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1話 そういえばトイレ掃除もう半年してなかったや

 「……ふがっ!?」

 男が目を覚ますと、眼前には水面が広がっていた。

 そこには水面の輪郭をなぞるようにカビが生えており、そこでようやく自分の顔が便器の中にあることに気づいた。

 「あぇ……? 俺、店いたよな?」

 寝ぼけながらも頭を掻きながら独り言ちる。

 「ようやく目を覚ましたか――人間のゴミが」

 勇者の愛剣――御霊剣はその情けない様をトイレブラシの隣から見ていた。

 「うん?」男――もといゴミは周囲を軽く見回した後、何事もなかったかのように立ち上がり、トイレを出ようとする。

 「――っておい! 我輩を無視するなっ!」

 剣が声を張り上げると、ゴミはゾンビのように鈍い動きで「うん? うん?」と、再び周囲を見回し、ようやく剣の姿を確認した。

 「うおっ、勇者の剣あんだけど」

 驚いている割にはひどく淡白な反応だった。表情も死んでいる。ゴミは剣を拾い上げると、掠れた笑い声を上げる。

 「懐かしいなぁ、昔はよく振り回して遊んでたもんだ」

 剣をブンブン振りながら部屋へと赴き、そこで一度回転斬りをしてみせる。その後、満足したようで、一息ついた。

 「……で、これどこに音声ボタンついてるんだ?」

 「吾輩を何だと思ってるんだ!」

 「うお喋った。というか妙にゲロくさいなこいつ……」

 「お主が吐いたんだろうが!」

 「うえっ……今の回転斬りで三半規管が」

 ゴミは剣を投げ捨て、口を抑えながらトイレへと駆け込む。投げられた剣は美しい放物線を描きながら、やがてせんべい布団に突き刺さる。その様はまるで聖剣エクスカリバーのようだった。

 「あいつ、絶対殺してやる……」

 

 それからしばらくしてゴミが戻ってくる。

 その時には酔いも眠りも完全に覚めたようで、布団に突き刺さっている剣を見るなり、驚きの声を上げた。

 「何だ……これ」

 「ようやく目が覚めたか、このゴミが」

 「うわっ! しかも何か変な声まで聞こえてくる!」

 ゴクリ、ゴミが唾を飲んだ。

 「まさか……この剣が?」

 (その反応をさっきやれよ!)

 湧き上がる怒りを剣はグッとこらえた。

 「いかにも。吾輩がお前に話しかけている」

 呆然としているゴミに、剣は高らかに名乗りを上げた。

 「吾輩の名は御霊剣! 幾度と魔王を打ち倒した勇者の剣である!」

 (……決まった)

 剣は内心ほくそ笑みながら、ゴミを見た。

 ゴミはいまいち何を考えているのかわからない顔で。

 「で、そんなすごい人? が何で俺の布団に突き刺さってんだ?」

 「お主が連れてきて! ゲロぶちまけて! 振り回して遊び散らかした挙句! ベッドに投げ捨てたんやろがい!」

 流石に我慢できない剣だった。

 剣の説教にゴミは「あはは……」と苦笑いしながら大して反省もしてなさそうな「ごめんごめん」を連呼する。その舐めた態度に剣は深いため息をついた。

 「はぁ……お前と関わり合いになっていなければ、今頃吾輩は現代の勇者と合流して、それはもう建設的な話し合いをしていただろうに」

 「まあまあ、生きてりゃそんなこともあるって」

 「お主が言うな」

 剣は再度ため息をついて、ゴミを一瞥する。

 華奢な肉体に、不健康そうな白い肌。目の下の隈はひどく、顔に覇気はない。正直、道行く城下町の住人の方がまだ強そうだ。

 「お主、名は?」

 「悠、上者悠うえものゆうだ」

 「それでは悠。お主に頼みがある」

 「いいぜ。それでチャラにしてくれるならな」

 「ああもうそれでいい。じゃあ早速だが、悠よ――吾輩の柄、填められた魔石に手を触れてみてくれ」

 剣の柄のところ、紅い魔石が鈍く光る。

 「そんなことでいいのかよ」訝し気にしながらも、早速触れてくる。(そういえばこいつちゃんと手洗ったよな?) 剣は内心疑いつつも、

 「お主は吾輩が目を覚ました時、現場にいた人間だからな。勇者か否か、その判断は必要だ」

 「ほーん。でも触れた程度でどうやって判別するんだ?」

 「勇者たちが判断を下す」

 言って、剣は全神経を悠へと集中させる。

 「吾輩の紅い魔石の中には歴代の勇者たちの魂が宿っている。彼らがお前を勇者と認めた場合――この魔石は、黄金の光を放つだろう」

 「それってもしかして、こんな色か?」

 「どれどれ」見ると、魔石は黄金に輝いていた。

 「……あー違うねこれは。これはあの、あれだ、黄金の光じゃなくて、黄土色だから。ほら、ちょっと光り方が土っぽくて汚らしいだろう? これは変態の証だ。勇者には絶対にしてはいけないという判決に違いない」

 説明を終えると、そこには同情気味に苦笑いする若者の姿があった。

 「流石にそれは苦しい言い訳だろ……」

 「ああそうだその通りだよ! だって認めたくないに決まってるだろ!」

 剣が体をがむしゃらに動かして絶対的な拒絶を示す。その様は誰がどう見ても駄々をこねる子供だった。

 「路上でゲロ吐いて他人様に迷惑をかけるようなこんな人間が! 吾輩のような聖なる剣を玩具扱いするようなこんな人間が――


 ――現代の勇者だと判定されたなど、認めたくないに決まっているだろうが!」


 自身が硬質な金属であることも忘れてぐにゃりとうなだれる。

 (嫌だ、嫌すぎる)

 (ああ、歴代の勇者たちよ)

 (なぜこんな甲斐性なしを次の勇者に選んだのだ)

 「まあ、何が何だかよくわからないけどよ……」

 悲しみに暮れている剣を見て、悠は優しく彼の鍔に手を置いた。

 「つまりお前は俺の所有物というわけだ」

 「……は?」

 見ると、悠は値踏みするようないやらしい目つきで剣を隅々まで見回していた。嬉しそうにこぼれる舌鼓に思わず寒気を覚える。

 「俺さあ、昨日アホみたいに飲んで金欠気味なんだよね」

 「……はぁぁぁぁ、待て待て待て待て」

 一度息を吐いて心を落ち着かせ、その純粋な瞳と向き合う。

 「まさか吾輩を売り飛ばそうだなんて考えてないよな?」

 その瞳は細まり、フッと笑った。

 「ソンナツモリナイヨ」

 「嘘つけェ!!」

 剣は必死に逃げようとじたばた体を動かそうとした。が、ベッドに突き刺さったその体はうまいように動いてくれない。

 「おいおいそんな慌てんなよ。今俺が抜いてやるから」

 そうこうしているうちに、悠が柄を掴んだ。そして、さながらアーサー王のように神々しく、剣を引き抜き天に掲げた。

 「さて――質屋行くか」

 「やっぱりじゃないか!!」

 叫ぶ剣をよそに悠は胸を張って玄関へと歩き出す。

 「おい、本気でやめろ! お主は吾輩の価値がわかってない! 吾輩は目先の泡銭に換えてしまってもいいような代物では決してないのだぞ! 唯一無二だぞ!」

 「大丈夫大丈夫。新しいご主人様のところでも上手くやっていけるよお前なら」

 「そんなことは微塵も心配していない! お主の狂った思考回路に恐怖を覚えてるのだ!!」

 「社会が狂ってんだ。俺達も少しは狂わないと生きづらいだろ?」

 「お主のそれはちょっとどころの騒ぎではないと言っているんだろうが!」

 そうこうしている間にも悠の足は一歩、また一歩と外につながる扉へと近づいていく。じわり冷や汗が刀身を伝った。

 「いいか吾輩は歴代の勇者たちの魂が宿った崇高な剣なのだぞ! 数百年分の人たちの想いを背負っている剣なのだぞ!」

 「大丈夫。その想いは今日から俺が背負ってやるさ」

 「売り飛ばされる寸前でなければ嬉しい言葉なのだがな!!」

 とうとう悠の手がノブを掴む。恐怖からたまらず剣は叫んだ。

 「よしではこうしよう! いくら欲しいんだ? もしよければ我輩がお金をプレゼントしてやろう!」

 ピクリ、悠の動きが止まる。好機とばかりに剣はさらに説明する。

 「そういう魔法があるのだ! 今のお主の所持金を増やしに増やす魔法が! 信用してほしい!」

 当然、そんな魔法はない。

 が、今は自分の身のためにも嘘をつき続けた。

 その甘い誘惑に、悠は。

 「……いや、人からお金もらうとか駄目だろ。道徳学んでないのか?」

 「お主が! それを言うなァァ!!」

 悠がノブを回す。もはや万事牛すな展開に気づけば剣は女性のような悲鳴を上げていた。

 「いやー! 誰か助けてェェェ!!!」


 「ねえ悠! ちょっと確認したいことあるんだけど!!」


 ――その時。扉が外から勢いよく開かれる。

「ぐえっ!」悠の顔はその扉に巻き込まれていく。その拍子に手から剣がすり抜け、落ちてそのまま床に突き刺さった。倒れた人間と、突き刺さった一本の剣。現場はあっという間に殺人現場のような景色に豹変する。

 扉を開けた張本人は最初こそ扉を開けた勢いのまま、強気に家に入ってきたものの。現場の惨状を目の当たりにして、理解のために少し時間をかけるなり。

 「うーわ……」

 がっくりと肩を落とすのだった。

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