エピローグ
生暖かい静寂を、風が吹き払う。
圧迫感から解放されて、どっと体が重くなった。疲労感に目が霞み、膝が笑う。
血混じりの砂を吐き出しながら、カラスの元に向かった。
鉛金色の光が、明滅しながら、螺旋状に伸びている。
「あっぱれじゃ」
振り向くと長がいた。
「精霊は積み重なるのじゃ。個人の欲望も、野心も飲み込んで、大きく成長する」
熱に浮かされたように話す長が、異形の怪物のように見えた。
「人間を媒介に成長した精霊じゃ。これに妖精を加えたら……」
ギラリと光る目が、神座を捉えた。咄嗟に身構えるタイドに、粉が振りかけられる。
「完璧な螺旋を描いて、立派な樹となる……」
後半は聞き取れなかった。意識を失ったタイドは地面に倒れ込む。
「さて、リーフよ。光の中に飛び込むのじゃ」
長の言葉に、リーフが怖気づく。機敏に反応した狂妖が、
「加亜亜亜ッ」
と気炎をあげて、バッシに頭突きをかました。
「無駄じゃよ。そいつには眠りの粉を吸わせた。わしが長年魔力を込めた代物じゃ。死ぬまで起きはせん」
長は、神座のリーフに告げる。
「身体を捨てよ、今がその時じゃ」
その言葉に操られるように、リーフはフワフワと浮遊した。黄光の端が、精霊の光に吸い込まれるように同化する。
狂妖が赤光で対抗するが分が悪い。
長が地面に触れて、魔法の扉を開く。
精霊の魔力が流れ込み、巨大な渦が現れた。
「さあて、では行くとするかのぅ、約束の地〝月の丘〟へ」
長は、満面の笑みを浮かべて渦に向かって飛び込んだ。
リーフが光に同化しようとする。一粒の涙がまつ毛を濡らして……タイドの腕に落ちた。
見れば、タイドに与えられたリーフの一部が、淡く光りながら、魔力を放っている。
タイドは目を開くと、
「俺は……お前らと居たい。お前らは?」
リーフ、そして狂妖にそっと手をかざした。
「ぼくも〜タイドと〜居たいよ〜」
リーフの言葉に、
「居居居居ッ」
狂妖も不気味な笑い声を上げる。
「そうか、なら決まりだな」
タイドはニヤリと笑うと、リーフと狂妖を掬い取る。
粘着する精霊の光に、タイドの腕から煙が上がった。
「あが亜あぁっ」
タイドは吠えながら、全身に仕込まれた妖精の粉を燃焼させた。
ちぎり取った精霊の残光ごと、神座にリーフを押し込むと、
「居ッ居ッ殺ッ殺ッ」
嬉々と笑う狂妖と同期して、精霊の枝を斬り払う。
次の瞬間には、精霊の木が空間ごと転移した。
飛び退くタイド達を残して――
すべての光が、音を立てて消えた。
***
焦げた左腕を見下ろす。
皮膚に張りついた粉が、白く風に散った。
それがリーフの残滓か、ただの灰か――もう分からない。
息を吐くと、空は静かだった。荒れた大地に、ただ風が通り抜けていく。
「――ようやく終わった」
誰にともなく呟き、目を閉じた。
***
――ある晴れた日、冒険者ギルドの買取りカウンターに、一人の冒険者が現れた。
受付嬢は冷たい視線を向ける。
年を取った冒険者――はぐれ者。
ギルド内でも、食いっぱぐれれば、いつでも盗賊に転職するようなカス冒険者と見なされている。
差し出されたのは、いつ採取したかも分からない、干からびたゴブリンの耳。一緒に差し出された依頼書を、嫌そうに検分棒で突くと、印を確かめる。
「はい、ギリギリですけど、期限内の達成です」
面倒を避けたいのだろう。
最低限の言葉で報酬を渡す。
手放した硬貨がカウンターから落ちた。
それを拾い上げたタイドは、
「ありがとよ」
と呟いて、背を向ける。
舌打ちを予測していた受付嬢は思わず顔を上げる。
その背中は、以前よりもずっと大きく見えた。
外では、子供の笑い声がしていた。
窓のから光が差し込む。
焼けた左手はジクジクと痛み、動かし辛い。だが、後悔は無かった。それは自分が選んだ道だったから。
『さて、昼飯でも選ぶとするか』
そう思った瞬間、腰のナイフから、ポヨポヨとしたウインクが返ってきた。
〜終〜




