瘤
標的、それは――金眼狼の背中に取り憑く、瘤のような〝者〟
最初から気になっていた、笛の音の主。
唯一、傍観者としてこの戦いを俯瞰し、支配していた存在だ。
「……貴様か」
タイドの赤い目が、狼王の背中にある瘤の奥を捉える。
いくら存在を隠しても、鋭い聴覚は、微かな心音を捉える。それは小動物のような早鐘で、タイドを警戒していた。
「トクン」
と心音が跳ねる。
「ピィ……」
笛が鳴った瞬間――黒鉛狼たちの全てが動きを止めた。
「……っ!?」
タイドが警戒する中で、異変が起こった。
黒鉛狼達が黒く焦げはじめ、激しい煙と悪臭をあげはじめたのだ。
『間に合え!』
とタイドが投擲した鏑弾は、濃厚な煙を貫いた。纏わり付いた妖精の粉が大きな穴を開ける。
だが、手応えは無く、タイドは即座に行動する。
「我我我我ッ」
リーフが狂い始める。この戦いでは粉魔法が鍵となるため、なるべく抑えてきたが、ただならぬ気配に暴発してしまった。
激しい黒煙は渦を描きながら、空間を埋めてゆく。
『やばい臭いだ』
鼻の奥にこびりつくそれは、狼達の憎悪の念を含んで、タイドの心を締め付けた。
心を毒され、狂妖の思考に逃げ込みたくなる。
だが、その先に勝利は無い。太く、キレずに、粘るしか無い。
「があっ」
伸びた狼の首が肩を噛み、首を振るう。
ククリナイフで切り裂こうとするが、その胴体は宙に滲んで消えた。
「ジュウッ」
と、牙を通して何かが注入され、激痛が走る。即座にククリナイフが熱を持ち、妖精の粉が体内を巡る。
「殺ッ殺ッ殺ッ」
ガチガチと顎を鳴らして、神座から首を伸ばしたリーフが、ククリナイフごとタイドを引っ張る。
ナイフが貫いたはずの黒鉛は、熱を奪うように霧散した。
『攻撃が通らない』
ハッキリとは分からないが、ここに居てはならないと悟る。
タイドは肩を押さえたまま跳び退き、咄嗟にスリングを振るう。
だが――黒鉛狼は、飛翔する鏑弾を靄になって躱し、実体となってタイドに噛み付いた。
笛の音に合わせて、狼が群れとなって襲いかかる。空間を埋め尽くす黒煙が、時空を歪め、逃げ場が無くなる。
『殺殺殺』
と笑うリーフの神座が赤熱化する。閃きとともに、粉魔法が放たれ、刃とともに空間が切り裂いた。
刃が軋むように肥大化して、黒鉛狼をめった斬りにする。
金眼狼が唸り、飛び掛かろうとするが、笛の音とともに後退する。明らかに意識と反した行動をさせられている。
大量の粉魔法が生み出され、赤熱化した神座に引火する。タイドは一歩踏み出し、火柱を横薙ぎに振るった。
地を這うように駆けてきた黒鉛狼が、三頭まとめて弾けた。
だが、その破片はまた黒煙と化し、空気中に溶け、金眼狼の背へと吸い込まれていく。
「ピィッ」
鋭い笛の音に応じて、周囲の黒煙が凝集し、まるで盾のように金眼狼の体表を覆う。
そして――突進。
「ッ……!」
ドンッ! と音がして、タイドは弾き飛ばされた。
黒煙を纏った巨体は、硬く重い。狼の肉体に鉛の鎧を着せたようなものだ。
衝突の衝撃が、妖精の粉をもってしても内部から軋ませる。
「ぐっ、かはっ!」
タイドが吐血する。粉の巡りが一瞬止まりかけた。
粉の供給が絶えれば、タイドの体はこの毒に耐えられない。
勝負は一瞬、一点突破しかない。
タイドは突っ込む。黒鉛狼のラッシュをギリギリでかわしながら、ククリナイフを振るう。
黒鉛狼が両脇から迫る。粉魔法を纏ったククリナイフで斬り進む。
赤熱した刃が、黒鉛狼の頭部を切り裂くと、その間隙を突いて、タイドが金眼狼の背へ跳躍――!
「我亜亜ッ」
左拳に握った鏑弾を、金眼狼の背にある瘤めがけて叩き込む!
「ピィ…ィィィィ…!」
笛が裂けるように響いた瞬間、全ての黒鉛狼が、盾となって具現化した。
重金属を握り込んだ左拳で、狂ったように殴打する。殴られた黒鉛はひしゃげながら耐えた。
振り上げ様に、裏拳で金眼狼を狙う。そこに黒鉛狼が集まったところで、
「ヒュンッ」
タイドがスリングを振るう。次の瞬間、
「ギャアアァーッ」
金眼狼の瘤に、スリング紐の先端に巻きつかれた、ククリナイフが突き立った。
鮮血が噴き出る。
皮膚の裂け目から、粘液まみれの手がにゅるりと伸びた。
瘤の中で小さなゴブリンが、胎児のように蠢いていた。
「……ッ」タイドの手が震える。だが、躊躇は無い
ナイフの先端で掻き回すと、金眼狼が身震いをした。
黒鉛狼たちが、一斉に吠えた。
だが、もう何も届かない。
源が絶たれた彼らは、黒煙の霧とともに、静かに崩れ落ちていく――
金眼狼が、ふらりと後退した。
瘤を失ったその姿は、ただの獣だった。
「……悪かったな」
タイドがナイフを振るう。
黒煙を断ち、最後の一太刀が金眼狼を貫いた。
――死闘が終結した。




