妖精の里
「シエラ〜、どこ〜?」
遠くから、少し間の抜けた声が聞こえる。
シエラは舌打ちすると、
「着いてくるな、バカリーフ」
シエラの語気が荒くなる。
「え〜? そんな事言っても〜危ないじゃないか〜」
フワフワと、シエラより一回り小さな妖精が飛んできた。
全身のシルエットはシエラより丸っこい。まつ毛が長く、瞬きをするたびに「ポヨポヨ」と擬音が聞こえるようだ。
「あなたは人間だね〜? 僕はリーフだよ〜、あなたは〜?」
「タイドだ、お前たちは……」
「質問は後にしろ、今はぼんやりしてる暇はない」
リーフを跳ね除けて、タイドの目の前に出る。
「お前、卵をそのまま持ってついて来い」
「はぁ? 何で俺が? そんな事するわけ無いだろ?」
タイドはゴブリン達の討伐証明部位、左耳を剥ぎ取り始める。
「早くしないと、他のゴブリンがきちゃうよ〜?」
急かしてくるリーフが煩わしい。
「運ぶのを手伝えば、褒美が出るぞ。妖精の褒美、例えば〝妖精の粉〟とか……」
シエラの言葉に、タイドの動きが止まる。
本当はこのまま帰路についても良いが、たかがゴブリン討伐、小銭稼ぎにしかならない。
卵を運ぶだけで、シエラの言うように妖精の粉を得る事ができれば、計り知れない価値がある。
「ただ運ぶだけか?」
「ああ、そうだ〝ただ運ぶだけ〟だ」
ニヤニヤと言うシエラに嫌な予感がするが、ジリ貧のタイドには願っても無いチャンス。
渋々ながら了解すると、シエラを先頭に妖精の里を目指して歩き出した。
途中から、視線の数が増えたようだ。気のせいではないだろう……早計だったか?
シエラの態度から、ゴブリン達では無い事は明らかで、おそらく他の妖精達が遠巻きに観察しているのだろうが、尋ねても何も教えてくれない。
居心地悪さから、タイドが文句を言いかけた時、
「もう少しで里の入り口があるからね〜」
リーフが笑顔を振り撒く。
シエラも振り返りながら先導した。こうしていると、愛くるしいが、先ほどの魔法を見ているタイドとしては、常に弓矢を突きつけられているような緊張感がある。
「ここには触れるなよ」
シエラの指さす先には、二股の木があった。大きな蜘蛛の巣が木漏れ日に光っている。
シエラとリーフは器用に巣を潜り抜けると、フッと消える。
「巣にかからないように、潜り抜けて〜」
と、リーフが言ったその瞬間、木の上から毛むくじゃらの大蜘蛛が、静かに降りてきた。
まるで合図を受けたように、巣の一部に大きな穴を開ける。
……通れ、ということか?
タイドは一瞬足を止めた。ここを超えたら後戻りはできない。小銭稼ぎに来た森で、訳のわからない事に巻き込まれている。
『引き返すなら今だ』
だが同時に、このまま戻っても、何も良いことが無いと思い直す。
安い報酬を手して、酒を飲んだらまた無一文だ。妖精の粉を手に入れたら……もし、若返りの薬などを手に入れたら……夜の女達が放っておかないだろう……
下卑た思考と共に、木の股をくぐった途端、空気が変わった。
花のような甘い香りがただよい、肌をなでる風が柔らかい。
視界の奥に、軽やかな燐光が揺らめいている。
無数の妖精が巨大な木の輪郭を浮かび上がらせているのだ。
「誰だっ!」
叱責の声と共に、無数の視線を浴びる。
妖精達の羽音が攻撃的に唸り、魔法陣が宙に描かれた。
(しまった……か?)
タイドは、立ち尽くしたまま幻想的な風景に見惚れていたが、今は判断の時だと自分に言い聞かせた。
頼りのシエラを探すと、
「シエラが卵を取り返した! シエラの手柄だ」
くるくると回りながら、一回り大きな妖精の前で一礼する。
『おい、俺の事はどうした! こいつ何か信用できんぞ』
妖精達が羽音を立てて移動する。細かな羽ばたきで、体から放たれる光が波紋のように広がり、その光がタイドの顔に陰影を作った。
「おい人間! それをおろせ! 慎重に! 妙なまねはするなよ」
方々からうるさく言われながら、ゆっくりと卵を下ろす。
「下がれっ!」
促されるままに、後じさった。
一部の妖精は魔法の発動をはじめ、魔力光の揺らめきがあちこちに見える。
今、一斉に魔法を放たれたら、その瞬間に絶命するだろう。
魔力光の熱が耳を掠め、思わずククリに手を伸ばす。
「そこまでじゃ!」
一際大きな声が響いた。
「シエラよ、そこの者が卵を取り返してくれた、そうじゃな」
有無を言わさぬ言葉は、大木の中から聞こえた。
「長! 私が取り返したんです」
シエラが胸を逸らして発言した後、一瞬、場は沈黙に包まれた。
ゆっくりと降下して来たのは、眩い燐光の妖精だった。
「そうだの、卵を取り返して、運んでくれる者をお前が連れて来た。つまり〝お前達〟が取り戻した、そうだの?」
長老の言葉に、タイドを取り囲んだ妖精達も包囲を解く。
「はい〜、タイドに〜卵を運んでもらいました〜」
と言うリーフに、シエラは白けた視線を送る。長はタイドの眼前まで飛ぶと、
「お疲れ様じゃの。これは感謝の印じゃ」
と言って自身の手のひらに息を吹きかけた。
途端に眩い粒子が弾け、爽やかな香りが通り抜ける。
「……はっ」
惚けていたタイドが意識を取り戻すと、これまで感じていた疲れや、戦闘でついた小さな傷などが、全て無くなっていた。
腰や膝も、嘘のように熱がひいている。
『これが〝妖精の粉〟か?』
「さて、立ち話もなんじゃろう。里の恩人にはゆっくりくつろいでもらって、歓迎の宴でもいかがかな?」
「いや、それはありがたいが、一つ確認してもいいか? 報酬についてなんだが……」
タイドの言葉に、長の目が細まる。
シエラが慌てて何かを言おうとするが、長の手がそれを制した。
「言うてみなされ」
「妖精の粉をいただきたい」
タイドの声に、場の空気がぴたりと止まった。
妖精たちの羽音すら、どこか張り詰めたものに変わった気がする。
長は、細めた目の奥でタイドをじっと見つめていた。
「ふむ……」
しばしの沈黙のあと、長はふわりと宙を舞いながら、片手を顎に添えて考えるそぶりを見せた。
「妖精の粉は、我らの大切な秘薬……時に命を救い、時に運命を狂わせる」
重々しい言葉に、妖精の粉への価値感が変わる。
「それを欲する理由、聞いてもよいかの?」
タイドは、一拍の間をおいてから口を開いた。
「若返りの薬、になると聞いた。もし、それが本当なら……」
ふと、言葉が詰まった。
目の前で羽ばたく長老の目が、見透かすようにこちらを覗いている。
『女に配る? いや、そうじゃない……俺は』
「……人生を、やり直してみたいと思うんだ」
その瞬間、シエラがクスリと笑い、他の妖精たちも小さくさざ波のように囁き合う。
長老は、何も言わず、ただ頷いた。
「その望み、真か偽か、わしが見極めよう。宴のあとまで、しばし待たれよ」
長の言葉と共に、宴の準備が始まった。
 




