、これは何かあるんだと思い、その時にすでに持っていたスマホで検索してみた。やはりそうだった。それは、耳の聞こえないものが使う手話というものであることを知った。でも、正直、良哉は可愛い弥生と別れたくはなかった。
その純粋な情熱で、彼はそれから一生懸命に簡単な手話を自宅で覚えた。確かに難しい。しかし、彼は挫けずに基礎と繰り返しで、何とか習得していった。
そして最後までやり抜いた、その翌日、さっそく良哉は彼が身につけた手話を、自宅に遊びに来ていた弥生に披露した。彼は手話で、「こんにちは、弥生ちゃん、いつも仲良くしてくれてありがとう、これからもよろしくね」と、言ってみた。すると、良哉の手話に、弥生は思わず目を丸くして驚き、それから笑顔で、「こちらこそよろしくね?」と手話で返してきた。そして、「良哉くん、頑張ってくれてありがとう、あたし嬉しい」とも言ってきた。そして母に出されたお茶を熱そうに飲んで顔をしかめた。そんな弥生をおかしくなって良哉は笑った。
それから幾年もの時が過ぎた。ふたりは、公園で一緒にボール遊びする子どもから、小学校で、運良く肩を並べて学び、グラウンドでタイヤ跳びをするふたりとなり、そして、あっと言う間に、ともに宿題を教え合う中学生になっていた。
そして、その頃から、弥生は、折り紙遊びを覚えるようになった。箱、風船、だまし舟といった単純な折り紙から始まって、最初は、何とはないふたりの暇つぶしが嵩じて、しだいに弥生が好奇心を示し、勝手に折り紙の世界へのめり込んでいった。やがて、折り紙も複雑な亀や鳩、兜、鶴といった作品を手がけるようになった。
弥生の折った折り鶴は、大事に自分の部屋の戸棚に入れて、時折、取り出しては、良哉は楽しげに眺めた。至福の時であった。
その頃、弥生の父親の転勤が決まり、弥生の家庭は、関西地方へ移転することになった。
弥生は辛かったのだろうが、おくびにも出さぬ様子で、別れぎわの列車の窓から、ニコニコと笑い、手話で、「安心して、また会えるから」と謎めいた言葉を残して、去っていった。
それから、月日が経ち、良哉は高校生になった。勉学にも勤しむ毎日であったが、同じクラスメートの楓と恋愛するようにもなった。楓は、とびきり陽気な女の子であった。いつの間にか、良哉も弥生のことを忘れて楓に夢中になっていた。
最初、楓とは、学校の行き帰りだけをともにする仲であったが、しだいにデートを重ね、親交を深めていった。当時、楓は応援部のチアリーダーを務めていた。バトンを巧みに操り、ミニスカートを翻して応援している彼女の姿は、男の良哉から見てもかっこよかった。そして、ミニスカートからチラリと覗く太ももにドキリとさせられることもあった。
デートも続いた。楓はとても冗談好きで、よく良哉を笑わせて、和やかな気分にしてくれた。喫茶店で、鼻の先に生クリームをつけて、真剣に進路の話をする楓を見ていると、自然と肩の力が抜けるのであった。
その頃に、思いがけず、良哉は一通の電報を受け取った。それは、弥生からのものであった。弥生は、現在、急病で大阪の病院に入院しているらしい。出来れば、ぜひ来て欲しいというのである。
出来れば?何だろう?
それもあったが、久しぶりの弥生との再会である。行ってみたい。
翌日、良哉は喜ぶ楓を伴って、新幹線で車中の人となった。楓にとっては、生まれて初めての関西旅行だったからである。
病院は、吹田市にある大阪大学付属病院であった。吹き抜けの広い窓口ホールを抜けて、病棟へ向かう。弥生がいるのは、6人の相部屋の病室であった。良哉が不安になっていたのに反して、意外と明るい表情で、あの弥生がベッドに横たわっていた。しばらく、良哉と弥生は、かたことの手話で語り合った。
勿論、良哉の背後には、楓が控えていたのであるが、弥生は顔色ひとつ変えずに、良哉の紹介に、うんうんと頷いていた。
しかし、病室を去る間際に、弥生は、奇妙な手話を示した。
「もう、会えない」
良哉には謎であった。それでも、それ以上は聞けずに、良哉と楓は病室を去った。
帰りに、良哉と楓はちょっとした観光をした。大阪の繁華街には、熱い活気があった。食い倒れの街で、ふたりは道頓堀を抜けて、「づぼらや」で、ふぐ料理をとことん味わった。
帰京したのちも、ふたりは親交をより深めて、ともに大学を卒業する頃には、将来の結婚を約束する間柄になっていた。
結婚式は、白いチャペルね、と楓は冗談か真面目か、分からない口調で言った。
そして、約束通り、ふたりは小さな教会で、ささやかな結婚式を挙げたのであった。
「あなた、もうすぐ夕食出来るわよ?」
階下から、楓の声がする。自分の部屋で、良哉はボンヤリと、もの思いに耽っていた。しかし、あっと言う間の20代だったなあ。いろいろな思い出が蘇り、脳裏をよぎっていく。
「藤間さん、電報です!」
表から、配達夫の声がした。急いで階段を駆け下りて、玄関を出ると、電報を受け取る。
「ヤヨイ シス トリイソギ」
愕然とした。弥生が死んだ。もう生きていない。何故か、実感がなかった。しばらく会っていないこともあったが、どうしても、彼女が今も生きているような気がしたからだ。
片手に電報紙を握りしめて、良哉は、自分の部屋に戻った。部屋にドカンと座り込み、ボンヤリとではあるが、考え込んでいた。弥生...................。
思い出した。折り鶴だ。
戸棚の引き出しを開ける。中から、小さな桐の木箱を取り出す。 そこには、弥生がいた。
ふたを開けて、中の折り鶴を丁寧に出す。それは、今でも空に羽ばたきそうな勢いで折られているのであった。
よく観察する。それは、折り紙をよく知らない良哉でも、有名な千代紙で出来たものであることは分かった。青い波の模様のようである。弥生は好んで、この模様の千代紙を用いていた。
良哉は、その模様を書物で調べてみた。その結果、それは、「青海波」という模様であることを初めて知った。そして、その意味は、「永遠」であるという。
「永遠....................」
と、良哉は呟いた。何が永遠なんだろう?分からない。いったい、弥生は何が言いたかったのか、しばらくの間、良哉は手の上に、弥生の折った折り鶴を乗せたまま、呆然と時を過ごしているのであった.......................。




