プロローグ
吾輩の初めての主は――人類最強の男だった。
国の中でも抜きん出て剣の腕が立つ男で、彼の存在の有無だけで戦況が大きく傾くと言われるほどだった。
けれど男は決して驕らず、どころか、悪霊に取り憑かれたかのような辛気臭い顔を常にしていた。
ある時、吾輩は男に訊ねた。「お主は何のために戦うのか」と。男はより苦しそうに顔を歪めて答えた。
「魔族を打ち取り、平和を取り戻すためだ」
魔族。
それはこの世界に突如頭角を現した人間と酷似した生命体。人間と決定的に違うのは残虐で獰猛な性格をしており、破壊衝動に取り憑かれていること。そして、魔法を使えること。
男の娘も魔族によって殺されたのだという。
「この手で魔族を――魔王を打ち倒せるのならば、俺はどうなっても構わない」
それから吾輩は男と旅をして、時に喜び、時に悲しみ、時に怒りながらも――とうとう魔王と対峙し。打ち倒す寸前まで追いつめた。
しかし、死の間際、魔王は自身に呪いをかけた。
『回生の呪い』
それは解呪不可能な禁断の呪い。
これをかけられた者は何度死んでも、時代を越えて蘇りを果たしてしまう。
未来の勝利を確信し、笑う魔王。
しかし、そんな奴を前に、男も祝福を授かった。
『継承の祝福』
それは自身の能力や才能、魂を死後、吾輩に継承する祝福だった。これによって未来で蘇る魔王に対抗できる力を未来の勇者に託すことを可能にした。
しかし、この祝福には難点が一つあった。
継承できる力はその者が死んだ時点のものだった。つまり全盛期の力を継承するには全盛期――つまり、今この場で自決する必要があったのだ。
普通ならば臆してしまう場面、ところが男は何のためらいもなくその場で自身の腸を捌き、命を落としてみせた。
そんな彼の功績を讃え、やがて彼は――”勇者”と、そう呼ばれるようになった。
☓ ☓ ☓
――そして、二〇XX年。
吾輩は剣生(人生の剣版)において四度目の、永き眠りからの目覚めを果たした。
意識が鮮明になっていくと、ぼやけていた視界も明瞭になってくる。
そうして、はっきりと世界を認識したとき、思わず声を上げた。
「ここは……?」
そこには見たこともない景色が広がっていた。
空は夜だというのに、どういうわけかまるで昼間のように光り輝いている街。石畳より平らに舗装された黒い石道。遠くを見れば巨大な四輪車が何台も駆け抜けている。発展を大きく遂げているこの街の中で、吾輩の祀られているこの社だけが文明に置いてかれ浮いた存在になっていた。
「……しかしながら暑いな。おまけにジトジトしている」
まるで熱を持った湿気が肌にまとわりついてくるような感覚だ。
細かい暦はわからないが、 おそらく今が夏だろうということはわかった。
どうにかしてこの暑さをなんとかしないと――。
「……と、いかんいかん。今はそんなことを考えている場合ではない」
おそらく勇者はすぐ近くにいるはず。今までの経験からそう判断して、周囲を見回す。
そうして、見つけたのは――。
「――オロロロロロロロロロロ!!!」
吾輩の刺さっている台座の下、四つん這いになってゲロを吐く男の姿だった。
「な、何なんだこいつは……」
状況がまるで理解できず、否、理解したくなかった。が、次の瞬間。願望とは裏腹に脳裏にはとてつもなく嫌な予感が稲妻のごとく駆け抜けた。
(……え、まさかこいつが勇者じゃあるまいな?)
しばらく思案して、自身の考えを嘲笑する。
(いやいや、まさかこいつが勇者のわけがなかろう。由緒正しき社の境内だというのに、お構い無しにゲロを吐き続ける男だぞ? 顔が死人のように白い男だぞ? そんな男が勇者なわけあるまいて)
しかし、だとすると本物の勇者はいったいどこにいるのだろうか?
改めて周囲を見回してみる。が、それらしい人物はいない。
(おかしいな。いつも近くにいるはずなのだが……)
その時、ガッと柄を掴まれた感触がした。来た!
「ようやく現れたか! この時代の勇者よ!」
ウッキウキで後ろに振り返る。
しかし、そこにいたのは、さっきまで生まれたての子鹿より情けなく四つん這いになっていた男だった。
「こんなところにちょうどいい棒あんじゃん」
男は掠れた声で「らっきー……」と呟き、ニチャァと笑う。
「あ、あの……手離してもらえると」
「これでなんとか帰れるぞ……」
吾輩の縋るようなお願いも男は無視。どころか吾輩を台座から引き抜くと、杖代わりにして歩き始めやがった!
「おいその手を離せこのゲロ吐き! 吾輩は崇高な勇者の剣だぞ! お主に弁償できんのか! というか涎を垂らすな!! それゲロ吐く前兆じゃないか! やめろ、おい、ゲロをぶっかけてくるのは本当に話が違うからな! いいか? 絶対にやるんじゃないぞうぎゃあああああああああああああああああああああああああ!!!!」
(……吾輩もう、勇者の下に行けない)
気づけば刀身に、ツーっと雫が伝っていた。




