光る女
よろよろとタイドが瓦礫を乗り越える。
眼下には小柄な人型が、極彩色の卵を抱えて立っていた。
「それを返せ!」
怒鳴っても反応が無い。ただブツブツと独り言を繰り返し、卵をさすっている。
呟きにに反応するように、卵から光が漏れ出た。鉛金色に輝くそれはキングよりも強い光――
『あれはやばい』
即座に判断したタイドは、大きく踏み出しながら、最後の鏑弾を投擲した――「ドッ」という鈍い音と共に、人型が大きく歪む。
『金は永遠……落ち着いて……安心して……』
声と共に、歪んだ人型が〝ドプン〟と元に戻った。
キングの金光と似た力――タイドは直感した。あれは精霊の力だったのだ。
その、力の源流たる卵に、今、亀裂が走っている。
中から粘液状に溢れ出す光。照らされた人型は、病的に華奢な女だった。
女は〝ドプン〟と光が溢れる度に、大きく開けた口から、それを嚥下する。
沈黙の中で、
「ゴキュ……ゴキュ……」
と光が喉頭蓋と衝突する音だけが響く。
タイドは魅入られてしまい、光る女を見守る事しかできなかった。
苦悶の表情を浮かべる女。
次の瞬間、光に押し出されるように、彼女の思念が滲み出て、タイドに流れ込む。
――幼い肉体が病に蝕まれ、曲がった背骨、濁った鉛金の瞳。
杖を突いて歩く少女が、暗い石畳を引きずるように進む。
学院の門をくぐる姿。使い魔の鴉が慰められながら、必死に書き綴る魔導書。
だが師は冷笑を浴びせて、背を向けた。
〝お前には無理だ〟
その一言が、少女の胸に突き刺さった。
――何者にもなれない――ならば、何を犠牲にしてでも掴む――そして〝禁書〟に手を伸ばした。
闇に覆われた彼女の背後から、妖魔たちが立ち上がり、鎖のように絡みつく。
妖魔を使い、求めたのは精霊の力。全てを支配する力の源。
妄執に染まりながらも、溢れ出す光は女を少しずつ洗い流していく――
闇がねじれ、やがて愉悦に変わる。
自らを焼き尽くす太陽を抱くように。
恍惚の表情に変わった唇が震え――
『あゝ、愛してる』
うっとりとした声が響いた。
『愛してる……愛してる……愛してる』
全方位に向かって念話を飛ばす。その多幸感に聞くもの全てが酔いしれた。
興奮した鴉達の鳴き声で、タイドは正気に戻った。
見上げると、無数の鴉が空を埋め尽くしている。
金眼の渦が空を覆い、羽音が押し寄せ、言いようのない不安感に襲われる。
精霊の光は際限なく溢れ、女の体はそのたびに揺らぎながらも、より鮮明な姿を得ていく。
その眼は濁った金。瞳孔が開き、すべてを飲み込む渦のようだった。
『愛してる……愛してる……』
その響きは甘美で、鴉の不気味さと共に、精神が揺さぶられる。
タイドの膝が揺らいだ。戦場の血と痛みも、孤独も、恐怖も、すべてどうでもよくなる。
只々、光に満たされて、意識が白く溶けていく。
同時に、数万の鴉の群れが、タイドを飲み込むように降下した。
その時、
神座に収まる狂妖が、羽音をたてて、タイドの顔面を殴った。
眠りの粉のざらつきが喉に流れ込み、次の瞬間、世界の輪郭が崩れる。
音が遠のき、思考はゆるゆると溶け落ちていく。 自分が誰かさえ、靄の中に消えていった。
その隙を裂くように、喉の奥から嗄れた叫びがほとばしり、腕が痙攣する。骨髄に棲んでいた妖精の粉が呼び醒まされ、血を焼くように全身を駆け抜けていく。
「殺ッ殺ッ殺ッ」
喉が勝手に震え、赤い視界の中に鴉の群れが降りてくる。
嘴が頬を抉り、爪が肩を裂き、血が噴き出す。
リーフの力で傷口は癒えて、また裂かれ、また癒えた。
「牙ッ牙ッ牙ッ」
狂妖が刃を振り抜くたび、肉を食い破る音と、鴉を断つ音が重なり合った。
タイドの肉が抉れ、骨が剥き出しになる、
「ゴツゴツ」
という打撃音と、
「牙ッ牙ッ牙ッ」
鴉を切り裂く狂妖の叫びが競演した。
その狂気が神座を震わせ、
「梵ッ」
という声と共に、赤黒い魔力が噴き出す。
眠りの粉の残滓が、赤黒い焔となって群れの魔力に引火した。
密集する鴉が、煙突の様に魔力を導き、赤黒い魔力が昇竜のように空を染めた。
過剰な魔力に神座は加熱し、狂妖はカラスを仕留めんと気炎を上げる。
ボトボトと鴉が落ちる下を、飛ぶように駈け抜けて、カラスに斬りかかった。
カラスが斬撃を「ドプン」と取り込み、
『愛してる』
という言葉と共に、狂妖の熱を奪う。
タイドの冷静な部分が警告を発する。
熱は狂妖にとって力の源。それが一撃毎に奪われていく。
そして『愛してる』が、タイドの熱をも奪っていく。
「やめろ!力が奪われる」
だが、暴走した狂妖は聞く耳を持たず、
「殺ッ殺ッ殺ッ」
と、気炎を吐いて斬りかかる。
吸い込まれた魔力が、カラスの周りに赤黒く滞留した。
「やめろっ!」
タイドが左手を押さえ込むと同時――赤黒い魔光が鴉の形に飛び出した。
胸に被弾した鴉が、狂ったように暴れ、傷は右胸骨まで達した。
血みどろになって取り押さえようとするが、赤目の鴉が、
「火亜亜亜亜ッ」
と狂ったように嘴を、爪を振るう。そこに、
『愛してる』
の追撃が脳を穿った。
上空には金眼鴉の第二波がグルグルと渦を描いている。
『あ、終わったな……』
鈍る思考でタイドは覚悟を決めた。その瞬間――
「私の〜一部を〜あげるよ〜」
のほほんとしたリーフの声が聞こえた。
狂妖にポヨポヨとしたまつ毛が生えると、赤光に緑光が混じり、黄色の光に変化していく。
リーフ主導で神座を向けると、あれほど暴れていた赤鴉が、ホロリと崩れた。
「リーフ」
黄色い光が暖かくタイドを包む。還元された魔力がタイドに流れ込んだ。
カラスの体表から、鉛金の鴉が放たれる。それと同時に、上空の鴉達が突撃してきた。
爆音の中で、リーフの、
「大丈夫だよ〜」
という声が聞こえた。
「チッチッ」
神座から黄色い光が放たれ、鉛金の鴉に触れると、黄色に染め直す。それらは方向を変えて、上空に飛び上がった。
無数の黄色いカラスが、金眼鴉を穿つ。
「精霊の〜力の〜扱いは〜」
「我々の方が、長けておるのぅ」
長の声が重なる。空中に魔法紋が描かれ、長が現れた。
長が妖精の粉を振り撒くと、黄光が一段と強まる。
「勝手な真似を、してくれたのぅ」
長が魔力を練り上げる度に、カラスから精霊の力が逆流する。
『愛してる……愛してる』
えずくような、カラスの念が飛ぶ。
長が燐光を振り撒きながら、魔力を振り絞ると、「ドゥルン」と鉛金光が吐き出される。
『私の……赤ちゃん』
金眼が爛々と輝き、カラスは腕を広げた。
『愛してる』
強烈な思念が放たれる。
タイドは惚けると同時に、無性に腹が立った。
「何が赤ちゃんだ、ふざけるな」
赤光を尾引かせながら、タイドが突進する。
ククリナイフをカラスに振るうが、白身のような膜に阻まれた。
『愛してる』
頭が潰れるほどの念が襲う。真っ白になった頭に、
「私の〜一部を〜あげるよ〜」
リーフの声が響くと、神座から黄光が噴き出した。
白身のような膜が少し柔らかくなる。そこにククリナイフを捻じ込むと、
『愛してる』
強烈な念が襲う。
「我亜亜亜ッ」
カラスの喉に迫るナイフ。そこに鏑弾を拾い上げたスリングを叩きつけた。
『あゝ……愛してる』
首を無くしたカラスの声が、精霊の光に飲み込まれる。
鉛金の光がカラスを包み込む。
苦痛は無い。ただ圧倒的な肯定と、無限の快楽。
『……ああ……ようやく……』
満ち足りた声を最後に、彼女の輪郭は曖昧になり、光の中に融けていった。




