追跡
妖精の扉を潜った瞬間、タイドとリーフの足元がふっと浮いた。
次に踏みしめたのは、湿った下草の感触。
リーフによれば、そこは妖精の里から離れた外縁の森、結界の外だという。
視線の先、木々の間を、黒い狼に乗るゴブリンライダーの群れが駆けていく。
その先頭、ひときわ巨大な黒狼の背には、鎧をまとったゴブリン王がいた。
手にしているのは、間違いない――精霊の卵。
「あ、あ〜!? 潰れちゃう潰れちゃう、あんな持ち方じゃぁ〜っ!」
リーフの悲鳴じみた叫びに、タイドは目を細めた。
「リーフ、いけるか?」
ククリナイフを向けると、コクリと頷いて神座に収まる。
「殺ッ殺ッ殺ッ」
湧き上がる力に笑いながら、流れるようにスリングを構えると、鏑弾を――投げた。
「ボウッ」
風切り音を超える速弾が、ゴブリンキングの背に火花を散らす。
「喜ッ喜ッ喜ッ」
先程までの心配を他所に、狂妖が嘲笑う。
キングは体勢を崩したが、巨大な黒狼が強引に持ち直した。
タイドは息をつかさずに鏑弾を撃ち込む。
取り巻きのライダーが盾となり被弾して、頭が吹き飛んだ。
一発、ニ発。続けざまに放った鏑弾が敵を粉砕する。
無事な二体のライダーが、反転してタイドへと殺到してきた。
槍を構え、狼の背に伏せながら、刃を突き出す獣騎兵。
「ギャリリッ――!」
黒狼の爪が地面を抉り、槍がタイドのすぐ脇を掠める。
ほとんど背中合わせのようにすり抜けると、すれ違いざまにスリング紐を、ゴブリンの首に巻き付けた。
飛び上がるようにゴブリンの後ろに乗ると、そこに別の槍先が飛び込んで来る。
首を締め上げるゴブリンライダーを盾に躱すと、胴体を穿ったゴブリンがそのまま衝突してきた。
もつれ合い、転がる。即座に離脱すると、立ち上がりかけの黒狼に飛びついた。
暴れる狼の鼻面に神座を押し当てて、強引に妖精の粉を吸いこませる。
黒狼は興奮状態になり、痙攣しながら跳ね、その勢いで加速した。
後ろから槍を持ったゴブリンが追いすがるが、あっという間に引き離す。
荒い走りに振り落とされそうになるのを、スリング紐を狼の首に巻きつけて踏ん張った。
ガクガクと揺れる視界に、キングの背中を捉える。
その時、強烈な悪寒がタイドを襲った。直感的に向いた方向から、金色の光が照射される。
頭の芯に鈍い痛みが走り、
『邪魔をするな』
嗄れた声が頭に響いた。狂妖と同期しているにも関わらず、一瞬素に戻る。膨大な魔力が込められた声に従いそうになる。
「疑ッ疑ッ疑ッ」
狂妖の声と共に、大量の粉が供給され、頭に響く声が掃き出された。
金色の光の中から、羽音が混じった笑い声が響く。
枝の上に、金の眼を持つ、漆黒のカラスが止まっていた。
『邪魔をするのはお前か? 狂妖憑き』
その声は、脳の奥に直接響いてくる。金眼鴉がタイドを射抜くように睨むと、周囲の木々の影がじわじわと黒く染まっていく。
既視感……
それは狼の死骸と怨念を糧に生み出された黒霧のようだった。
その黒霧が視界を覆う。
視界が滲む。いつの間にかタイドは一人、冒険者ギルドの中に居た。職員や、衛兵、同業者達の冷たい視線が注がれる。
『……お前は厄介者だ……何の役にも立たない年寄りの底辺が……野盗になるのが関の山……』
タイドは頭を振るが、幻影は黒霧と共にまとわりつく。
上空で、カラス達が輪を描き、金色の眼でタイドを睨む。
同時に、耳奥に低い囁きが響く。
『厄介者が……死に損ない……お前の帰る場所なんて無いよ』
母親の声が胸に刺さった。負の感情が手足を縛り、暴れる黒狼から転落しそうになる。
その瞬間、狂妖が笑い声を上げ、タイドの中で粉が回った。
「殺ッ殺ッ殺ッ」
神座を通してリーフが気煙をあげると、黒霧が晴れていく。
負の感情が怒りに塗り替えられ、力が湧き上がってきた。
『チッ』
カラスの舌打ちとともに、視界が開けると、キングが騎獣ごと魔法の門を潜るところだった。
キングが振り返る。精霊の卵を片手に持ち上げて吠えた。
「不ッ不ッ不ッ」
狂妖がブーイングを上げる。無情にもキングの通った魔法の門が閉じた。
「不ーーッ」
狂妖の咆哮、その瞬間、草原全体が低く震えた。
頭上に巨大な樹の幻影が伸び、タイドの足元に魔法の扉が開かれる。
「奴らの魔力を追え、チャンスじゃ」
扉から出て来たのは、妖精の長だった。
後続の妖精兵達が陣形を整えると、それぞれに持った壺から妖精の粉を振り撒く。
「行けっ、我々も後を追うぞぃ」
長の示す先に、魔法の扉が現れた。
それに驚いた黒狼が、いっそう激しく暴れる。
泥が跳ね、泡を吹いた黒狼が横倒しになる。
咄嗟に飛び降りたタイドは、転がりそうになりながら駆けた。
「殺ッ殺ッ殺ッ」
キングの得意気な背中を思い出して、殺気が湧き上がる。
ククリナイフを構えると、神座が熱を帯びた。リーフがうるさく羽ばたき、グンと加速したタイドが魔法の扉を潜る。
目の前で黒狼が咆哮を上げ、キングの斧が稲妻のように振り下ろされる。
タイドは横倒しになりながら避けると、リーフの浮力を得て駆けた。
前方に新たな魔法の扉が開く。
タイドは必死にスリング紐を振るうと、黒狼の尻尾を掴んだ。リーフが粉を供給し、紐の筋肉が膨張する。
「亜我唖々《ああ》ッ」
狂妖の声と共に扉を潜り抜ける。
視界の端で、キングの斧が閃き、ククリナイフを構えた。斧一閃、狼の尻尾が断たれる
『出合えっ』
カラスの声が響く。
転がるタイドが体勢を整えた時、
『待っていましたよ精霊の卵よ』
頭上からカラスの喜声が降って来た。




