表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/17

シエラ

 真っ赤な水の底で、影を落とす〝狂妖〟を見上げた。

 回転しながら、ゆっくりと沈んでくる。それとは逆に、穏やかな流れがタイドを浮上させる。


『ここはどこだ……? 俺は何をしてるんだ……?』


 丸まって浮く狂妖と目が合う。双眸が赤く光り、タイドの脳に灼きついた。


 緑の残光が薄れると、目の前の狂妖は消えていた。


 耳鳴りが頭を締め付ける。

 思考が溶けて、空になった頭に、狂妖の赤い目が棲みついた。


 次の瞬間、水が逆流した。息ができない。苦しい。口に押し込まれた何かが、強引に空気を送り込んできた。

 みるみる水は掃けてゆき、苔むした根の間に、ずぶ濡れのまま横たわる。

 動こうとするが、四肢は動かない。虫のような黒い影が飛び交い、現実のざわめきが夢の縁を削っていく。


――「見えるか!」


 目が合った。顔が近い。長が怒鳴っているが、音は遠かった。


「起きろ! 見えるか!?」


 喋ろうとするが、ムセてしまう。長が手を振ると、木の根が口から引きずり出され、沢山の水を吐き出した。


「……見え……てる、たぶん……な」


 かすれた声で返答すると、長は満足気に笑みを浮かべ、手足に絡みつく根の拘束を解いた。


 傷跡だらけの手で顔を拭う。鼻に詰まった根っこを引きずり出すと、しばらくして、緩い水が耳から垂れた。


 頭はぼんやりするが、体は少しずつ動いた。傷跡が痛む。特に黒鉛狼の噛み跡は、肉が盛り上がり、芯の部分が重く痛んだ。


「呪いにやられた肉は削り取ったからのう。安心しろ、命に別状はないわい」


「カッカッカッ」と長が快活に笑う。

 左手を見ると、神座の近くに、ケロイド状の火傷痕が走っていた。掌を握り違和感を確かめる。


「治療の際に、妖精の粉を通りやすくしたのじゃ。左腕に精孔の通り道を造ったんじゃよ」


 左手の火傷痕から、心臓に向かって道が作られた、と説明を受ける。


「お前たちは狼との戦いで古代の毒を帯びた。あんな物を持ち出すとは、侮れん奴らじゃ」


 長が言う古代の毒とは、呪いと毒を融合させた兵器らしい。


呪獣じゅじゅうが育ち切らずに潰せて良かったわい」


 呪いを受けた傷に、妖精の粉を注ぎ込む事で、呪いを焼き潰したらしい。

 その過程で肉体にまで精孔が伸びたという。


 長から新たな服と、ククリナイフとスリング紐、弾などを受け取り、装着していく。


「リーフは無事か?」


 タイドの質問に、長は渋い顔をする。


「まさか……」


「いや、無事じゃ……無事なんじゃがのう。今回は力を使いすぎた。粉の枯渇じゃ」


 粉の枯渇、小さい体で大分無茶をさせたからだろう。


「それって治るのか?」


「うむ、リーフはまだ若いからのう。未熟な分、回復も早いじゃろう。見に行くかの?」


 長の案内で、タイドは回廊を抜け、根の洞に入った。

 木の内部は静かで、根が天井から垂れ下がり、湿気がこもっている。


 中心に透明な筒が据えられ、淡い緑の光の中でリーフが浮かんでいた。


「……リーフ」


 小さな体が液体に浮かんでいる。

 目を閉じ、呼吸も浅い。金の髪はふわりと水中に舞い、背中の翅が、かすかに脈動していた。


「粉の根源が尽きると、こうして培養槽で回復するしかないんじゃ……心配いらん、順調じゃよ」


 長の声が優しく響く。だが、タイドの胸には、言いようのない焦燥があった。


 戦いの中で、何度も自分を引っ張ってくれたリーフ。

 神座に飛び込み、狂妖を呼び出し、自分の体に粉を通してくれた。


 あれは――こんな小さな妖精が耐えられる所業ではない。


「……この子は、こうなる事を承知で?」


 長は黙って頷く。


「この子は、俺よりもよっぽど戦士だ」


 長は何も答えず、ただ、目を細めていた。


 その時――


「警報か?」


 洞の奥で、低く金属音のような振動が響いた。直後、木々が軋む音が聞こえる。


「おい、これは……!」


 タイドが立ち上がろうとすると、頭の奥で“キィン”と耳鳴りが走る。

 

『こっちも完全じゃないな、しょうがねぇ』


「何事じゃ」


 長の言葉に、部屋の外に控えていた妖精が答える。


「何者かが神木に侵入いたしました。前と同じで蜘蛛みはりの反応はありません」


 慌てる妖精達に長が指示を出す。

 タイドの胸がざわついた。


「……結界を抜けられたってことか?」


「そうじゃ、神木に直接入り込んだとなると――これは只事では済まんぞ」


 長の目が険しくなり、声に焦りが滲む。


「お主はまだ動くな。リーフと共にここにおれ。……封印層の守りを固めるぞ!」


 長が命じると、部屋の外に控えていた妖精たちが一斉に飛び立った。

 警鐘が回廊に響き、巨木全体を震わせる。


 タイドはいつでも出動できるように、装備を改めた。

 ボロボロになった服は、新たに妖精の衣服と同じ、深緑の丈夫な繊維で作り換えられている。

 そしてククリナイフとスリング紐は更なる改造が施されていた。


 ナイフの握りを確かめていると、鋭敏になった感覚が何かを捉える。


 慌てる妖精達の動きとは明らかに違う個体がいる。


 徐々にタイドの洞に近づいて来る。タイドが物陰に隠れると同時に、一匹の妖精が飛び込んで来た。


「ハァハァ……撒いたか、しつこい奴らだ」


 シエラだ。息を切らながらリーフの管に飛来する。


「リーフ、ずるい奴だ。お前ばかりが選ばれる。俺様の方が優秀なのに……選ばれし者なのに」


 リーフを睨みつけ、硬く握りしめた拳に魔力を集める。


「俺様が選ばれたなら、ゴブリンなど即全滅させた。こうなったのはお前のせいだ」


 拳の魔力が針のように研ぎ澄まされていく。


「やめろ!」


 タイドが飛びかかり、ククリナイフを振るう。それをすり抜けたシエラは、驚きに目を見開きながら、


「なぜ人間がここに居る! 神聖な場所に穢れた人間が入るなど……」


 口から泡を飛ばしながら、魔法の矢を打って来た。それをククリナイフで斬り払う。


「バチン!」


 と激しい音と共に、魔法の矢が弾ける。その威力に少し後退った。


「ふっざけんなよ!」


 シエラの周りに魔力が集束する。銀色の針が2本、宙に震えた。


 即座にスリングで鏑弾を抜き取る。振り抜きざまに投擲するが、シエラの姿は掻き消えた。


「ギャハハッ! そんな物が俺様に当たるかよ!」


 タイドのすぐ側の空間に現れ、2本の矢を放って来た。


 タイドは前方に飛び込むと、胸を強かに打ちながら、矢を避けた。

 その際に一本の矢が左足の太ももを傷付ける。


 伸び上がってククリナイフを振るうが空を切った。


 洞の天井まで飛び上がったシエラは、笑いながら魔力を練る。その姿には見覚えがあった。


「お前、その目」


 鈍い金色に濁る瞳。


「ゴブリンに操られ……」


「ふざっけんな! 俺様が操ってるんだ!」


 シエラは咄嗟に魔法矢を撃ち込んで来た。


2本の矢を、小さく半身を捻って避け、スリングを振るう。避け損ねた左頬と左太ももに矢が掠めた。太ももはしっかり矢が当たったが、妖精の服が魔力を散らしてくれたようだ。


「貴様、その服! 盗みやがったな」


 転移して鏑弾を避けたシエラが怒鳴り散らす。


「うるせえ」


 タイドは放った後のスリング紐を鞭のように振るうが、シエラに後退される。


「当たんねぇよぉ」


 余裕に見えたシエラが、突然吹き飛ばされた。

 スリングの先端が石を隠し持ち、素早く投擲したのだ。


 回復する隙を与えず、そのままスリングでシエラを絡めとる。


「グウッ……くそっ……離せ」


 シエラは必死に抵抗しながら魔力を集めた。

 だがタイドは知っている。

 長もリーフも、全ての妖精が魔法を行使する時は、翅を震わせている事を。


 さらに拘束を強めて、


「殺すぞ」


 とタイドが言うと、シエラは抵抗をやめた。


「くそっ! なんなんだよお前! ただの運び屋ごときが、ふざけんな」


 口汚く罵るシエラに、


「お前のその目、ゴブリンや狼と同じだ」


「はっ、この目はカラス様からいただいた金眼だ。魔力を高め、より高次元の存在になるんだよ」


「お前がゴブリンを手引きしたのか? 卵を奪うために? じゃあなぜ卵を戻させた?」


「うるさい、そんな事知った事か」


 うそぶくシエラを締め上げると、すぐに降参した。


「分かった、分かったよ。喋るから締めるな。俺様はあの時、卵を奪う手引きをしたが、その後の事は知らなかった。まさかホブゴブリンを倒す者が現れるとはな。咄嗟に卵を持ち帰らせて、疑いを晴らしつつ、次の機会を伺ったのさ」


 悪びれた様子も無く、ペラペラと喋る。 カラスとやらは、よくぞこいつに目をつけたものだ。


「仲間を売って恥ずかしくないのか?」


「うるさいっ! お前があの時、俺様を選んでいたら、ゴブリン共なぞ全滅させていたさ。ばかリーフと違って、俺様の攻撃魔法で瞬殺だっ。それを分からぬ奴らが悪いっ、皆死んでしまえば良い」


 泡を飛ばしながら力説する。本気で自分の正しさを信じきっている。


「狂ってる……」


 その時、シエラが強烈な光を放つ。と同時にタイドを頭痛が襲った。一瞬の緩みを逃さず、シエラは飛び立つと、瞬間移動を繰り返して逃亡した。


 しばらく動けないほどの頭痛は、しばらくしてやわらいだ。


「どうするべきだ? ここでリーフを守るか?」


 長の言葉もある。タイドは方針を決めると、リーフの浮かぶ管の前で仁王立ちになった。


 しばらくすると、沢山の気配が迫って来た。妖精達だと分かっているが、シエラの事もあり、緊張が走る。


 しばらくして飛び込んで来たのは長だった。


「くそっ! やられたわい。精霊の卵が再び奪われた」


「ああ、さっきシエラが来たよ。奴が手引きしたらしい」


「なんじゃとっ! ええい、あの馬鹿は何をしとるんじゃ」


 長は悔しがるのもそこそこに、リーフの前に飛来した。


「急がねば、精霊の卵は何としても取り戻さねば」


 長は管に両手を当てると、呪文を唱えた。言葉の抑揚とリーフの脈動が同期して、〝ボコボコッ〟と気泡が上がる。


「何をするっ」


 タイドが制止しようとするが、妖精兵が魔法を唱えると、全身の力が抜けて動けなくなった。


「黙って見ておれ。心配は無い。急速に粉魔法を充填するだけじゃ」


 長の魔力が管に注がれると、緑の光が爆発して、視界を埋めた。


 赤の残光が薄れると、目の前にリーフがいた。

 不思議そうに小首を傾げてタイドを見ている。


「タイド〜、無事だったんだね〜」


 ポワポワと瞬きしながらまとわりつく。リーフの姿越しに、長を睨みつけた。


「これをしなかった、訳があるんだろう?」


 長は手で制すると、


「今はそれどころでは無い。精霊の卵を奪還するのだ。お前達は、妖精の扉から先回りをしろ。卵を奪った者を逃すな」


「奪ったのは誰だ?」


「そいつは、ゴブリンキングじゃよ」


 長が示す空間に、魔法の扉が現れた。

 その先には、森を走る大きな狼と、それに跨る巨大なゴブリンの姿があった。


「わしらの縄張りに居るうちに、早く! 逃すでないぞ!」


 タイドはリーフを従えると、飛び込むように扉を潜り抜けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ