新しい力
施術から三日後、タイドは重い瞼をゆっくりと開けた。
視界はぼんやりとしているが、思考は澄んでいる。
床に横たわる全身が重く、密度が増したように感じる。ゆっくりと上体を上げ、軽く手を握ると、指先の動き一つ一つが、スムーズに、緻密に動いた。
ゆっくり膝立ちになると、湧き上がる力でスッと立ち上がる。一歩踏み出すと、重い体なのに、足取りはしっかりとしていた。
風が頬を撫でる。その瞬間、五感が一気に開かれた。森の湿った匂い。遠くの小川のせせらぎ。木々を揺らす葉擦れの音。どれもがくっきりと、刺すように鮮やかだった。
息を吸い込むと、肺がじんわりと温かくなる。かゆいような痺れが全身に走り、生きている実感が込み上げてくる。
木の室から出ると、斜め前方を見上げた。
「起きたようじゃな」
長が居る事は気配で察していた。
「ああ、どうやら上手くいったようだな」
「当たり前じゃ、わしの粉魔法は里一番、つまりは世界一と自負しておる」
胸を逸らして片目をつむる。長は慣れた様子でタイドを促し、エスコートした。
そこは里の奥にある、小さな工房のような洞穴だった。
火の気もないのに、じんわりと焼けた土の匂いと鍛鉄の熱気が漂っている。
小さいが重厚なドアを開けると、そこにはずんぐりとした小人がいた。
「来たか。ちょうど仕上がったところだ」
ノームと名乗った男が、台の上から声をかけてきた。
巨大な金床から湯気が立ち昇っている。
その上には、タイドのククリナイフとスリング紐が置かれていた――いや、そう見えたのだが――
「……これが、俺の得物か?」
タイドはククリナイフを手に取った。
刃の形状こそ大きく変わっていないが、金属の質感が違う。長い時間磨き込まれたような刃紋からは、内包する魔力が淡い光を放っていた。
刃元の窪みに新たな細工が施されている。それはタイドの部族にとって「神座」と呼ばれる、女陰を模した窪みだった。そこに文字のような模様が刻まれているのだ。
「その印は要となる」
ノームに言われ、触れると静かな熱が指先に伝わった。
「それがどう作用するかは……まあ、使いながら確かめるんだな」
ノームはつぶやくように言いながら、もう一つの得物を差し出した。
スリング紐。手に取ると、素材の感触が以前とはまるで違っていた。
重く、張りがあり、しなやかな素材。
「この紐も強化してある。縄や弾座には特別な繊維と、妖精の羽が撚り込まれている。そこに精霊の粉を融合してあるから、あんたの意志に反応するはずだ。慣れれば、ただの石ころでも……まあ、見てのお楽しみだな」
タイドは静かに振るってみた。少しの重さが絶妙に程よい。軽く投擲の素振りをすると、
「スパンッ」
と音を立てて、鞭のようにテーブルを打った。
「ばかやろう! 試しは外でしろ!」
ノームに叱られて外に出る。
「そこの杭に撃ち込んでみな」
タイドは頷き、工房前の地面に突き立てられた木杭へと向き直った。距離は十歩ほど。石を一つ拾い、紐の弾座に収める。
手首に通したスリングの輪が馴染む。もう一方の端が指のようにほぐれて、握手をするように軽く握った。
ゆっくり回すと、紐全体が呼応するように緩み――
「はっ!」
腕を振ると同時に、紐がうなりをあげて収縮し、木杭が弾け飛んだ。
「……へえ」
タイドは息を吐いた。力任せに投げたわけではない。ただ、投げたい方向を意識して、それを紐が汲み取ってくれた。そんな感覚だった。
「悪くねえ」
「悪くないどころか……ちょっとやりすぎじゃな」
長が苦笑して言う。ノームは腕を組んで鼻を鳴らした。
「言ったろ? 粉に反応したんだよ。お前の意志に応じるんだ。少し上手くいきすぎたがな」
ノームと長が意味あり気に見合う。
「……で、代償は?」
「うむ、払ってもらうとも。これから嫌というほど、体でな」
長は笑いもせずにそう言うと、タイドの肩に停まった。
「メンテナンスのいる体になった。粉魔法の代償じゃ。生まれ変わった体にはエネルギーが要る。膨大なエネルギーじゃ」
「エネルギー?」
「それを今から説明しよう、ついてくるが良い」
長がそう言うと、
「じゃ、何かあったらまた来いや」
と言って、ノームは作業所に戻って行った。
タイドは黙ってククリナイフを鞘に収め、スリングを腰に巻いた。
武器が体になじむ。まるで、以前からそうだったかのように。
「新しい力を使えるかどうかは、お前さん次第じゃよ」
長はタイドを促して、大木の方にゆっくり揺蕩う。
「……ああ。どっちにしろ、やるしかない」
眩い大木に少しだけ気後れしたが、決意したタイドは、深く息を吸い、肩を回しながら付き従った。




