再生②
最初に感じたのは匂いだった。
焦げた蜜のような、甘ったるくも鼻を突く刺激。肺に深く吸い込んだところで、タイドはようやく、自分がまだ生きていることに気づいた。
「……生きてる、か」
えづくと同時に鉄の味が口に広がる。
倒れていたのは、ピラニアの死体の上だった。不快な血溜まりで、タイドは体を折り曲げたまま、呼吸を繰り返した。
「おい……リーフ、いるか……」
返事はなかった。代わりに、頬に残る温もりが、生き残った証のように感じられた。
視界の端に、微かに光が揺れる。そこから――粉が降っていた。
リーフだった。
全身血まみれで、裂けた小さな羽を震わせ、粉を振りまいている。
「生きる〜」
リーフの声が漏れた気がした。
粉が傷口に触れるたびに、仄かな熱が体に染み渡る。骨が軋み、肉が盛り上がり、折れたはずの肋骨が、ゆっくりと内側から再構成されていく。
苦痛のあまり、タイドは声を上げた。だが、笑っていた。
「……効いてる、効いてるぞ。お前の粉、すげぇな……」
ねじれた腕を抱えると、少しだけ動かす事ができた。
やがて、森の奥から足音が響く。多足の生物がたてる耳障りな足音――回収部隊だ。
「いたぞ、あそこだ!」
「リーフ生きてるか?」
妖精たちの声が飛び交う。安心したのか、リーフは意識を手放した。
「……次は、もう少し上手くやりてぇなぁ」
タイドも、うっすら笑ったまま、目を閉じた。
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数時間が経った頃、獣が駆け寄ってきた。そして、ピラニアの死体を見つけると、
「ウオォーゥ」
と遠吠えをする。それは真っ黒な狼だった。
狼は、ピラニアの死体に鼻を近づける。
「ヒュッ」
鋭い口笛が鳴ると、狼はビクンと身をすくめて後退った。
そこに入れ替わるように、一回り大きな黒狼が近寄ってくる。
背中には瘤のような膨らみがある。そこに巻きつけられたボロ布が剥がれると、中から細身のゴブリンが現れた。
顔の皮膚は乾いて裂け、目は金色に濁っている。
「グググッ」
くぐもった笑いをこぼす。小さなゴブリンは、昔、ピラニアに小突かれて育ったのだ。そいつが醜い肉塊になっている。
「スンスン」
鼻を効かせると、腐敗のはじまった血肉の奥に、ピラニアの分泌した体液の臭いが浮き上がる。
焦りや恐怖――そうした負の感情に、金眼は悦びを感じた。
『グゲゲッ』
涎を垂らし、金眼は声を漏らす。
そこに異質な臭いが混じった。人間の血の臭い、妖精の臭い、そして鍛えた鉄の匂い。
金眼は、狼の背をぽんと叩くと、指笛を吹いた。
それに呼応した群れが、一斉に動き出す。
この匂いの連なりから、獣たちがタイド達の足取りを割り出すのは、時間の問題だった。
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重たく揺れる乗り物の中、タイドは身を預けていた。
大蜘蛛の背で運ばれるその身は、まだ呼吸もままならない。
腕に抱いたリーフの体温だけが、現実を繋ぎ止めていた。
隠し通路を抜けると、霧の中に、かすかに里が見える。
里は以前よりも、深く、静かだった。
結界が強まっているのは、外の脅威を拒絶するためか、それとも、自分たちの内側にある〝もの〟の成長を、警戒しているためか……
タイドは巨木の中空の間へと運ばれた。吸い上げた水が、長い時間をかけて、高濃度の養液を作り、貯留されている。
そこは、ただの癒しの場ではない。古の戦争で、異形の力を持つ狂妖精たちが生まれた場所。
養液に沈められた瞬間、体に染み込む〝粉〟
長老は粉魔法を紡ぎ、そしてタイドの体を紡いでいった。
「今回の襲撃はもっと簡単に済む筈じゃった」
粉魔法を操作しつつ長が言った。その声と眼差しは冷たい。
「そうだな、これだけの同期を見せているから、投石だけで倒せるかと期待したが、な」
ノームは預かった投石紐と、ククリナイフを観察しながら呟く。
「リーフの力を徐々に解放するつもりが、暴走したな」
「そうじゃな。初戦にしては、同期が中途半端に強すぎたかのう? こいつの妖精の粉との親和性は少し異常じゃ。特殊な才能持ちかも知れんのう」
長が魔力を強めると、輝く粉が渦を描いた。それは養液を攪拌すると、タイドの傷口に練り込まれていく。
「ゴポゴポッ」
タイドが激痛に身を捩る。口を差し込まれた巨木の根から空気が漏れた。
「どうするんだ? これ以上の力は少し危ないと思うがな?」
ノームはナイフの神座を指でなぞった。細工をすれば、より強化する術はある。だが、それをして良いものか、と悩むほどにタイドは強化されすぎた。
「逆じゃ。こいつの力をもっと引き上げるのじゃ。戦場に放り込み、爆発するまでのう」
「リーフ諸共、か?」
ノームが鋭く長を見る。
「古戦場の再現じゃ。相応しい武器の調整を頼むぞい」
長は一拍を置いてノームを覗き込む。
「特大の戦花火を打ち上げようぞ」
血走る目に引き込まれて、ノームは頷いた。彼とて、妖精鍛冶として、持てる技術の全てを振るいたい。手の中にある武器の性能を極限まで高めたい、という欲求がある。
「それでは、特別な材料をいただくよ」
ノームの指定した貴重な材料は、全て許可された。それらを受け取ったノームは嬉々として工房に向かう。
「リーフや、これも試練じゃ。見事に果たしてみせよ」
養液の中で、タイドと共に攪拌されるリーフ。長の目には別の熱が籠っていた。
#######
『くそっ、くそっ』
シエラは長の様子を盗み見ながら、苛立ちを隠せなかった。
タイドを連れてきたのは自分なのに、長のように、いやそれを超える特別な存在になるはずなのに。
魔法の天才があるシエラが除け者にされ、ばかリーフが選ばれた。
『あの時、俺様を差し置いて選ばれたリーフが憎い。選ばなかったタイドが憎い。そもそもリーフと比べた長が憎い。選ばれ無かったことを嘲笑っている(だろう)里の妖精達が憎い』
熱に浮かされた表情で、長の元を離れる。全身から立ち上る魔力を、鋭い刃に変えながら思った。
『俺様は天才だ。天才には相応しい地位と、名誉と、配下達が要るのだ』
〝カラス〟と名乗ったゴブリン・メイジを思い出す。
「精霊の卵を盗み出す手引きをすれば、特別な力を授けましょう」
そう言ったカラスの目を見た時から、こうなるような予感はあった。
不遇の天才を救う異形の使徒。その後の栄光を夢見て、シエラはほくそ笑む。
『今は俺様を笑うが良い。いずれ俺様の偉大さにひれ伏す時が来る』
シエラの思考は暗く汚染されていった。
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「……ああ、握るのが怖いな。骨が折れちまいそうだ」
回復したはずの手が、無意識に何かを握ろうとした瞬間、異様な力が生まれる。
跳躍すれば、地面が弾み、視界に飛び込むのは――遠くの木陰から覗く妖精の瞳、震える羽、その翅脈ひとつひとつ。
更に重くなった体と、それを軽々と運用する筋力、熱量、それを支える骨格。
五感や身体能力の全てが規格外だった。
「これで、“狂妖精”の暴走にも……少しは耐えられるかもな」
タイドはそばを飛ぶリーフを見る。
リーフもまた、養液に浸され、ようやく目を覚ましたところだった。
「な〜に〜?」
まつ毛をポヨポヨと揺らしながら、リーフが首を傾げる。ボロボロだった羽も綺麗に戻り、以前と変わらぬ姿がそこにあった。
タイドの左腕が熱を帯びる。
『同期が進んだ』
ククリナイフが微かに脈動する。神座に新たに造られたのは――精孔と呼ばれるものだった。
リーフと共鳴し、新たな力をタイドへともたらす〝強化循環〟の仕組みだ。
長が語った言葉が蘇る。
「かつて〝粉〟を深く体に入れすぎた〝もの〟は、みな壊れた。意思も、自我も、食欲すら捨て……ただ〝戦うだけの器〟になってな」
タイドは驚かなかった。なんとなく分かっていたからだ。
自分を消費される事にも納得していた。
ただ力を欲する。それが全てだった。
これも粉を深く入れた影響だろうか。
「しょうがねぇ、上手くやるさ。擦り切れる前に奴ら全員を殺せば良いんだろ?」
『この力を使えば、それも不可能じゃない』
タイドの心も、少しづつ変質していた。




